ないえごろうブログ

同音異義の探索

「お市」昇天・天正十一年四月二十四日・越前北ノ庄城炎上陥落

 文字霊日記・3273日目

 暖冬ヨーロッパ
 弾頭の雨霰ウクライナ市民
 断頭台
 に登るのは
 禿のプぅ・・・

  ↓↑

 お市の方十市⇔壹與・・・十日市・・・市女笠
  ↓↑
 「ヂヂ=GG」が
 一所懸命に喚いていてウルさいが
 彼女の美しい声量で怒鳴り散らす響きが
 カラだに反応し
 笑いを誘い乍ら揺れだす・・・
 なんか、ウタ、ウタ、ウタだけに夢中な女の子の歌声・・・
 島津亜矢さんとコラボして歌ったら
 ドンな音響ハーモニーになるんだろう・・・
 https://www.youtube.com/watch?v=b_8FZ2yRBc8

  3月弥生・・・北海道も春の兆し、とはイかない・・・
      2023/3/1/01
    癸卯(甲 乙)正財・正官沐浴
    甲寅(戊丙甲)偏官・偏官長生
 ┏戊午(丙 丁)  ・印綬帝旺
 ┗癸丑(癸辛己)正財・劫財 養
    子丑空亡
    ↓↑
  「お市の方
 近江の戦国大名
 「浅井長政」の継室
 後に
 「柴田勝家」の正室
 小谷の方=小谷殿
  ・・・「小谷=こたに・おだに・こだに
      読み=こだに・おたに・こや
         南城市小谷(おこく)
         おなぶち
         おせ・おぜ
         おわせ=尾鷲=三重県尾鷲市
             熊野灘に面し
             全国で降水量多い
             面積の90%は山林
             木材の産地集積地
             海岸は リアス式海岸
             古くは「オワシ」
             近世から「オワセ」
         おわす=御座す・居る・有る・存在する
             小谷(うくく)は方言・・・?
     昭和29年市制施行時=「オワセ」
            「ヲ(高くなったところ)」or接頭語?
             +
            「鷲・雕・鵰」
             or
            「ハシ(端)」の転?
         おおたに・おたり
         うくく=得九句?」
     「小山=こやま・をやま
      おわせ=尾鷲=尾州・美醜・美洲」?
          尾張のワシ(鷲・和紙・和氏・倭至・倭史)
     「小碓=をウス=倭男具那=倭童男
        =倭建(ヤマトタケル)=大和武」
     「大碓=おほウス」
     「尾張・小張・尾割・終里」
      開墾地の名称
     「小治=をはる」
     「大治=おほはる」
   「多臣品治」
     ↓↑
     「小子部-連-鉏鉤」・・・鉏鈎
           鉏=金+且・・・鉬=金+目
            鉤=金+句
            鈎=金+勾
              金+勹+厶
     「ちいさこべのむらじさいち」
      尾張国司
      大海人皇子軍に
      20000人の兵を連れて参戦
      後に自害・・・?
     ↓↑
  多 品治
  死没 持統天皇10年 (696年) 8月?
         菟野皇女=鸕野讃良
  官位 小錦
  主君 天武天皇持統天皇
  氏族 多臣→多朝臣
  子 安万侶?・・・太安万侶
  ↓↑
  672年
 「壬申の乱
  尾張国司守
  大海人皇子天武天皇)側で
  参戦
 「小子部-連-鉏鉤」は
  内乱終結後に自殺・・・?
  ↓↑
  小子部連
  小子部(子部・宮中の雑務を務めた品部)
  の
  伴造家で
  多氏(多臣)の一族を称した
  天武朝の嫡流
  宿禰姓に改姓
  壬申の年(672年)6月24日
  大海人皇子
  挙兵
  吉野宮から
  伊勢国に入り
  27日
  美濃国に移動
  不破郡の郡司にさしかかったころ
  尾張国司守
 「小子部-連-鉏鉤」
  が2万の衆を率いて参加
  大海人皇子は鉏鉤を誉め
  その軍を分けて処々の道を塞いだ
  5月
  朝庭(朝廷)が
  山陵造営のためと称して
  美濃と尾張の人夫を動員
  武器を渡した
  大海人皇子を討つために
  国司に用意させた兵力が
  国司の判断で
  反乱側に参加・・・
  大海人皇子の勝利
  8月25日
  近江朝廷の重臣が処分
  これより前に
 「小子部-連-鉏鉤」は
 「山に隠れて自殺」
 大海人皇子
 「鉏鉤は功ある者である
  罪なくしてなぜ自殺したのか
  これは陰謀があったのか」
 と・・・
ーー↓↑ーー
 「織田信長」の妹
 「於市=お市姫=お市御料人」は
 『好古類纂』収録の
 『織田家系譜』に
 「秀子」という名・・・秀=禾+乃?
     閨秀・秀才・秀文・秀逸・秀歌
 で記録・・・
  ↓↑
 「於市の方」は
 天文十六年(1547年)
 尾張尾張国=尾治国
 那古野城内で生まれた・・・
 織田信長の妹(従妹?)
  ↓↑
 「於市の方」は
 信長とは
 13歳離れている
 父 織田信秀
   の五女
 母 土田御前
   土田御前を生母とする説では
   信行、秀孝
  「お犬の方」は同腹の兄姉
 子
 茶々(豊臣秀吉側室)
 初(京極高次正室
 江(徳川秀忠継室)
 孫
 豊臣秀頼(茶々の息子)
 豊臣完子
 千姫
 徳川家光
 徳川和子(江の娘、息子)
 徳川和子
 後水尾天皇中宮
 その娘は
 明正天皇
 婚姻
 ↓↑
 永禄七年
 同八年十二月
 「六角承禎」・・・雪の結晶
          六角形=H2+O=水素+酸素+水素
 の命を受けた
 和田惟政
 織田・浅井両家の縁組に奔走したが
 長政側の賛同を得られずに一度頓挫
 永禄十年(1567年)九月
 長政側から
 美濃福束城主
 「市橋長利」・・・市の橋の長の利
 を介して
 信長に同盟を求めてきた時期
 または
 永禄十一年(1568年)一月~三月
 縁談がまとまって
 「お市」は
 「浅井長政
 に輿入れし・・・輿⇔與=与=與= Ꭼ+一+㇉+ ヨ+六
 織田家と浅井家は同盟
 長政は主家である
 六角家臣
 平井定武の娘との婚約を破談
 ↓↑
 2人の息子が居た・・・
 市との間に設けられた子供ではない・・・
 ↓↑
 元亀元年(1570年)
 信長が
 浅井氏と関係の深い越前国福井県
 朝倉義景を攻め
 浅井家と織田家の友好関係は断絶
 永禄十三年頃から
 織田家と浅井家が対立
 末娘の
 「江」
 に関しては小谷出生説に異論
 延宝七年(1679年)
 『安土創業録』(蓬左文庫所蔵)では
 小谷城を脱出したのは
 「市」と娘2人で
 岐阜で
 「江」を出産した・・・
 ↓↑
 天正元年(1573年)
 「姉川の戦い」で
 長政が敗北し
 天正元年(1573年)
 小谷城陥落
 長政とその父・久政
 自害
 「お市
 は3人の娘
 「茶々・初・江(江与)」
 と共に
 藤掛永勝
 によって救出され
 「お市」と三姉妹は
 伊賀国の兄
 信包のもとに預けられて庇護を受けていた・・・説
 ではなく
 尾張国守山城
 信長の叔父
 織田信次に預けられたという説
 天正二年九月二十九日
 織田信次が戦死し
 信長の
 岐阜城へ転居
 ↓↑
 天正十年(1582年)
 柴田勝家羽柴秀吉が申し合わせ
 清洲会議で承諾を得て
 柴田勝家と再婚
 婚儀は本能寺の変の4か月後
 八月二十日
 信孝の居城
 岐阜城において行われた
 同年
 京都の妙心寺
 信長の百箇日法要を営んだ
 天正十一年(1583年)四月
 羽柴秀吉
 柴田勝家
 「賤ヶ岳の戦い
 で敗北
 勝家は敗走して
 越前北ノ庄城に帰城
 秀吉はこれを急追して城を包囲
 勝家は、市に場外退去を勧めたが
 「お市」はこれを拒み
 三人の娘は
 富永新六郎という武士に預け
 「お市の方」は書状を添え
 秀吉のもとに届けさせた
 勝家と市、一族、直臣、女中衆は
 四月二十四日
 80名余で共に自害
 享年37
 辞世は
 「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の
  夢路をさそふ
  郭公(ほととぎす)かな」
 ・・・郭公・・・「郭務悰」?
 ↓↑
 墓所は西光寺(福井県福井市
 菩提寺
 如意輪山願応寺自性院(福井県福井市
 幡岳寺(滋賀県高島市
 高野山持明院
 戒名
 願応寺では
 自性院殿微妙浄法大姉
 東禅院殿直伝貞正大姉
 高野山持明院
 『江州浅井家之霊簿』
 照月宗貞禅定尼
 小谷城
 (滋賀県長浜市
  ・・・滋の賀の県の長の浜(濵=濱)
 小谷山山頂に
 旧跡がある
 ↓↑
 『朝倉家記』
 金ヶ崎の戦いの折り
 信長に
 袋の両端を縛った
 「小豆の袋」
 を陣中見舞いに送り挟み撃ちの危機を伝えた・・・
 ↓↑
 伝説
 三重県
 阿山郡
 阿山町伊賀市
 下友田
 浄光寺の稲増家の墓所
 浅井長政の墓碑
 稲増家の始祖
 治郎左衛門は浅井家の重臣
 浅井家滅亡ののち
 「日比」、さらに
 「稲増」と苗字を改め
 享保年間に入って
 伊勢・伊賀を支配する
 藤堂家に仕え
 伊賀忍術の皆伝を受けた
 同家の土蔵に
 「お市の方」の
 「のど(咽喉)仏」
 が納められていると伝えられている・・・
 ↓↑
 出典原文は
 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)

  +

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

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 モウ君の総合目次 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606133825/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/kkmokuji.htm
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 コジキ姫赤い絨毯に乗る(m) (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090609174025/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm
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 古事記と虎関師錬 (archive.org)
http://web.archive.org/web/20090606191156/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kokan/kokansiren.htm