文字霊日記・3304日目
水性?・・・ジシン、ジシン、ジシン・・・言文(分・聞)頑・・・?
↓↑
木更津地震・・・木皿儀自身・・・記讃良戯自信?
・・・北海道も、九州も・・・ジシン、ジシン、ジシン・・・
ナニがアッても「日常性」・・・「非日常性」ってナニ、ッ・・・?
イキテイルことを「自覚」していない「オメデタイヒト」らしい・・・
ボケても
身体のあっち、こっちイタイのは「オメデタク」はないボクだけれど・・・
↓↑
11日午後6時52分頃
北海道
浦河町
幕別町
最大震度4の
地震
震源地
日高地方東部
(北緯42.3度、東経143.0度)
マグニチュード 5.4
↓↑
2023年5月11日6時木曜日
↓↑
2023 年 干支40 癸卯(甲・ ・乙)年
05 月 干支54 丁巳(戊・庚・丙)月
11 日 干支06 己巳(戊・庚・丙)日
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4時16分 干支06 丙寅(己・丙・甲)時
7時00分 干支08 戊辰(乙・癸・戊)時
↓↑
六害(月時)巳寅
六害(日時)巳寅
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5月11日
旧3/22(虚宿)
己巳/命|害
赤口
↓↑
木=十+八=壱拾八
↓↑
更=一+日+丿+乀
コウ
ふ(かす)
ふ(ける)
あらためる・かえる・とりかえる・新しいものにする
こもごも・かわるがわる・たがいに
へる・通り過ぎる・経験する
一夜(日没から日の出まで)を
五等分した時間の単位
それぞれの時刻
初更・二更・三更・四更・五更
さらに・その上に
決して・全く
さら・新しい
ふける・夜がふかまる
↓↑
津=氵+聿
氵+肀+二
氵+肀+一
↓↑
与三郎
と
お富
『与話情浮名横櫛
(よわなさけうきなのよこぐし)』
の舞台
落語家
四代目
橘家圓喬
が居住し
「玄冶店の師匠」
料亭
「玄冶店 濱田家」
などの呼び名
歌舞伎
『与話情浮名横櫛
(『切られ与三郎』)』
の4幕目に
実名を避けて
鎌倉にある
「源氏店」
として登場する
江戸時代
当時の出来事を脚色上演することが禁じられ
すべてを
鎌倉や室町などの世界に仮構し
「げんや」
を
「げんじ」
と読み変えて
源氏と文字を変えて利かせた
1954年
歌謡曲『お富さん』
歌詞の中で
「源冶店(げんやだな)」
として登場
「イヤサこれお富、ひさしぶりだなア・・・」
「命がありゃあ話せるなァ」
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『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』
嘉永六年(1853年)五月
江戸中村座で初演
九幕十八場
三代目
瀬川 如皐 作
通称
『切られ与三(きられよさ)』
『お富与三郎(おとみよさぶろう)』
『源氏店(げんやだな)=玄冶店』
「玄冶店(げんやだな)」は
江戸・日本橋界隈の古くからの
地名、通りの俗称名
江戸時代の
新和泉町
(東京都中央区
日本橋
人形町
3丁目のあたり)
天保のころ
「歌川国芳」
が玄冶店に住んでいた
↓↑
「岡本玄冶」
徳川家の御典医であった
岡本玄冶の拝領屋敷跡一帯
玄冶は
3代将軍・家光が
痘瘡を病んだ際に全快させて名を高め
幕府から拝領した土地
一帯が
「玄冶店」と呼ばれた
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津
シン
しる
つ・みなと・渡し場・船着場
水がしみ出る・わき出る・あふれる・うるおう
しる・つば・あせ・涙などの体液
つて・手がかり・手だて・手引き
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大津町(おおつちょう)
木津(きつ)
津田(つだ)
中津川(なかつがわ)
大津(おおつ)
「津」を含む地名を全て見る
「津」を含む名字
合津 読み方あいつ/あいづ/ごうつ/ごうづ
會津 読み方あいつ/あいづ
会津 読み方あいつ/あいづ/かいづ
相津 読み方あいづ/そうつ/そうづ
青津 読み方あおつ
「津」を含む名字を全て見る
「津」を含む言葉・熟語
現つ神
明津神・現神(あきつかみ)
秋津洲
秋津島・蜻蛉洲(あきつしま)
天津(あまつ)
奥津城(おくつき)
津津(しんしん)
常磐津(ときわず)
大津絵(おおつえ)
沖津・沖つ(おきつ)
唐津焼(からつやき)
津波(つなみ)
山津波・山津浪(やまつなみ)
興味津津(きょうみしんしん)
津津浦浦(つつうらうら)
竜躍雲津(りゅうやくうんしん)
竜躍雲津(りょうやくうんしん)
↓↑
お医者様でも草津の湯でも
惚れた病は治りゃせぬ
(おいしゃさまでもくさつのゆでも
ほれたやまいはなおりゃせぬ)
一つ余って大津へ戻る
(ひとつあまっておおつへもどる)
すべてやり過ぎるのはよくないというたとえ
双六の東海道五十三次は
江戸から京まで順に進むが
さいころの目が多く出て
京を通り過ぎるとその分だけ戻る
一つ多いと、京の一つ手前の大津に戻ることから
過ぎたるは猶及ばざるが如し
↓↑
聿=肀
イチ
イツ
おさめる
のべる
ふで=筆
書く
とうとう・ついに
自分から・自ら
修める・述べる
すばやい・すばやく走る
共に・従う
↓↑
乙=甲を承けて人の頸
芽が折り曲がって出づらい様子の象形
乙が十干で木行、陰
「乙乙」・・・「Z・Z」・・・プーチンの軍隊・私兵
進みづらいこと・芽がなかなか出ない意
↓↑
天乙(テンイツ・前1600年頃)
中国の殷王朝の初代王
名は履
姓・諱=子履(シリ)
殷墟出土の甲骨文占卜に
大乙
名 唐、成
湯王(湯)=太乙・成湯・成唐
中原の覇権を得て
亳に王都を築く
暦=厤+曰=暦(こよみ)
厂(カン)+禾+禾」+曰=厤+曰(エツ)
〔説文新附〕七上
「曰に從ひ、聲」
「厂(カン)=崖」下に
両禾(リヨウカ)を立てて軍門とする象・軍の本陣
曰(エツ)=盟誓を収めた器
軍の功歴に対し、これを旌表する意
金文に「蔑(ベツレキ)」
「勲し=功(いさおし・いさをし)を
蔑(あら)はす」
暦朔・暦数などの意は、のちの転義
↓↑
天文=日月星晨也・・・
晨=日+辰
↓↑
牝鶏之晨(ヒンケイのシン)
女性が強い権力を持って、勢力を振るうこと
女性が権力を握って治めると、国や家などが滅びることのたとえ
「牝鶏」は雌鶏
「晨」は日の出を鶏が鳴いて知らせるという意味
日の出の時間に鳴くのは本来は
雄鶏であり
雌鶏が鳴くことは秩序が乱れた証
王后や王妃が権力を握り
国家が滅びることの前触れ
哲婦傾城(テップケイセイ)
牝鶏司晨(ヒンケイシシン)
牝鶏晨鳴(シンケイシンメイ)
牝鶏牡鳴(ヒンケイボメイ)
↓↑
太白星=金星=歳殺神(サイセツシン)陰陽道
辰星(シンセイ)=水星
時刻を示す基準となった明るい恒星
大犬座の
シリウス星
辰星=太陽からの最大離角はわずか28゜
太陽から離れないので
この惑星は夜明け前か
日没直後にしか観測できない
↓↑
辰星=昔、時刻を示す基準となった明るい恒星・・・?
『時』をしるす星=『時星・12刻』
「辰」=時間の経過につれて動く天体
「日・月・星」=「三辰」
↓↑
歳星(サイセイ)=木星
漢名・五星の一つ
中国上代で
木星の黄道上の
一つの星座に約1年滞在
その位置によりその年の名をきめた
天文学者の
甘徳・・・「甘い=あまい=雨毎」+徳(悳・トク)
が紀元前362年に
肉眼で
木星の衛星を観察したと
席澤宗は主張
↓↑
龍星=サイショウ(サイセイ)=辰星
字形会意
字の初形は犠牲を割く
戉(えつ)=鉞(まさかり))の形
その刃部に(歩)を大小に分けてしるし、の字形となった
今の字形は「金+戉」
〔説文〕二上に「木星なり」とし、
従って戌(じゆつ)声とするが
戌に従う字ではない
卜文に祭名として
戉の字がみえ
のちの字形に用いる
戉は犠牲を宰割する意・・・
〔書、洛誥〕に
「王、新邑に在りて烝・祭・す」
古くは祭名に用いた
金文の〔毛公鼎〕
「用(もつ)てし、用て(征)せよ」とあるのも祭祀の意
卜辞や〔鼎(こつてい)〕に「來」
斉器の〔国差(こくさたん)〕に
「國差、立事(事に(のぞ)む)の」のように
年歳の意
歳祭は、年に一度の大祭
木星を歳星といい
古い暦術と関係が深いが
歳星の知識は戦国期以後・・・
木星=12年で天を1周=木星の1年
=11.8618地球年・・・11.86÷12=0.988
実測12年後=子~亥→子→丑
亥~ ~丑
12座宮の1座宮30度を超える
=4,332.59地球日
木星の位置によって
『歳』をしるす星=『歳星』・・・
逆時計回り「木星=実星」⇔「虚星=歳星」時計回り
木星は太陽系で最大の「水素の海」を持っ
1日は10時間弱
極の周りの9時間56分から
赤道近くの9時間50分まで
↓↑
弟橘姫
爾其后 ここにその后の
歌曰。 歌よみし
↓↑
佐泥佐斯 さねさし・・・種(さね=実・實・核)注し?
佐賀牟能袁怒邇・・・・・佐賀務の小野(をの)に
毛由流肥能・・・・・・・・・模由留比之
本那迦邇多知弖・・・・・本名加似多知て
斗比斯岐美波母・・・・・問ひ詞 記観話模
↓↑
故七日之後。・・・・・・・かれ七日なぬかの後に
其后御櫛・・・・・・・・・・その語の音観句詞
依于海邊。・・・・・・・・・宇美部に依りき
乃取其櫛‥‥・・・・・・素名葉知その句詞を取り
作御陵而。・・・・・・・・・語了字
治置也・・・・・・・・・・・・字起記埜
↓↑
爾=一+八+冂+丨+㸚=「尓・尒・尔」
一+八+冂+丨+爻
一+八+冂+丨+㐅+乂
一+八+冂+丨+㐅+丿
ジ・ニ
その
なんじ
おまえ・あなた
二人称の代名詞
その・それ・この・これ・ここ・かれ
指示代名詞
しかり・しかく・かくのごとし・そのとおり
「のみ=~だけ」
限定・断定の意を表す助字
他の語の下に添えて、状態を表す
↓↑
温文爾雅(オンブンジガ)
爾今以後(ジコンイゴ)
爾汝之交(ジジョのまじわり)
自然法爾(ジネンホウ二)
卓爾不群(タクジフグン)
弖爾波が合わない
( てには があわない)
ーー↓↑ーー
「イヤサ、これ、お富、ひさしぶりだなア・・・」
「命がありゃあ話せるなァ」
↓↑
与三郎
と
お富
『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』
の舞台
落語家
四代目
橘家圓喬・・・橘の家の圓の喬
が居住し
「玄冶店(げんや)の師匠」
料亭
「玄冶店 濱田家」
などの呼び名
歌舞伎
『与話情浮名横櫛(『切られ与三郎』)』(
の4幕目に
実名を避けて
鎌倉にある
「源氏店(げんや)」
として登場する
江戸時代
当時の出来事を
脚色上演することが禁じられ
すべてを
鎌倉や室町などの世界に仮構し
「げんや」
を
「げんじ」
と読み変えて
源氏と文字を変えて利かせた
1954年
歌謡曲『お富さん』
「お富さん(春日八郎)昭和29年」
https://www.youtube.com/watch?v=2DtFyUmGNHg
歌詞の中で
「源冶店(げんやだな)」
として登場
「イヤサこれお富、ひさしぶりだなア・・・」
「命がありゃあ話せるなァ」
↓↑
『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』
嘉永六年(1853年)五月
江戸中村座で初演
九幕十八場
三代目
瀬川如皐 作
通称
『切られ与三(きられよさ)』
『お富与三郎(おとみよさぶろう)』
『源氏店(げんやだな)=玄冶店』
「玄冶店(げんやだな)」は
江戸・日本橋界隈の古くからの地名、通りの俗称名
江戸時代の
新和泉町
(東京都中央区日本橋人形町3丁目のあたり)
天保のころ
「歌川国芳」
が玄冶店に住んでいた
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「岡本玄冶」
徳川家の御典医であった
岡本玄冶の拝領屋敷跡一帯
玄冶は
3代将軍・家光が
痘瘡を病んだ際に全快させて名を高め
幕府から拝領した土地
一帯が
「玄冶店」と呼ばれた・・・
玄冶=ゲンジ・げんや・・・源武願=白旗
玄武岩=黒色
平家の武勇の旗・・・・・・・赤・Japanred?
黒雲母花崗岩 (biotite granite)
黒雲母・石英
カリ長石(正長石or微斜長石)・灰曹長石
から成る
カリ長石が分解して
カオリナイト化し
桃色を呈した物は
桃色花崗岩と呼ぶ・・・赤ではなくモモ色・・・吐息・・・?
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「玄武岩=basalt(バサルト)」
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
↓↑
メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
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モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
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モウ君の総合目次
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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古事記と虎関師錬