ないえごろうブログ

同音異義の探索

「腐汚塵、ホロブべし」・・・ 「集金兵、ホロぶべし」・・・

 文字霊日記・3241日目
 無花果=イチジク=壹(壱)字句・位地時苦・・・
     位置示矩(区・究)

 の
 産地
 カルタゴ(?)・ノウァ(新・あたらしい・未知の)
 ↓↑
 古代共和制ローマの仇敵・・・
 「カルタゴ、滅ぶべし」
 (ラテン語
  Carthago delenda est)・・・?
 無花果=イチジク=壹(壱)字句・位地時苦・・・
 の
 産地
 カルタゴ(?)・ノウァ(新・あたらしい・未知の)
 ↓↑
 古代共和制ローマの仇敵・・・
 「カルタゴ、滅ぶべし」
 (ラテン語
  Carthago delenda est)・・・?
 「羅馬、滅ぶべし」
 「百済、滅ぶべし」
 「満州、滅ぶべし」
 「魯西亜、滅ぶべし」
 「蘇聯邦、滅ぶべし」
 「俄西亜、滅ぶべし」・・・
 「腐汚塵、ホロブべし」・・・
 「集金兵、ホロぶべし」・・・
 「亜米利加、ホロブベシ」
  ↓↑
 カルタゴ=イチジク(無花果・映日果・一熟)の産地
 「イチジクの葉(fig leaf)」が
 「隠したいことを覆い隠すもの」
 という比喩
 壹字句・位置字句・逸字句?
 ↓↑
 アル・クルアーンコーラン
 アラビア語
 「詠唱すべきもの」の意
 英語
 Quran(Qurʾan)
 Koran
 「コーラン
 回教(回紇・ウイグル)に由来
 中国語 「古蘭(可蘭)」に由来
 ↓↑
 fig(フィグ)・・・附意具?
 イチジク
 人さし指と
 中指の間から
 親指を出す
 仕種(しぐさ・仕草)・・・セックスしませうのサイン?
    仕方の方法・・・草は毛髪・陰毛・腋毛の比喩?
    草案・草稿・・・叢書
    草創・草昧=物事の始め
 通草 (あけび) ・車前草 (おおばこ) 
 含羞草 (おじぎそう) ・酢漿草 (かたばみ)
 草臥 (くたび) れる
 草履 (ぞうり) 
 草鞋 (わらじ) 
 煙草 (タバコ)
 草石蚕 (ちょろぎ) ・菠薐草 (ほうれんそう)
 海人草 (まくり) ・海仁草 (まくり) 
 勿忘草 (わすれなぐさ) 
 ↓↑
 tree(ツリー・ツゥリー)・・・都瓜・通烏里?
 木・系図・階層
 小動物を木に追い上げる
 人を窮地に追いやる
  ↓↑
 「カタール=Dawlat Qaṭar=ダウラトゥ・カタル」
  ↓↑
 オスマントルコ支配下
  ↓↑
 イギリス保護領
  ↓↑
 アラブ首長国連邦UAE
  ↓↑
 1971年
 アラブ首長国連邦
 (Federation of Arab Emirates=FAE)
 を結成したが
 サウジアラビア
 や
 アラブ首長国連邦の一部になることなく
 1971年9月3日独立
  ↓↑
 サーニー家(Āl-Thānī)
 による首長制(君主制
 憲法
 2003年4月29日
 承認され
 三権分立
 民主主義
 女性参政権の保障
 などを謳っている・・・
  ↓↑
 「カタール=カタル」
 「qatura(カトゥラ=噴出する)」に語源由来
 「英語=State of Qatar・通称 Qatar(キャター)」
 真珠(眞珠・pearl・パール)の採取地
 「華太瑠」・・・花の太いタマ(瑠=王に留める)・・・

  ↓↑
 「かたる=語る・騙る=だます」・・・ダマッカス?
 ダマッカス=ダマスクス=ダマスコ
 シリア・アラブ共和国の首都
 アラビア語
 ディマシュク(Dimashq)
 アッシャーム(ash-Sham)=北
 ディマシュク
 別名
 シャーム(sham)
 ラテン語
 アラム語の都市名で
 ダルメセク(Darmeśeq=よく灌漑された場所)
 エブラの王国跡地出土の粘土板
 エブラの南にある町を
 「ダマスキ」と記しダマスカスの名の起源は
 アラム人以前に遡る・・・
 カシオン山の山麓
 バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代都市と新市街
 「ビラード・アッシャーム(北の地)」
 「Damascus」は
 ギリシャ語の
 「Δαμασκός」
 語源でラテン語経由で伝わった
  ↓↑
 ダマスカス
 地名の初出
 紀元前15世紀
 エジプト
 トトメス3世の地理文献
 「T-m-ś-q」の文字
 アッカド語=ディマシュカ=Dimašqa
 古エジプト語=「T-ms-ḳw」
 古アラム語=ダマスク=Dammaśq
 聖書ヘブライ語=ダメセク=Dammeśeq
 クムラン文献
 「ダルメセク=Darmeśeq」
 シリア語
 「ダルムスク=Darmsuq」
 by wikipedia
  ↓↑
 「かたる=語る・騙る=だます」?
  ↓↑
 「かるた=歌留多」+「ご(語)」・・・いちじく・・・?
  ↓↑
 品部(しなべ・ともべ)・・・
 品部=ほんべ=本部・本唄・本罷(まかる)?

 「しなしなのとものを」
 「とものみやつこ」
 の和訓を持つ古代日本の
 人的集団・組織
 部民制後の制度
 品=口+吅
   口+口+口
   囗+囗+囗
   ヒン
   ホン
   しな
   しなもの・いろいろな物・物品
   くらい・等級・位階
   人がら・人格・人の性質
   等級をつける・評価する・良し悪しを判断する
   たぐい・種類・また、物事の種類を数えることば
   きまり・制度・基準・法則
   仏典の章・編などの一まとまりのこと
   ほん・昔の律令制親王に賜った位
     ・品位は一品から四品まで
   品⇔㗊=吅+吅⇔𠱠=レイ・リョウ
             多くの鳥や人の声
     吅・咒・㕺・咢・骂・哭
     㖐・㽞・啙・喌・㖾・駡

ー----
  カルタゴ・ノウァ(新・あたらしい・未知の)
       ノヴァ
       ラテン語
       novus・nova
       イタリア語
       nuovo
       ラテン語
      (ノヴァ=新しい・新星)
       超新星スーパーノヴァ
           super  nova
  ↓↑    ↓↑
       ノバ‐イスパニア=メキシコ=墨西哥
       のば‐ひすぱにあ   
       Nova Hispania
  ↓↑    ↓↑
       ギリシャ
       ネオ(neo)=Nova
  ↓↑    ↓↑
       英語
       ニュウ(new)・・・ν
       New York=紐育
  ↓↑    ↓↑
       のばぁ=之葉=しば=斯波・司馬・・・?
       の      ば     ぁ
       乃(すなわち)葉(ことば)蛙(かえる)
  ↓↑    ↓↑
       ポルトガル語
       bossa nova
       ボサ・ノバ=ノーバ・ノヴァ
  ↓↑    ↓↑
       Terra Nova Expedition
       南極探検 テラ・ノバ号探検
       1910~1913年
       ロバート・スコット
      (Robert Falcon Scot)
       の南極点到達を目指した探検
       1912年1月17日に極点
       ノルウェー
       アムンゼン隊が
       33日前に到達後
       帰途に5人のスコット隊は全員が遭難死
  ↓↑    ↓↑
       NOVA (ノバ・ロケット)
       NASAアポロ計画の後
       火星探査に計画されたロケット
  ↓↑
 「かるた=歌留多」+ご(語)
      ポルトガル語
      カルタ
      carta
      遊戯、博打に使用される札
      トランプのカード
      花札、歌がるた、トランプ
      「加留多=賀留多=骨牌」など当て字漢字
      文字札・絵札ともに
      46枚「あいうえお」
      47文字に対応した「いろはかるた」
      平安時代
      二枚貝の貝殻をあわせる遊び
      「貝覆い(貝合せ)」
      16世紀末頃
      筑後国
      三池(岡県大牟田市)で作り始められた
   ・・・「論(ロン・ろむ)より証拠(ショウコ)」 
  ↓↑   ↓↑      
  借る他語・ノ ヴァ
       之
       廼=西+廴
       埜=木+々+十+一
       盧(の)=虍+田+皿
         ロ
         くろい
         めしびつ=飯櫃=御鉢
         飯を入れるための容器
         黒い・黒い色
         酒を売る場所・酒屋
         すびつ=炭櫃=火鉢
         火入れ・・・懐炉
       盧⇔鸕⇔鸕野讃良=持統天皇
           鸕(う・鵜)
           鱸(すずき)
           黸(くろ・炭櫃)=黑+盧
         野=里+予(マ+乛+亅・マ+了)
         乃=丿+㇋・丿+ㄋ・丿+㇆+𠃌)
  軽他語=乂多語=珂瑠・・・「軽・珂瑠」皇子?
               「木梨 軽」皇子?
  ↓↑   ↓↑        「孝徳⇔文武」天皇
 カルタゴラテン語 Carthāgō
           Karthāgō
           カルターゴー
      アラビア語 Qarṭāj)
 ローマに
 塩を撒かれて不毛の地とされた
 塩土化 (Salting the earth・Sowing with salt)
 征服した街や土地に
 二度と人が住めない土地とするために
 塩をまく呪いの儀式・・・
 ↓↑
 紀元前149年~紀元前146年
 第三次ポエニ戦争
 カルタゴの滅亡に
 塩を撒かれて不毛の地とされた
 ↓↑   ↓↑
 66年~73年
 エルサレム
 マサダ
 紀元70年
 エルサレム陥落
 エルサレム攻囲戦でローマ帝国軍に滅ぼされ
 ユダヤ人は中東世界に
 離散(ディアスポラ
 ユダヤ的なものを一掃しようと
 ローマ人は
 この土地をユダの地(ユダヤ)ではなく
 宿敵ペリシテ人にちなんで
 パレスチナという名前をつけた
 73年
 「第1次ユダヤ戦争」
 マサダ陥落
 ↓↑
 ユダヤ人集団自決
 132年~135年
 「第2次ユダヤ戦争」
 ハドリアヌス帝治世下
 再び勃発した
 「バル・コクバの乱」
 ↓↑
 旧約聖書(『創世記』第19章)
 ソドムとゴモラの滅亡
 ロトとその家族は神によって救われるが
 逃げる途中は振り返るなと
 神に言われたが
 ロトの妻は・・・Eshet Lot=Lot's wife
 振り返って
 塩(しお・鹽・䀋)の柱となってしまった・・・?
 Pillar of Lot's wife
 柱=Pillar・Post・pole・・・Paul・パウロ
   pillow・ピロー     pearl・パール
 ↓↑
 鹽=臣+𠂉+鹵+皿
   臣+𠂉+卜+囗+㐅+丶+丶+丶+丶+皿
 鹵=卜+囗+㐅+丶+丶+丶+丶
   しおち・しおつち・塩分を含んだ土地
   しお・岩塩・海以外からとった天然の塩
   おろか・にぶい=魯
   おろそか・軽々しい・いいかげん
   うばう・かすめる・かすめとる
   たて=楯・矢を防ぐための大きな盾
 鹵(うばう)
 鹵(おろそか)
 鹵(おろか)
 鹵(しお)
 鹵(しおち)
 鹵(たて)
 鹵獲(ロカク)
 鹵簿(ロボ)
 荒瘠斥鹵(コウセキセキロ)
  土地が痩せていて、荒れ果てていること
  「斥」=干潟
  塩分が含まれていて作物が育たない土地
 粗鹵迂遠(ソロウエン)
  質が悪く、役に立たない様子
  「粗鹵」=作りが雑で役に立たない
  「迂遠」=遠まわしで面倒な様子
  「疎鹵迂遠=麁鹵迂遠」
 ↓↑   ↓↑
 粗鹵狭隘(ソロキョウアイ)
  見識や学問が雑で狭い
  「粗鹵」=作りが雑で役に立たないこと
  「狭隘」=狭い
  「疎鹵狭隘=麁鹵狭隘」
ー↓↑ー--
 「カルタゴ滅ぶべし(ラテン語
            Carthago delenda est)
 ↓↑
 カルタゴへの憤怒と
 子孫への憂慮から
 大カトは
 元老院の議会のたびに
 カルタゴは滅ぼされるべきだと
 (Carthaginem delendam)
 叫んでいた
 そんなある日
 彼は議場に
 カルタゴの特産である
 イチジク(無花果・映日果・一熟)
      無花果(ムカカ)・・・生薬
      無花果葉(ムカカヨウ)
      クワ=桑科・イチジク属
         句倭・句和・・・
          和氏=瑕疵のタマ
      落葉高木(学名: Ficus carica)
      薬用
      緩下作用(下痢・便秘・喉の痛みに効果)
      イチジクを摘むと
      花柄からラテックスと呼ばれる樹液が滴る
      樹液は母乳や精液になぞらえられ
      アフリカの女性の間では
      不妊治療や乳汁分泌の促進に効果ありとされる
      ↓↑
     「イチジクの葉(fig leaf)」が
     「隠したいことを覆い隠すもの」
      という比喩表現として用いられる
      壹字句・位置字句・逸字句?
      ↓↑
      アル・クルアーン
      fig tree
     (フィグ)
      17世紀初め
     「映日果」を唐音読みで
     「エイジツカ」
      が転訛した・・・
      中国の古語で
     「阿駔・阿驛」などと音写
     「底珍樹・天仙果」などの別名もある
      伝来当時の日本で
     「唐柿(からがき・とうがき」
     「蓬莱柿(ほうらいし)」
     「南蛮柿(なんばんがき)」
     「唐枇杷(とうびわ)」
      などと呼ばれた
     ラテン語
     Ficus(ficus)=イチジク
     イタリア語
     fico
     フランス語
     figue
     スペイン語
     higo・・・肥後?
     英語
     fig
     ドイツ語
     Feige
     ・・・鞴(ふいご)の形
        or
        睾丸(コウガン・金玉)
        陰嚢(陰囊・Scrotum )
     に見える・・・
 ↓↑
 を持ってきた
 「皆に尋ねるが
 これはいつ採れたものだと思うかね?」
 大プリニウス『博物誌』
 ↓↑
 カルタゴ
 紀元前
 アフリカ大陸北岸を中心に
 造船技術
 水運
 地中海貿易で繁栄
 フェニキア人の国家
 首都
 チュニス湖東岸
 チュニジア共和国北側
 ↓↑
 原住民はベルベル人
 紀元前9世紀ころ
 地中海東岸
 ティルス
 を本拠地とした
 フェニキア人によって
 地中海内の植民都市として建設
 本国の
 ティルス
 アッシリアに支配され
 カルタゴフェニキア人の本拠地となった
 イタリア半島を本拠地の
 ローマと、地中海の覇権で敵対し
 シシリア島などの支配をめぐって
 ローマと軍事的に激突
 紀元前264年~紀元前146年
 「ポエニ戦争
 カルタゴ ハミルカル・バルカ
      ハンニバル・バルカ
 など
 ローマの本拠地を攻撃
 ローマに対して劣勢になり
 カルタゴ
 3重の強固な城壁で籠城戦に耐えたが
 ローマ軍に都市を全て焼き払われ
 50万人のカルタゴ人は5万人になり
 カルタゴ滅亡
 紀元前45年
 カエサルによって再建繁栄
 現在
 チュニジア
 チュニス
 カルタゴ
 ↓↑
 「カルタゴ」の国名
 フェニキア
  カルト・ハダシュト
 (Qart-ḥadašt=新しい町)
 に由来
 ↓↑
 カルタヘナスペイン語Cartagena)
 スペイン・ムルシア州
 ムニシピオ基礎自治体
 地中海に面する港湾都市
 共和政ローマ
 フェニキア人都市
 カルタゴ・ノウァ
 ↓↑
 紀元前227年ごろ
 カルタゴの将軍
 ハスドルバル
 によって
 カルト・ハダシュト(新しい都市)建設
 紀元前8世紀
 フェニキア
 イベリア半島の海岸に出現
 紀元前5世紀ごろ
 イベリア人の一部族によって
 マスティア
 という町が建設
 カルト・ハダシュト
 イベリア半島におけるフェニキア人の都
 ↓↑
 紀元前218(219)年~紀元前201年
 「第二次ポエニ戦争」で
 ハンニバル将軍は
 この町からイタリア侵攻
 ローマvsカルタゴ
 の戦争は
 全3回の
 二回目の
 ポエニ戦争
 ↓↑
 カルタゴ側の将軍
 ハンニバル・バルカ
 イタリア半島の大部分を侵略
 損害と恐怖をローマ側に与え
 「ハンニバル戦争」
 と呼ばれる
 ↓↑
 カルタゴ
 紀元前209年
 ローマの将軍
 大スキピオに征服され
 共和政ローマ
 カルタゴ・ノウァ(新しいカルタゴ
 と呼ばれた
 ↓↑
 ローマ時
 ヒスパニアの重要な都市の1つ
 属州
 ヒスパニア・キテリオール
 に属し
 ヒスパニア・カルタギニエンシスの都
 西ローマ帝国が崩壊し
 イベリア半島
 ゴート人の諸王国ができたのち
 ユスティニアヌス1世
 の時代に
 東ローマ帝国の領土
 7世紀
 シセブト王
 率いる
 西ゴート王国に征服され
 町は破壊され衰退
 ↓↑
 1245年
 カスティーリャ王国に征服
 司教座が再建
 1年後に司教座は
 ムルシアに移転
 1296年
 アラゴン王国に支配
 1305年
 カスティーリャ王国に返却
 ↓↑
 18世紀
 地中海海軍の本拠地設置
 軍事関連施設建設
 1868年革命後の
 1873年
 連邦主義者による
 カントナリスタ蜂起
 翌年に鎮圧
 ↓↑
 20世紀
 スペイン内戦
 カルタヘナ
 共和国軍の唯一の海軍基地
 内戦の最終期
 1939年3月28日
 マドリード降伏
 3月31日
 フランコ軍は
 「内戦は終結した」旨のラジオ放送
 直後に
 カルタヘナ陥落
 ↓↑
 カルタゴ
 の地形は、水深が浅く、錨を下ろしやすい入江
 突き出した岬
 カルタゴは地中海の東西のほぼ中央にあり
 前8世紀頃
 イベリア半島
 ガデス
 から
 フェニキア本土の
 テュロス等へと貴金属を運ぶ航路の中間にあった
 フェニキア人の地中海の航路は
 イベリア半島から
 東へ向かう船は
 北アフリカの海岸沿いに進み
 テュロスなどフェニキア本土から
 西に向かう船は
 キプロスギリシアシチリア、イした[2]・
 ↓↑
 カルタゴ建国
 ティルスを母市としたフェニキア人が建設
 ティルスと同じ
 メルカルト (Melqart)
 が町の守護神
 カルタゴは同じフェニキア系都市で
 先に入植した
 ウティカやガデスの寄港地
 ↓↑
 ティルスの女王
 ディードー
 が兄
 ピュグマリオーン (Pygmalion of Tyre)
 から逃れてカルタゴを建設
 ディードー
 は主神
 メルカルトの神官の妻
 ピュグマリーオン
 が
 ディードーの夫を殺害し
 テュロスを去った
 ローマの歴史家
 グナエウス・ポンペイウス・トログス
 『ピリッポス史』によれば
 岬に上陸した
 ディードー
 は、1頭の牛の皮で覆うだけの土地を求め
 岬の住人が承知をすると
 細く切った皮で紐を作って土地を囲い
 丘全体を手に入れた
 この丘はギリシア語で
 「皮」を意味する
 「ビュルサ」と呼ばれるようになった
 ビュルサには
 同じくフェニキア系の都市
 ウティカから使者が訪れ
 都市建設
 皮で囲まれた土地については
 地代として
 アフリカ人へ貢租を支払うことになり
 前5世紀まで支払いが続いた
 古代ローマの詩人
 ウェルギリウス
 は異なる
 ディードーの伝説
 『アエネイス』で書いた
 ↓↑
 ポンペイウス・トログスによる
 ディードーの伝説
 カルタゴ
 テュロスによる正規の植民都市ではなく
 亡命者の土地
 神官の妻だった
 ディードーは宗教的には
 ピュグマリーオンよりも正統に属し
 メルカルト信仰の中心が
 テュロスからカルタゴへ移った
 「ビュルサの丘=サン・ルイの丘」
 トロイ戦争
 (紀元前12世紀頃)前
 紀元前820年頃
 紀元前814年頃
 にそれぞれ建国された・・・
 「紀元前814年」
 が一般的にカルタゴ建国年
 ↓↑
 カルタゴ創成期
 紀元前5世紀前半
 海洋探検家の航海者
 ハンノは4回に渡る遠征を行い
 「ヘラクレスの柱」と呼ばれた
 「ジブラルタル海峡」・・・字部羅瑠多留
 を越えて、北アフリカ沿岸の
 シエラレオネにまで辿りついた
 第1回の航海は
 3万人で出航し
 6つの植民都市を建設した
 「ハンノの航海」
 後
 カルタゴ
 マルカスという指導者のもとで
 アフリカ内陸と沿岸一帯に領土を拡大
 ↓↑
 紀元前5世紀初頭
 カルタゴはこの地域の商業の中心地
 カルタゴ
 フェニキア人の古代都市や
        古代リビュアの諸部族を征服
 モロッコからエジプト国境に至る
 北アフリカ沿岸を支配
 地中海で
 サルデーニャ島
 マルタ島
 バレアレス諸島を支配
 イベリア半島に植民都市を建設
 ↓↑
 第一次シケリア戦争
 カルタゴ
 ギリシアとの対立
 シケリア(シチリア島
 が、戦争の舞台となった
 ↓↑
 紀元前540年頃
 シチリア西半分の領有権を巡り
 エトルリア人と組んで
 ギリシアおよび
 サルデーニャ
 と
 「アレリア沖(コルシカ)」
 で海戦勝利
 ↓↑
 紀元前480年
 ギリシアに支援された
 シュラクサイ(シラクサ
 の僭主
 ゲロンが
 島を統一しようとし
 これに対して
 カルタゴ
 アケメネス朝と連携をとり
 ギリシアとの戦争開始
 ハミルカル将軍のもと
 三十万人の軍隊が結集
 ↓↑
 シチリア島に向かう途中、悪天候に見舞われ
 多数の人員を失い
 パレルモにあたる
 パノルムスに上陸したが
 ハミルカル
 第1次ヒメラの戦い
 で
 ゲロンに大敗
 ハミルカルは戦死or自決・・・
 敗北により弱体化し
 貴族政が打倒され
 共和政に移行
 ↓↑
 第二次シケリア戦争
 紀元前410年まで
 カルタゴは回復を遂げ
 再び
 チュニジア一帯を支配
 北アフリカ沿岸に新たな植民都市を建設
 サハラ砂漠を横断した
 マーゴ・バルカの旅行や
 アフリカ大陸沿岸を巡る
 航海者
 ハンノ
 の旅行を後援
 版図拡大の遠征
 モロッコからセネガル、大西洋にまで及んだ
 金や銀の主要産地
 イベリア半島の植民都市が
 カルタゴから分離し
 その供給が断たれた
 ↓↑
 ハミルカルの長男
 ハンニバル・マゴ
 は、シチリア島の再領有に向け
 紀元前409年
 シチリア島への遠征を行い(第二次ヒメラの戦い)
 セリヌンテにあたる
 セリヌス
 ヒメラ(テルミニ・イメレーゼの東12キロメートル)
 といった小都市の占領に成功し帰還
 ↓↑
 敵対するシラクサはまだ健在で
 紀元前405年
 ハンニバルシチリア島全域の支配を目指し
 二回目の遠征を開始
 アクラガス包囲戦の最中
 カルタゴ軍に疫病が蔓延
 ハンニバルも死亡
 彼の後任
 「ヒメルコ」
 は、ギリシア軍の包囲を打ち破り
 ゲラを占領した(ゲラの戦い)
 シラクサの新僭主デ
 ィオニュシオス1世の軍を
 カマリナで破ったが(カマリナ略奪)
 ヒメルコもまた疫病にかかり
 講和を結ばざるを得なくなった
 ↓↑
 紀元前398年
 ディオニュシオス
 平和協定を破り
 カルタゴの要塞
 モティアを攻撃した(モティア包囲戦)
 ヒメルコは遠征軍を率いて
 モティアを奪回
 メッセネ(メッシーナ)を占領(メッセネの戦い)
 紀元前397年
 第一次シュラクサイ包囲戦にまで至るが
 翌年、再び疫病に見舞われ
 ヒメルコの軍は崩壊
 ↓↑
 シチリア島
 以後60年以上にわたり
 この島でカルタゴギリシアの小競り合いが続き
 紀元前340年
 カルタゴの領土は
 島の南西の隅に追いやられた
 ↓↑
 第三次シケリア戦争
 紀元前315年
 シュラクサイの僭主
 アガトクレスは
 戦略的に重要な
 メッセネを奪取
 紀元前311年
 アガトクレスが
 アクラガスを包囲
 カルタゴの将軍
 ハミルカルはこれに反撃
 ハミルカル
 紀元前311年
 ヒメラ川の戦いで
 アガトクレスに勝利
 シケリアの他の部分を支配し
 シュラクサイを海陸から包囲
 (第三次シュラクサイ包囲戦)
 ↓↑
 アガトクレスは
 アフリカ本土の
 カルタゴを攻撃させるため
 14,000人の兵士を送った
 ハミルカルの軍は本土に呼び戻された
 紀元前307年
 追撃してきた
 アガトクレスは敗れ
 シチリア島に戻り
 停戦
 ↓↑
 紀元前280年~紀元前275年
 ギリシア
 エピロス(ラテン語エピルス
      ギリシャ共和国アドリア海側)
 の王
 ピュロスは
 西地中海における
 ギリシアの影響力を維持し
 拡大するために2つの大きな戦争を起こした
 ↓↑
 「マグナ・グラエキア」
 南イタリアにあるギリシアの植民都市に対する
 ローマの攻撃に対抗
 シチリア島西部にあるカルタゴの領土の征服
 ピュロスは
 敗北
 ローマは
 タレントゥム(ターラント)を占領
 イタリア全域を支配
 シチリア島におけるギリシアの拠点は、減少し
 ローマの強大化、領土拡大は
 カルタゴと直接対決
 ↓↑
 紀元前288年
 シラクサ
 アガソクレスが死去
 彼の傭兵たちは
 メッシーナの町を乗っ取った
 彼らは
 マメルティニ (Mamertini、マルスの子らの意)
 と名乗り、恐怖政治を敷いた
 この集団は
 カルタゴシラクサにとって脅威となり
 紀元前265年
 シラクサ
 ヒエロン2世は
 カルタゴと共同し
 マメルティニを攻撃
 マメルティニたちの意見は2つに分かれ
 一方は、カルタゴへの降服
 一方は、ローマの救援を仰ぐ
 というもので
 カルタゴとローマの両方に使者を派遣
 ↓↑
 ローマの元老院が取るべき道を議論している間に
 カルタゴシラクサの軍は
 メッシーナに到着
 包囲されたマメルティニは
 カルタゴ軍に降服
 メッシーナには
 カルタゴ
 守備隊が置かれ
 港にはカルタゴの艦隊が停泊
 イタリア半島に程近いメッシーナ
 カルタゴの軍隊が駐屯し
 ローマにとって脅威になり
 メッシーナ
 マメルティニの手に戻すために
 ローマはカルタゴと開戦し、軍隊を派遣
 ↓↑
 ポエニ戦争
 ローマ軍が
 メッシーナ
 カルタゴ軍を攻撃し
 約1世紀にも渡る
 ポエニ戦争開戦
 第一次ポエニ戦争 (紀元前264年~紀元前241年)
 第二次ポエニ戦争 (紀元前218年~紀元前202年)
 第三次ポエニ戦争 (紀元前149年~紀元前146年)
 ↓↑
 第二次ポエニ戦争
 カルタゴの将軍
 ハンニバル・バルカがイタリア半島に侵入
 ローマ軍を幾度も破ったが
 ローマの
 スキピオ・アフリカヌスが
 ザマの戦いで勝利
 第三次ポエニ戦争
 スキピオ・アフリカヌスの養孫
 スキピオ・アエミリアヌの指揮の
 「カルタゴの戦い」で
 カルタゴ滅亡
 市民は奴隷
 都市は破壊
 ↓↑
 カルタゴの破壊の際
 図書館の蔵書は
 アフリカの小王たちに譲られ
 『マゴの農書
 だけはギリシア語と
    ラテン 語に翻訳させた・・・
 ↓↑
 古代ローマ時代の
 カルタゴのヴィラ
 カルタゴ滅亡後
 ローマに併合されアフリカ属州となり
 都市カルタゴの有った場所には
 新たな植民市が造られた
 紀元前122年
 護民官
 ガイウス・グラックス
 によって企画
 グラックスの改革の支持票を獲得するため
 計画の結果
 コロニア・ユノニア(ユノ植民市)
 として新たな都市が造られ
 グラックスの失脚に伴い
 大規模な植民が行なわれなかった
 ↓↑
 ガイウス・ユリウス・カエサル
 の計画
 アウグストゥス
 によって実行された
 再建された都市は
 アフリカにおける
 ローマの最も重要な都市とし
 ローマ帝国の西方で
 ローマに次ぐ第2の都市となった
 ローマの再建した植民市は
 2度とも
 カルタゴとは異なった名がつけられたが
 「カルタゴの名」で呼ばれつづけた
 ↓↑
 1世紀末
 カルタゴ円形闘技場
 2世紀
 アントニヌス浴場
 カルタゴ競技場(キルクス)
 ローマ劇場
 ローマ人の住居跡
 などのカルタゴの遺跡のほとんどは
 ローマ時代のものである
 ↓↑
 クラウディウス
 全8巻からなる
 「カルタゴ史」
 を書いたが現在は散逸
 238年
 ローマ帝国皇帝
 マクシミヌス・トラク
 に対して
 アフリカ属州総督
 ゴルディアヌスが反乱をおこし
 カルタゴの戦いで鎮圧された
 ↓↑
 ヴァンダル
 による征服と
 東ローマ帝国による奪回
 5世紀
 ヴァンダル族の王
 ガイセリック
 がカルタゴを占領し
 ヴァンダル王国を建国
 カルタゴは首都となり
 カルタゴ
 西ローマ帝国艦隊を拿捕した
 ヴァンダル王国
 シチリア島サルディニア島コルシカ島
 などを征服
 442年
 イタリアへ上陸
 ローマへ侵攻
 ローマ教皇
 レオ1世の申し出を受け
 ローマの破壊は避けたが
 カルタゴより襲来したヴァンダル族によって
 ローマは占領され略奪され
 468年
 バシリスクス率いる
 東ローマ帝国艦隊を壊滅させた
 ↓↑
 東ローマ帝国による
 カルタゴ奪回は何度か失敗し
 6世紀
 ローマ帝国の復興を企図した
 東ローマ皇帝
 ユスティニアヌス1世
 533年
 西ローマ帝国の皇女の血を引く
 ヒルデリック王
 が遠い従兄弟
 ゲリメル
 によって廃位されたことを口実として
 ベリサリウス
 を将軍とする軍隊を派遣した(アド・デキムムの戦い)
 ヴァンダル王国の軍隊は敗北し
 533年10月15日日曜日(9月14日説)
 東ローマ帝国軍は
 カルタゴに入城
 カルタゴは再びローマ帝国の領土となったが
 ムーア人の反乱が多発し
 皇帝
 マウリキウス
 の時代に
 カルタゴ総督府設置
 イタリア半島
 ラヴェンナ総督府と並んで
 帝国西方の重要拠点として組み込まれた
 610年
 カルタゴ総督
 ヘラクレイオスの息子
 ヘラクレイオス(父子同名)
 は時の皇帝
 フォカスを打倒し
 自ら皇帝の座に就いた
 647年
 ウマイヤ朝勢力が
 カルタゴを攻撃
 670年~683年
 再び攻撃を受け、陥落
 698年
 アフリカ大陸の
 東ローマ帝国最後の拠点も
 ウマイヤ朝が占領(カルタゴの戦い)
 イスラム勢力の占領したこの時期より
 カルタゴの荒廃は進行し
 ウマイヤ朝によって
 カルタゴの衛星都市であった
 チェニェスの跡に
 チュニスが築かれると
 カルタゴは完全に放棄された
 ↓↑
 クレタ、スパルタ
 と
 カルタゴの政体は似ている
 ↓↑
 「王政」
 「貴族政」
 「民主政」
 の長所を併せ持っている・・・
 実質的に
 「貴族政・寡頭政」
 である・・・
 国家の代表は一般的に
 スーフェース
 (sufet、通例複数形でsufets
  司法権と行政権を持った長官)
 と呼ばれ
 ローマのコンスル同様に1年任期
 スーフェースの由来は
 「裁く・治める」を意味する
 セム語の「ショフェト」で
 ヘブライ語「shaphat=士師」と同根
 ローマの史家は
 「スーフェース=レゲス(reges・王)」
 と呼んだ
 スーフェース
 には軍事に関する権限はなかったが
 司法と行政の
 権限を付与された1人か2人の
 スーフェース
 が富豪や影響力をもった一族から選出された
 ↓↑
 軍事上の特別職
 将軍
 ローマのコンスル
 スパルタの王
 とは異なり
 カルタゴでは軍事は別
 ハンニバル
 もこれに選ばれ
 将軍職は特定の家系の出身が多く
 その権限を制限するために
 百人会が設立された
 ↓↑
 貴族たちから選出された代議員によって
 ローマの元老院に相当する機関
 最高会議(元老院)を構成していた
 最高会議は広範囲に渡る権限を有し
 スーフェース
 の選任が
 最高会議によるのか
 市民総会(民会)によるかは論が分かれる
 市民たちは
 立法権にも影響力を持っていた
 民主主義的な要素は
 カルタゴを弱体化させたため
 都市の統治では
 寡頭政治が堅持された
 ↓↑
 フェニキア本土の都市
 東地中海で不足しやすい
 金、銀、銅、鉄、鉛、錫
 などの金属を入手するために
 貿易や植民に乗り出し
 フェニキア産の手工業製品を輸出し
 イベリア半島
 北アフリカの金属と物々交換
 カルタゴフェニキア本土よりも
 金属の産地に近い地理上の利点を活かし繁栄
 ↓↑
 戦争の捕虜
 農業や鉱業のため
 奴隷貿易の商品としても扱われ
 歴史家の
 シケリアの
 ディオドロス
 によれば
 イベリア半島の鉱山では
 ローマの征服前から
 カルタゴによって奴隷が使役されていた
 農業
 奴隷制にもとづいて
 集約的な農地経営や牧畜
 『マゴの農書』に記録
 ローマの大土地経営である
 ラティフンディア
 にも影響を与えた
 ↓↑
 貨幣
 前410年~前390年
 銀貨発行
 ギリシア
 ドラクマ銀貨をモデルに作られ
 シチリアで用いられていた
 ギリシアの硬貨に近い
 前4世紀には金貨等の発行
 金貨はフェニキア本土の度量衡に基づいた
 ↓↑
 宗教
 トペテ
 フェニキアから伝わった
 「バアル崇拝」
 「アスタルト崇拝」
 土着信仰に由来する
 「タニト崇拝」
 とが融合した独自の宗教形態
 これに
 エジプトの神々
 ギリシャデメテル崇拝が加わり
 多様化
 カルタゴ
 ローマ支配下に置かれた後も
 ローマの神々と共に信仰の対象とされた
 ウマイヤ朝によって
 イスラム教が伝えられ急速に廃れていった
 ↓↑
 プルタルコス
 フェニキア人が子供を犠牲にして捧げ物にしていた
 と記録
 赤ん坊が死産した場合
 最も若い子供が
 両親によって
 生贄に供されていた・・・
 テルトゥリアヌス、オロシウス、ディオドロス・シクロス
 などもこの風習を記録
 ↓↑
 トペテ(トフェト)
 子供のための共同墓地
 紀元前400年~紀元前200年
 建造されたと推定
 墓地からは20,000個の骨壷が出土
 骨壷には新生児の
 黒焦げになった骨が入れられ
 胎児や2歳ぐらいの幼児のものもあった
 火葬された子供達の名は
 墓碑にも骨壷にも
 刻まれることは無かった
 ↓↑
 現代考古学上
 発掘から
 プルタルコスの記述には
 疑問
 カルタゴでは
 火葬は新生児や死産児に限らず
 成人に対しても行われ
 羊や山羊の骨も発掘
 この動物の犠牲の記録も発見
 逆に子供の犠牲の記録が発見されていない
 子供を犠牲にしての
 捧げ物にする風習が無かった・・・

ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」