ないえごろうブログ

同音異義の探索

道理って・・・現前に進行する存在の日常性・・・

 文字霊日記・3256日目

 クジラの迷い児・・・

 凍った路で滑って、初コロビ、一番・壹番・・・後遺ショウ・・・



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 壹=壱=一=いち=位置・市・意知
          位地・移置・仲地・・・仲間の地=故郷
          意知       人は中大兄皇子
                逸(イチ・イツ
                     いつ=何時・乙)
                     乙巳の変(645年)
                     大化の改新
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 㦤=㦉=㱅
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 懿=壹+恣
   士+冖+豆+次+心
   士+冖+豆+冫+欠+心
   士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
   懿徳天皇
   第四代 天皇
   大 日本 彦 耜 友  天皇
   おほやまとひこすきとものみこと(日本書紀
   大 倭  日子鉏 友   命
   おほやまとひこすきとものみこと(古事記
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   磯城津彦玉手看天皇安寧天皇)の第二皇子
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   母は
   鴨王 ( 事代主神 の孫)の娘の
   渟名底仲媛命 (日本書紀
   阿久斗比売(古事記
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   皇后は
   天豊津媛命(日本書紀
   賦登麻和訶比売命(古事記
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   子
   観松彦香殖稲尊(孝昭天皇
   御間津日子訶恵志泥命
  (みまつひこかえしねのみこと)
   多藝志比古命
  (たぎしひこのみこと)
   武石彦奇友背命
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   兄弟 同母兄 息石耳命(常津彦某兄 )
      同母弟 磯城津彦命
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   父帝が崩御した翌々年の一月に即位
   即位二年一月
   軽 之 境  岡  宮
  (かるの さかいおかのみや・古事記
   軽  曲  峡 宮
  (かるのまがりおのみや・日本書紀
   に遷都
   二月
   息石耳命 の娘の
   天豊津媛命 を皇后とし
   観松彦香殖稲尊(孝昭天皇 )を得た
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 懿=壹+恣+士+冖+豆+次+心
   士+冖+豆+冫+欠+心
   士+冖+豆+冫+丿+乛+人+心
 壹+α・・・イチ
 噎㙪㦉殪曀㱅皼䊦豷饐鷧
   壹・・・臺=吉+冖+至
         吉+冖+一+ム+土
         士+口+冖+一+ム+十+一
         十+一+口+冖+一+ム+十+一
        =台・坮・㙵・䑓
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 懿懿(イイ)=非常にすぐれている・芳しい様子
 懿戒(イカイ)=すぐれた教え・立派な戒め
 懿軌(イキ)=すぐれた見本・立派な手本
 懿筐(イキョウ)=深さのある竹の籠
 懿業(イギョウ)=立派な仕事
 懿訓(イクン)=立派な教え・すぐれた教訓
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 懿公喜鶴(イコウキカク)
  大切にすべきものを軽く扱い
  くだらないものを大切にして
  身を滅ぼすこと
  「懿公」は人名
   衛の国の懿公
   家臣や国民を大切にせず
   鶴を好んで爵位を与えて大切にしていたが
   戦争になると
   兵隊は鶴に戦わせればよい
   と言って協力せず
   懿公は身を滅ぼした
  「懿公鶴を喜む」
  「懿公好鶴(イコウコウカク)
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 卯=冒=昴=日+卯=昂=日+卬=ボウ
     昴流(すばる)
   冒=よこしま=邪・・・横島・横嶌・横縞
 卜辞に犠牲を「卯す(ころす)」意
 説文に「冒(ボウ)なり」と同声
 卜文と金文の字形は
 牲牛の「肉を両分」する形
     肉=ジク=字句
     肉=にく=弐句・似句・邇句・爾句
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 康熙字典 《丑集中》《士字部》
 壹 〔古文〕夁=𡔾=𡕋=𡕍
 專一也
 《孟子》志壹則動氣・氣壹則動志
 《左傳・昭二十年》若琴瑟之專壹・誰能聽之。 又合也
 《前漢董仲舒傳》有所統壹・爲羣儒首(孔子
                羣=群=むれる
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 ボクが自分の文章内で使用してきた記号「~」は
 「・・・から(~)・・・まで」
 の意味で、特に「年号~年号まで」で使用してきたが・・・
 検索ブログを調べたら
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 「~、≅、≈、≃」
 これらの記号は
 論理学や幾何学においては
 「同値、同型、同相、漸進的に等しい」
 「ホモトープである」・・・?
 の意味
 「≒」の上下の点の位置を逆にした
 「≓」 という記号は
 「≒」と同じく「ほとんど等しい」という意味
 「≑」
 上下の点の位置を真中に揃えた記号は
 「幾何学的に等しい」という意味で使用・・・
 との記録があったけれど・・・
 それに
 「ホモトープ」・・・
 まったく、ボクには理解不能な「説明」だった・・・
 「保模問う附」・・・?
 ボクには「設問自体・質問自体」が「?」で
 「理解」出来ないことが多い・・・
 そして
 「自分が記録」した文字、文章「その意味自体」が
 コレって
 「ナンでココに書き込んだの?」
 である・・・自分の「ブログ日記」なのに・・・
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 前回、記録した「円珍」・・・
 本当は「慈円」を書き込みたかったのに・・・
 愚図・・・愚観・・・
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 慈円(じえん・慈圓)
 久寿二年四月十五日(1155年 5月17日)
 ~
 嘉禄元年九月二十五日(1225年 10月28日)
 平安時代末期~鎌倉時代初期の
 天台宗の僧
 諡号 慈鎮和尚(じちん かしょう)
 通称 吉水僧正(よしみず そうじょう)
    『小倉百人一首』では
    前大僧正慈円
   (さきの だいそうじょう じえん)

 父 摂政関白・藤原忠通
 母 藤原仲光の女、加賀
 兄 摂政関白・九条兼実は同母兄
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 歴史書
 『愚管抄』の著者
 全7巻
 「承久の乱
 の直前、朝廷と幕府の緊張の
 承久二年(1220年)頃成立し
 乱後に修訂・・・
 「初代・神武天皇~第84代・順徳天皇まで
  の歴史を
  貴族の時代~武士の時代への転換と捉え
  末法思想と「道理」の理念とに基づいて
  仮名文で述べたもの
  慈円は朝廷側の一員であるが
  源頼朝の政治を道理にかなっていると評価
  慈円自身の父
  藤原忠通
  祖父の
  藤原忠実と不仲であった事を批判したり
  同母兄弟の
  九条家流を持ち上げて
  異母兄弟の
  近衛家流を非難するなど
  摂関家の一員としての
  慈円本人の複雑な事情を
  垣間見る事の出来る記事も存在する」・・・
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 『愚管抄』の内容
 三部分
 巻1~巻2まで
 神武以来の天皇年代記
 巻3~巻6まで
 道理の推移を中心とする歴史述叙
 巻7は
 道理についての総括
 一切の法は
 道理であり
 其の道理に基づいて
 世の直し方の方法を
 論述している・・・
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 「道理」って、ナニ・・・?

ーーーーー
 ・・・???・・・
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 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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 干支歴
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 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/user/merikiri
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 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
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 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
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 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm