ないえごろうブログ

同音異義の探索

音声の文字化、文字での思想化、文字の物質化・・・形而下⇔子⇔形而上

 3223日目・文字霊日記

 カミのケを切って・・・神の化・上の家・・・?
 散切り頭にしたら
 文明開化の音がする・・・
 文化の武器・・・輪転印刷機の音・・・

 維新の象徴・・・
 「沢(澤)三伯」
  ↓↑  ・・・さわじ姫=佐和遅姫
     佐波遲比賣命=沙本毘賣命
  ↓↑
 高野 長英・・・畏言語解釈の天才・・・いわでケン・・・
  文化元年五月五日・・・文化ガン念語解通語似知・・・
 (1804年6月12日)
   ~
  嘉永三年十月三十日
 (1850年12月3日)
       大運1843年1月(38歳)甲戌傷官
 甲┏子(壬 癸)傷官・劫財建禄⇔庚戌印綬
 庚┏午(丙 丁)印綬・正財 絶⇔丁亥偏財
 癸 巳(戊庚丙)  ・正官 胎⇔戊子正官
 壬┗子(壬 癸)劫財・劫財建禄⇔壬子劫財
   午未空亡

 君主への背信、裏切者・・・配信・・・
 勝 海舟
  文政6年1月30日
 (1823年3月12日)
  ~
  明治32年
 (1899年1月19日)
        大運1884年12月(61歳)戊申偏印
   癸未(丁乙己)傷官・正官冠帯⇔戊戌偏印
  ┏乙卯(甲 乙)正財・偏財 胎⇔乙丑正財
  ┗庚子(壬 癸)  ・食神 死⇔丁亥正官
   丙子(壬 癸)偏官・食神 死⇔庚子比肩
    辰巳空亡

 「プウチン」を擁護する日本人の一部の言動・・・
 現況の元凶は・・・「腐汚狆」・・・
 「腐汚塵」自身の私的でエゴな利権・・・
 ダレが擁護しているんだか・・・「日本国民の利益」だってか・・・
 お前の私的な利得、利権・・・「ロシア国民の利益」だってか・・・
 「侵略戦争」を始めたヤツの殺戮と強奪・・・
 「喧嘩両成敗」を称えるヤツラ・・・
 何が「民族の政治利権」、「民族の経済利権」なんだか・・・
 「民族」って、ナンだ・・・血縁、血統の一族郎党の塊・・・?
   「民族支配者の私的な政治的階級(システム)利権」
   「民族支配者の私的な経済的階級(システム)利権」
 タカハシの「民主国家主義」・・・?
 レれれれレッ・・・
 フカダの「国家国民主義」も・・・?
 オマエラも「鬼のいるオハナバタケ」の住人らしい・・・
ー----
 国際状況、国際環境・・・
 ナニが「現実主義と理想主義」なんだか・・・
 「ニッポンの市民協働社会の秩序」
 はドウ、マモらて来ているんだか・・・
 「掟=法」は「現実主義」なのか
       「理想主義」なのか
 ダレのタメの「掟=法」なのか・・・
 妥協、共用、強要、強制・・・
 「共棲」・・・「矯正」ですか・・・
 ミンナのタメの「村八分」・・・
 オマエラの「立場」って・・・
 「ダーウインがきた」以前的な
 「プチブル主義」・・・
 「ルンペンプチブル」じゃぁないけれど・・・
 「人間存在を自覚」
 した
 人間は「協働社会の人間」として
 「理想」を追いながら
 「現実」を生きているんだ・・・
 洗脳、無自覚・・・
 「すり込み」状況の・・・アヒル(阿比留・家鴨)の子
 「民族」や、「国民」のタメじゃない・・・
 子=了+一=思想=形而上
 天空に
 飛翔べ、アヒル(阿比留・家鴨)の子
 飛翔べ、ワシ(鷲)の子
 飛翔べ、タカ(鷹)の子
 飛翔べ、ガン(鴈・雁)の子
 飛翔べ、トンビ(鳶)の子
 飛翔べ、ハヤブサ(隼)の子
 飛翔べ、ミミズク(木菟・木兎

          鵩・鶹・鵂・角鴟・鴟鵂
          耳木菟・耳木兎)の子

 飛翔べ、カラス(鴉・烏)の子
 飛翔べ、ツル(鶴)の子
 飛翔べ、托卵のカッコウ(郭公)の子
 騒ぐな、スズメ(雀)の子
 夜明けに
 啼け、ニワトリ(鷄・鶏・雞雞)の子
 ここが「ジッポン」だ・・・阿毎・・・?
 ↓↑
 「ジパング」の呼称
 中国南部の
 「日本国」の発音
 「ji-pen-quo」が由来
 ↓↑
 マルコ・ポーロ・・・
 マルコ(マルクス?)
 ラテン語 Marticus(マルティクス)
 省略形の Marcus(マルクス
 丸子・円子・眞留子・麻婁胡
 ↓↑
 ポーロ(パウロ?)
 パウロ(希: Παῦλος)
 サウロ(希:Σαῦλος
     ヘブライ語: שָׁאוּל‎、Šāʼul)
 古代ローマの属州
 キリキアの州都
 タルソス(トルコ中南部メルスィン県タルスス)
 生まれのユダヤ人(ギリシャローマ市民)
 「サウロ」
 ユダヤ名(ヘブライ語
 パウロス(ギリシア語名)
 パヴロス(現代ギリシャ語)
 保宇鸕
 ↓↑
 マルコ・ポーロ
 父親 ニッコロ
    中東貿易に従事
    ニッコロとマテオ兄弟は
    貿易の旅に出発し
    コンスタンティノープル
    定住
 ↓↑
 1260年
 ニッコロ
 と
 マテオは
 財産をすべて宝石に換えて
 コンスタンティノープルを離れ
 毛皮貿易で栄える
 クリミア( Crimea)・・・・クリミア半島
 へ向かい
 さらに東へ向かい
 クビライ
 謁見
 マルコの母親は亡くなり
 彼は叔父と叔母に養育
 マルコ・ポーロ(伊: Marco Polo
 1254年頃~1324年1月8日
 ヴェネツィア共和国の商人
 ヨーロッパへ
 中央アジアや中国を紹介
 『東方見聞録』
 写本名
 『イル・ミリオーネ (Il Milione)』
 『世界の記述 (Devisement du monde)』
 を口述
 ↓↑
 ジャパン
 アルド・リッチ
 英訳本
 「Chipangu」
 フランス国立図書館
  fr. 1116 写本
 (14世紀、イタリア語がかった中世フランス語)
 「Cipngu」
 グレゴワール本
 (14世紀、標準フランス語)
 「Sypangu」
 ゼラダ(英語版)本
 (1470年頃、ラテン語
 「Cipingu」
 ラムージオ(英語版)本
 (1559年、イタリア語)
 「Zipangu」
 「チパング」
 ↓↑
 1525年
 プトレマイオス・C(PTOLEMY, C.)
 と
 グルニンガー・J(GRUNIGER, J.)
 が
 『マルコ・ポーロ
  (古)中国と伝説のジパングリ』
 (Marco Polo's Cathay and fabled Zipangri)
 を出版
 所載された地図に
 「Zipangri」
 と大きく記載
 1544年
 17世紀前半まで
 5か国語で合計35版発行された中世のドイツ人
 ゼバスティアン・ミュンスター
 による著作
 『Cosmographia』
 に掲載されている地図に
 「Zipangri」
 と表記
 アントウェルペンの地図製作者
 アブラハム・オルテリウス
 (Abraham Ortelius)
 が1570年に出版し
 繰り返し再版された地図帳
 『世界の舞台
 (Theatrum Orbis Terrarum)』
 に所載された東インドと周辺島嶼の図
 「印度東洋島図
 (INDIAE ORIENTALIS INSVLARVMQVE
   ADIACIENTIVM TYPVS.1570)」
 「Hanc insulam M.
  Paul Venet Zipangri vocat.」
 の説明書き
 「この島を
  ヴェネツィア
  マルコ・ポーロ
 “ジパングリ”
 と呼ぶ」と記載
 ↓↑
 「日本国」
 中世の中国語の発音
 呉方言(浙江省江蘇省・上海)
 粤(エツ)方言(広東省・香港・マカオなど)
 客家(ハッカ)方言(広東省東部など)
 閩(びん)方言(福建省など)
 台湾の
 閩方言
 マルコ・ポーロが 
 「Cipangu(Chipangu)」
 と紹介
 10世紀頃
 地理学者
 イブン・フルダーズベ
 など
 アラビア語・ペルシア語
 の地理書で
 「ジパング=金山」
 を有する島(国)=ワークワーク
 について言及
 ↓↑
 日本
 Japan(英語・ジャパン)
 Japon(ドイツ語・ヤーパン)
 Japon(フランス語・ジャポン)
     スペイン語ハポン
 Giappone(イタリア語・ジャッポーネ」)
 Yaponiya
 (ウズベク語ヤポニヤ)
 Япония(ロシア語イポーニヤ)
 Japao(ジャポン)現代ポルトガル語
ー----
 中国古代史の
 支配階級の
 厄介者・・・
 ↓↑
 五胡
 匈奴 (キョウド)
 鮮卑 (センピ) ・・朝鮮・卑弥呼
 羯 (ケツ) ・・・・ギャァテイ⇔羯諦(般若心経)
 氐 (テイ) ・・・・氐宿・・・氏の一
 羌 (キョウ) ・・・羌=羊+儿・・・ヒツジのヒゲ

            ⺷+儿
            䒑+丨+一+儿
            丷+一+丨+儿

          羌=羗=猐
            キョウ
            えびす
           (恵比寿・夷・戎・胡・蛭子)
            異民族名
            ああ・嘆息の声
            発語の助字
 ↓↑
 柔然 (ジュウゼン) ・・・柔らかいソノモノ
 突厥 (トツケツ) ・・・・突き出した
  厥=  厥=厂+欮・・・わらび(蕨=艹+厂+屰+欠)
   厂+屰+欠
   厂+䒑+屮+丿+乛+人
   厂+丷+一+凵+丨+丿+乛+人

   クツ
   ケツ
   その・それ
   ほる・石を掘る
   まげる・くぼむ
   ぬかずく・丁寧にお辞儀する
   のぼせる・嘔吐する・そのような病気
   トルコ系の遊牧国家の
   突厥(トックツ・トッケツ)
   厥角稽首(ケッカクケイシュ)
   礼儀正しく敬礼をすること
   「厥角=稽首」
   地面に頭を着けてする礼
 ↓↑
 ウイグル(維吾爾)・チュルク系民族
 丁零・鉄勒(テレゲ)
 高車の袁紇(ウイグル)部
 阿伏至羅国・・・阿を
         伏せて
         至(いたる)
         羅(あみ)
         国(ごく)・・・語句?
 (阿伏至羅
 建国
 ↓↑
 契丹 (キツタン)
   ・・・cathay(キャセイ)=キタイ
      カセイ・キッタン・キタン・キタイ・キャセイ
      契譚・契機・契約
      契形⇔楔形文字(くさびがたもじ・セッケイもじ)
         フラクトゥール(独: Fraktur)
         ドイツ文字
         亀の子文字・亀甲文字
         ひげ文字などとも呼ばれる書体
         古代殷の亀形文字=甲骨文字
 女真 (ジョシン)・・・女眞・女神・除震・除振
 蒙古(モンゴル)
    蒙=艹+冡
      艹+冖+一+豕

      ボウ・モウ
      かぶる
      蒙(おおう)
      蒙(くらい)
      蒙(こうむる)
      道理にくらい
      おろか・おろかもの
      こうむる・身にうける
      おかす
      易の六十四卦の一
    狐裘蒙戎
     官僚が権力を悪用して国家が乱すこと
     「狐裘」=子狐の脇の下にある
          高級な毛皮の皮衣
          高貴な人
     「蒙戎」=ものごとが乱れ
    呉下阿蒙
     全く進歩しない人
     学問や知識がない人
     「呉下」=呉国の支配
     「阿」=親しみを込めて
         人の名前の前につける言葉・・・阿毎王朝
     「蒙」=人の名・呉の国の蒙さん
         中国三国時代
         呉の
         魯粛
         呂蒙と久しぶりに会い
         以前とは違って
         学識が非常に深くなっていて
         驚いたという故事
    発蒙振落(ハツモウシンラク
     極めて簡単なこと
     覆っているものを外して
     落ち葉を払うということ
    婦女童蒙=女性と子供
    無知蒙昧=物事の道理の無理解・愚か
    「無智蒙昧」
    勧学院の雀は蒙求を囀(さえず)る
    「蒙求」=中国唐の時代の
         歴史教訓書
         勧学院の雀は
         学生が蒙求を読むのを聞き覚え
         それをさえずるようになった
    呉下の阿蒙(ゴカのアモウ)
     昔のままで進歩のない人
     「呉下」=中国の呉地
     「阿」=親しみを表して人名に付ける語
    蒙を啓く=知識のない人々を教えみちびくこと
     「蒙」=道理に暗いの意・蒙昧無知
         蒙昧主義
         曖昧模糊でヨシとする生き方
 ↓↑
 匈奴
 匈=勹+凶
   勹+凵+㐅
   勹(つつみがまえ)
 キョウ
 むね
 わるい
 むね=胸・こころ
 おそれる=兇
 古代中国北方の
 遊牧民族の名
 匈奴(キョウド)
 ↓↑
 凶=㓙=凵+文
     凵+亠+乂
   凵+乂
     メ=文・・・区=區
           メ=品

   キョウ
   おそれる
   わざわい
   わるい
   こわがる・憂える
   縁起が悪い・不吉
   邪悪な・人を傷つけるような凶器
   ききん(飢饉・凶作)
   不作・作物が実らない
 兇(おそれる)
 兇(わるい)
 凶悪・兇悪
 凶器・兇器
 凶行・兇行
 凶手・兇手
 凶刃・兇刃
 元凶・元兇
 ↓↑
 兇=凶+儿
   凵+㐅+儿
   キョウ
   おそれる。びくびくして怖がる。
   わるい・悪者=凶
 忷=忄+凶
   忄+凵+㐅
   キョウ
   おそれる(懼・惧・畏)
   こわがる・恐怖
 汹=洶
   氵+匈
   氵+勹+凶
   氵+勹+凵+㐅
   キョウ
   わく(沸・湧)・わき出る
   水が盛んにわき出る・湧き出る音の形容
   騒ぐ・騒ぎ立てる・どよめく
 㕳=哅
   口+匈
   口+勹+凶
   口+勹+凵+㐅
   コウ
   ク
   キョウ
   大声
   わめき騒ぐ・かまびすしい
 訩=言+匈
   言+勹+凶
   言+勹+凵+㐅
   キョウ
   あらそう・言い争う
   さわぐ・騒ぎ立てる
   乱れ・混乱・乱れる・混乱する
 酗=酉+凶
   酉+凵+㐅
   ク
   酒に酔って荒れる・酒乱
 㟅=山+兇
   山+凶+儿
   山+凵+㐅+儿
   ゴウ
   「崆㟅(コウゴウ)」
   山が高くて険しいさま
 ↓↑
 鮮卑(センピ)・トルコ系
 北魏建国
 北側を征服、統一
 隋・唐王朝建国
 ↓↑
 柔然・モンゴル系
 ↓↑
 ウイグル(Uyγur)・トルコ系
 袁紇・烏護・烏紇・韋紇
 迴紇・回紇・迴鶻・回鶻
 ↓↑
 五代十国時代
 ↓↑
 契丹
 遼を建国
 ↓↑
 女真族・金・満洲ツングース(Toŋus)系
 扶余語族
 濊貊(濊貊語使用・濊・貊)
 夫余(夫余語使用)
 高句麗高句麗語使用)
 沃沮(沃沮語使用)
 百済(王族は百済語使用)
 豆莫婁
 女真女真語・女真文字を使用
    金・東夏・後金を建国)
 「ツングース系」の可能性の民族・国家
 粛慎
 挹婁
 勿吉
 靺鞨(靺鞨語→渤海語)を使用・渤海建国)
 古代出雲の住民がツングース
 「ズーズー弁」=ツングース語起源・・・説
 ↓↑
 元・蒙古(モンゴル)
 北元=オイラート(瓦剌・衛拉特)
   =オイラト(Oirad・Oyirad)
 ↓↑
 韃靼(タタール)・トルコ(土耳古)系
 ↓↑
 女真・後金・ツングース
 清
 ↓↑
 周代の
 赤狄(セキテキ)
 の余種
 狄歴(テキレキ)
 北方民族からは
 勅勒(チョクロク)と呼ばれ
 中国では
 高車・丁零
 と呼ばれる
 ↓↑
 代国(拓跋部)
 建国26年(363年)10月
 代国は高車を大破
 建国33年(370年)11月
 代国は高車を大破
 建国39年(376年)11月
 代王
 拓跋
 「什翼犍」
 が前秦
 「苻堅」
 に敗北
 高車雑胡が相次いで反乱
 ↓↑
 北魏
 登国3年(388年)
 「道武帝」・・・同の
         文(分)の
         綴(つづり)
 弱洛水を渡り
 西行
 して
 高車の
 解如部に赴き
 女水に至り
 解如部を討った
 ↓↑
 登国4年(389年)・・・登の国
 1月
 「道武帝
 は高車の諸部落を大破
 2月
 女水に至り
 叱突隣部を大破
 登国5年(390年)
 3月
 「道武帝
 は西征
 鹿渾海にて高車の
 袁紇部を大破
 生口・馬牛羊20余万を獲得
 10月
 「道武帝
 は雲中に遷り
 高車の豆陳部を狼山で破る
 11月
 紇奚部の大人(たいじん=部族長)
 「庫寒」
 は紇奚部を挙げて北魏に内属
 12月
 紇突隣部の大人の
 「屈地鞬」
 は紇突隣部を挙げて北魏に内属
 登国年間(386年~396年)
 侯呂隣部の大人の
 「叱伐」
 は
 苦水河で侵入略奪したので
 登国8年(393年)夏
 「道武帝
 はこれを大破
 その別帥の
 「焉古延」
 らを捕虜
 皇始2年(397年)
 紇突隣部の部帥の
 「匿物尼」
 紇奚部の部帥の
 「叱奴根」
 らはふたたび陰館にて叛き
 南安公
 「拓跋順」
 はこれを討つが勝てず
 「道武帝
 は
 安遠将軍の
 庾岳「」
 を派遣して
 「匿物尼」・・・匿(かくす・隠匿・匿名)
         物(もの・もつ・ブツ)は
         尼(あま・二・尼僧・比丘尼
 らを皆殺しにした
 ↓↑
 天興2年(399年)
 1月
 「道武帝
 は大将軍・常山王
 拓跋遵
 鎮北将軍・高涼王
 「拓跋楽真(拓跋孤の子の拓跋斤の子)」
 らに高車を襲撃させた
 2月
 諸軍は高車の雑種30余部を破り
 7万余口・馬30余万匹・牛羊140余万を獲得
 驃騎大将軍・衛王
 「拓跋儀」
 は3万騎を監督し別にその遺迸七部を破り
 2万余口・馬5万余匹・牛羊20余万頭を獲得
 ↓↑
 天興3年(400年)
 11月
 高車別帥の
 「咥利曷莫弗」の
 「勅力鞬」
 900余落を率いて内属
 「道武帝
 は
 「勅力鞬」
 を拝して揚威将軍とし
 司馬・参軍を置き
 穀2万斛を賜う
 ↓↑
 天興4年(401年)
 1月
 高車別帥の
 「解批莫弗」
  の
 「幡豆鞬」・・・坂東の鞬(ゆみぶくろ)
 はその3千余落を率いて内附
 「道武帝
 は拝して威遠将軍とし
 司馬・参軍を置き、衣服を賜った
 「道武帝
 は常山王
 「拓跋遵」
 を派遣して鮮卑別種の
 破多蘭部を高平で討たせた
 その大人の
 「没弈干」
 は数千騎を率いて国を棄てて遁走し
 「道武帝
 はそこの人民を京師に移した
 破多蘭部の余種は分散したが
 その後
 「赫連勃勃」
 に滅ぼされる
 ↓↑
 天興5年(402年)
 材官将軍の
 「和突」・・・和(倭)を突(つく)
 は6千騎を率いて
 「黜弗・・・
  素古延」
  黜=黑+出
    黒+出
    口+丷+丨+二+灬+出
    里+灬+出
    口+丷+丨+一+灬+出
    甲+二+灬+出
    甲+一+一+灬+出
    甲+一+一+灬+山+山
    チュツ
    しりぞける・おとす
    位をさげる・官職をやめさせる
    追放する
    へらす・数を減らす
  弗=弓+丿+丨
    フツ・ホツ
     ず
    ~ず・~しない・~でない
    と否定の意
    ドル=アメリカの貨幣単位
    黜陟幽明(チュッチョクユウメイ)
     功績で人材を評価、登用
     「黜陟」=人材を評価し
          待遇を決めること
 ↓↑
 などの諸部を襲撃して捕獲
 ↓↑
 天興6年(403年)
 「道武帝
 は将軍の
 「伊謂」・・・伊=イ+尹
          かれ・かの・これ・この
          第三人称
        謂=言+田+月(冃)
          いう・云う・言う
 に2万騎を率いさせ
 北の高車を襲撃
 11月
 「伊謂」
 は高車を大破
 ↓↑
 天賜5年(408年)
 夏の
 「赫連勃勃」
 は
 薛干部
 を略奪して服属させた
 ↓↑
 永興5年(413年)
 越勒倍泥部
 は跋那山の西に移転
 7月
 「明元帝
 は
 山陽公奚斤
 を派遣してこれを討ち破り、その人民を移す
 ↓↑
 泰常3年(418年)
 1月
 「明元帝
 は護高車中郎将の
 「薛繁」
 に高車丁零十二部の大衆を率いさせて北略
 弱水に至り降者2千余人・牛馬2万余頭を獲得
 ↓↑
 神䴥2年(429年)
 8月
 「太武帝」・・・太(おほの)
         武(たける
         帝(みかど)
 は東部高車が
 「巳尼陂」・・・巳=它・蛇
         尼=尸+匕
         陂=阝+皮=堤(つつみ)
           ハ・ヒ
           かたむく
           さか
           土手・堤防・ため池
           かたむく
           よこしま・正しくない
           さか・傾斜した土地=坡
 に駐屯していると聞き
 詔で左僕射の
 「安原」
 に万余騎を率いさせてこれを討伐
 ↓↑
 太延2年(436年)・・・太を延す
 高車国は北魏に遣使を送って朝献
 「文成帝(在位:452年~465年)」
 五部高車は盛大に天を祭った
 「文成帝」
 は高車の衆を召して
 車駕の南討に随従するよう命じたが
 高車は南行を願わず
 「袁紇樹者」・・・袁=一+哀
          紇=糸+乞
          樹=木+十+豆+寸
          者=土+ノ+日
 を推戴して主とし
 北魏に叛いた
 都督の
 「宇文福」
 は追討し、大敗して還る
 平北将軍・江陽王
 「拓跋継」
 に都督としてこれを討たせ
 「拓跋継」
 は先に人を遣わして
 「袁紇樹者」
 を慰労し
 「袁紇樹者」
 は部衆を率いて降った
 ↓↑
 阿伏至羅国・・・阿(おもねる)
         伏(ふせる)
         至(いたる)
         羅(あみ・うすもの)
         国(くに)
 太和11年(487年)・・・太(おほの)和(なごみ)?
 柔然隷属下の
 高車副伏羅(ヒュフゥーラ)部の
 「阿伏至羅(アフゥーツィラ)」
 とその従弟の
 「窮奇(キョンキ)」
 は
 柔然可汗の
 「豆崙(トゥルン)」
 に対し、度重なる北魏への侵犯を諫めた
 「豆崙」
 が聞き入れないので
 阿伏至羅
 らは所部の衆10余万落を率いて
 柔然から離反
 「阿伏至羅
 は自立して王となり
 国人はこれを号して
 「候婁匐勒
 (ハウラウフゥーラク・こうろうふくろく・大天子)」
 とし
 「窮奇」
 は
 「候倍(ハウペイ・こうはい・儲主)
 と号した
 2人は部を分けて立ち
 「阿伏至羅
 は北に住み
 「窮奇」
 は南に住んだ
 「豆崙」
 はこれを討つが敗戦、東へ移った
 ↓↑
 太和14年(490年)
 「阿伏至羅
 は
 「商胡越者」
 を遣わして北魏朝貢
 ↓↑
 後に
 「窮奇」
 が
 「嚈噠(エフタル)」
 に殺され
 その子の
 「弥俄突」
 らが捕えられると
 その衆は分散し
 北魏に亡命したり
 柔然に投降
 孝文帝
 は詔で宣威将軍・羽林監の
 「孟威」
 を遣わし投降者を納め、高平鎮を設置
 「阿伏至羅
 の長男は
 「阿伏至羅」の余妻と謀って
 「阿伏至羅」を殺そうとしたので
 「阿伏至羅」はこれを殺した
 ↓↑
 「阿伏至羅
 は衆心を失い、衆はこれを殺し
 宗人の
 「跋利延(バーリエン)」
 を立てて主とした
 ↓↑
 正始4年(507年)
 10月
 柔然隷属下の高車人の
 「他莫孤(ターモァグ)」
 は部を率いて北魏に降る
 ↓↑
 永平元年(508年)
 4月
 「嚈噠」
 が高車を征伐
 高車の国人たちは
 「弥俄突(ミオトゥー)」
 を推戴し
 「跋利延」
 を殺し
 「弥俄突」
 を迎えて即位させた
 北魏に遣使を送って朝貢
 6月
 高車国は北魏に遣使を送って朝貢
 「弥俄突」
 は柔然可汗の
 「伏図(フトゥ)」
     ・・・伏す図(圖・ず)・・・意図
 と蒲類海(バルクル湖)の北で戦うが
 「伏図」
 に敗北
 300余里も西走
 「伏図」
 は北魏龍驤将軍の
 「孟威」
 が高昌王の
 「麴嘉」
  ・・・麴=麹=麯
       麥+匊
       來+夂+勹+米
       來+夕+勹+米
       木+从+夂+勹+米
       木+从+夕+勹+米
       木+人+夂+勹+米
       木+人+夕+勹+米
       麴(こうじ)
       麴(さけ)
     嘉=壴+加
       十+豆+力+口
       壴=シュ・チュ
       楽器を並べて置くさま
       まっすぐたてる
 を迎えるため
 「伊吾」
 にやってくることを知ると遁走
 これに乗じて
 「弥俄突」
 は反撃し
 「伏図」
 を蒲類海の北で殺害し
 その髪を割いて
 「孟威」
 に送りつけた
 7月
 「弥俄突」
 莫何去汾
 (モァクァチーフェン・ばくかきょふん:官名)
 の
 「屋引叱賀真(オクインチーカチン)」
 を北魏に遣わし、その方物を貢納
 ↓↑
 永平3年(510年)
 9月
 烏萇・伽秀沙尼の諸国は
 北魏に遣使を送って朝献
 高車別帥の
 「可略汗」
 らは衆1700を率いて北魏に内属
 10月
 高車・亀茲・難地・那掲・庫莫奚
 の諸国は北魏に遣使を送って朝献
 ↓↑
 永平4年(511年)
 12月
 高車国は北魏に遣使を送って朝献
 ↓↑
 熙平元年(516年)
 「弥俄突」
 は柔然可汗の
 「醜奴(ツァオヌ)」
     ・・・醜(みにくい)奴
 と戦い敗北
 「醜奴」
 はその両脚を駑馬の上に繋いで
 これを殺し
 頭蓋骨に漆を塗って杯とした(髑髏杯)
 その部衆はことごとく
 「嚈噠」
 に入った
 数年後
 「嚈噠」
 は
 「弥俄突」
 の弟の
 「伊匐(イフゥー)」・・・匍匐(ホフク)
 の還国を聴いた・・・?
 ↓↑
 神亀元年(518年)
 5月
 高句麗・高車・高昌の諸国は
 北魏に遣使を送って朝貢
 ↓↑
 正光2年(521年)
 「伊匐」
 は柔然を大破し
 柔然可汗の
 「婆羅門」
 は涼州に投降
 ↓↑
 正光3年(522年)
 4月
 伊匐
 が北魏に遣使を送って奉表し
 「孝明帝」
 は遣使者の
 「谷楷」
 らに高車国主の
 「伊匐」
 をもって
 鎮西将軍・西海郡開国公・高車王
 とした
 「伊匐」
 は後に柔然と戦い、敗北
 その弟の
 「越居(イェク)」
 は
 「伊匐」
 を殺し自ら立つ
 ↓↑
 東魏
 天平年間(534年~537年)
 「越居」
 は柔然に破られ
 「伊匐」の子の
 「比適(ピシィ)」
 は
 「越居」
 を殺して自ら立つ
 ↓↑
 興和3年(541年)
 4月
 「越居」
 の子の
 「去賓(チーピン)」
 が東魏に降った
 「孝静帝
 は封じて
 「去賓」
 を高車王とし
 安北将軍・肆州刺史を拝したが
 既に病死
 ↓↑
 『魏書』、『北史』による
 高車は遊牧民
 狩猟と牧畜を生業
 食事
 酪(ヨーグルトの類)を飲み
 肉食
 穀がなく酒を造らない
 季節(夏・冬)ごとに移動
 「穹廬(ゲル)」
 に住み
 移動の際には
 穹廬をたたみ
 家財道具とともに
 駱駝(ラクダ)や
 轀車(オンシャ・荷車)・・・音写
 に乗せて移動
 轀車の
 車輪が・・・写輪・輪転謄写版
       輪転印刷機(Rotary printing press)
       輪転機
       湾曲させた版を
       回転する円筒に取り付けた印刷機
 高大で、輻(スポーク)の数が多いため
 「高車」と呼ばれる
 着物は獣の皮や毛皮を衣
 座るときは
 膝を立てて座り
 風呂には入らない
 ↓↑
 言語
 自称 狄歴(てきれき)
 他称 勅勒(ちょくろく)
    丁零(ていれい)
 などテュルク語
 『魏書・北史』には
 「その言葉は
  匈奴とだいたい同じだが
  時に少し異なる」
 と書かれ
 匈奴
 テュルク系であった
ー----

  ・・・???・・・
   ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の
  移転先・・・
<a href="https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12" target="_blank" title="">https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
<a href="https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/10" target="_blank" title="">https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/10
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 干支歴
<a href="http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html" target="_blank" title="">http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑
 追加添文
 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
<a href="https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB" target="_blank" title="">https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB