ないえごろうブログ

同音異義の探索

楽イチ・楽ザ・・・市女笠の女性の賑わいのバ

文字霊日記・3271日目

 ・・・壱・壹・市・十市・・・
 「楽市・楽座」・・・
 「市女笠」・・・「一目傘」じゃぁないんだ・・・ひとめがさ?
    笠=竹+立    傘=𠆢+仌+十+仌・・・
            傘=仐+仌+仌
               众=乑=眾=衆
               俎=爼・・・
               斒
    斒=文+扁
      亠+乂+戶+冂+卄
      亠+乂+戸+冂+卄
      亠+丿+戶+冂+一+丨
      亠+丿+戸+冂+一+丨
      ハン
      斑(まだら)・斑模様・色が交じって斑になるさま
   ・・・文(漢字文字)の構成の
      左側の
     「文=亠+乂」の・・・
       「亠=音」
        +
       「乂=ガイ・ゲ
         おさめる
         かる
         すぐれる
         統治する
         草をかる・草をかり取る=刈
         すぐれる・すぐれている・賢い人
    「扁(ヘン)」=「戸・户・戶」[冊=册」
            「戸=ー+尸」[冊=册」
      だろうろ・・・
      扁=ヘン
      ひらたい・・・扁平足
      ふだ
      門の上や部屋にかかげる横長のふだ・横額
      ひらたい・うすくて平べったい
      ちいさい・・・扁舟(ヘンシュウ)
                ↓↑
                仌=人+人=ヒョウ
                 =凍(こお)る
                  氷=冫=冰(𣲝)


  ↓↑
 十市皇女(とおちのひめみこ)・・・とイチ
 天武天皇の第一皇女
 母は額田王・・・額=客+頁・・・ゲストのページのデン
   茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
 が以下の原文の
  「訳=やく=譯・・・翻訳・解釈」らしいけれど、ヤク?
 「漢字」を
 「万葉仮名」として
 「音」だけで
 「日本語」として採るのには・・・?である
 なぜ、「逝 =いく=行」と異義を同音としているのか?
 「漢字音とその意味」で
  和歌の意味を採用したら・・・どうなるか?
   茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
   (巻1・20・額田王
   茜=艹+西
     艹+一+儿+口
        セン
  あかね・あかねぐさ・赤色の染料に用いる
  あかね色・あか
  地名
  茜町(あかねちょう)
  茜部大川(あかなべおおかわ)
  茜部大野(あかなべおおの)
  茜部新所(あかなべしんしょ)
  茜部神清寺(あかなべしんせいじ)
  茜部=あかなべ=あかねべ
  茜ヶ久保=あかねがくぼ
  茜色(あかねいろ)=暗赤色・(太陽が)沈んだ赤色?
  茜雲(あかねぐも)=朝焼け、夕焼けの時の雲
  茜(あかね)
 ↓↑
 標=木+票=标=木+示
   木+覀+示
   木+襾+示
   木+西+示
   木+一+儿+口+示
   ヒョウ
   こずえ
   しめ
   しるし
   しるす
   しるべ
   目じるし
   まと・めあて・ねらい
   しめす・高くかかげてしめす・書きしめす
   こずえ・木のこずえ
    音標(おとしべ)
   上音標(かみおとしべ)
    上標津(かみしべつ)
    北標茶(きたしべちゃ)
     標茶(しべちゃ)
     標葉=しねは
        しは・しば・しばね
        しめは・しめば・しんや
        しめ・しめき・しめぎ・しるし・しるべ
     定標=じょうぼんでん
     二標=にしめ・にしもと
     馬印・馬標(うまじるし)
     戦場で、大将が存在する場所をしめす目印
     座標
     しめ飾り=注連飾・〆飾・標飾・七五三飾(しめかざり)
     正月に玄関や神棚などにしめ縄を飾ること
     しめ縄・注連縄・〆縄・標縄(しめなわ)
     神道の祭具の一
     神聖な場所を区切って
     汚れが入らないようにするための縄
     紙垂を挟んで垂れ下げたもの
     七五三縄
     商標
     商品や役務などがその会社から
     提供されていることを示す印
     文字や図形、記号、色彩などを組み合わせたもの
     導べ・導・標(しるべ)
     道順や距離などを示すもの・道案内・道標
     塵外孤標
     ずば抜けてすぐれていること
     「塵外」=こまごまとした世間のことを塵にたとえた
         世間の外側にいるという意味
     「孤標」=人格などが他よりも一際すぐれていること
     標新立異
     過去に誰も出していない、新しい見解や解釈を出すこと
     「標」=人目につくように、高い位置に持ち上げる
     「新しきを標げ異を立つ」
   ↓↑
   票=覀+示
     木+襾+示
     木+西+示
     ヒョウ
     ふだ=札
     火が飛ぶ・火の粉が舞い上がるさま
     火の粉が飛び散るさま
     ゆれる・ゆれ動く
     ふだ・手形・切手・紙幣
     選挙や採択などに用いる札
     その札を数える語
   ↓↑
   標+α
   㯹=標+寸=樹=木+尌=侸=イ+豆
     木+票+寸
     木+覀+示+寸
     木+襾+示+寸
     木+西+示+寸
     木+一+儿+口+示+寸
   ↓↑
   樹=木+尌=㯹=尌=壴+寸
            侸=イ+豆
     木+壴+寸
     木+十+豆+寸
    ↓↑
    尌=シュ・ジュ・チュ
      たつ・たてる
      シュ
    壴=十+一+口+ㅛ
      十+一+口+丷+一
      十+𠮛+ㅛ
              𠮛=旨=シ・むね・うまい
          㫖・𣅌・𠤔・𤮻・𣅀・𠩊・𠮛
      チュ
      楽器を並べて置くさま
      たてる・まっすぐたてる・・・太鼓・皷(つづみ)
    ↓↑
    㛸=女+壴
      女+十+豆
      シュ
      女性の字(あざな)に用いられる
    㕑=厂+尌=廚・・・「安寿と厨子王
      厂+壴+寸
      厂+十+豆+寸
      ズ・チュウ
      くりや・台所・調理場・炊事場
      ひつ・戸棚
      ぬし・主人・親分
    澍=氵・尌
      氵・壴・寸
      氵・十・豆・寸
      シュ・ジュ
      ちょうどよい時期に降る雨・時雨(しぐれ)
      うるおす・ほどよく降る雨でうるおす・恩恵を与える
      そそぐ・水をそそぐ=注
   ↓↑
   紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
   紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも
   (巻1・21・大海人皇子
   ↓↑
   大海人皇子天武天皇=天渟中原瀛真人天皇
   と
   額田部姫王(『薬師寺縁起』)=鏡王の娘
     部=咅+阝(邑)=ブ・なべ=郶
          渡辺(ワタリのべ)
          渡部・渡邊・渡鍋・亘鍋・和田鍋
       ブ・ホ・ホウ
       つかさ
       べ
       くみ・軍隊の編成単位
       すべる・統括する・率いる
       つかさ・役所
       わける・区分する
       むれ・集落・村
       区分されたものを数える助数詞
       小さな丘・小高い丘
       咅=立+口
         トウ・ツ・ホウ・フ
         つばを吐いて拒む
       咅+阝(邑)
       立+口+阝(邑)
   の娘
   ↓↑
 「十市皇女
 ↓↑
 大友皇子(伊賀皇子・弘文天皇)の正妃
 子供 葛野王・・・・式部卿?・・・文部省
 孫  池辺王・・・・内匠頭?・・・土木建築治水
 亥孫 淡海三船・・・刑部卿?・・・法務省
  ↓↑
 「十市皇女」は
 天武天皇七年(678年)
     四月
     七日朝
     宮中で急死
     四月
     十四日・・・
 「赤穂」に葬られた・・・奈良県桜井市の赤尾?
  ・・・赤穂浪士=四拾七士=忠臣蔵・・・?
