3187日目・文字霊日記
「四面楚歌」・妄想歪曲疑考察・・・七夕=乞巧奠
「四面楚歌」・・・「四国の面、楚(蘇)我」・・・
「四面楚歌」・妄想歪曲疑考察・・・七夕=乞巧奠・・・裁縫上達祈願
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「プーチン」の「ロシア」・・・紙面粗過・・・脳細胞拮抗畋
畋=デン・ テン・ かる・ かり
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「四国」の古代呼称
「伊予 之 二名 島」 古事記
「伊予 二名 洲」 日本書紀
(いよ の ふたな の しま)
徳島県
香川県
愛媛県
高知県
近世以降
五畿七道の南海道のうち
紀伊国と淡路国を除いた
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阿波国
讃岐国
伊予国
土佐国
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の4つの律令制国が存在
16世紀の
『陰徳太平記』(享保二年(1717年)出版)
序に
「山陰・山陽・四国・九州」
と記録
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『古事記』
九州=「筑紫島(つくしのしま)」
『日本書紀』(養老4年(720年)完成)
「日本」=「大八洲国(おおやしまのくに)」
九州=「筑紫洲(つくしのしま)」
筑紫国、火国、豊国、日向国、熊襲国
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中国人が
日本語の「音声」を
・・・「耳」で訊いて
「中国語」に翻訳し
「日本語の意味内容」に
「同意義の漢字」を当てて記録
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魏志倭人伝
技詞和人伝=魏志倭人伝・・・???
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投馬国
長官は「彌彌(みみ)」・・・・・・耳々・目々
副官は「彌彌那利(みみなり)」・・耳鳴=耳那利
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邪馬台国
官 伊支馬(いきま)
弥馬升(みましょう)
弥馬獲支(みまかくき)
奴佳鞮(なかてい)
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「那=刀+二+阝(邑=おおざと・むら)」
ナ
ダ
いかんぞ
なに
なんぞ
多い
美しい
安らか
なんぞ・いかんぞ・いかん
疑問・反語の助字
なに・かの・あの
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漢字構成
那=刀+二+阝
㇆+㇓+二+阝
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α+那・・・「尹=ヨ+丿」+阝・・・?
「那=冉+阝」・・・冉=用・・・?
那=冉+阝
那=冄+阝
異体字「冉=冄」
ゼン・ネン
しなやか・しなやかなさま
ゆく・すすむ・ゆっくりと進む
ひげなどのように
やわらかにゆっくりと伸び進むさま
ョ=
㑚=イ+那=ダ・それ
挪=扌+那=移す・ずらす
手で揉む・軽く握る
哪=口+那=ダ・ナ
鬼やらいの鬼をはらう声
驚嘆や疑問を表す
娜=女+那=ダ・ナ
しなやか
たおやか
しなやかで美しい
梛=木+那=ダ・ナ・・・椰子(やし)=木+耳+阝
なぎ
「枸梛(コウダ)」=柳に似た木の名
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名のり
とも
ふゆ
やす
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地名
女那川町(めながわちょう)
那智が丘(なちがおか)
那倉(なぐら)
那賀(なか)
那珂西(なかさい)
那を含む地名(地名辞典)
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名字
阿那=あな
安那=あな/やすな
石那田=いしなだ
井那=いな
伊那=いな
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那(いかん)ぞ
那(なに)
那(なん)ぞ
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刹那=一瞬の時間・瞬間。仏教用語で最も小さい単位
那辺・奈辺(なへん)
どのあたり・どのへん・どこ
毘慮遮那仏(びるしゃなぶつ・びりょしゃなぶつ)
大乗仏教の仏の1つ
全宇宙の真理を全ての人に照らし
悟りに導く仏
真言宗などの密教で「大日如来」
盧遮那仏・遮那仏
慮遮那仏(るしゃなぶつ)=毘慮遮那仏
若旦那(わかだんな)
一刹那(いっせつな)
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刹那主義(せつなしゅぎ)
今が楽しければそれでよいという考え
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「金があれば馬鹿も旦那」
「金が言わせる旦那」
「しつこい坊主に檀那がない」
財物の寄進をしつこく言う僧侶は嫌われる
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「尹=ヨ+丿」
尸 (しかばね・かばね
しかばねだれ・しかばねかんむり・かばねだれ)
尹=イン
おさ
おさめる
ただす
おさ・長官
安定させる・治安維持
日本
かみ・四等官(シトウカン)・弾正台の第一位
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「次生、筑紫島。
此島亦
身 一而
有 面四。・・・面が四つ有る・・・4っに分割された面
面毎 有名。
故、
筑紫国 謂、白日別。
豊国、 言、豊日別。
肥国、 言、建日向日豊久士比泥別。
熊曾国、言、建日別。」
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248年
邪馬台国
「卑弥呼」 死没・・・
帯方郡の武官
「張政」・・・「黄幡」を「壹與」に与え鼓舞
13歳+18=31歳
張=弓+長
政=正+攵(攴)・・・打つ・叩く
夂(チ)=ゆっくり・おくれる=夊(スイ)
266年まで滞在・・・266-248=18年間・・・?
「壹與=13歳+18」=「31歳」=30+1
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用明天皇・・・用(もちいる)ことを明(日+月=あきらか)にする
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第31代天皇・・・31=参拾壱・・・・日本書紀・31巻=30巻+系図1巻
和歌は普通三十一文字(みそひともじ)
一音文字数=5+7+5+7+7=31文字
在位期間
585年10月3日?~587年5月21日?
敏達天皇14年9月5日~用明天皇2年4月9日
先代 敏達天皇
次代 崇峻天皇
誕生不詳
崩御 587年5月21日?
陵所 磐余池上陵→河内磯長陵(河内磯長原陵)
漢風諡号 用明天皇
和風諡号 橘豊日天皇
諱 池辺
別称 大兄皇子
橘豊日命
父 欽明天皇
母 蘇我堅塩媛
皇后 穴穂部間人皇女
子女 田目皇子
聖徳太子
当麻皇子
来目皇子
殖栗皇子
茨田皇子
酢香手姫皇女
皇居 磐余池辺雙槻宮
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朝鮮半島
高句麗の南下
313年
魏が支配の
「楽浪郡」
が滅び
「帯方郡」
衰退
5世紀
百済次いで
高句麗の支配下
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6世紀以来
「新羅」は
一定の領域に
州
郡
村
を置き
州には軍主
村には道使を派遣
在地の有力者を
村主に任命して地方を掌握
「州郡制」
の地方統治
三国統一を果たした7世紀後半から
村を県に改め
「州・郡・県」
支配
州には都督
郡には郡太守
県には県令
を中央から派遣
州・郡に対しては
外司正という検察官を別途派遣
第31代
「神文王」の
687年に
「九州」が完成
州治が地方統治の拠点となり
旧三国のそれぞれを
三州とした
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「四面楚歌」
「ヤフー(YAHOO・JAPAN・知恵袋)」
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他の方も説明されているように、
垓下の戦いで歌った楚の歌の内容は
『史記』には記述されていません。
他の方も説明されているように、
「垓下の戦い」
で歌った
楚の歌の内容は
『史記』には記述されていません
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『史記』の中に
別の楚の歌を歌った
という逸話が収録されている・・・
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「戚夫人泣,
上曰
「為我楚舞,吾為若楚歌。」
歌曰
「鴻鴈高飛,
一舉千里。
羽翮已就,
橫絕四海。
橫絕四海,
當可奈何!
雖有矰繳,
尚安所施!」
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留侯世家の一節
次の皇帝が
恵帝に決まってしまったという時の話で
涙ぐむ劉邦の愛妾の
戚夫人に
劉邦が
「私のために楚の舞を踊おどっておくれ、
私はそなたのために楚の歌を歌うから」
と楚歌を歌う
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宋代
『楽府詩集』巻83・雑歌謡辞
「鶏鳴歌」
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「東方欲明星爛爛
汝南晨鶏登壇喚。
曲終漏盡厳具陳
月没星稀天下旦。
千門萬戸遞魚鑰
宮中飛鳴鵲。」
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「鶏鳴歌」
漢代の宮廷で
衛士が夜明けを告げる歌を記録したもの
宮中では
家畜・鶏を飼えないので
人間が大きな声で歌い
夜明けを人々に知らせた
『漢書』巻1下・高帝本紀
「四面楚歌」の場面に
唐
「顔師古」
が引用する後漢・応ショウの説に、
「応ショウ曰、楚歌者、鶏鳴歌也。
漢已略得其地、故楚歌者
多鶏鳴時歌也。」
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顔師古は
「楚歌とは楚人の歌を指すだけ」
「鶏鳴歌」
漢代の「鶏鳴歌」が宋代には伝えられていた
「汝南晨鶏」とは
『後漢書』巻26・百官志の
尚書左右丞につけられた
梁・劉昭の注に
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「応ショウ曰、楚歌、鶏鳴歌也。
晋太康地道記曰
後漢固始、トウ陽、公安、細陽四県衛士、
習此曲於闕下歌之。今鶏鳴是也。」
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「楚歌」とは「夜明けを告げる歌」
である可能性が高い・・・
ー----
・・・???・・・
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の
移転先・・・
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ボクの「古事記字源」の発端・・・
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干支歴
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↓↑
追加添文
「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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