文字霊日記・3556日目
紀元前219年(壬午・始皇28年)・・・
始皇帝の命で
倭国に来た
「錬金術師」・・・「医者・本草学者」・・・
徐 福 (ジョ フク)=徐 巿(ジョ フツ)
巿=十+冂=割烹着=前掛け
徐(おもむろ)に
身体全身を覆う上着と前掛け(巿・フツ)をする・・・?
徐 福 (ジョ フク)=徐 巿(ジョフツ)
秦の
「方士」
斉 国
琅邪郡(山東省 臨沂市 周辺)出身
日本に渡来した
『史記』巻
百十八
「淮南 衡山 列伝」
始皇帝
に
「東方の三神山に 長生不老 の 霊薬 がある」
と具申し
始皇帝の命を受け
3,000人の童男童女
と
百工(技術者)を従え
財宝と財産
五穀の種を持って
東方に船出したものの
三神山には到らず
「平原広沢(広い平野と湿地)」
を得て王となり
秦には戻らなかった・・・
徐=彳+余(あまり・ヨ)
彳+𠆢+禾
ジョ・ジョウ・そう
おもむろ
ゆるやか
ゆっくり
おだやか
古代中国の
「九州のー」・・・日本の九州?
「徐州」・・・・・徐福
(和歌山県新宮市の地名)
徐水(ジョスイ)
徐に(おもむろに)
緩徐(カンジョ)
徐行(ジョコウ)・・・徐行運転
徐徐(ジョジョ)
「余=餘」
余す・剰す
余り
余り有る・余りある
余り物
余り者
余る・剰る
有り余る・有余る
思い余る
刑余(ケイヨ)
紆余委蛇(ウヨイダ)
紆余曲折(ウヨキョクセツ)
窮余一策(キュウヨノイッサク)
虎口余生(ココウヨセイ)
残渣余蘖(ザンサヨゲツ)
歯牙余論(シガノヨロン)
積悪余殃(セキアクノヨオウ)
積善余慶(セキゼンノヨケイ)
読書三余(ドクショサンヨ)
余す所なく
余り物には福がある
男は辞儀に余れ(あまれ)
可愛さ余って憎さ百倍
窮余の一策
凝っては思案に余る
言葉に余る
五指に余る
巿=一+巾
フツ
ひざかけ・まえだれ
前に垂らして膝をおおう布
前掛け
草木が盛んにしげるさま
↓↑
前垂れ(まえだれ)
江戸方言「まえだら」
帆前掛(ほまえかけ)は
商家にはたらく人や女中などが
衣服に汚れがつかないよう
帯から下に掛ける布
前掛け・・・
鍛冶屋の防火服
白い
割烹着(カッポウギ)
衣服の汚れを防ぐために
羽織って着るエプロンの一種
日本で明治時代初期に考案された
着物の上から着用
襷(たすき)+前掛け
・・・医者の白衣・・・
白衣(ハクイ・White Coat)
医療従事者
衛生・調理従事者
実験従事者等が着用
白衣の着用は
衛生、災害予防、制服としての機能
白衣=lab coat=laboratory(実験室・研究室) coat
医者の白衣=doctor's coat
看護師の白衣=nurse's coat
ー↓↑ーーーー
紀元前219年(壬午・始皇28年)・・・
始皇帝の命で
↓↑
「屠睢」
屠=尸+者
ほふる・さく・ト・ド・ヅ
家畜を殺す・・屠所
きる・さく・屠腹
狗屠(クト・コウト)・浮屠(フト)
屠牛(トギュウ)・(トサツ)
睢=目+隹
異体字「𤕚・眭・𥉖・𥍋」
みあげる・キ・ケイ・ケ・スイ
と
「趙佗」
趙=走+肖=土+龰+肖=土+ト+人+小+月
およぶ・こえる・チョウ
ゆっくり歩く・歩くことのおそいさま
超える・及ぶ
佗=ィ+它
ほか・になう・わびる・わびしい・わび
タ・イ
ほか・他・になう・背負う・佗負
わびる・ひっそりと暮らす
みだす・佗髪
わびしい・わび・さび
よこしま(邪)・おふ(負)
になふ(荷)・馱・うるはし(美)
「委佗」
它=宀+匕
異体字「他・牠・蛇」
それ・あれ・かれ(彼)
ほか・別の
蛇(毒蛇)
↓↑
が嶺南(ベトナム北部)に侵攻
始皇帝が泰山で封禅の儀式・・・
封泰山、禅梁父山
↓↑
紀元前219年
第四次シリア戦争
第二次ポエニ戦争
ルキウス・アエミリウス・パウルス
マルクス・リウィウス・サリナトル
が共和政ローマの執政官に就任
ローマが
イリュリアに侵攻した
第二次イリュリア戦争終結
↓↑
紀元前219年(壬午・始皇28年)・・・
紀元前220年(辛巳・始皇27年)・・・
紀元前221年(庚辰・始皇26年)・・・
紀元前222年(己卯・始皇25年)・・・
ーーーーー
始皇帝
姓は嬴(エイ)
氏は趙(チョウ)
諱は政(セイ)
趙の首都
邯鄲(カンタン)で生まれ・・・「趙政」
実父は
韓の商人 呂不韋・・・韓の商人(あきんど)
実母は
子楚の妾 趙姫
・・・子=一+了=始終
楚=林(はやし)
+
疋(ひく)
疋=乛+ト+人
ト(うらなう)
人(ひと)の
乛(鈎・鉤・亅)で
引く・曳く・牽く
↓↑
秦始皇帝
在位期間 紀元前247年五月丙午朔
~
紀元前210年七月丙寅朔
都城 咸陽
姓・諱 嬴政(エイセイ)
嬴=吂+月+女+卂
=亡+口+月+女+卂
吂+月+女+凡
=亡+口+月+女+凡
亡+口+月+女+⺄+十
亡+口+月+女+几+丶
亠+口+月+女+⺄+十
亠+口+月+女+几+丶
エイ・満ちる
・余(あま)る
・勝つ
卂⇔丮
嬴の異字=吂+月+女+「丮」?
嬴の異字=吂+月+女+「凡」?
卂(シン・はやい・はやく飛ぶ)
丮(ケキ・もつ
手に持つ・手でにぎり持つ
人が物を手に持つ形)
迅速
訊問
訊=言+⺄+十
=訙・䛜
凡(ボン・あまねし・あまねく)
平凡・凡人・凡夫
㚨=女+卂
女+⺄+十
女性用の名前の漢字
仭=イ+刃
ジン
ひろ(ながさ・たかさ・ふかさの単位)
はかる
煢=𤇾+卂
炏+冖+⺄+十
火+火+冖+⺄+十
ケイ
うれえる(憂える・愁える)
ひとり・ひとりもの
身寄りのない人・やもめ=寡婦=鰥夫
煢煢(ケイケイ)
異体字「焭・㒌・㷀・茕」
政=正+攵(𠂉+乂・攴)
一+止+𠂉+乂
セイ
ショウ
まつりごと
ただす。ただしく変える=正
物事を行う方法・決まり=基準
世の中をまとめおさめること
悪政
圧政
為政(イセイ)
王政
苛政(カセイ)
家政
家政婦
議会政治
議政(ギセイ)
・・・犠牲・擬制
擬勢・擬声
王政復古(オウセイフッコ)
音与政通(オンヨセイツウ)
傀儡政権(カイライセイケン)
苛政猛虎(カセイモウコ)
寡頭政治(カトウセイジ)
結縄之政(ケツジョウのまつりごと)
祭政一致(サイセイイッチ)
衆愚政治(シュウグセイジ)
垂簾聴政(スイレンチョウセイ)
↓↑ 苛政(カセイ)は虎よりも猛し
始皇帝
生年 前259年(正月1月)
没年 前210年9月10日
秋七月二十二日
丙寅朔
丙寅は七月の1日目)
辛卯年・丁酉月・乙亥(10)日
↓↑
紀元前 247年五月丙午朔(一日)
干支=甲寅年
己巳月
己=よこしま・おのれ・キ・つちのと
巳=蛇・蝮・へび・ミ
丙午日
日本
皇紀 四百十四年 414年
孝霊天皇四十四年
第七代・孝霊天皇44年・・・?
大日本根子彦 太 瓊天皇(書紀)
大倭 根子日子賦斗邇命(古事記)
皇女 倭迹迹日「百襲」姫命
日本
百済(伯濟・百残・百殘)を襲う
殘=歹+戔
(踏襲=重ねる=襲ねる)
「迹」=辶+亦
辶+亠+亅+ハ(八)
辶+亠+丿+亅+丶
異体字「跡・䟱」
セキ・シャク
あと
あとかた
あしあと・あとかた=蹟
あとをつける・あとをたどる=蹟
古跡・古蹟・古迹(コセキ)
手跡・手蹟・手迹(シュセキ)
心跡・心迹(シンセキ)
垂迹(スイジャク)・本地垂迹
影迹無端(エイセキムタン)
開迹顕本(カイシャクケンポン)
韜光晦迹(トウコウカイセキ)
本地垂迹(ホンチスイジャク)
名所旧迹(メイショキュウセキ)
影を畏れ迹を悪む
中国
秦 - 荘襄王 3年
楚 - 考烈王 16年
斉 - 斉王建 18年・・・斉の王の建・・・十の八の年
↓↑ ↓ 蛇(巳)をペットにしていた?
蛇は医学の象徴・聖象
巳→冲(戊)←亥
戌亥(乾・北西)=白猪
伊吹山←建⇔小碓
双子大碓・大臼の弟
吹雪・有珠=うす=渦?
始皇帝の母親は
「君王后」
↓↑
始皇帝死後
田斉
「斉王建」の弟である
「田仮」が秦に反旗するが
「田栄」との内紛で殺され
「田横」が斉に登場し自殺
↓↑ ↓↑
「史記世家
戦国策(鮑本には
后勝は君王后の一族)」
「斎王の
建
は、助命されて
共の松柏の間に
幽閉・戦国六国が滅ぶ」
「東周列國志」
「后勝は王賁によって斬首」・・・
「齊王建用后勝計,絕秦使,欲為亂,
今幸將士用命,齊國就滅。
本當君臣俱戮,念建四十餘年恭順之情,
免其誅死,可與妻子遷於共城,
有司日給斗粟,畢其餘生。
后勝就本處斬首」
王賁奉命誅后勝。
↓↑ ↓↑
趙
趙王遷(幽繆王)は投降し
河南の房陵に流刑
↓↑
魏
魏王假は投降して捕虜
遭處死(資治通鑑)
↓↑
韓
韓王安は捕虜
領国は
秦の
潁川郡になった
↓↑
BC226年
旧韓貴族が叛乱し鎮圧され
王安は処刑
↓↑
襄王(ジョウオウ)
生年不詳~紀元前265年
戦国時代の斉の君主
名は法章
湣王の子
紀元前284年
湣王が
淖歯に殺害され
法章は姓名を変えて
莒県の
太史敫の家の雇い人になった
太史敫の娘(君王后)は
法章の
衣食の世話をし
恋仲となった
淖歯が莒県を去ると
莒県の人と斉の亡臣たちは
湣王の子を探し求め
法章を立てようとしたが
法章は殺されるのを恐れていたが
意を決して
「わたしは湣王の子である」と名乗り
莒県の人は
法章を斉の王に擁立し
襄王となった
↓↑
紀元前279年
田単が
即墨で
燕を撃破し
襄王を
臨淄に迎え
斉の旧領をすべて回復
↓↑
紀元前270年
秦に剛寿を攻撃され
紀元前265年
襄王は死去
在位19年
↓↑
君王后
姓は太史后(敫)
紀元前310~300年・・・
紀元前256年
秦が周王室を滅ぼした
↓↑
紀元前249年
斉王建時代の16年
出身地 莒県(山東省莒県)
父親 太史敫(太史后)
夫 田法章(斉の襄王)
息子 田建(斉の最後の王)
建の弟は、 田仮
舅は 田地(斉の閔王)
曾孫 田安(斉王建の孫)
項羽に降伏するが
田栄に殺される
后勝(斉王建の宰相)
建に秦への降伏を進言
田単 恩人
↓↑ ↓↑
燕 - 燕王喜 8年
趙 - 孝成王 19年
魏 - 安釐王 30年
韓 - 桓恵王 26年
ーーーーー
月の十二支
X月
甲寅朔
(X月の1日=朔は甲寅の日)
朔日=ついたち=一日
月立ち
ーーーーー
神武 元年1月 1日
辛酉・庚寅・庚辰
(丙子・丁丑・戊寅~)
紀元前660年2月11日(グレゴリオ暦)
紀元前660年2月18日(ユリウス 暦)
ユリウス日=1480407
ーーーーー
月の十二支
X月甲寅朔(X月の1日=朔は甲寅の日)
月の干支の決定は年の五行の
時の干支の決定は日によって決定
月 時
甲 乙 丙 丁 戊⇔甲 乙 丙 丁 戊
己 庚 辛 壬 癸⇔己 庚 辛 壬 癸
年 年 年 年 年 日 日 日 日 日
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
寅月=丙 戊 庚 壬 甲⇔丙 戊 庚 壬 甲=寅時
干 寅 寅 寅 寅 寅⇔寅 寅 寅 寅 寅 干
節入り日~ 午前3~5
ーーーーー
干支
臨沂県(リンギケン)から出土した
銀雀山漢墓竹簡
および
武帝七年(元光元年、紀元前134年)
暦譜竹簡の例が最古・・・
↓↑
太初(タイショ)
前漢
武帝の元号
紀元前104年~紀元前101年
元年夏五月に太初暦への改暦
元封七年を太初元年とした
太初暦で
顓頊
暦の十月歳首を
正月歳首に改めた
太初元年は
前年の十月~十二月までの
15月間
存在することになった
それに
干支をあてはめた
以下の4種がある
丙子=『漢書』
甲寅=『史記』
丁丑=紀元前67年から
単純に
60年サイクルの
逆算=戊寅=『史記』
ーーーーー
紀元前221年
干支=庚辰
日本
皇紀440年 ・・・四百四十=四百四拾
孝霊天皇 70年・・・七拾=漆足
中国
秦 - 始皇 26年・・・二十六=念陸
斉 - 斉王建 44年・・・四十四=肆拾肆=肆足肆
・・・建=たける=武・
『古事記』・・・・熊曾
『日本書紀』・・・熊襲
『筑前国風土記』・球磨囎唹
囎唹
囎=唄+會・・・會津=会津
曾=ゾ・ソウ・ソ・ゾウ
かさなる(重なる)
かつて(過って)
すなわち(即ち)
ます(増す・益す)
かつて・これまで
以前に
かさなる
幾重にもかさなる
ます・ふえる
ふやす=増
「すなわち」
「ところが・なんと
いったいぜんたい
(一体全体
一対全体?)」
などの意を表す
=曽於・・・国字
鹿児島県の地名
唹=口+於
口+方+仒(𠆢+冫)
口+亠+勹+𠆢+丶+丶
オ・ヨ
わらう・笑うさま
にっこりと笑う
於=扵
おいて・おける
時刻や場所などを表す
ああ・感嘆の声
仒=𠆢+⺀
𠆢+丶+丶
丶=ゝ=炎・チュウ・ぼち
燈火・ともしび・燭
縁起の良い、悪いの意
吉 凶
↓↑
紀元前221年
ローマ暦(キリスト生誕前~後退年数)
・・・(-Ⅹ年)
↓↑
「アシナ・・・蘆名・蘆品・芦名・葦名・足名
と
ルフス・・・留附諏(主・州・素・須=彡+頁)
レピドゥスが
共和政ローマ執政官に就任した年」
「ローマ建国紀元535年」
「仏滅紀元=326年」
↓↑
中国
秦の将軍・・・秦=𡗗+禾
丰+㇏+禾
大+二+禾
三+人+禾
三+ノ+㇏+禾
春=萅⇔「芚=艹+屯」=「𡗗」
「芚」を略した文字「𡗗」
「艹=日の下」で「屯(たむろ)」する
「王賁」
は
「李信」
「蒙恬」
と共に
斉を攻め
斉都の
臨淄・・・淄=氵+甾
氵+巛+田
シ・くろ・くろむ=湽
黒色・黒くなる・黒くする
黒くそめる(染める)
「淄水(シスイ)」
山東省を流れる川の名
を包囲
斉王
「建」・・・建(ケン)は「たける」か?
は
「后勝」・・・后の勝・・・後の勝ち?
の言に従い
無抵抗降服
秦は
斉を滅ぼし
秦王
「嬴政」は
「魏」・・・魏=委+鬼
を滅ぼし
中国統一
戦国時代終焉
↓↑
「嬴政(エイセイ)」
始皇帝を名乗り
絶対君主制を開始
「始皇帝(シコウテイ)」
「思考・試行・施行
志向・指向・嗜好」+綴(つづり・テイ)
は
中央集権を採用
郡県制を全国に施行
六国を滅ぼし征服したので
中国領域をその
六倍の
三十六の郡に分け
郡(こおり・グン)に
守、尉、監・・・「諏・意・観」
・「主意観(カン・咸・管・巻)」?
を置く
↓↑
秦は
武器を
咸陽に集め・・・刀狩り
溶かして
鐘と・・・鐘=金+童(わらべ・里に立つ)
十二金人・・・
仏像=仏
はその身体に三十二相と八十種好
という超人間的美点をそなえ
仏像はその説にしたがって造られ
仏は中国では
「金人」などとよばれた・・・
金の人・・・金さん・・・
ミダース王
紀元前8世紀後期の
プリュギアの王
を造る
重さはそれぞれ千石
宮廷の中に設置
度量衡を統一
天下の富豪十二万戸を
咸陽に移住させる
↓↑
中国の青銅器時代の終焉・・・
↓↑
紀元前220年
干支=己卯
日本
皇紀四百三十九年
孝霊天皇六十九年
中国
秦 - 始皇政 25年
斉 - 斉王建 43年
燕 - 燕王喜 33年
趙 - 代王嘉 6年
仏滅紀元 325年
↓↑
秦の
王賁が
遼東に逃亡した
燕軍 ・つばめの戦
を殲滅し
燕王喜
を捕虜にした
秦は
燕を征服
王賁が
代(趙の亡命政権)
↓↑
・・代=人+弋(ヨク・イキ)
イ+ー+㇂+丶
弋=㇂+丶
=𢍺=弌
=𢍻=丂+弋
=𢍼=ー+弋
弋=いぐるみ・とる
くろい・・・玄武(北)
うかぶ・・・筏(栰・いかだ・異化拿?)
獲物をからめとる
杙(くい・杭・句意?)や
繳(いぐるみ)のこと
矢に糸をつけ、射たときに
鳥を
繰(くる)んで
落とすような仕掛け(詞掛け?)
かわる・かえる
代表・代理・代用
かわりになるもの
商品や労力にみあう金額
代価・代金
よ(世)・時代・世代
歴史上の区分
上代・王朝
天子や家長がその地位にある期間
年齢や年号の範囲
しろ・田地・苗代
かわりのもの
代案・代議・代行・代打・代替・代表
代用・代理・城代・総代
名代 (みょうだい)
一代=人の一生涯
田代(たしろ)・八代(やしろ)
田=それを測る単位
稲一束を得る
田の面積とされ
律令制においては
一段の1/50
1代=稲1束
(当時の5升,現在の2升にあたる)
↓↑ を収穫しうる面積
「代(趙の亡命政権)」
を攻め
代王嘉
を捕虜とし
代郡(河北省蔚県西南)
と
遼東郡(遼寧省遼陽市老城区)
を設置
秦の
「王翦」
が
楚の江南の地を平定
「百越」・・・・・・「百越移民」⇔「百済」?
の君を降伏させ
「会稽」郡を設置
ーー↓↑ーーー
・・・???・・・
会稽、トウヤ(トウジ)のヒガシ・・・
会稽 東 冶(治)・・・
冶金・・・鍛冶(タンヤ)・鍛冶屋(かじや)
冶=冫+ム+口
なまめく・なまめかしい
陶冶・艶冶(エンヤ)
治安・・・・治=氵+ム+口
退治(タイジ)
湯治(トウジ)
統治(トウチ)
不治(フジ)・法治(ホウチ)
療治(リョウジ).
灸治・難治・不治
療治・主治医・治癒・治療
治水
ーーーーー
・・・???・・・氷と水の境界・・・
固液臨界点、6個の確認・・・
氷と水の区別がなくなる新たな
「臨界点(固液臨界点)」が存在・・・
「通常の水(a)では、
液体と気体の間の境界線は
臨界点で途切れるが、
固体(Ice IからIce X)の液体の境界線には
臨界点がない」・・・???
(岡山大学)・・・