ないえごろうブログ

同音異義の探索

陳寿=チンジュ・・・鎭守の杜=鍛冶屋・・・鎮魂

 文字霊日記・3309日目

 「邪馬台国」連想カンジかな
 チュンチュン、すずめ(雀・鈴女)の訪問です

 陳寿=チンジュ・・・鎭守の杜=鍛冶屋
 ↓↑ 鎮星=土星ガリレオ・ガリレイ=伽利略
    1610年
    望遠鏡で初めて土星の環を観測
    「土星は1つではなく
     3つからなっている。・・・三重の環⇔三輪山
     それらはお互いにほぼ接触しており
     全く動かないし互いに位置を変えない。
     黄道に平行に直列し
     中央の天体(土星本体)は
     両横の天体(環の端)の
     約3倍の大きさである」
    と、
      トスカーナ大公
      コジモ2世・・・・故事模邇所為?
    への手紙に記し
    「土星には"耳"がある」・・・耳=みみ・ジ・・・字
    とも記した
    1612年
    環の面は地球に正面を向け
    環は突然消えたように見えた
      ・・・「カン(巻)の消滅(生滅)」
      ・・・日本書紀三十一巻の系図一巻が不明
    ガリレオ(伽利略)は戸惑い
    サートゥルヌスが将来、自分の子に殺されるのを防ぐために
    自分の子供を飲み込んだという神話になぞらえ
    「土星は子供達を飲み込んだのか?」
    と表現した
    1613年
    土星の環は再び出現した・・・
    1666年・・・万有引力発見・林檎(リンゴ・🍎)の落下
         ニュートン (尼通・紐頓)
    ロバート・フックは
    土星のA環とB環に
    土星及び互いの環の影が映る様子を
    スケッチ

    ↓↑
    鎮守の杜の鍛冶屋
    鍛冶屋の神=ヘーパイストス(Hēphaistos)
 ↓↑      =醜男(しこお)=大国主命
         素戔嗚=須佐之男
         の
         天叢雲剣=鉄剣
        (あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ
         あめのむらぐものつるぎ、あまのむらぐものつるぎ)
         八俣大蛇退治時⇔倭の臺者の退治の時
  ・・・九州邪馬台国連合女王国は出雲王国を属国支配・・・
    出雲王国の残党は諏訪方面に逃亡移住
    女王国はスサノヲを出雲に追放・・・
  ・・・素戔嗚=須佐之男は出雲王国の客人(まろうど)
  ・・・大和王朝は出雲王朝に敗北・・・
         ↓↑
         大和建(武)=小碓命(おうすのみこと)
         倭男具那命(やまとおおぐなのみこと)
         相模の戦い時
         草薙剣(くさなぎのつるぎ)
         草那藝之大刀(くさなぎのたち)
  ・・・大和王朝は出雲王朝に勝利(倭建・景行)・・・
  ・・・大和王朝は尾張王朝に敗北(倭建・景行)・・・
  ・・・大和王朝は敦賀越前王朝(大足・継体)に敗北
  ・・・継体王朝は九州磐井王朝に勝利・・・

 ↓↑
 蜲(イ)=虫+委=𧑓𧑓(ショフ)・蛜蝛(イイ)
      中(なか)+ム(よこしま)+禾(のぎ)+女(おんな)
      囗+丨+囗+ム(横島)+禾(野義・埜記)+女(むすめ・娘)
     「𡈁=囗」を
     「分断=大分」する
     「ム(横島」な
     「禾(野義・埜記・能義)」の
     「女(むすめ・娘・おんな)」・・・・音名       
     =鼠婦・鼠𧌈(ソフ)
     =蜲蛇(イイ・イタ)
     =蜲𧑓(イショ)
      草鞋虫(わらじむし
      団子虫(だんごむし)
 蝅(サン)=天+天+虫=蠶蠺䗞䘉𧕽𧖟𧌩𧑯䗝𧉏=蚕(かいこ)
 𧌦(モウ)=ム+虫+虫・蝱=𧕕=虻(あぶ)
 莔(バイモ)=咳止めなど薬草

 随筆・・・「随(ズイ)」の「筆(ふで・竹+聿)」・・・
       随分であるナッ・・・???
       並でないさま・過分・相当
       大分(ダイブン)=おおいた
           =豊国=豊後(ぶんご)・豊前(ぶぜん)
          ・・・大文(ダイブン・おおぶみ)
       かなり・はなはだ・なかなか
       仏教用語
       力量の分限に随(したが)う
       分に従う・分相応の意
       隋帝国隋王朝煬帝⇔遣隋使=犬上御田鍬小野妹子
  ↓↑
 「委」のカンジ
 委=禾+女
   ノ+木+女
   ノ+十+八+く+ノ+一
   イ
   ゆだねる・・・・ユダ値留?
   おく(置く)
   くわしい(詳しい)
   すてる(捨てる)
   まかせる(委せる・任せる)
   思いのままにさせる。
   くわしい・こまかい・つぶさに
   すすておく・ほうっておく
   ゆったりと落ち着いているさま・美しいさま
   倭=イ+委=イ・ワ・やまと
         曲がりくねって遠くまで続くさま
         倭人倭国・和人
   捼=扌+委=ダ・揉む・こする・なでる・さする
   㹻=犭+委=ワ・イ
        猧=犬の名・子犬・【元微之詩】嬌猧睡猶怒
   涹=氵+委=ワ・にごる・汚れる・ひたす
   㢻=弓+委=ズイ・ニ・イ・ダイ・ネ
         弓曲謂之㢻・一曰張弩・張弓貌
   婑=女+委=ワ・しなやか・たおやか
         はべる・かしずく
         侍女
   㣦=彳+委=イ・曲がる・曲がりくねる=逶
   唩=口+委=ワ・イ=子供たちの叫び
   萎=艹+委=イ・なえる・萎縮
   䔀=艹+倭
     艹+亻+委
     艹+亻+禾+女
    =ズイ・ニ=異体字は「葰・萎」
   崣=山+委=イ・嶊崣(サイイ)=山の高いさま
   逶=辶+委=イ・曲がる・曲がりくねる
   腇=月+委=ダイ・萎腇(イダイ)=弱々しいさま
         腲腇(ワイダイ)=落ち着いている様子
   㮃=木+委=ズイ・ニ・イ
         タラノキ=桵
         木の名・バラ科の落葉低木
   萎=萎縮震慄(イシュクシンリツ)
     恐怖で動けなくなっていること
     「痿縮震慄」
     「痿縮震慄」
   痿=疒+委=イ・しびれる・なえる・衰える・しおれる
   䅗=禾+委=スイ=䅑・
   矮=矢+委=アイ・ワイ・ ひくい・みじかい
         低い・短い・背丈が低い
         背の低い人・矮小
   䆧=穴+委=ワ=窩・𡑟
     窩=カ・あな・いわや
       かくす(隠す)・かくまう(匿う)
       むろ・あな・いわや・くぼみ
       すみか・身をかくすところ
       物をかくす・かくまう
   瓾=委+瓦=ボウ・ミョウ
        こしきの下の穴
        門の脇にある、圭の形をした穴
        くぼむ・へこむ・低くなる
   緌=糸+委=ズイ・おいかけ・冠の垂れ紐
         あご下で結んだ結び目から
         下に垂れた部分
         武官の冠の両側につけた
         扇形の飾り毛
   㞜=尸+委=タイ・テ・サイ・セ・カ・ゲ・タ
         boots=くつ=靴=履
        =𡲾
   蜲=虫+委=イ・蜲蛇(イイ)
         のびのびするさま
         曲がりくねったさま・なよなよしたさま
         わらじむし甲殻類の一種
   䍴=羊+委=イ・・・子羊?
   覣=委+見=イ・ワ=眺(なが)め・見詰める・視貌
   躷=身+委=アイ=矮
   諉=言+委=イ・ジ・かこつける・事寄せる
         ゆだねる・他人に物事を任せる
   踒=足+委=ワ・足の骨を折る・捻挫する・骨折する
   錗=金+委=ズイ・ニ・ツイ・イ
   䫋=委+頁=イ・タイ・デ
   餧=食+委=イ・ダイ
         飼う・養う
         動物や人に食べ物を与える・餌
         飢え・飢える・ひもじい
         番魚の肉が腐る
   䬐=風+委=イ・ズイ・ワイ・風がゆるやかに吹くさま
        風が低く吹くさま
   䰀=髟+委
     镸+彡+禾+女
     E+云(亠ム)+彡+禾+女+委=ワ
     䰀鬌(わだ)=髪を結い上げたさまが美しい
            垂れた髪が美しい
   魏=委+鬼=ギ・たかい・高く大きい・高
         鬼=甶+儿+ム
   䴧=鹿+委=イ・・・小鹿?
   鯘=魚+委=ダイ・あざる・くさる・魚が腐る=餒
        =餒=魚+妥(おだやか・やすい・タ・ダ)
   巍=山+委+鬼=ギ・たかい・山が高大にそびえるさま
   蘶=艹+委+鬼=ギ・草木を切った後に新しく芽が出る
   犩=委+鬼+牛=ギ・牛の一種・巨大な野牛
   䭳=委+鬼+香=ギ・薬の名

 ↓↑
 地名
 倭文委文(しとおりいぶん)・・・・?倭文=ナゼ、しとおり
 委文=いぶん・しとり・しどり・ひとり・・・独り?
 倭文氏(しとりうじ・しどりうじ・しずりうじ)
    「倭文」を氏の名とする氏族
    異表記は「委文」
 倭文村(しとおりむら)
 兵庫県
 三原郡にあった村
 現在の
 南あわじ市
 倭文各町・・・???
 1889年(明治22年)4月1日
 町村制の施行により
 庄田村・長田村・高道村・倭文村
 の区域をもって発足
 1957年(昭和32年)6月1日
 大字
 倭文委文組
 倭文流組
 高道高組を
 三原町編入
 1957年(昭和32年)7月1日
 大字
 高道神道組の一部を
 三原町編入
 1957年(昭和32年)7月10日
 広田村と合併して緑村が発足
 同日
 倭文村廃止・・・???
 地理
 山岳:感応寺山・・・感応の字の纂?
 河川:倭文川・・・・・倭の文の撰?
 ↓↑
 倭文=シズ・しず=しづ=倭文
 上代は「しつ」
 カジノキや麻などを赤や青の色に染め
 縞や乱れ模様を織り出した日本古代の織物
 綾布(あやぬの)
 倭文布(しずぬの)
 倭文織(しずおり・しずり・しどり)
 「ちはやぶる神の社(やしろ)に
 照る鏡
 倭文に取り添へ」〈万葉集・四〇一一〉
 異国の文様に対する意
 「倭文」の字を当てたという・・・???
 しつ【倭=文】⇒しず(倭文)
 しどり【倭=文】
 「しずおり」の音変化
 古くは
 「しとり=しず
 精選版 日本国語大辞典
  「倭文」の意味・読み・例文・類語
 しず しづ=倭文
 古くは「しつ」
 古代の織物の一種
 梶木(かじのき)、麻などで筋や格子を織り出したもの
 荒妙(あらたえ)
 しずおり・しずぬの
 万葉集(8C後)一七・四〇一一
 「ちはやぶる 神の社に
  照る鏡
  之都(シツ)に取り添へ
  乞ひ祈みて 吾(あ)が待つ時に」
 しどり=倭文
 「しつおり(倭文織)」の変化
 古くは
 「しとり」
 古代の織物の一つ
 梶木(かじのき)、麻などの
 緯(よこいと)を青、赤などに染め
 乱れ模様に織ったもの
 しず・しずぬの
 しずり=しづり=倭文
 古くは「しつり」)
 「しずおり(倭文織)」の変化した語
 「雨月物語(1776)蛇性の婬」
 「狛錦・呉の綾・倭文(シヅリ)・縑(かとり)・楯・槍・靱・鍫の類」
 しつ=倭文・・・倭文(ワブン)だろう
     ・・・漆・質・疾・蛭
     ・・・悉(ことごとく・つくす)・櫛・叱・嫉・・・嫉妬?
 しず=倭文
 ↓↑
 委員
 委員会
 委棄(イキ)
 委曲(イキョク)・・・歪曲=濊(わい)曲=穢曲?
 委細
 萎縮・委縮
 委嘱・依嘱(イショク)・・・移植・異色?
 委譲
 委託
 委任
 委任状
 任す・委す(まかす)
 任せる・委ねる(まかせる)
 委ねる(ゆだねる)
 教委(キョウイ)・・・・脅威・強意?
 詳しい・委しい・精しい(くわしい)
 公取委(コウとりイ)
 中労委(チュウロウイ)
 ↓↑
 委肉虎蹊(イにくコケイ)
 委靡沈滞(イビチンタイ)
 紆余委蛇(ウヨイダ)
 頽堕委靡(タイダイビ)
 顛委勢峻(テンイセイシュン)
 白紙委任(ハクシイニン)
 ↓↑
 委曲(イキョク)を尽くす
 委細(イサイ)構わず
 ↓↑
 ・・・この項目順序の漢字は
 「邪馬台国」の連想カンジではアルかな・・・
 陳寿=チンジュ=鎭守?・・・陳列の長壽?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/倭・倭人関連の中国文献#『通典』
 「魏志倭人伝
 中国歴史書三国志』中の
 「魏書」第30巻
 烏丸(うがんせんびとういでん)
 鮮卑(うがんせんびとういでん)
 東夷伝(うがんせんびとういでん)
 倭人条の略称・・・倭=イ+委
         ・・・人に委(まかせる)・委任・委譲
         委=ゆだねる・まかせる・思いのままにさせる
           わしい・こまかい・つぶさに
           すてる・すておく・ほうっておく
           ゆったりと落ち着いているさま
           美しいさま
         委肉虎蹊(イにくコケイ)
         委靡沈滞(イビチンタイ)
         紆余委蛇(ウヨイダ)
         頽堕委靡(タイダイビ)
         顛委勢峻(テンイセイシュン)
         白紙委任(ハクシイニン)
         委曲(イキョク)を尽くす
          曲=よこしま・曲者
         委細構わず
 西晋
 「陳寿」・・・寿=壽(ことぶき)・・・類字は「尋」
         =壽=士+乛+工+一+吋
            士+乛+工+一+口+寸
          夀=一+乛+口+丨+吋
            一+乛+口+丨+寸
            ジュ・ス
            ことぶき
            いのちながし=長寿
            ことほぐ
            とし
            ひさしい
            寿命が長い
            とし・よわい・年齢
            長命を喜び祝う
 により3世紀末
 (280年・呉の滅亡)~297年(陳寿没年)
 の間に書かれた中国正史
  ↓↑
 『魏略』
 著者
 「魚豢(ギョカン)」
 「魚豢」
 の事績が伝わっておらず
 『魏略』
 の作者であること以外は分かっていない
 『三国志』の
 「裴松之」注
 に引用され残る文により
 「劉表」・・・劉の表
        劉=卬(ノ+㇙+刀)+金+刂
        リュウ
        ころす=殺す
        あやめる=殺める
        つらねる・並べる
        おの(斧)・まさかり(鉞)・刃物
 と面識があり
 後魏に仕えた・・・
 『魏略』は
 中国三国時代
 魏を中心に書かれた歴史書
 散逸
 清代・・・大清帝国=大淸國
      1616年~1912年・1917年
      首都は盛京(瀋陽)・北京
      満洲
      アイシンギョロ(愛新覚羅)氏の征服王朝
 「王仁俊」
 が逸文を集めて
 輯本を編した・・・・・輯佚本(シュウイツホン)
            失われた本の原型が
            他の異書の注釈内容などによって
            復元された本

 だが疎漏であったため
 「張鵬一」
 が
 民国11年(1922年)・・・十一年?
 に再び編した
 成立年代
 魏末~晋初
 「劉知幾」・・・・知幾=幾何学を知る?
 は事績は
 明帝期で止まっているとするが
 実際はそれ以降の記事もあり
 最も新しいのは
 『三国志』賈逵伝注の
 「甘露二年」の記事で
 これ以降に書が完成したか製作が中断した・・・
 魏や晋の重要人物の
 「諱(忌み名)」を使用していることが指摘
 「魚豢(ギョカン)」・・・
       「魚」の漢字の
       「音訓」と・・・ギョ・さかな・まな・うお
       「魚偏」を
       「豢=ゲン・ ケン・ ガン・ カン・やしなう」
        豢=龹+豕
          丷+二+人+豕
          八+二+人+豕
          丷+一+一+人+豕
          八+一+一+人+豕
         =㹖=牛+豢
            家畜
            やしなう・家畜を飼う
            利益で人を誘い込み利用する
            賄賂で悪事、不正に誘い込む
 の
 『典略』
 との関わりが指摘
 『隋書』経籍志に
 「典略89巻」と記載
 『旧唐書』経籍志に
 「魏略38巻」「典略50巻」とある
 「姚振宗」・・・女の兆しを振る
         宗(むね・おおもと
           根本・中心となるもの)
 は
 「この(隋書にある典略)89巻は
 旧唐志の魏略38巻と典略50巻のことで
 両書を合わせ88巻となる
 もとの書籍には
 目録が1巻あったかもしれず
 そのため1巻分多く出てきているのだ」
 とし
 「魏略」はもともと
 「典略」に含まれていたと主張
 「章宗源」・・・章の宗の源
 は
 「魏略はただ
 「曹魏(曹氏 の王朝)」を記した
  ゆえに書名に魏という言葉を使ったのだ」
 「(典略は)記載範囲が広いうえ
  体裁も雑多であるのから
  魏略とは違う時代を対象として書物をなしたのだ」
 とし
 『魏略』は魏王朝を対象とした書
 『典略』はそれ以外の王朝を対象にした書であると主張
 もともと古代から魏朝までの通史として
 『典略』があったが
 この中の
 魏王朝について記した部分だけが独立して
 『魏略』と呼ばれるようになり
 その他の部分が
 『典略』として残った・・・
 ↓↑
 外国に関する記述は
 現存する当時の文献ではもっとも詳しく
 邪馬台国
 や
 大秦国(ローマ帝国か)
 への言及もある・・・
 西域諸国
 「裴松之
 が
 魏書第三十巻の末尾に
 魏略
 「西戎伝」
 のほぼ全文を添付
 以後、三国志の一部として確実に継承され
 西域に関する資料として参照できる
 『魏略』に対する定評と異なり
 「西戎伝」
 は後漢時代の西域事情を忠実に収録し
 「笵曄」
 の「後漢書」に先立つ
 後漢代西域記事であり
 中国側の文献では現存最古の史料
 中国の皇帝専制支配とは
 異なる
 元老院の存在などを示唆した記述がある・・・
 「魏略」について
 「劉知幾」は
 「巨細ことごとく載せ、蕪累甚だ多し」
 と、内容繁雑であると批判
 「高似孫」は・・・高に似る孫・・・天孫
 「特に筆力有り」と高く評価
 倭について
 魏略には
 邪馬台国時代の
 倭国に関する記述が多く残っている
 倭国に関する
 逸文が残っているのは
 『三国志』裴注
 『漢書』師古注
 『翰苑』
 『北戸録』
 『魏書』
 『法苑珠林』
 などである
 そのうち
 『三国志
 東夷伝倭人
 に引く逸文
 「倭」について
 「其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀」
 (その俗、正歳四節を知らず
  ただ春耕秋収を計って年紀と為す)
 との記述
 春の耕作と
 秋の収穫を
 1サイクルとして
 今の半年を一年として数えていた・・・説
 ・・・
 史書に記された年数を
 勝手に二倍に解釈するのは
 牽強付会との説
 ・・・
 『翰苑』巻30の逸文
 「自
  帯方
  至
  女國
  万二千余里
  其俗
  男子皆黥而文
  聞
  其旧語
  自謂
  太伯之後
  昔
  夏后
  小康之子
  封於
  会稽
  断髪文身
  以
  避
  蛟龍之害
  今
  倭人
  亦
  文身
  以
  厭
  水害也」
 と自ら
 「太伯(タイハク)」
 の後と称していた・・・
 ↓↑
 隋書「卷八十一 列傳第四十六
     東夷
     俀國」
 本紀5巻・志30巻・列伝50巻
 唐の
 「魏徴」
 「長孫無忌」
 らが
 「太宗」の勅を奉じて勅撰
 編纂には
 「顔師古」・・・顔の師が古い
 「孔穎達」・・・孔の穎の達
         穎(エイ)=イネ科の植物の
           小穂に出来る鱗状の包葉
 らが参加
 636年(貞観十年)
 「魏徴」
 によって
 本紀5巻・列伝50巻が完成
 第3代高宗
 656年(顕慶元年)
 長孫無忌
 によって
 志30巻が完成、編入

ーーーーー

 ↓↑   ↓↑
エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑

 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