文字霊日記・3596日目
鍋島騒動(なべしまそうどう)
肥前
佐賀藩
鍋島化け猫騒動(なべしまばけねこそうどう)
鍋=金+咼
咼=カイ・カ
=呙=口+内(人+冂)
口がゆがむ(歪)
金+冎+口
金+冎+口
冎=骨と肉とを分離、解く
冎=𭁟+冋
=冂+ⲅ+冂+口
冎=𭁟+冂
渦=氵+冎+口・・・渦巻・鳴門
咼=冎+口
𭁟+冂+口
穴にはまりこむ
関節の骨
冎=𭁟+冂
代替形式
中国とシンガポールでは
左に曲がり(◱)
他の場所では右に曲がる(◲)
冎(康熙字部首13
冎=𭁟+冂
冎=冎+口=咼
咼・𠈥・𨒵・𨀩・𠛰・𠕩・𬟬
骨と肉とを分離、解く・削ぐ
冎=𭁟+冂
派生文字
凹
抉(えぐ)り出す
引き裂く・剥がす・剥がす・割る
咼=𭁟+冂+口
カイ・カ
=呙=口+内(人+冂)
口がゆがむ(歪)
冏=通気口・排気口・煙突
窓
空=穴+工
宀+儿+工
l+㓁+丅+_(ー+丄・卞=卞)
↓↑
見付らないのは「カンジ」・・・鳴門
↓↑
探し物は何ですか?、って
カンワジテンはミツかッタけれど
見付らないのは「カンジ」・・・
ナンのカンジ
まだまだ探してみても
見つからないなら
諦めて
寐るって・・・
ィヤ、ィヤ、サガシマしょう
↓↑
推理小説作家の名前
宇能 鴻一郎
1934年7月25日
~
2024年8月28日
大運2019年05月(84歳)庚辰・正財
甲戌(辛丁戊)印綬・傷官 養⇔甲辰・印綬・冲
辛未(丁乙己)偏財・食神冠帯⇔壬申・正官
丁酉(庚 辛) ・偏財長生⇔甲子・印綬
辛丑(癸辛己)偏財・食神 墓⇔乙丑・偏印
辰巳空亡
↓↑
官能小説家・推理作家
北海道
札幌市出身
本名
鵜野 廣澄(うの ひろずみ)・・・鸕野讃良?
「ウノコウチョウ」をもじった
「宇野興長」の筆名
「嵯峨島 昭(さがしま あきら)」
名義で推理小説も執筆・・・
↓↑
佐賀の幕末明治人・・・
↓↑
東京府士族の
鵜野二弥
と
佐賀県士族の
綾(旧姓:徳久)
の長男
↓↑
軍事会社勤務の父の転勤に従い各地を転々
敗戦で
奉天から引き揚げた
↓↑
満州時代
小学校5〜6年のころ
盗みを働いて捕まり
ロシアの司令官の邸宅で
全裸のまま給仕をさせられた・・・
1955年
福岡県立
修猷館高等学校
・・・修(おさ)める
↓↑ 猷(ユウ・はかりごと
謀る)・・・猷⇔猶太?
はか(諮る・図る)
みち・道義・道理
はかりごと・考えられた計画
・・・猶=犭+酋=犹=犭+尤(もっとも・ユウ・ユ)
部首 犬部(いぬ・けものへん)
ユウ
なお
猿・猨・申・沙流・さるの一種。
躊躇(ためら)う・愚図る
のんびりする。ゆったりする
なお・・・・ごとし」
・・・語訳詞?
「まるで(眞留出?)・・・のようである」
↓ ↑ 乃用 出蛙留?
🔴 出=Π・pie・円周率=3.1415・・・
丌(キ)=基(キ)の異体字
=π(パイ)
=兀(ゴツ・ゴチ)⇔禿
=几(キ)
=机=十+八+几
机龍之介=『大菩薩峠』
中里介山 著作
中国語の理屈を改竄・・・?
↓↑
から
東京大学
文科II類進学
1959年
文学部国文学卒
同学大学院進学
1961年
学位論文
『原始
古代日本文化
の研究』
で文学修士
1968年
同学大学院
博士課程
満期
退学
↓↑
大学在学中
『半世界』の同人
1961年
自らの同人誌
『螺旋』創刊・・・螺旋=ラセン=渦巻状
短篇
『光の飢え』が『文学界』に転載
芥川賞候補作
1962年
『鯨神』
で第46回
芥川賞受賞
大映で映画化
監督:田中徳三
漁村「和田浦」は架空の地名
(長崎県平戸市
生月島
がモデル舞台)
主演:本郷功次郎・勝新太郎・・・藤村志保
大映から原作100万円
その後、官能小説家
↓↑
「あたし、〜なんです」
という女性の一人称モノローグの作品
数十本が
日活ロマンポルノで映画化
1972年以降
「嵯峨島 昭(さがしま あきら)」
・・・佐賀の島
佐賀県の離島
小川島(おがわしま)
江戸時代より
捕鯨で栄えた島
加唐島(かからしま)
朝鮮三国時代の
百済王=武寧王
生誕の伝説の島
椿が自生
島の至る所にネコが生息
神集島(かしわじま)
神功皇后が
神様を集め
海の安全を祈願した
「神の島」
海中鳥居が構える
住吉神社や
万葉集に収められた
七首の歌碑
「神の鳥」
エミュー?を飼育・・・三浦を始意句?
三浦按針
エミュー
(鴯鶓=イジ・emu)
・・・異字・維持・意地・医事・伊地
鴯=而+鳥
丆+⺵+鳥
一+丿+冂+‖+鳥
ジ
鷾鴯(イジ)=燕(つばめ)
ツバメ科の野鳥
鴯鶓(ジビョウ・アルミアオ)
エミュー
駝鳥(ダチョウ)に似ている
鶓=苗+鳥
艹+田+鳥
ビョウ
鴯鶓(ジビョウ・アルミアオ)
エミュー
駝鳥(ダチョウ)に似ている
↓↑
鳥綱
ヒクイドリ目(ダチョウ目の説あり)
ヒクイドリ科
エミュー属の鳥類
飛翔はできず、二足歩行
「飛べない鳥」
大きさはー
「ヒクイドリ(火食鳥・食火鶏)」
に及ばない
漢字表記の
「鴯鶓(ジビョウ)」は
「英語名 emu」が中国語の音訳になった?
emu=エミュー=ˈiːmjuː・・・意味喩?
≠「ジビョウ(鴯鶓)」・・持病?
字描(苗・猫=ねこ)?
The emu is a flightless bird.
エミューは飛べない鳥だ
オーストラリア(濠太剌利)の
非公式な国鳥
加部島(かべしま)
東松浦半島北部
唐津市呼子町の
呼子港の沖約500mの玄界灘に位置する
呼子大橋で
本土側の呼子町殿ノ浦と結ばれている
大字は
唐津市呼子町加部島
高 島 (たかしま)
ほとんどの島民が野崎という姓
これは島を海賊の襲撃から救った
野崎綱吉(野崎隠岐守綱吉命)に由来
松 島(まつしま)
カトリック教徒が多い
海士(あま)漁が盛んな島
馬渡島(まだらしま)
カトリック教と仏教が共存
佐賀県の離島中で標高が最も高い
「番所ノ辻」から玄界灘の島々を一望
向 島(むくしま)
最も面積が小さい島
↓↑
「嵯峨島 昭(さがしま ショウ)」は
執筆名で推理小説の
覆面作家だった
↓↑
2014年
『夢十夜 双面神ヤヌスの谷崎・三島変化』
で、純文学作家として復活
鎌倉を自宅とし
軽井沢にも別邸
横浜市
金沢八景の敷地600坪の
洋館で
老秘書を従え
社交ダンスのパーティ開催
貴族的な生活の日々
2024年8月28日
心不全で死去
90歳没
↓↑
・・・ではなく・・・
探し物は
「大隈 重信」
と
佐賀藩(鍋島藩)の
幕末~明治の人々だった
↓↑
鍋島 直正
17歳で第10代・・・壹拾漆・壱拾
佐賀藩主
長崎で
オランダ(阿蘭陀)船に乗り込み
船内を視察
鉄製大砲製造研究
ペリー来航の時
唯一
鉄製大砲製造
「私の家来は
兎に角
学ばなければならぬ」
佐野 常民
日本赤十字の創設者
佐賀藩の
理化学研究を主導
三重津海軍所監督
日本初の実用蒸気船建造
「凌風丸」を完成
1867年
佐賀藩代表で
「巴里(パリ)万博」
・・・葉理・針・鍼・張・梁・貼・播
頗理・玻璃・波理
歯利
尚歯会=蛮社の獄
天保十年(1839年)五月
言論弾圧事件
高野長英・渡辺崋山・小関三英
などが
モリソン号事件
鎖国政策を批判
↓↑
参加
西南戦争で「博愛社」創立
日本赤十字に受け継がれ
島 義勇
北海道開拓の父
札幌で「判官さま」と呼ばれた
安政三(1856)年~翌年
藩主鍋島直正の命で
蝦夷地・樺太を調査
明治二(1869)年
明治新政府から開拓掛任命
開拓判官となり
札幌を
「五州第一の都」
構想で発展させた
副島 種臣
既に調べたが
明治四(1871)年
外務卿(外務大臣)
マリア・ルス号事件で
清国人苦力を解放
「正義人道の人」
国際的評価
清国に特命全権公使
書家「蒼海」で著名
大木 喬任
初代文部卿
東京奠都(テント)に尽力
建国策起草で
諸制度の近代化を主張
文部卿として教育改革
司法卿として司法制度の確立
民法の編纂
元老院議長、枢密院議長
司法大臣、文部大臣
等を歴任
江藤 新平
既に調べたけれど
江戸城の「紅葉文庫」の
全書籍を
確保押収
近代司法の父
東西両京論(東京奠都論)
上野戦争などで活躍
制度取調御用・文部大輔
左院副議長・司法卿(初代)
参議を歴任
官制改革・法典編纂・教育行政
司法制度改革などで功績
大隈 重信
既に調べたけれど
早稲田大学創立者
テロで片足を失う
重光葵がテロで片足
ルーズベルトは下半身麻痺
脚の不自由な歴史人物
卞 和(ベン カ)
=和氏(カシ)
孫臏(ソンピン)
山本勘助
黒田如水
古賀 穀堂
鍋島直正の藩政改革を支えた
儒学者で教育者・蘭学を奨励
藩士の意識改革を求め
意見書『済急封事』を提出
藩主の藩政改革を理論的に支えた
草場 佩川
東原庠舎、藩校弘道館を経て
昌平坂学問所の儒官
古賀精里に師事
24歳
朝鮮通信使の応接に随行し
書画や詩文を絶賛された
弘道館の教授となり
大隈重信、副島種臣
大木喬任、江藤新平
らを育てた
平山 醇左衛門
武雄領主鍋島茂義の命により
西洋砲術の
長崎の高島秋帆に学び
西洋の技術を佐賀にもたらし
佐賀藩で本格的な軍事改革
その最中
高島をめぐる疑獄事件に連座し
34歳で打首
小笠原 長行
唐津藩主小笠原長昌の長男
長昌死去(1823年)後
庶子とされ藩主の名代
府の若年寄に抜擢
徳川家茂、慶喜のもとで
内政外交に手腕を発揮
戊辰戦争で
旧幕府側で徹底抗戦を主張し
箱館まで転戦
中林 梧竹(ごちく)
明治三筆の一人
小城藩士の子
19歳
藩命で江戸で書を習う
小城に戻り30歳で藩校の教師
廃藩置県を機に書道に専念
56歳中国留学
山口 尚芳(ますか)
通称「範蔵」
長崎で洋学や英語を学ぶ
岩倉使節団の副使
欧米12カ国を視察
初代会計検査院長
元老院議官、参事院議官
高等法院陪席裁判官
久米 邦武
1871~73年
岩倉使節団の大使随行
欧米12ヵ国の歴訪の記録担当
1878年
公式報告書
「米欧回覧実記」刊行
歴史学界で活躍
東京帝国大学教授を務め
日本古代史の科学的研究
鍋島 直彬
鹿島藩最後の藩主
明治五(1872)年
供と3人でアメリカ視察に出発
9カ月間
司法や立法や行政を学び
『米政撮要』出版
廃琉置県後の初代
沖縄県令に着任
勧学・勧業を重点政策とし
沖縄の基盤づくりに貢献
納富 介次郎
画力で幕府の上海視察に同行
佐賀藩の中国貿易に関与
ウィーン万博出展で渡欧
陶磁器など工芸知識で
フィラデルフィア万博でも活躍
金沢工業学校・富山県工芸学校
香川県工芸学校
佐賀県立
有田工業学校(有田工高)
を設立
辰野 金吾
唐津出身
帝国大学工科大学学長
建築学会会長
伊東忠太・関野貞
など多くの人材を輩出
西洋建築学を学び
設計の頑丈さから
「辰野堅固」と呼ばれ
「中央停車場(東京駅)」
「日本銀行本店」
「武雄温泉新館・楼門」
など日本近代建築の礎を築いた
齋藤 用之助
明治十二(1879)年
警察官として沖縄県に赴任
行政職に転じ
道路整備や実業教育、産業振興
など沖縄の近代化に貢献
明治三十六(1903)年
硫黄鳥噴火の際
島尻郡長として
一人の犠牲者も出さず
全島民700名を
久米島へ移住させた
↓↑
「斉藤由貴=井上陽水」
「探し物は何ですか?」
何を探していたかを忘れて思い出せない
今に始まったコトじゃぁないけれど
ボケ・・・
↓↑
第1次
大隈内閣
伯爵の
「大隈重信」
が
第8代内閣総理大臣に任命
1898年(明治31年)6月30日
~
1898年(明治31年)11月8日
与党となった
「憲政党」のうち
旧進歩党系の
「大隈重信」
を首相に
旧自由党系の
「板垣退助」
を内務大臣に迎えて組織
大隈の
「隈(ワイ)」
隈=阝+畏
阝+田+一
ワイ
くま・すみ
曲がって入りくんだところ
界隈(かいわい)
隈隈(くまぐま)
隈無く(くまなく)
隈(くま)
熊笹・隈笹(くまざさ)
隈取(くまどり)
隈取る(くまどる)
畏=イ
おそれる・こわがる
懼(おそ)れ慄(おのの)く
かしこい(賢・俐・儇)
おそれおおい
懼(おそ)れ敬(うやま)う
敬服する・立ち竦(すく)む
恐ろしいめにあう
危険な体験をする
日本語
かしこまる
つつしむ(謹む)・謹慎
畏敬
畏縮
畏怖
恐れ・怖れ・畏れ
恐れ入る・畏れ入る
恐れ多い・畏れ多い
恐れながら・畏れながら
恐れ乍(なが)ら
恐れる・怖れる・懼れる・畏れる
畏くも(かしこくも)
畏怖嫌厭(イフケンエン)
夏日可畏(カジツカイ)
君子三畏(クンシノサンイ)
後生可畏(コウセイカイ)
影を畏れ迹を悪(にく)む
後生、畏るべし
↓↑
板垣の
「板(ハン)」
板=木+反
木+厂+又
十+八+厂+又
ハン・バン
いた・薄く平らに切った材木
版木(はんぎ)
印刷をするために
文字や絵などを彫った木の板
長さの単位=十尺(八尺とも)
板を打ち合わせて
音を出す打楽器
上げ板・揚げ板
上板・揚板(あげいた)
厚板(あついた)
板紙(いたがみ)
板子(いたご)
板材(いたざい)
板敷(いたじき)
板長(いたちょう)
板の間
板の間稼ぎ
一枚看板
二枚看板
白板天子(ハクハンのテンシ)
板子一枚下は地獄
板に付く
板挟みになる
表看板にする
看板倒れ
看板に偽りあり
看板に偽りなし
看板に傷が付く
看板にする
看板を下ろす
↓↑
隈板内閣(ワイハンナイカク)
日本史上初の
政党内閣
↓↑
明治23年(1890年)
帝国議会創設
民力休養・政費節減を
掲げる野党勢力(民党)が
多数派を占めた衆議院の協力・妥協抜きには
法律や予算が成立せず
政権運営が成り立たない状況
歴代内閣は
衆議院の二大勢力
自由党(板垣退助 総理)
進歩党(大隈重信 党首)
が
議会内与党勢力(吏党)
とあわせて
多数派工作をしながら
政権運営
第3次
「伊藤 博文」
内閣は
閣内の反対で二大政党のどちらとも
連携できずに議会と対立
明治31年(1898年)6月10日
前回選挙からわずか3か月で
衆議院を解散
6月22日
自由・進歩両党は合同し
憲政党を結成し
衆議院による一大勢力を形成
↓↑
伊藤は
藩閥政府を主体とする政党の結成を企図
山縣有朋
の反対で流れ
伊藤は辞任を決意
6月24日
御前会議で辞意を表明
後任に
大隈・板垣を推薦
6月25日朝
大隈・板垣
を官邸に招き
政権を移譲
6月27日
天皇より両名に大命降下
板垣が内相の地位を望み
大隈が首相兼外相となり
6月30日
大隈内閣発足
↓↑
全大臣の内
桂陸相
西郷海相
が前政権から留任
爵位を持っているため
衆議院議員の
被選挙権がなかった
大隈・板垣以外は
現職の衆議院議員
↓↑
板垣は
伊東巳代治
その他
自由党系が
「星 亨(とおる)」
駐米公使を望んでいたが
大隈は自ら兼務を続けたことに加え
進歩党系が
自由党系に比べて多数で
内紛を抱えた
尾崎行雄文相(旧進歩党系)は
第2次
松方内閣
で進歩党が連立入りしていた時代に
勅任参事官でありながら
進歩党の会議に出席したため
懲戒免職処分となっており
大隈の保証によって
天皇が懲戒免除の裁可を行った
↓↑
松田正久蔵相
大東義徹法相
は情実人事であると批判され
「星 亨(とおる)」
は駐米公使を辞任して帰国
倒閣に向けて動き
また
代議士が大臣だけでなく
省庁の次官・局長の地位も占め
行政は混乱した
↓↑
8月21日
尾崎文相
の共和演説事件発生
帝国教育会
茶話会で
尾崎行雄が
アメリカ共和制を例え
当時の財閥中心の
「金権政治」を批判演説
↓↑
三井、住友、三菱
国は富国強兵
↓↑腐國
今日併(ヘイ・並・并・俾=イ+卑弥呼?)
弊(㢢)害 睥睨(ヘイゲイ)
悪弊(アクヘイ)
旧弊(キュウヘイ)
語弊(ゴヘイ)
宿弊(シュクヘイ)
時弊(ジヘイ)
情弊(ジョウヘイ)
積弊(セキヘイ)
通弊(ツウヘイ)
疲弊(ヒヘイ)
衣弊履穿(イヘイリセン)
衣履弊穿(イリヘイセン)
徇私舞弊(ジュンシブヘイ)
不正をし、法律などを
捻じ曲げること
「徇私=自身の利益だけを追い求めること」
「舞弊=法律や規則を
自分の都合がよいように歪めること」
官吏が個人利益のために不正をし
法や規制をまげ
罪にならないようにすること
バイデンの息子の無罪放免・・・
類義語 「舞文弄法(ブブンロウホウ)」
舌弊耳聾(ゼッペイジロウ)
噺が回りくどい
風清弊絶(フウセイヘイゼツ)
弊衣破帽(ヘイイハボウ)
弊帚千金(ヘイソウセンキン)
思い上がり・自惚れ
弊履(ヘイリ)を棄つるが如し
次回にツヅク・・・
ー↓↑ーーー
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTube
↓↑
momo1
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3