ないえごろうブログ

同音異義の探索

「エンゲルベルト・ケンペル」の『日本誌』の草稿、「今日の日本(Heutiges Japan)」・・・颱風直撃

 文字霊日記・3341日目

 「つけあがる人」・・・「己がつけ上がる時」・・・?
  ↓↑
 「戊(つちのえ・ボ)」ではなく
 「己(つちのと・コ・キ・おのれ・よこしま)=私」・・・?
  ↓↑
  クラーク記念国際高等学校
  1992年開校
  通信制高校
  「夢・挑戦・達成」がモットー・・・アンビシャス(Ambitious)
  クラーク国際通信高校が甲子園で初勝利・・・7-1 前橋商(群馬)
  ↓↑
  2023年 干支40 癸卯(甲・ ・乙)年
  8  月 干支57 庚申(己・壬・庚)月
  8  日 干支35 戊戌(辛・丁・戊)日
  ↓↑
  2023年 干支40 癸卯(甲・ ・乙)年
  8  月 干支57 庚申(己・壬・庚)月
  9  日 干支36 己亥(辛・丁・戊)日
  ↓↑
 寛大であったり
 下手に出たり
 親切に
 優しくすると
  ↓↑
 「つけあがる人」・・・
 「腐汚塵・集金兵」?・・・その他多勢(含む時々のボク)
  ↓↑

 ↓↑
 「甘え=過剰な他者依存」・・・「甘えの構造」
 自分の欲求を与えてくれる人に依存し
 「自己解決」をしなくなる人
 自覚的に・・・
 「つけあがるコト」が「自己解決」かも・・・?
 ↓↑
 自分の
 「不利な立場」
 を利用して
 周りの人から同情を得
 他者に影響を与え
 自分が求めるものを
 手に入れるため
 他者を犠牲にする
 ↓↑
 つけ上がるヤツラ
 ↓↑
 自己存在を過大評価し
 自惚れる
 思い上がる
 いい気になる
 図に乗る
 調子をこく
 驕(おご)る
 慢心する
 高ぶる・偉ぶる
 憚(はばか)る
 分をわきまえない
 つけ上がる
 胡坐をかく
 天狗になる
 傲慢になる
 踏(ふ)ん反(ぞ)り返る
 自己過信
 自信過剰になる
 大物ぶる
 ↓↑
 Get puffed up
 puffed(パァフヅ)
 You mustn't
  get puffed up with your success.
 おごり高ぶるな
 ↓↑
 puffed up with vanity
 うぬぼれてのぼせあがる
 puffed
 ふくらんだ・ふくらませた
 vanity
 虚栄心・うぬぼれ・うぬぼれているもの
 空虚・むなしさ
 はかなさ・つまらなさ
 むなしい物事・はかない行為
  虚栄心・うぬぼれ
 vanity(ヴァニティ)
 過度の自信・自己賛美に対する過度の欲望
 pride(プライド)=正当な自尊心・自信
 ↓↑
 out of vanity
 虚栄心から・見えで=見栄
 自慢の種・うぬぼれているもの
 空虚・むなしさ・はかなさ・つまらなさ
 the vanity of human wishes
 人間の願望のむなしさ
 むなしい物事・はかない行為
 Vanity of vanities
 空(くう)の空
 all is vanity
 いっさいは空(無知)・・・空即是色
 (無色=透明・白色=未知有色)である
 米国
 vanity case.
 化粧テーブル.
 ↓↑
 「つけあがっているコト」に
 無自覚なヤツラが
 存在する、「実存」する・・・
 「つけあがっているヤツラ」に
 無自覚に
 「依存するヤツラ」も
 存在する、「実存」する・・・
 アンタは「ドウする」・・・
 ↓↑
 「言葉・事葉・詞・辞」=ことば=「糊塗葉・異葉・拠訳葉」
 2015-10-23 19:47:43
 古事記字源
 ↓↑
 「イチョウ」が
  ・・・イチョウ
   (公孫樹)の漢字を
   「銀杏」とし・・・公の孫のキ(記紀
         ハムの孑孑の一の糸
           ボウフラ
         孑=ケツ・ゲツ
         ひとり=独り・一つ
         右の腕がない
         遺り・残り
         余(あま)り・餘り
           天  里
         小さい
   音読に
   「ギンコ・ギンアン=ぎんなん」
    銀=金+艮
    杏=木+口
    呼び名の訓読を
   「イチョウ・いちょう」と記録・・・
    医長・委長・伊調・移調
 ↓↑
 「イチョウ」が
 日本に生えていることは
 「生きた化石」の発見と受け取られ、
 ケンペルに遅れること
 約140年後に日本に渡った
 フィリップ・フランツ・フォン
 シーボルト・・・・「置維波斯徳利」
 に大きな影響を与えた・・・
 ↓↑
 「エンゲルベルト・ケンペル」の漢字名は不明・・・だが・・・
  遠 解留部留訳 建 経留・・・?
  縁 外瑠部婁徒 懸務経留・・・?
    ↓↑
   思格爾(尓) =エンゲルス係数 ?
   馬克斯=馬克思=マルクス 資本論
    ↓↑
 (Engelbert Kaempfer,
 エンゲルベアト・ケンプファー
 1651年9月16日~1716年11月2日
 ドイツ北部
 レムゴー出身の医師、博物学
 ヨーロッパにおいて
 日本を初めて体系的に記述した
 「日本誌」の原著者
 哲学、歴史、
 古代や当代の
 色々な言語を学ぶ
 ↓↑
 1681年
 スウェーデンのウプサラのアカデミー
 ドイツ人博物学
 ザムエル・フォン・プーフェンドルフ
 の知己となる
 彼の推薦でスウェーデン国王
 カール11世
 が
 ロシア・ツァーリ国モスクワ大公国
 と
 ペルシア・サファヴィー朝
 に派遣する使節団に
 医師兼秘書として随行
 1683年10月2日
 使節団はストックホルムを出発
 モスクワ経由で
 同年11月7日
 アストラハンに到着
 カスピ海を船で渡って
 シルワン(アゼルバイジャン)に到着
 バクーと
 その近辺の
 油田について記録
 南下し
 ペルシアに入り
 1684年3月24日
 首都イスファハンに到着
 ケンペルは使節団と共に
 イランで20か月を過ごし、
 ペルシア
 や
 オスマン帝国の風俗、
 行政組織についての記録
 最初に
 ペルセポリスの遺跡について記録した
    ↓↑
 バンダール・アッバース
 オランダの艦隊が入港
 ケンペル・・・建経留
 は、
 使節団と別れて
 船医としてインドに渡る決意
 1年ほど
 オランダ東インド会社の船医として勤務
 その後、
 東インド会社の基地がある
 オランダ領東インド
 バタヴィア
 へ渡り、
 医院を開業
 日本行きの便船で
 ケンペルは
 シャム(タイ)を経由して
 日本に渡航
 1690年(元禄三年)
 オランダ商館付の医師として、
 約2年間
 出島に滞在
 1691年(元禄四年)
 1692年(元禄五年)
 に
 江戸参府
 将軍
 徳川綱吉
 にも謁見
 滞日中、オランダ語通訳
 今村源右衛門
 の協力を得て資料を収集
 1692年
 離日
 バタヴィアに戻る
 1695年
 12年ぶりにヨーロッパに帰還
 オランダの
 ライデン大学
 医学博士号を取得
 リーメに居を構え医師開業
 デトモルト
 に居館を持つ伯爵の侍医となる
 1700年
 30歳年下の女性と結婚
 1712年
 「廻国奇観・(Amoenitates Exoticae)」
 出版
 ケンペルは前文の中で、
 「想像で書いた事は一つもない。
  ただ
  新事実や
  今まで不明だった事
  のみを書いた」
 と宣言
 大部分の記述は
 ペルシア
 日本の記述は一部
 『廻国奇観』の執筆と同時期に
 『日本誌』の草稿である
 「今日の日本(Heutiges Japan)」
 の執筆にも取り組む
 1716年
  11月
   2日
 ケンペルはその出版を見ず死去
 故郷
 レムゴー
 には彼を顕彰し
 その名を冠した
 ギムナジウム・・・義務名字得務?
 がある・・・
 遺稿は
 3代の
 イギリス国王(アン~ジョージ2世)に
 仕えた侍医で収集家だった
 ハンス・スローン
 に売られた
 1727年
 遺稿を英語に訳させた
 スローン
 により
 ロンドンで出版
 「日本誌(The History of Japan)」
 は、
 フランス語、オランダ語にも翻訳
 ドイツでは啓蒙思想
 ドームが
 甥の
 ヨハン・ヘルマン
 によって書かれた草稿を見つけ、
 1777~79年に
 ドイツ語版
 (Geschichte und Beschreibung von Japan)
 を出版
 『日本誌』は、
 特に
 フランス語版
 (Histoire naturelle, civile,
   et ecclestiastique de I'empire du Japon)
 が出版
 ディドロ・・・出意泥?
 の
 「百科全書」
 の
 日本関連項目の記述が、
 ほぼ全て『日本誌』を典拠とした
 ゲーテ、カント、ヴォルテールモンテスキュー
 らも愛読
 19世紀の
 ジャポニスムに繋がった
 学問的にも、
 既に絶滅したと考えられていた
 「イチョウ」が・・・イチョウ(公孫樹)の漢字を
          「銀杏」とし、
           音読に
          「ギンコ・ギンアン」
           呼び名の訓読を
          「イチョウ」と記録・・・
 日本に生えていることは
 「生きた化石」の発見と受け取られ、
 ケンペルに遅れること
 約140年後に日本に渡った
 フィリップ・フランツ・フォン
 シーボルト・・・・「置維波斯徳利」
 に大きな影響を与えた・・・
    ↓↑
 ケンペルは著書の中で、
 日本には、
 聖職的皇帝(天皇
 と
 世俗的皇帝(将軍)
 の
 「二人の支配者」がいると紹介
 「日本誌」の中の付録収録の
 日本の対外関係に関する論文は、
 徳川綱吉
 治政時の
 日本の対外政策を肯定した、
 「日本誌」出版後、
 ヨーロッパのみならず、
 日本にも影響を与えた
 「日本誌」
 オランダ語
 第二版
(De Beschryving Van Japan 1733年)
 を底本として、
 志筑忠雄・・・・「志・筑・忠・雄」
 (しづき ただお)
 宝暦十年(1760年)
  ~
 文化三年七月三日(1806年8月16日)
 江戸時代長崎の蘭学者
 阿蘭陀稽古通
 「鎖国論」翻訳
 は
 享和元年(1801年)に
 この付録論文を訳出し、
 題名があまりに長いことから
 文中に適当な言葉を探し、
 「鎖国論」と名付けた・・・
 日本語における
 「鎖国」という言葉の誕生・・・
 1727年
 英訳に所収された
 「シャム王国誌」
 (A Description of The Kingdom of Siam)
 は、同時代の
 タイ(泰)に関する記録として
 「非カトリック・非フランス的」
 な視点から描かれて、
 タイの歴史に関する貴重な情報源・・・
 スローン
 が購入した
 ケンペルの収集品は
 大部分が大英博物館に所蔵
 一方ドイツに残っていた膨大な蔵書類は
 差し押さえにあい、散逸
 ただし彼のメモや書類は
 デトモルトに現存
 ↓↑
 『日本誌』は
 彼の遺稿と
 英語の初版とでは
 かなりの
 違いがある
 ヴォルフガング・ミヒェル
 (Wolfgang MICHEL)
 が中心となって、
 2001年に
 原典批判版
 「今日の日本(Heutiges Japan)」
 が
 初めて発表された
 この原典批判版を皮切りとした
 ケンペル全集は
 全6巻(7冊)刊行
 今井正による日本語訳は
 ドーム版を底本としており、
 ケンペルの草稿とは
 所々でかなり異なっている。
 よって現在のケンペル研究は、
 原典批判版をはじめとする
 ケンペル全集や、
 大英図書館に所蔵された
 各種ケンペル史料に基づくのが、
 世界的なスタンダードとなっている・・・らしい・・・
ーーー↓
 十三湊
 2013-06-08 14:46:35
 古事記字源
  それにしても「十三」の「サン=三=みっつ=参・參=シン」が「ソウ」の「発音」って?・・・「人参(にんじん・ジンサン)」・・・「湊(みなと)」の音読みは「ソウ」だが、「三(みっつ・サン・さぶ)」、人名では「三」は「ゾウ」と呼ばれる・・・「ぞう(ゾウ)→そう(ソウ)」・・・
 「しじみシジミ・詞字視」であるかな・・・
 「参」を部首とする漢字は、
 「蔘・襂=サン・シン・高麗人参朝鮮人参」で、韓国料理の「蔘鷄湯(サムゲタン)」の食材にもなっているらしい。
 「篸=サン」は「かんざし・カミ飾り・ hair ornament(オゥナメント)・hair ribbon(リボン)・comb(コーム)=櫛(くし)=挿し櫛はカミを飾る、カミを梳くモノ・to smoothe down one's hair=笄(こうがい・髪掻き)」で、部首漢字にすれば「毎」の「ノ一」の部分で「髪挿し」ある。
 「鬖(サン・シン・セン)」は「櫛が必要なワイルドな髪」・・・「乱れ髪」か、「スギちゃんのワイルドだ、ゾゥッ?野性的な髪型か?ライオンキング」、「槮(シン・すぎ)=杉(サン・すぎ)=椙(すぎ)」、「悲惨・惨禍・惨劇・凄惨=悽惨」の「惨=慘(みじめ・サン・ザン)」・・・
 場所、位置的に「十三(ジュウソウ・とさ)湊」に関連し「そう=沿う・添う・副う」のは、「三・参・參=ム+ム+ム+人+彡」の部首漢字である。
 「秋鰺(あきあじ)」は「ソウ」と発音される漢字の「鯵=鰺(あじ・ソウ)」であるが、「アイヌ語のチュクチェプ=秋食)」の和訳であるらしく、「秋、産卵のために川をのぼる鮭(さけ)の異名」で、北海道・東北地方では「アキあじ(秋鰺)」は「鮭・塩鮭の意」である・・・
 ソウ、「鳴滝塾」の「滝=瀧(たき・ソウ)」・「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・あまのむらくものつるぎ)」の「叢(くさむら・ソウ)」・「湊(みなと・ソウ)」・・・「ジュウソウ=重層、重奏、銃創、拾層、十艘」・・・源義経の「壇ノ浦の戦い」での「八艘跳び」・・・「歌舞伎(かぶき)」のタイトルは「艘(ふね・ソウ)=舟+叟」が「嫂(あによめ・ソウ)=女+叟」となっている。太って肥満体の反対の「痩身(ソウシン・やせ)」の類字は「廋(ショウ・ソウ・かくす・かくれる)」である。
 「叟」に類字の「臾」は「ユ・ヨウ・ひきとめる・しばらく・わずか・すすめる」である。捜査の「捜(ソウ)」は「さがす」で、「叟」は「おきな(翁)・ソウ・ス」で、「塞翁が馬」の「北叟(=塞翁)」の「ホクソウ」・・・「三番猿楽=三番叟(さんばそう・大蔵流では三番三)」、「能の「翁(おきな)」で、千歳( せんざい)・翁に次いで三番目に出る老人の舞」。「父尉の段・翁の段・三番猿楽の段は連続して上演されたための呼称」・・・であるらしい・・・「舅(キュウ・ギ)」は「しゅうと」で「臼+男(田力)」である。連想すれば「女と男」の「凹+凸」である・・・

 漢字分解すれば、

 「叟=臼+|+又」
 「臾=臼+人(入)」

 である。
ーーー↓
 十三湊(とさみなと)

 鎌倉時代後期
 豪族安東氏の本拠地として
 蝦夷(渡島・北海道)のアイヌと和人との間の交易拠点であった。また、『廻船式目』では「三津七湊」の一つで、当時の博多湊に並び称される港湾都市朝鮮半島、中国などと貿易。

 十六世紀後半から江戸時代には
 岩木川を下って来た米を
 鯵ヶ沢湊(西津軽郡鰺ヶ沢町)へと
 中継する
 「十三小廻し」が行われた。北前船の航路の深浦湊(西津軽郡深浦町)、鯵ヶ沢湊、三厩湊(東津軽郡外ヶ浜町)、青森湊などと共に弘前藩の重要港湾で、上方から蝦夷地へ向かう船の寄港地であったらしい・・・
ーーーーー
 ルイス→信長・本之得字←弥助←埜素懸←野洲
 2013-06-08 23:47:01
 古事記字源
 本能寺・南蛮寺・織田信長デスマスク・黒人・弥助・ヤスフェ・日本・ジパン・モザンビーク・着物・キマウ・葡萄牙ポルトガル・おんぶ・肩・・・TV番組「日立(常陸)世界発見」・・・
 モザンビーク=「莫三鼻給・茂山比丘」・・・
 以前にも書いたが、事件の記録された年代、月日の数字がイト、おもしろし・・・信長のデスマスク・・・ヤッパ、アラブ系に見える・・・?
 ・・・「弥助」・・・
ーーー↓
 「ウイッキペデアからの参照抜粋」
 ↓↑
 黒人男性で、現在のモザンビーク出身とされる。天正9年2月23日(1581年3月27日)に、イタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが信長に謁見した際に奴隷として引き連れてこられた。
 天正九年
 三月
 十一日
 (1581年4月14日)付で
 ルイス・フロイスイエズス会本部に送った年報や、
 同時期の
 ロレンソ・メシヤの書簡によれば、京都で黒人がいることが評判
 天正十年四月十九日
 (1582年5月11日)付けの「松平家忠日記」に
 「名は弥助、身の丈六尺二寸(約187cm)、
  黒人男性、身は炭のごとく」
 に記述。信長甲州征伐の帰国途上での出来事
 天正十年
 六月
 二日
 (1582年6月21日)
 本能寺の変
 信長が死ぬと
 二条御所に行って戦った末、
 明智軍に捕縛
 光秀は
 「動物で何も知らず日本人でもない」と処刑はせず、
 南蛮寺に送った
 故郷の弥助が生まれたとされる村、
 マクティでは
 顔に白塗りをし・・・オモシロシ→面白し
 着物に似たもの・・・
 チャクブツ→摘物→知訳物・地埜句部通
 (キマウ⇔着物)を着る祭りがある
 キモノ→記(紀)物←木物
 モザンビーク=「莫三鼻給・茂山比丘」→模纂比意句 
ーーーーー

(ユカリとオジさんの世迷い言・2)

古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)

エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・
オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポルカ」 (haa98940.wixsite.com)