 ↓↑
 天智天皇八年(669年)頃
 葛野王を出産
 ↓↑
 天武天皇元年(672年)
 「壬申の乱
 で
 父(大海人=おおあま)皇子=天渟中原瀛真人=天武天皇
 と
 夫(大友=伊賀=いが)皇子=弘文天皇
 が敵対
 『扶桑略記
 『水鏡』
  ↓↑
 『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)(巻15・1)』
 鎌倉時代前期
 建暦ニ年(1212年)
 ~
 承久三年(1221年)
 二十数種の伝本あり
 古本系と流布本系に大別
 前者は宮内庁書陵部御所本が代表的な伝本
 後者は
 万治二年板本で
 挿絵入りで、内閣文庫他に現存
 成立と推定される説話物語集・編著者は未詳
  ↓↑
 「鮒の包み焼きに密書を隠し
  ・・・鮒(ふな)=魚(まな)+付(つけ)
             眞名=漢字
 父である大海人皇子に情報を流した」
  ↓↑
 話の最後に登場する
 高階(たかなし=小鳥遊)氏が
 高市皇子の後裔で
 後世の創作・・・?
 ↓↑
 『宇治拾遺物語
 (うじしゅういものがたり)
 (巻15・1)』
 鎌倉時代前期
 建暦ニ年(1212年)・・・建の履歴が似捻暦?
 ~   壹拾弐・壹拾弐(≡+弋)
 承久三年(1221年)
 成立と推定される説話物語集・編著者は未詳
 二十数種の伝本
 古本系と流布本系に大別
 前者は宮内庁書陵部御所本が代表的な伝本
 後者は
 万治二年(己亥・1659年)板本・・・萬字似念?
 ↓↑
 1639年 (寛永16年)ポルトガル船の来航禁止
 1641年 (寛永18年)平戸商館を長崎出島に移す
 1643年 (寛永20年)田畑永代売買禁止令
 1651年 (慶安4年)慶安の御触書公布
 ↓↑
 1659年 (万治2年)江戸城
         本丸造営竣工
 ↓↑
 1663年 (寛文3年)武家諸法度改定
 ↓↑
 万治二年(己亥・1659年)人物群像
       生年~没年           当時の年齢
 松平 信綱1596年~1662年(慶長元年~寛文2年) 63才
 狩野 探幽1602年~1672年(慶長7年~寛文12年) 57才
 徳川 和子1607年~1678年(慶長12年~延宝6年) 52才
 保科 正之1611年~1672年(慶長16年~寛文12年)48才
 三井 高利1622年~1694年(元和8年~元禄7年) 37才
 堀田 正俊1634年~1684年(寛永11年~貞享元年)25才
 渋川 春海1639年~1715年(寛永16年~正徳5年) 20才
 ↓↑
 徳川 家綱1641年~1680年(寛永18年~延宝8年) 18才
 ↓↑
 林  鳳岡1644年~1732年(正保元年~享保17年)15才
 松尾 芭蕉1644年~1694年(正保元年~元禄7年) 15才
 徳川 綱吉1646年~1709年(正保3年~宝永6年) 13才
 西川 如見1648年~1724年(慶安元年~享保9年) 11才
 新井 白石1657年~1725年(明暦3年~享保10年) 2才
 ↓↑
 柳沢 吉保1658年~1714年(万治元年~正徳4年) 1才
 室  鳩巣1658年~1734年(万治元年~享保19年)1才
 尾形 光琳1658年~1716年(万治元年~享保元年)1才
 ↓↑
 大石 内蔵助 誕生
       1659年~1703年(万治2年~元禄16年)
 ↓↑
 菱川 師宣   ??年~1694年(??年~元禄7年) ?才
 ↓↑
 1659年(己亥)
 清       順治16年
 南明      永暦13年
 朱亶塉(南明) 定武14年
 ↓↑
 1659年
 05月25日リチャード・クロムウェル
     「護国卿」を辞任
 11月17日ピレネー条約締結
     三十年戦争以降も継続した
     フランス・スペイン間の戦争終結
 (カタルーニャ領・・・語る鸕鵜似哉の例の頁?
  ルシヨン等・・・・・留詞代鵡をヒトしく・・・?
  をフランスに割譲
  スペイン王
  マリア・テレサ
  と
  ルイ14世の結婚等を内容とし
  フランス優位)
 隅田川
 両国橋が
 架橋(1661年説もあり)
 明の遺臣
 「朱舜水
 が長崎に亡命
 フランスが
 セネガル(塞 内 牙・Senegal=我々の船)に
 植民地
 サン・ルイ建設・・・纂類建説?
 誕生
 01月10日(万治元年12月18日)
      柳沢吉保、幕府側用人譜代大名(~1714年)
 02月01日ヤーコプ・ロッヘフェーン、探検家(~1729年)
 03月26日ウィリアム・ウラストン(William Wollaston)、哲学者(~1724年)
 04月29日(万治2年3月8日)
      伊達綱村仙台藩第4代藩主(~1719年)
 06月03日デイヴィッド・グレゴリー(David Gregory)、天文学者(~1708年)
 06月26日(万治2年5月7日)松平正久、若年寄奏者番(~1720年)
 07月20日 イアサント・リゴー、画家(~1743年)
 07月30日(万治2年6月11日)
      山本常朝
      『葉隠』口述者(+ 1719年)
 09月10日?ヘンリー・パーセル、作曲家(~1695年)
 月日不明 大石良雄播磨国赤穂藩家老(~1703年)
 死去
 02月17日アベル・セルヴィアン(Abel Servien)、政治家(1593年~)
 02月27日ヘンリー・ダンスター(Henry Dunster)、ハーバード大学学長(1609年~)
 02月  アイザック・アラートン(Isaac Allerton)(1586年~)
 04月15日ジーモン・ダッハ、詩人(1605年~)
 05月16日(万治2年3月25日)
      片倉重長仙台藩家老(1585年~)
 08月10日フレデリク3世、ホルシュタイン=ゴットルプ公(1597年~)
 10月10日アベル・タスマン、探検家(1603年~)
 ↓↑
 『宇治拾遺物語
 (うじしゅういものがたり)
 (巻15・1)』
 板本
 挿絵入りで、内閣文庫他に現存
 ↓↑
 話の最後に登場する
 高階(たかなし=小鳥遊)氏が・・・小鳥遊
 高市皇子の後裔で
 後世の創作・・・?
 ↓↑
 天智天皇の第一皇子
 母
 伊賀-采女(いがのうねめ)
 宅子-娘(やかこのいらつめ)
 ↓↑
 正妃 十市皇女天武天皇皇女)
 子  葛野王=淡海真人・朝臣の祖(→淡海三船
 妃  藤原 耳面 刀自(藤原鎌足の女)
       字づら問う字?
    壱志姫王
    与多王=大友与多王・大友氏の祖(→大友黒主
 異母兄弟姉妹
 兄弟 建 皇子・・・「聿+廴(イン・引く・長く引きのばす
              長い道のり)」
              延繞(えんにょう・いんにょう)
              伸びる事や進む事に関わる意味
          倭男具那・日本童男・小碓
    川島皇子・・・「化話史眞」 往時・往事・負字
    志貴皇子・・・「史記・指揮・子規」 往時・往事・負字
 姉妹 大田皇女
    鸕野讚良皇女(持統天皇
    新田部皇女
    大江皇女
   (夫は天武天皇
    明日香皇女
   (夫は忍壁皇子
    御名部皇女・・・御名部の控除・公序・興除?
