ないえごろうブログ

同音異義の探索

新羅の成り行き・・・ナゼか「枕草子」・・・

 3214日目・文字霊日記

 ねじる・・・ 
 トルク (torque)・・・???・・・
 力学で
 ある固定され 回転軸を中心にはたらく
 回転軸の周りの力のモーメント
 一般的には「ねじりの強さ」=力矩・ねじりモーメント
 トルク=力と距離をかけた値
 物体を回転させる力
 力のモーメントと同じ
 トルクはボルトを締める時に
 必要なねじりモーメント
 ↓↑
 T=P×L
 力が小さくても
 Lが大きければ
 トルクTの値も大きい
 P=力
 L=モーメントの中心から
 力の作用点までの距離
 ↓↑
 偶力=物体を回転させる力
 物体を移動させることではなく
 互いの力の大きさが同じで
 反対向きの力
 M=P×L
 M=P(L-x)+Px=PL
 ↓↑
 枕草子・・・任那の成り行き・・・?
 弁官・弁韓・弁辰・金官伽耶→お伽の耳の邑
 馬韓辰韓弁韓⇔韓
 ↓↑
 來る(くる)
 來す(きたす)
 來る(きたる)
 來し(きし)
 來し(こし)
 懐来・懐來(カイライ・傀儡)
 相手が慕って来るようにさせること
 懐けきたすこと
 古来・古來(昔から今に至るまで・古くから)
 性来・性來(せいらい・しょうらい)
 生まれた時から備えている性質
 本来の性質・本性・生まれつき
 来
 ライ
 くる
 きたす
 きたる
 きし
 こし
 くる・きたる・やってくる
 きたす・こさせる
 このかた・ある時点から現在まで・今まで
 これから先・まだきていない先のこと
 助字・句中や句末に置いて、語調を整える
 普通は訓読では読まない
 ねぎらう・いたわる・はげます
 韓国=戦国時代の七雄の一
 韩国=
 韓=龺+韋
 十+日+口+㐄
 いがき・から・かん・はん
 龺+α
 龺乹倝乾朝戟韩䎐
 韓雲孟竜=男の同性愛
 韓愈と孟郊
 世間からは同性愛と噂さ
 「雲」と「竜」=相互依存関係
 韓海蘇潮
 唐の詩人
 韓愈と
 北宋の詩人
 蘇軾の文体
 韓信匍匐(ホフク)
 将来の目的実現のため
 恥辱や苦労を耐えること
 「韓信」=羞じに耐えて股の下をくぐった
  漢の劉邦に仕え
  功績を上げた名将
 韓文之疵=主張や発言の辻褄が合わないこと
 「韓文」=名文家の韓愈の書いた文章
 ↓↑
 古事記字源

ーーーーー
 枕草子
 枕=木+ 冘
 十+八+冖+儿
 冘=冖+丿+乚
 イン・ユウ・ユ
 進む・行く
 ためらう・ぐずる
 草=艹+早
 艸+日+十
 子=了+一
 (一三六段)
 百三十六段・壱佰参拾六段
 壱参六段・陌参足陸段
 1+3+6=10=十=壱拾=足
 1×3×6=18=十八=拾捌=足捌
 「頭辨の・・・トウのベン
  蔵人頭を兼務する弁官
 ↓
 蔵人(くろうど・藏人)
 律令制下の令外官の一
 天皇の秘書的役割を果たした
 唐名
 侍中(じちゅう)・・・字中
 夕郎(せきろう)・・・籍中
 夕拝郎(せきはいろう)・・・籍は遺漏
 蔵人所
 事務を行う場所
 内裏
 校書殿の北部に置かれた
 蔵の出納・管理を職掌とする下級官人
 倉人とも書く
 奈良時代
 造東大寺司に置かれ
 史生・案主等の
 下位に位置付けられた
 810年(弘仁元年)三月に設置された
 蔵人も「蔵人所」が
 「校書殿(きようしよでん)」に置かれた
 ・・・「蔵人」は字面からすれば
 「蔵の番人・管理人」であるが
 「帳簿・書籍」の蔵である
 ・・・歌舞伎では
 忠臣蔵
 「大石蔵之助」・・・
 息子は「主税」である・・・

 弁官・・・弁=わきまえる
 ↓
 弁=ム+廾
 異体字
 =辯(辩)・辨・辧・瓣・辮(辫)
 辦(办)
 花弁→花しべ→はなしべ=話し部
 ↓
 花蕊・花蘂=カズイ・花のしべ
 雄しべと雌しべ
 花心
 王建
 蜀一国を平定
 903年朝廷より蜀王に封
 唐滅亡後
 五代十国前蜀の高祖
 妻
 「花蘂夫人(カズイフジン)」
 名は「小徐妃」(しょうじょひ)
 女流詩人で
 「宮詞(キュウシ)」を作る
 また、後に
 「花蘂夫人」とは別人の
 「二花蘂夫人
 (にカズイフジン)」が登場
 姓は「費 or 徐」?
 --
 前蜀を乗っ取った
 孟知祥(もうちしょう)
 五代十国
 後蜀の初代皇帝
 在位期間は明徳元年(934年)
 姓・諱は孟知祥
 字は保胤
 諡号
 文武聖英烈明孝皇帝
 廟号は高祖
 咸通十五年四月21日
 (874年5月10日)
  ~
 明徳元年七月二十六日
 (934年9月7日)
 父は孟道
 皇后は李皇后(李克用の姪)
 陵墓は和陵
 邢州龍岡に孟道の子として生まれる
 父や叔父と共に
 後唐の荘宗の武将
 後唐前蜀を滅ぼすと、
 荘宗より
 西川節度使に封
 長興元年(930年)
 後唐に叛旗挙兵
 長興二年(932年)
 蜀の地より後唐勢力を駆逐
 懐柔策の明宗より蜀王に封
 応順元年(934年)
 国号を大蜀とし皇帝を称し、
 明徳と改元
 即位後
 七か月で崩御
 --↓
 孟知祥
 の三男、
 ↓
 孟昶(永+日)=モウチョウ・昶)
 後蜀の第二代皇帝
 「後主」と称されている
 ↓
 行軍司馬を務め、
 明徳元年(934年)
 東川節度使に封
 旧臣の李仁罕や張業らを誅殺
 農業
 養蚕を推奨
 科挙を実施
 諫言を重用し政治改革実行
 彼の後宮
 花蕊夫人
 晩年は奢侈に溺れ、朝政が乱れた
 広政十八年(955年)
 西北四州が後周に略奪され
 広政二十七年(964年)
 宋に攻められ
 広政二十八年(965年)
 宋に降伏し後蜀は滅亡
 亡国後は

 検校太師兼中書令
 秦国公

 に封ぜられ、
 乾徳三年(965年)に
 開封で没した(趙光義による毒殺説)
 死後は楚王に追封され、
 恭孝の諡号が贈られた
 この
 孟昶(永+日)
 の寵妃
 ↓
 「二花蘂夫人」を
 宋帝国の太祖・趙匡胤
 蜀の都・成都を陥とし、
 この花蘂夫人に惚れたが
 「貞女二夫にまみえず」
 「二花蘂夫人」は皇帝・匡胤の前で、
 亡国を偲んだ詞を詠み
 匡胤の弟の
 趙匡義が弓で「二花蘂夫人」を射殺
ー↓ーーー
 弁える(わきまえる)
 見分ける・物事の違いを識別
 理解する・心得る
 善悪を判断し処理する
 弁別する=捌
 是非・善悪を区別する
 思弁
 けじめをつけて処理する
 弁済・弁償・勘弁・支弁・自弁
 弁当・駅弁・腰弁(こしべん)
 わきまふ
 区別する
 物事の道理を
 よく知っている・心得ている
 ↓
 房室弁
 心房と心室の境にある弁
 左房室弁を僧帽弁・二尖弁(にせんべん)、
 右房室弁を三尖弁
 半月弁
 心臓の心室から動脈への出口にある
 半月形をした三枚の弁膜
 大動脈弁と肺動脈弁の総称
 心室が収縮すると開いて血液を送り出し、
 弛緩(しかん)すると閉じて逆流を防ぐ
 三半月弁
 ↓
 弁識
 弁舌=speech
 方言=a dialect〈なまり〉
 ↓
 弁官(べんかん・辨官)
 朝廷の最高機関、
 太政官の職で
 左大弁(さだいべん)
 右大弁(うだいべん)
 左中弁(さちゅうべん)
 右中弁(うちゅうべん)
 左少弁(さしょうべん)
 右少弁(うしょうべん)
 の総称
 唐名(漢風名称)は
 尚書・通説は四等官
 律令制の官職組織の一
 和訓は
 弁官〈おおともいのつかさ〉
 ↓
 左弁官と右弁官は
 太政官(だいじようかん)に所属
 これを構成するおもな官職は
 左、右弁
 (大弁、中弁、少弁
 の三等・定員各一)
 と
 史(大史・少史)
 ↓
 左弁官は
 太政官に属し
 八省のうち
 中務(なかつかさ)
 式部
 治部(ジブ)
 民部
 を監督
 ↓
 弁官=辨官
 律令制
 太政官(だいじょうかん)に属し
 文書事務や
 諸官司・諸国との
 連絡などを司どった官
 左弁官と右弁官に分かれ、
 それぞれ
 大弁・中弁・少弁が置かれ、
 その下に
 大史・少史があった
ー↓ー-
 弁韓(べんかん)
 紀元前二世紀末から四世紀にかけて
 朝鮮半島南部に存在した
 三韓の一つで
 弁辰とも言う
 弁韓十二ヶ国
 三韓時代の
 駕洛国金官伽耶
 「卞韓」・「牟韓」とも記録
 「弁辰」という名は、
 「半跛国」
 「跛(ハ)」は「足なえ」
  跛行爬行
  ↓
 以下、「差別用語」としてではなく
  「歴史的使用言語」
 としてブログ記事から抜粋し
 そのコトバを添付します
  「現存・古事記」の
 ヤマトタケル
 息吹山から下山した
 三重(村)懸での
 タギタギしい状況の重なりです
 ↓
 跛(ちんば)
 片方の足に障害があり
 うまく歩けないこと
 対になっている物の
 形・大きさ・色が
 揃っていないこと
 両方の端がちがう
  「かたちんば」
 片足が不自由で
 普通に歩けないこと

 対(つい)のモノが
 形や大きさが揃わないこと

 めくら(視力障害者)
 つんぼ(耳の不自由な人)
 あきめくら(字の読めない人・文盲)
 おし(口の不自由な人・聾唖者)
 どもり(言語障害者・吃音)
 びっこ・ちんば・いざり(足の悪い人)
 かたわ(身体障害者
 がちゃ目(ロンパリ・斜視)
 ちんばの同義語
 足萎(なえ)
 片ちんば・不揃い・片跛

 博多弁・・・?

 ほんらい食い違っている様子
 ↓
 「ベートーベン」の
 交響曲第9番
 「ミサ・ソレムニス
 (misa solemnis)
 荘厳ミサ(祭儀)」

 ・・・「座頭市・検校」の按摩
 ・・・「高橋竹山」の三味線
 ・・・「平家物語」を語る
 「琵琶法師」など・・・
  ↑
 「歴史的使用言語」
 として理解すべし・・・
ーー↓
 半跛国
 を中心とする
 韓の諸国の意味
 三世紀には
  「十二国また王あり」
 狗邪国・安邪国・半跛国
 が強国

 弁韓
 古代に
 朝鮮半島南部に居住した韓族の名称
  「弁辰(弁辰韓)」
  「三国志魏志東夷列伝・韓の条」による記録
 ↓
 弁韓
 弁韓(弁辰)
  「後漢書・弁辰伝」
 弁辰
 與
 辰韓
 雜居
 城郭
 衣服皆同、
 言語風俗
 有異。
 其人形
 皆長大
 美髮
 衣服清。

 而
 刑法嚴峻。
 其國
 近倭、
 故頗有文身者。

 紀元前3世紀~2世紀に掛けて
 朝鮮半島の南部の辰国
 中国の春秋戦国時代

 韓の国が
 蓁の国に滅ぼされ、

 山東半島に移住した韓族
 韓族が山東半島経由で
 朝鮮半島の南部に

 馬韓辰韓弁韓
 等を建国・・・

 弁韓
 古代朝鮮の三韓の一
 現在の
 慶尚南道西南部
 後、
 加羅(から)
  (任那(みまな)となり

 六世紀に
 新羅(しらぎ)に併合

 朝鮮半島南部
 馬韓辰韓弁韓

  「弁韓
   紀元前二世紀~四世紀にかけて
 朝鮮半島
 南部に存在した
 三韓の一
 十二ヶ国に分かれ
 馬韓の東で
 辰韓の南
 後の
 任那である・・・?
 ↓
 当弁・答弁・唐弁
 問う弁

 「任那成行」・・・任那の成り行き・・・日本府
 南朝鮮の東端・・・辰韓弁韓
 駕洛国金官伽耶

 枕草子
 (一三六段)
 百三十六段・壱佰参拾六段・壱参六段・陌参足陸段
 1+3+6=10=十=壱拾=足
 1×3×6=18=十八=拾捌=足捌

 「頭辨の・・・トウのベン=蔵人頭を兼務する弁官
ーー↓
 枕草子のツヅキ

 「頭辨の
 御許
 より」
 とて、
 主殿司、・・・主伝詞・取伝史
 繪
 など
 やうなる物を、
 白き
 色紙につつみて、
 梅の花
 いみじく
 咲きたるに
 つけてもてきたり。
 繪にやあらんと
 急ぎ取り入れて
 見れば、
 餠餤・・・へいだん、べいだん、へいたん
 ↓
 餅腅
 食べ物の一つ
 阿比留、鴨の卵と
 野菜を煮て
 餠の中に入れこみ、
 四角に切ったもの
 ↓
 兵団・兵站・兵端・米談
 平談→平家物語
 ↓↑ 
 とい・・・・問
 ふ・・・・・譜
 ものを
 二つ
 竝べて
 つつみたるなり。
 添へたるたて
 文に
 解文の
 やうに書きて
 「進上餠餤・・・「真情・心情・身上・信条」
 兵団・平談
 ピアノ
 楽器の「進上の併弾」
 一つ
 つみ・・・罪・摘み・抓み・積み・詰み
 例によりて
 進上
 如件・・・如件(くだんのごとし)
 くだん・九段・句段・苦談・件(くだん)
 少納言殿に」・・章名言伝爾
 とて
 月日かきて、・・・解通比
 ↓↑
 「任那成行」・・・任那の成り行き・・・日本府
 南朝鮮の東端・・・辰韓弁韓
 駕洛国金官伽耶
 ↓↑
 とて
 奧に、
 「この
 男は・・・音故葉
 みづ・・・自・「水=壬・癸」
 から
 參・・・まい
 サン・纂
 らん・・・乱・覧・蘭
 と・・・・徒・賭・渡
 するを、
 晝は・・・晝(昼・ひる・チュウ)
 類字は書(かく・ショ)
 畫(画・えがく・限る・エ・カク)
 かたち
 わろし
 とて
 まゐらぬ
 なめり」
 と
 いみじく
 をかしげに
 書き給ひたり。
 御前に
 參りて
 御覽ぜさすれば、
 「めでた・・・目出度
 く・・・・・・句
 も・・・・・・模
 かかれ・・・・懸か例
 たる
 かな。
 をかしう
 したり」
 など
 譽めさせ給ひて
 御文はとらせ給ひつ。
 「返事は
 いかが
 すべ
 か
 らん。
 この
 餠餤もてくるには
 物
 など
 や
 とらす
 らん。
 知りたる
 人
 もがな」
 といふを
 聞しめして、
 「惟仲・・・これなか
 惟仲 惟 仲
  「イチュウ・ユイチュウ」
 意中 唯 注・輸意中
 が
 聲し
 つる
 呼びて
 問へ」
 との給はすれば
 はしに出でて
 「左・・・よこしま(邪)・ひだり(比拿理)
 大・・・代
 辨・・・弁・偏・篇・変
 に
 もの
 聞えん」
 と
 侍・・・・はべら(葉部等)
 して
 いはすれば
 いと
 よく
 うるはしう
 てき
 たり。
 「あらず
 私事なり。
 もしこの
 辨
 少
 納
 言
 などの
 もとに
 かかる物
 もてきたる
 下部などには
 することやある」
 と問へば、
 「さる事も
 侍らず
 唯とどめて
 ・・・唯とどめて
 (留目=残留・残す
 止め=息の根を止める)
 残=歹+㦮=殘=歹+戔
  歹=歺=ガツ
 タイ
 ほね
 残骨
 かばね(屍)⇔姓
 悪い
  一+夕+㦮
 㦮=戈+二
  サン・セン・ザン
  そこ(なう)
  きずつける=残
  すくない・わずか・小さい
 殘=歹+戔・・・戔=戋=戈+一
 ↓↑
 百殘=好太王碑(Wikipedia
 https://ja.wikipedia.org/wiki/好太王
 「殘主(2回)」・「百殘(3回)」
 「殘国(1回)」・「殘(1回)」
 などと漢字使用の「刻録・刻字」
 ↓↑
 「百殘
 新羅
 舊
 是屬民
 由来
 朝貢
 ・・・「百殘・新羅
 もと
 これ
 属民にして
 由来
 朝貢せり」
 ↓↑
 而
 倭・・・倭=和=日本(九州・近畿・列島)
 倭軍=「倭賊(1回)・倭寇(2回)」
 ↓↑ ↓↑
 以
 耒・・・ライ・ルイ
  ・・・耒=来=未+丷(ハ)
  一+米 
  一+丷(ハ)+十+八
 =來=木+从
  木+人+人
 =徕=彳+来
  耒=すき(耜・鋤・鍬・犂)
    誄=言+耒=䛶=言+丰+木
    しのびごと(弔辞=チョウジ)
 ↓↑ 
 卯年
 来渡[海]
 破
 百殘・・・百殘=百濟
 殘=濟・・・?
 残酷なもののすべて
 「南子・タイ民族訓練」
 「混乱のない治世
 不信感のない心
 百の残虐さを中和する」
 ↓↑
 ■■・・・欠字
 加羅伽耶(かや)
  伽倻・加耶
 梁国
 537年
 「蕭子顯」編纂の「南齊書」
 加羅國,三韓種也
 建元元年
 國王
 荷知
 使來獻。
 詔曰
 「量廣始登,遠夷洽化。
 加羅
 荷知款關海外
 奉贄東遐。
 可授輔國將軍
 本國王。」
  と記録
  720年
    『日本書紀
    「加羅
 「任那
 が併記
 ↓↑
 新羅
 以
 爲
 臣民」
 ↓↑
 好太王碑=広開土王碑
 高句麗
 第19代の王
 好太王(広開土王)
 の業績を称えた石碑
 中華人民共和国
 吉林省
 通化
 集安市に存在
 好太王の子
 長寿王が建造
 「年九月廿九日乙酉」
 (西暦414年10月28日)
 甲寅・甲戌・乙酉・丁丑~戊子
 ↓↑
 くひ侍る。
 何しに
 問はせ給ふ。
 もし
 上官のうちにて、
 えさせ
 給へるか」
 といへば、
 「いかがは」
 と答ふ。
 唯返しを
 いみじう
 赤き
 薄樣に、
 「みづ
 から
 持て
 まう
 で
 こぬ
 下部は、
 いと
 れい
 たう・・・当・問う
 なりと
 なん
 見ゆる」
 とて、
 めでたき
 紅梅に
 つけて奉るを、
 すなはち
 おはしまして、
 「下部さぶらふ」
 と
 の給へば、
 出でたるに、
 「さやうのものぞ、
 歌よみして
 遣せ
 給へると
 思ひつるに、
 美々しくも
 いひ
 たり
 つる
 かな。
 女
 少し
 われはと
 思ひたるは、
 歌
 よみがましく
 ぞ
 ある。
 さらぬ
 こそ
 語ひ
 よけれ。
 まろなど
 に
 さる事
 いはん
 人は
 かへりて
 無心
 ならん
 かし」
 との給ふ。
 「則光・・・のりみつ・即効・速攻・即行
 成康・・・なりやす・成りやす・名理埜素
 など
 笑ひて
 止み
 にし
 事を
 殿の・・・伝之・出ん之・伝埜
 前に・・・
 人々
 いと
 多かりけるに
 語り
 まを
 したまひ
 けれ
 ば
 いと
 よく言ひ
 たる
 と
 なんの
 給は
 せし」
 と
 人の
 語りし。
 これこそ
 見苦しき
 我ぼめ
 ども
 なり
 かし。
ーーー
 ・・・見苦しき、我 ぼめどもなりかし・・・
 話例補目度摸名理可視・・・?
 ↓↑↓↑
(一三六段)
 「頭辨の御許より」
 とて、
 主殿司、繪などやうなる物を、
 白き色紙につつみて、
 梅の花のいみじく咲きたるにつけてもてきたり。
 繪にやあらんと急ぎ取り入れて見れば、
 餠餤といふものを、二つ竝べてつつみたるなり。
 添へたるたて文に、解文のやうに書きて

 「進上餠餤一つつみ、
 例によりて進上如件、
 少納言殿に」

 とて、月日かきて、

 「任那成行」・・・任那(みまな)の成行(なりゆき)?
 任那成行=藤原行成
 とて、奧に、
 「この男はみづから參らんとするを、
 晝はかたちわろしとてまゐらぬなめり」
 と、
 いみじく
 をかしげに
 書き給ひたり。

 御前に參りて御覽ぜさすれば、
 「めでたくもかかれたるかな。
 をかしうしたり」
 など譽めさせ給ひて、
 御文はとらせ給ひつ。
 「返事はいかがすべからん。
 この餠餤もてくるには、
 物などやとらすらん。
 知りたる人もがな」
 といふを聞しめして、
 「惟仲が聲しつる、呼びて問へ」
 との給はすれば、はしに出でて、
 「左大辨にもの聞えん」
 と、侍していはすれば、
 いとよくうるはしうてきたり。
 「あらず、私事なり。
 もしこの辨少納言などのもとに、
 かかる物もてきたる下部などには、
 することやある」
 と問へば、
 「さる事も侍らず、
 唯とどめてくひ侍る。
 何しに問はせ給ふ。
 もし上官のうちにて、
 えさせ給へるか」
 といへば、
 「いかがは」
 と答ふ。
 唯返しを
 いみじう赤き薄樣に、
 「みづから持てまうでこぬ下部は、
 いとれいたうなりとなん見ゆる」
 とて、めでたき紅梅につけて奉るを、
 すなはちおはしまして、
 「下部さぶらふ」
 との給へば、出でたるに、
 「さやうのものぞ、
 歌よみして
 遣せ給へると思ひつるに、
 美々しくも
 いひたりつるかな。
 女少しわれはと思ひたるは、
 歌よみがましくぞある。
 さらぬこそ語ひよけれ。
 まろなどに
 さる事いはん人は、
 かへりて
 無心ならんかし」
 との給ふ。
 「則光、成康など、
 笑ひて止みにし事を、
 殿の前に人々いと多かりけるに、
 語りまをしたまひければ、
 いとよく言ひたると
 なんの給はせし」
 と人の語りし。
 これこそ
 見苦しき
 我ぼめどもなりかし。

ー----
   ↓↑   ↓↑
ーーーーーー
 ・・・???・・・
 (表紙・画像・音楽)」の
  移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/5
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/9
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑
 追加添文
 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB