ないえごろうブログ

同音異義の探索

心外である、とツァラトゥストラはかく語りき・・・3

 1911年10月10日20時
 「程正瀛」・・・程の正の瀛(エイ)
 による武昌起義は発動
 決起兵士は
 軍の武器庫を襲撃
 文学社
 共進会
 の影響を受けた大部分の兵士が呼応
 「呉兆麟
  熊秉坤」・・・熊を秉(とる)坤(未申・コン)
 は決起部隊を指揮し総督府を攻撃
 南湖砲隊の砲撃の下
 夜明け前には
 総督衙門を占拠
 湖広総督
 「瑞澂」
 は逃亡
 ↓↑
 10月11日未明
 決起軍
 湖北省諮議局大楼會議室に集結
 新軍八鎮十五協二十九標二営司務長の
 「蔡済民」・・・蔡の済の民
 により会議が招集
 軍政府の組織と都督人選が議論
 革命党の
 「呉醒漢
  徐達明」
 等10数名以外
 湖北諮議局議長
 「湯化竜」
 副議長
 「張国溶」
 及び議員
 旧軍官
 「呉兆麟」
 が参加
 会議は
 「湯化竜」
 が議長となり進行
 「呉兆麟」
 により第21混成協統領
 「黎元洪」
 を都督とすることが提案
 立憲派により承認
 革命党勢力は
 「黄興
  宋教仁」
 は武昌におらず
 「彭楚藩
  劉復基
  楊宏勝」
 は被害を受け
 「孫武
 は爆発事故で負傷
 「蔣翊武」
 は逃亡中であった
 「黎元洪」・・・黎(くろ・黎明)の元の洪(洪水)
 を都督
 「湯化竜」
 を民政総長(一説には総参謀)
 に選出決定
 ↓↑
 10月11日
 中華民国
 湖北軍
 政府成立
 11日午前
 武昌全域が決起軍の支配下
 夜には謀略処が設置
 謀略処により
 中華民国軍政府鄂軍都督府
 (中華民国北軍政府)
 の成立が宣言
 同時に軍政府の檄文と
 『安民布告』が発表
 国号を
 「中華民国
 と改め
 清朝年号の「宣統」を廃止
 黄帝紀元の採用を発表
 「宣統3年」を
 「黄帝紀元4609年」とした
 軍政府は
 参謀部、軍務部、政事部、外交部を設置
 諮議局大楼を事務所とし
 十八星旗を軍旗とした
 謀略処は軍政府名義により
 『布告全国電
 や
 『通告各省文』
 などの電信を全国に発信
 ↓↑
 10月12日
 革命党人である
 第二十一混成協第四十二標士兵
 「胡玉珍
  邱文彬
  趙承武」
 等は漢陽で武装蜂起を決行、支配下に置く
 「趙承武」
 は漢口を攻略
 武漢三鎮は革命勢力下に置かれた
 ↓↑
 武昌起義後の
 各省の呼応
 清は北洋軍を派遣し
 武漢三鎮江北漢
 漢陽を攻撃
 以前罷免されていた
 北洋軍の
 「袁世凱」・・・凱=豈+几・・・凱歌・凱旋
 が再び召還され
 北洋軍内部の人心動揺を抑えた
 革命軍は
 陽夏防衛戦を展開したが
 北洋軍に敗北
 11月27日
 江南武昌に撤退
 47日間の作戦の中で
 1万人強の死傷者
 武昌防衛堅持
 中国14省が
 清朝からの独立を宣言
 内地十八省中で清朝の統治が及ぶのは
 甘粛
 河南
 山東(途中で独立取消)
 直隷
 のみとなり
 独立した各省では
 一部が革命党の主導を受け
 大部分は諮議局メンバーによって
 政治運営が行われた
 清朝
 直隷、河南、山東、甘粛
 と清朝の本拠地
 満洲
 東三省(奉天吉林黒竜江
 を掌握していたほか
 内モンゴル王公たちも
 清朝支持を表明
 北方では勢力を保持
 ↓↑
 10月22日
 湖南共進会の
 「焦達峰・・・焦(あせる)達の峰
  陳作新」・・陳の作の新
 は会党及び新軍で組織した部隊を率いて
 長沙で武装蜂起決行
 湖南巡撫
 「余格誠」・・・余(あまり)の格の誠(まこと)
 を敗走させ
 巡防営統領
 「黄忠浩」・・・黄の忠告?
 を斬首
 決起軍は
 中華民国
 湖南軍政府の成立を宣言
 「焦達峰」を都督
 「陳作新」を副都督
 とし
 『討満清檄文』を発表
 ↓↑
 10月22日同日
 陝西同盟会の
 「井勿幕・・・井の勿の幕
  銭鼎
  景定成」・・景の定を成
 は陝西袍哥会と連絡し
 会党と新軍の革命メンバーが協力し
 武装蜂起
 2日間の戦闘の後に西安を制圧
 護理巡撫
 「銭能訓」
  ・・・銭(セン・ぜに)=金+戔
     を
     能(よく)
     訓(よむ)
 は逃亡
 西安将軍
 「文瑞」・・・文の瑞
 は自殺
 決起軍により
 秦隴復漢軍政府の成立が宣言
 日知会の旧会員であり
 新軍隊官の
 「張鳳翽」
 が都督に選出
 ↓↑
 10月23日
 江西同盟会の
 「林森
  蔣群
  蔡蕙」
 等は
 九江の新軍での武装蜂起実行、独立宣言
 翌日には
 九江軍政分府が成立
 第二十七混成協第五十三標標統の
 「馬毓宝」
   ・・・毓(はぐくむ)
       =毎+㐬(云+川(爪)?)
        トツ
        リュウ
        子が生まれる
        突出する=突
        はたあし=旒
 が九江軍政分府都督に選出
 ↓↑
 10月29日
 山西同盟会会員
 新軍標統の閻錫山は
 「姚以階
  黄国梁
  温寿泉
  趙戴文
  南桂馨
  喬熙」
 等の人と協力し、新軍により
 太原起義を発動
 山西巡撫
 「陸鍾琦」
 を殺害して
 山西軍政府の成立を宣言
 「閻錫山」
 を都督に選出
 12月12日
 「曹錕」
 による反撃により太原から撤退
 ↓↑
 10月29日
 直隷では灤州兵諫が発生
 新軍第二十鎮統制
 「張紹曽」
 と第三十九協協統
 「伍祥禎」
 四十協協統
 「潘矩楹」
 第二混成協協統
 「藍天蔚」
 第三鎮第五協協統
 「盧永祥」
 等が協力し
 直隷灤州より清朝政府に対し
 最後通牒要求12条を提出し
 年内の
 国会開設
 憲法草案の起草
 責任内閣制の採用
 と
 皇族の
 国務大臣就任の制限を求めている
 ↓↑
 10月30日
 雲南同盟会
 「李根源」
 は新軍標統
 「蔡鍔
  羅佩金
  唐継尭」
 等と協力し新軍による
 重九起義を発動
 翌日には
 昆明を占拠して雲南軍政府が成立
 雲貴総督
 「李経羲」
 を送還し
 「蔡鍔」
 を都督に選出
 ↓↑
 10月31日
 南昌同盟会の
 「蔡公時」
 は新軍による武装蜂起を実行
 江西軍政府が成立し
 「李烈鈞」
 を都督に選出
 ↓↑
 11月3日(旧暦九月十三日)
 上海同盟会、光復会、上海商団の
 「陳其美
  張承槱
  李平書
  李英石
  李燮和」・・・燮=やわらげる・整える・調和する
          =爕・㸉・夑
 等は上海で武装蜂起を決行
 「張承槱
  劉福標」
 等が組織した
 「青幇洪幇」
 による決死隊
 「李平書
  李英石」
 による上海商団の武装集団
 「李燮和」
 と連絡を取った呉淞地区で
 蜂起した軍・警察蜂起部隊の
 「朱家驊
  徐霽生」・・・霽=雨+齊=はれる・空が晴れる
 等により組織され
 中国敬死団がその中心となった
 4日
 江南制造局を占拠
 上海光復が実現
 8日
 中華民国
 軍政府
 滬軍
 都督府が成立
 「陳其美」・・・陳(陳列)其の美
 を都督に選出
 ↓↑
 11月4日(旧暦九月十四日)
 貴州革命党の
 「張百麟」
 を中心として
 新軍及び陸軍学堂学生により
 武装蜂起が実行され
 貴陽を占拠
 大漢貴州軍政府が成立
 貴州新軍第一標教官
 兼
 講武堂堂長
 陸軍小学堂総弁の
 「楊藎誠」
 を都督、趙徳全を副都督に選出
 ↓↑
 深夜より未明
 杭州に駐在する
 新軍第二十一鎮
   第八十一標標統代理
 「朱瑞(浙江光復会会員)」
 隷下部隊の軍官
 「呂公望(同盟会会員)」
 同盟会会員の
 新軍第八十二標
 「周承菼」
 および
 隷下部隊の軍官
 「呉思豫
  蔣百里
  蔣百器
  楊廷棟
  呉肇基」
 光復会の
 「王文慶」
 上海より
 漁民120名からなる
 決死隊
(長 蔣介石、同盟会)
 を率いて武装蜂起を決行、杭州を攻撃
 陸軍警察(憲兵)執事官の
 「童保暄(浙江光復会会員)」
 は城站に臨時総司令部を設置
 「童保暄」・・・童(わらべ)保暄(喧嘩)
 が臨時総司令官
 「葛政恩・・・葛(つる)政(まつり)の恩(おん)
  黄雲秀」
 が参謀
 「朱瑞」
 に指揮された
 第八十一標第一、二営は
 旗営を包囲
 第三営(兪煒)
 決死隊第4隊(長 王金発・光復会)は
 保国寺軍機局と附属陸軍小学を
 砲兵営は隍山を占領
 「葛敬恩」
 の指揮する騎兵連は総司令部の掩護を担当
 「顧乃斌」・・・顧=雇+頁+乃+文+武
 率いる第八十二標第三営
 と決死隊主力(張伯岐 率いる第1、2隊
        董夢蛟 率いる第3隊)
 「尹鋭志(光復会、女性)」・・・尹(イン)
 等は撫台衙門を
 第5隊は旗城門下を占拠
 「楊廷棟」
 が兵を率いて巡撫府を包囲
 巡撫
 「増韞」
 を捕虜
 5日午後
 代表署理として杭州将軍
 「德済」
 が軍政府に投降
 革命勢力は杭州を支配
 浙江革命軍を名乗り
 「周承菼」
 が総司令に就任
 都督には
 「童保暄」
 を立てる予定であったが
 最終的に立憲派
 浙江諮議局議長の
 「湯寿潜」
 を都督に選出
 ↓↑
 11月5日
 江蘇省
 立憲派
 紳商
 は江蘇巡撫
 「程徳全」
 に対し蘇州の独立宣言を要求
 江蘇革命軍政府が成立
 「程德全」
 が都督に就任
 ↓↑
 安徽同盟会の
 「呉暘谷」
 等は標炮営を指揮し武装蜂起、省城安慶を攻撃
 立憲派勢力は
 安徽巡撫
 「朱家宝」
 に対し独立を勧告
 11月8日
 安徽諮議局は独立を宣言
 「朱家宝」
 を都督に
 「王天培」・・・王の天の培(つちかう)
 を副都督に選出
 ↓↑
 11月6日
 広西諮議局在は省城の桂林で
 清朝からの離脱独立を決定
 広西の独立を宣言
 当初
 清朝巡撫
 「沈秉堃」
 が都督とされたが
 数日後に
 清軍提督
 「陸栄廷」
 が政変により都督に就任
 ↓↑
 11月9日
 福建同盟会の
 「鄭祖蔭
  彭寿松
  許崇智」
 陸軍第十鎮統制の
 「孫道仁」
 等により福州で武装蜂起
 清朝総督
 「松寿」
 は自殺

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