   (夫は高市皇子
    阿閇皇女(元明天皇
   (夫は草壁皇子
    山辺皇女(夫は大津皇子
    泉皇女
    水主皇女
 ↓↑
 所在地
 位置の検索
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 十市郡(とおいちぐん)
 奈良県大和国)にあった郡
 古代
 十市県主(とおちあがたぬし)の居所
 中世
 豪族
 十市(とおち)氏の居城があった
 『拾遺(しゅうい)集』
 『新古今集
 などには
 「十市の里(とおちのさと)」
 として詠まれている
 ↓↑
 十市県主(トイチノアガタヌシ)
 奈良県
 十市郡
 耳梨村
 十市
 十市御県坐神社の鎮座地付近
 磯城郡西南部の豪族
 十市県主は
 古事記では
 孝霊天皇
 日本書紀では
 孝安天皇孝霊天皇
 に妃を輩出
 和州五郎神社
 神名帳大略注解書引の
 十市県主系図
 孝安天皇の妃の
 「十市縣主
  五十坂彦の娘の
  五十坂媛」
 の系譜
 孝昭天皇の時代に
 「春日県」が・・・「春日局」・大奧
 「十市県」になった
 十市県主の系図
 十市県主
 と
 春日県主
 が繋がって
 綏靖天皇の妃の
 「春日縣主(カスガノアガタヌシ)
  大日諸
 (オオヒモロ)
  の娘の
  絲織(いとおり)媛」
 の系図にあるので
 「十市県主=春日県主」
 ↓↑
 春日の娘を娶って産んだ子が
 「沙本毘古王」で
 妹の
 「沙本媛=狭穂姫命(さほひめのみこと)」
      垂仁天皇の最初の皇后
      誉津別命の母
      別名
      沙本毘売命
      佐波遅比売命
     (さわじひめのみこと)
      佐和次姫」
 と
 「垂仁天皇(11代)」・・・壱拾壱=イチを拾うイチ
 暗殺謀略
 春日氏の・・・名前は・・・「春日局」・・・
 十市一族?
 ↓↑
 孝霊天皇
 トオチノアガタヌシ(十市県主)の祖先
 オオメ(大目)の娘の
 「クハシヒメ(細比売命)」
 を娶って生まれた子供が 
 オオヤマトネコ ヒコ クニクル命
(大倭  根子日子 国玖琉命)
 ↓↑
 孝安天皇日本書紀
 姪押媛(ミメオシヒメ)を皇后にした
 ・・・磯城縣主(シキノアガタヌシ)
   葉江(ハエ)の娘の
  「長媛(ナガヒメ)」
 ・・・十市  縣主 五十坂彦
  (トオチノアガタヌシイサカヒコ)
   の娘の
   五十坂媛(イサカヒメ)
 ↓↑
 孝霊天皇日本書紀)即位ニ年
 春ニ月の十ー日
  細 媛 命
 (ホソヒメノミコト)を皇后とした
 ・・・春日 千乳早  山香媛
  (カスガノチチハヤ ヤマカヒメ)
 ・・・十市  縣主
  (トイチノアガタヌシ)
   たちの祖先の娘の
   眞舌媛(マシタヒメ)
 ↓↑
 1880年明治13年
 行政区画として発足
 郡域
 橿原市の一部
 (飯高町、大垣町、豊田町、新口町、上品寺町、内膳町
  北八木町、木原町、山之坊町、石原田町、出合町
  膳夫町、下八釣町、木之本町より北東)
 桜井市の一部
 (新屋敷、東新堂、大福
  吉備、阿部
  谷、桜井、浅古、倉橋、下り尾、粟原より南西)
 磯城郡田原本町の一部
 (松本、西竹田、十六面、保津、大字なし、千代、味間より南西)
 ↓↑
 歴史
 古代
 郷
 『和名類聚抄』
 に記される郡内の郷
 飯富
 川辺(加八乃倍)
 池上
 神戸式内社
 『延喜式神名帳
 ↓↑
 郡内の式内社
 十市郡
 多坐弥志理都比古神社
 オホノ-ミシ-オホノカミ- 
 多坐弥志理都比古神社
 奈良県磯城郡田原本町
 十市御県
 トヲチミアカタノ
 坐神社
 トヲチミアカタノ
 十市御縣坐神社
 奈良県
 橿原市
 十市
 ↓↑
 十市
 1889年(明治22年)4月1日
 町村制施行
 近世以来の
 十市村が単独で自治体形成
 高知県
 長岡郡
 十市
 座標 北緯33度31分52.3秒
    東経133度37分11.6秒
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
 ↓↑
 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
 ↓↑
 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm