ないえごろうブログ

同音異義の探索

太陽神=アポローン=ヘーリオス=ラー(Ra))=solar(ソーラー) deity (ディーアティ)

 文字霊日記・3201日目

 つもり・・・スルつもり・・・シタつもりの気分・・・

 つまる・つみる・つむる・つめる・つもる

 ↓↑

 らりるれろ

 ラリルレロ

 ラー(Ra))=solar(ソーラー) deity (ディーァティ)

 等蛙    サァラァ 蘇鴉羅蛙    出意委蛙綴

 鸕     sóʊlər=空       出言い当て意・・・?

 ↓↑
 太陽神=アポローン(Apollōn)
     「遠矢射る神」
     「詩歌・音楽・芸能・芸術の神」
     「羊飼いの守護神」
     「光明の神」
     「疫病・頓死の神」
     「治療神」
     「ヘーリオス(太陽神)」・・・
     前5世紀
     「ヘーリオス」と混同され
     ローマ時代
     「太陽神」と化した
     聖獣=狼・蛇・鹿
     聖鳥=ヒュペルボレオイの国から飛来する
        白鳥(しらどり)・・・大和建
        鴉(からす)・・・加羅
        雄鶏(おんどり」)
        ・・・阿輩雞(鵻・鷄)彌=阿毎王朝
        鷹(たか)
        禿鷹(はげたか・コンドル=condor)
        蝉(せみ)
        海豚=いるか(デルピス)=入鹿
           イルカに変身=デルピニオス
                 「デルポイ」は地名
     武器=銀の弓矢
     シンボル=竪琴
          櫚・御柳
          月桂樹(ダプネー)
        ・・・桂小五郎
 月女神=アルテミス
    「疫病と死の女神」
    =ディアーナ(Diāna・Dīāna)
     「産褥の苦痛を免れる死を恵む女神」
      シンボル=熊・鹿・猟犬
           糸杉(いとすぎ)
         ・・・杉  寅次郎
            吉田 松陰
            吉田 寅次郎
            一族
            父  杉 常道
            母    瀧
            兄    梅太郎(民治)
            妹    芳子(千代)
                 児玉祐之の妻
            妹    寿
                 小田村伊之助
                (楫取素彦)の妻
            妹    艶 早世
            妹    美和子(文)
                 久坂玄瑞の妻
                 楫取素彦の後妻
            弟    敏三郎
           ↓↑
           糸杉(いとすぎ・シサン)
              意図諏義 史纂(簒)
              伊都洲疑?
 拿=合+手・・・
   亼+口+手
   人+一+口+手
   ダ・・・・・妥・兌・兊
         雫・蛇
         惰・楕・堕・媠
         隋=隨・陏・随・髄
         建・垂=埀・出・儺
         多・太・大
   ナ・・・・・名・奈・納・茄・並・勿・嘗
   つかむ
   とらえる
   ひく
   力強くひっぱる
   つかまえる=拿捕
   拿(つか)む
   拿(と)らえる
   拿(ひ)く
   異体字「拏=女+又+手
       㧱=合+手」
 亼=シュウ
   ジュウ・・・蒐・聚・拾
   あつまる=集
 ↓↑
 危(あぶ)ない、
 気(き)おつけろッ・・・テッ、か?
 ・・・ドウも、スミまセン・・・?

 ↓↑
 つもり・・・スルつもり・シタつもり・・・ツモッタ?
       気分・記文・紀文
       紀聞・記聞・奇聞・希文・黄文
 ↓↑
 気(き)押っ付けろッ・・・?
 ↓↑
 気を付ける(きをつける)・・・?
 気持ちや、記憶、頭、心に留め置くこと
 常時、危機的、緊急事態に備え行動できるようにしておく
 瞬時の出来事にも対処できるように心構えをしておく
 緊張しろ・油断するな
 気をつけろ
 注意を払え
 元気をつけさせる
 気づかせる・思い出させる
 留意・注意・用心
 ↓↑
 気をつけ(attention・take carefully)
 ↓↑
 直立不動となる人体の姿勢
 その姿勢を命ずる号令の一種

 ↓↑
 caution=コーション・警告する・戒める・要注意
 alert=アラート・警告
     alert・alerts・alerting
     warn・warned・warning
     警報
     alarm・alarming・alert・alerts
 warning=ワーニング
       厳重注意
            回避しないと
      死亡
      重傷を負う可能性がある危険状況
 attention=アテンション
      回避しないと
      軽度の傷害を負う危険状態
     「気を払う・意識を向ける・注意を向ける」
 ↓↑
 気=气+㐅(乂・乄・Ⅹ)
 氣=气+米
   𠂉+一+㇈(乁)+米
   𠂉+一+㇈(乁)+丷+木
   𠂉+一+㇈(乁)+丷+十+八
   キ
   ケ
   いき(意気・息)・・・意気込み・気迫・霊気
   くうき(空気)
   冷気(レイキ)
   寒気・熱気・温気・換気
   勘気=主人、親などの怒りにふれ、とがめを受けること
   うんき(雲気・運気)
   すいじょうき(水蒸気)
   たいき(大気)
   息・呼吸・息をふきかける・呼吸をする
   気張る
   やる気・する気
   やるツモり・するツモり
   ↓↑

   気長足姫尊
  (おきながたらしひめのみこと)『日本書紀
   息長帯姫大神
  (おきながたらしひめのみこと)『古事記
   大帯比売命
  (おおたらしひめのみこと)『古事記
   大足姫命皇后『続日本後紀
   大帯日姫『日本三代実録
   ↓↑
   神功皇后
  (成務天皇40年~神功皇后69年4月17日)
   第14代天皇仲哀天皇の皇后
   仲哀天皇崩御応神天皇即位まで
   約70年間摂政
   在位 神功皇后元年10月2日~69年4月17日
   ↓↑
   父 開化天皇の玄孫の
     息長宿禰
   母 天之日矛の子孫
       ・・・新羅王子=天日槍=天之日矛
     葛城高顙媛
        顙=䫙=ソウ
        顙=桑+頁=叒+木+頁
            額(ひたい)・頭
            ぬかずく
            頭を地面につけて
            礼をする
            お辞儀をする
        䫙=桒+頁
          十+卄+木+頁
          十+廾+木+頁
          十+一+丿+丨+木+頁
          桑+頁=桒+頁
          桑  =桒
          くわ
          クワ科の落葉 高木
              洛陽・落陽・酪陽
                 公僕・坑木・厚朴
              高木神=高皇産霊尊
              高木 兼寛(かねひろ)
              嘉永二年九月十五日
              1849年10月30日
              ~
              大正九年
              1920年4月13日

              高橋=膳=柏で
              高句麗・高麗
          ↓↑   
          葉=桑は蚕(かいこ)の飼料
            扶桑=日本=大和=倭
          桒⇔棄=亠+厶+丗+木=弃
              亠+厶+廿+丨+木
           揚棄アウフヘーベン止揚
           aufheben
          (独語・ヘーゲル哲学の認識論概念)
           拾い上げる・保存する・中止する
          「破棄する」の意
           弁証法の基本概念の一
           あるものを否定しつつ
           より高次の統一の段階で生かし
           保存すること
             =弃=云+廾
                亠+厶+廾
   ↓↑
   神功皇后
   弟 息長日子王
   妹 虚空津比売
     豊姫
   ↓↑
   仲哀天皇二年一月
   立后
   天皇の九州熊襲征伐に随伴
   仲哀天皇九年・・・西暦367年?
   二月
   崩御
   三月
   熊襲征伐・・・熊(くま・ユウ)を襲(かさねる)
   十月
   新羅へ攻め込み
   百済
   高麗
   も服属させる(三韓征伐)
   十二月
   誉田別尊応神天皇を出産
   ほんだわけみこと
   ・・・本を拿(合+手・あわ・ダ)せて別けて見る事?
        拿=合+手
          亼+口+手
          人+一+口+手
          ダ
          ナ
          つかむ
          とらえる
          ひく
          力強くひっぱる
          つかまえる=拿捕
          拿(つか)む
          拿(と)らえる
          拿(ひ)く
          異体字「拏=女+又+手
              㧱=合+手」
   ↓↑
   翌年
   仲哀天皇の嫡男、次男
   香坂皇子・・・香=禾+日
          坂=十+一+反
          日下・日下部
          草壁・草加部・久坂部・・・草彅
   忍熊皇子・・・忍=刃+心
          熊=ム+月(肉)+七(匕・ヒ)+灬
          熊(ユウ)の忍耐・我慢・・・熊親爺=ペリー
          熊津・球磨津・久万津
   と
   滋賀付近での戦い勝利、凱旋
   皇太后摂政となり
   誉田別尊を太子とした
   明治時代まで
   『常陸国風土記扶桑略記神皇正統記
   で
   第15代天皇
   初の女帝(女性天皇
   大正十五(1926)年
   皇統譜令(大正15年皇室令第6号)
   より正式に歴代天皇から外された
   摂政69年目に崩御
   ↓↑
   気=氣=息=大=一+人
          =壹+人=十一冖+豆(高坏・まめ・ズ)
          =壱+人=十一冖+匕(七)
ー↓↑----
 気=氣
 物質の三状態の一つ
 気体
 天地間に生じる自然現象
 元気・活力・人間の活動力の根源
 偉人の雲気(うんき)
 気力・気勢・心構え
 におい(匂)・かおり(香)
 においをかぐ(嗅ぐ)・におい(臭気)がする
 様子・けはい(気配)
 おもむき(趣)
 感じ
 陰暦
 一年を二十四分した
 一つの期間・二十四節気(節季)
 生命・意識・心などの状態や働き
 息・呼吸
 意識
 物事に反応する心の働き
 精神の傾向・気質
 精神の盛り上がり・気勢
 気分・気持ち
 あれこれ考える心の動き
 心遣い・心配
 物事にひきつけられたり
 恋い慕ったりする気持ち
 興味・関心
 何かをしようとする
 何かしたいと思う心の動き
 つもり
 天地に生じる自然現象
 空気・大気・水蒸気などの気体
 あたりに漂う雰囲気
 心に感じる周囲のようす
 ある物がもっている特有の香りや風味
 1年を24分した一つの
 15日間
 さらに
 3分した一つを候
 気は
 3候からなる=節気
 ↓↑
 金蛙王・・・キンのカエルのオウ
       カネをカエルのウオン?
       王=おう・わ・ワン⇔鰐(わに)・鬼(おに)
         王仁 倭 倭武 兔(うさぎ)桃(もも)太郎     
 東扶余
 第2代国王
 王朝 東扶余
 都城 迦葉原・・・河馬波羅
 父  解夫婁王・・甲斐布留⇔海部留・魁附留?
 母  不詳
 后妃 柳花夫人
 ↓↑
 金蛙王
 金蛙王(きんあおう・クムワワン)
 高句麗建国神話
 伝説上の人物
 扶余王
 「解夫婁(かいふる・ヘプル)」・・・経振る
 の子
 「東明聖王朱蒙(シュモウ)」
 の父
 『三國史記』13巻
 高句麗本紀第1
 東明聖王
 「解夫婁」王はある日
 「鯤淵(コンヱン・地名)の池で
 王の乗っていた馬が
 岩を見て立ち止まり
 涙を流した
 王は不思議に思い
 その岩を動かしてみると
 「金色の蛙」
 の姿をした子供がいた
 王は天が私に嗣子を与えてくれたと思い
 名を
 「金蛙」
 と名付け太子とした
 その後、宰相の
 「阿蘭弗」
 が
 「天の神が私に降臨して
 『吾が子孫がいずれ国を作るだろう
  この地から離れなさい
  東海に
  迦葉原(かしょうげん)という地がある
  そこは五穀が良く実る
  ここに都を遷すと良いだろう』
 と言いった」
 と「解夫婁」に進言し
 王は都を迦葉原の地に遷し国名を
 「東扶余」
 とした
 「扶余の都」
 から元の王である
 「解夫婁」
 が退去した後
 天帝の子を自称する
 「解慕漱(かいぼそう・へモス)」
 がその跡地に現れて
 新しく
 「扶余王」となった
 これを
 「北扶余」という
 「東扶余」
 では
 「解夫婁」
 が死去した後
 「金蛙」
 が後を継いで
 「東扶余」王
 となった
 ↓↑
 柳花夫人(りゅうかふじん・ユファブイン)
 中国の
 「河伯
 の娘
 高句麗の建国者
 朱蒙の母
 夫は
 「解慕漱」
 と
 「金蛙王」
  ↓↑
 『好太王碑』
 「(朱蒙は)天帝の子
  母は河伯の女郎」
 『魏書』高句麗
 『三国史記高句麗本紀
 「河伯」・・・「魁罡」
 の女
 「柳花」
 が室内に閉じ込められ
 日光に感応
 「朱蒙
 を生んだ
  ↓↑
 『日本書紀
 天智天皇七年(668年)冬十月条
 「仲牟王(朱蒙)」
 は高麗(高句麗)を建てた時
 国の千年の存続を願ったが
 母夫人(柳花)は
 「善く国を治めても700年でしょう」
 と言った
 唐の大将軍
 「英公(李勣)」
 が
 高句麗を滅ぼしたのは
 まさに700年目であった・・・
 ↓↑
 冬十月
 大唐
 大將軍
 英公
 打滅高麗
 高麗
 仲牟王
 初建國時
 欲治千歳也
 母夫人云
 若善治國可得也(若或本有不可得也)
 但當有七百年之治也
 今此國亡者
 當
 在七百年之末也

  ↓↑
 『日本書紀』巻第二十七
 『続日本紀延暦九年一月十五日(790年2月3日)
 「皇太后高野新笠)」・・・桓武天皇の母
 の葬式の箇所に
 「(遠祖の都慕王は)
   河伯の娘が日光に感応して生んだ」
 「高野新笠
 の諡号
 「天高知日乃子姫尊」
 ハコの伝説に因んで贈られた
 ↓↑
 明年正月十四日辛亥
 中納言正三位
 藤原朝臣
 小黒麻呂
 率誄人奉誄
 上諡曰
 天高知日之子姫尊
 壬午
 葬於大枝山
 皇太后
 和氏
 諱 新笠
 贈正一位
 乙継之女也
 母 贈正一位
 大枝朝臣 眞妹
 后先出自
 百濟
 武寧王
 之子
 純陀太子
 皇后容徳淑茂
 夙著聲譽
 天宗高紹天皇龍潜之日
 娉而納焉
 生今上
 早良親王
 能登内親王
 寳龜年中
 改姓
 爲
 高野 朝臣
 今上即位
 尊爲 皇太夫
 九年 追上 尊號
 曰 皇太后
 其 百濟 遠祖
 都慕王者
 河伯之女
 感日精而所生
 皇太后即其後也
 因以奉諡焉
 『続日本紀』巻第四十
 ↓↑
 父 河伯
 夫 解慕漱
 夫 金蛙王
 子 朱蒙
 子 解夫婁王
 ↓↑
 高野 新笠(たかの の にいがさ)
 ?~延暦八年十二月二十八日(790年1月17日)
 光仁天皇
 宮人、後 夫人
 桓武天皇
 早良親王
 能登内親王
 の生母
 桓武天皇の即位後
 皇太夫
 薨去
 贈皇太后
 贈太皇太后
 諡号 天 高 知 日之子姫  尊
   (あめたかしるひのこひめのみこと)
 ↓↑
 父は
 百済系渡来人
 「和(ワ・カ)」氏
 史姓の
 「和乙継(やまとのおとつぐ)」
 母は
 宿禰姓の
 「土師真妹(はじのまいも・真姝)
  ↓↑
 『続日本紀
 父方の「和氏」は
 百済
 「武寧王」の子孫とされている
 高野朝臣
 (たかの の あそん)
 光仁天皇
 即位後の賜姓
 ↓↑
 天智天皇の孫
 「白壁王(光仁天皇)」
 の宮人(側室)
 天平五年(733年)
 「能登女王」
 天平九年(737年)
 「山部王(桓武天皇)」
 天平勝宝二2年(750年)頃
 「早良王」
 を生む
 ↓↑
 白壁王
 天平十六年(744年)以後
 「称徳天皇
 の異母妹
 「井上内親王
 を正妃に迎える
 宝亀元年(770年)
 「称徳天皇」死後
 「天武系皇統」断絶
 62歳で
 「光仁天皇
 となった
 皇后には
 「井上内親王
 皇太子
 「他戸親王
 ↓↑
 新笠の甥
 「和家 麻呂」
 が議政官に任ぜられた
 「蕃人の相府に入るはこれより始まる」
 と記された
 渡来人の身分は低く
 「新笠」
 の皇子達にも皇位継承権はなかったが
 宝亀三年(772年)三月
 「井上皇后
 は、呪詛による大逆を図った罪で
 皇后を廃され
 「他戸親王」も
 五月に廃太子
 宝亀四年十月
 母子ともに庶人に落とされ
 大和国の没官の邸に幽閉
 宝亀六年(775年)四月二十七日
 幽閉先で死去
 宝亀四年(773年)一月二日
 「新笠」の子
 「山部親王桓武天皇)」
 が立太子
 藤原式家
 「乙牟漏」
 を妃に迎え
 宝亀五年
 「平城天皇」が生まれた
 ↓↑
 宝亀9年(778年)1月29日
 「新笠」
 従四位下従三位
 「高野朝臣
 を賜り夫人となったが
 立后はされず
 藤原式家
 「藤原永手」の娘
 「藤原曹司」
 が従三位・夫人の位
 ↓↑
 天応元年(781年)四月十五日
 「桓武天皇」即位
 「新笠」は皇太夫人と称され
 四月二十七日
 正三位に昇叙
 皇太子に
 桓武天皇の同母弟
 「早良親王
 が立ったが
 延暦四年(785年)
 「早良親王
 は
 「藤原種継事件」
 に連座し淡路へ流され、自殺
 延暦八年
 「新笠」死亡
 「藤原乙牟漏」
 「藤原旅子」
 らが死亡
 「早良親王」の怨霊による・・・
 延暦二十五年(806年)
 太皇太后を追贈
 陵
 大枝陵(京都市
     西京区
     大枝
     沓掛町
     字
     伊勢講山)
 諡号
 「天高知日之子姫尊」
 百済王族の遠祖
 「都慕王(東明王)」
 は
 「河伯
 の娘が日精に感じて生まれた人
 という伝承に因んだ名・・・
 ↓↑
 父の「和 乙継」
 百済系渡来人
 和氏(姓(かばね)は史(ふひと))
  ↓↑
 「光仁天皇
 宝亀年間(770年~781年)
 「高野朝臣」と改姓
 母の
 「土師真妹」
 は
 土師氏(姓(かばね)は宿禰(すくね))
 桓武天皇即位後
 延暦九年(790年)
 大枝朝臣と改姓(没後賜姓)
 延暦八年までにどちらも死去
 正一位が追贈
  ↓↑
 『続日本紀延暦九年一月十五日条
 「皇太后姓は
  和氏
  諱は新笠
  贈正一位
  乙継の女(むすめ)なり
  母は
  贈正一位
  大枝朝臣
  真姝なり
  后の先は
  百済
  武寧王の子
  純陁太子より出ず
  ……
  其れ
  百済の遠祖
  都慕王は
  河伯の女
  日精に感じて生めるところなり
  皇太后は即ち其の後なり」
 和氏を
 「武寧王
 更に古くは
 「東明王
 の子孫・・・
 『日本書紀継体天皇七年(西暦513年)
 「百済太子
  淳陀
  薨」
 「純陁」
 「淳陀」
 「武寧王」の子に
  彼らに比定できる人物はいない・・・
  ↓↑
 「武寧王」の没年(523年)
 と
 「高野新笠
 の推定生年(720年頃)には約200年の開き
 古い世代の帰化氏族・・・
 父方の
 「和氏一族」
 「和家麻呂(新笠の甥、桓武天皇の従兄弟)」
 以降、ほとんど知られていない
 ↓↑
 母方の土師氏
 「天穂日命
 を遠祖とした出雲国造の分流
 「垂仁天皇」時代の
 「野見宿禰」を祖
 桓武天皇の頃
 土師氏は四系統に分かれ
 「真妹」の家は
 「毛受腹(もずばら)」
 和泉国百舌鳥古墳群
 百舌鳥地方(大阪府堺市
 を本拠とする系統
 「真妹」の一族は
 「大枝朝臣(大江朝臣)」
 その他は
 「菅原朝臣
 や
 「秋篠朝臣
 を賜姓
 ↓↑
 高野朝臣の改賜姓
 宝亀年間(770年~781年)
 宝亀九年(778年)一月
 叙位記事に
 高野姓で記載
 高野朝臣姓は
 「乙継」
 「新笠」
 の父娘2人にのみ賜姓され
 後宮の后妃への
 賜姓は稀
 ↓↑
 「高野」
 字(あざな)
 奈良市高の原・・・
 宝亀年間
 孝謙称徳天皇陵(高野陵)が置かれ
 孝謙称徳天皇
 「高野天皇・高野姫天皇
 高野朝臣への改賜姓は
 宝亀三年(772年)
 聖武天皇の血統
 皇后・井上内親王
 皇太子・他戸親王
 が廃され
 「山部親王桓武天皇)」
 の立太子に係る
 皇太子の母
 「新笠」
 が聖武天皇嫡女の
 「孝謙称徳天皇
 に縁の姓に改めることは
 皇太子を正当化するための措置
 母を介して聖武皇統に繋がるための
 擬制的な作為・・・説
 ↓↑
 新笠の陵
 山背国
 乙訓郡
 大枝京都市西京区大枝沓掛町)
 伊勢講山の円墳が比定=明治13年1880年
 ↓↑
 延暦九年(790年)十二月一日
 桓武天皇
 外祖父母の
 「高野(和)乙継」
 「土師真妹」
 に正一位を追贈
 祖母
 「真妹」
 に「大枝朝臣」を賜姓
 真妹の同族
 「菅原真仲」
 「土師菅麻呂」
 の2名にも
 「大枝朝臣」姓を与えた
 三十日
 土師諸士らの一族に
 「大枝朝臣
 が賜姓
  ↓↑
 「菅原真仲」
 天応元年(781年)
 大和国菅原に因んで改姓した15人の一人
  ↓↑
 「高野新笠」の子
 「桓武天皇」の子孫は
 臣籍降下して
 源氏
 平家
 の武家統領などになった子孫もいる・・・
 ↓↑
 平野神社
 久度神社
 京都市北区平野宮本町
 に鎮座する
 延喜式名神大社平野神社
 「高野新笠」と縁が深い神社
 今木神
 久度神
 古開神
 比咩神
 の四座
 平安京遷都によって京都に遷座
 今木神=今来の神
 渡来人
 田村後宮にあった
 今木大神は
 高野新笠
 山部親王
 が祭祀
 ↓↑
 久度神=竃神
 奈良県北葛城郡王寺町
 延喜式内社
 久度神社だけ
 近くには
 「和乙継」の墓
 百済系渡来人
 「和氏」
 が祭祀していた神・・・
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 「ドーリットル空襲(Doolittle Raid
 第二次世界大戦
 1942年(昭和17年)4月18日
 アメリカ陸軍
 航空軍の爆撃機航空母艦より発進)
 によって日本本土を初めての空襲した
 名称
 爆撃機隊の指揮官
 ジミー・ドーリットル中佐
 に由来

 航空母艦ホーネットから発進した
 B-25双発爆撃機
 ミッチェル16機
 が日本本土攻撃をした一連の空襲
 ヨークタウン級
 航空母艦2隻(エンタープライズ、ホーネット)
 ハルゼー提督指揮下の
 アメリカ海軍機動部隊が
 太平洋を横断し
 日本列島(本州)東方海域に到達空襲
 日本本土各地
 東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸
 等)に空襲
 軍事的な戦果
 潜水母艦から航空母艦へ改造中の
 大鯨(龍鳳)が直撃弾で損傷

 中華民国国民革命軍の支援を受け
 日本本土爆撃後
 B-25のうち15機は
 中国大陸に不時着放棄
 この際
 一機が九州で墜落
 搭乗員8名が日本軍の捕虜となった
 一機はソビエト連邦支配地域に不時着
 搭乗員は抑留
 ↓↑
 アメリカ本土沿岸で
 通商破壊戦の
 潜水艦伊10
 サンフランシスコ市内の
 シェルターへの避難案内
 日系アメリカ人に対する強制退去命令
 ↓↑
 1941年(昭和16年)12月8日
 真珠湾攻撃以降
 日本海
 先遣部隊(指揮官清水光美第六艦隊司令長官)
 の一部潜水艦を抽出し
 先遣支隊が編成され
 アメリカ大陸西岸で行動
 巡潜乙型潜水艦計9隻or10隻
 (伊9、伊10、伊15、伊17、伊19
  伊21、伊23、伊25、伊26)
 アメリカ、カナダ、メキシコ
 西海岸に展開
 12月20日頃より
 アメリカに対する通商破壊戦を展開
 約10日間の作戦で
 航行中のアメリカのタンカーや貨物船を
 5隻撃沈
 5隻大破
 西海岸沿岸の住宅街沖わずか数キロで
 米貨物船を撃沈
 浮上して米艦船へ砲撃撃沈
 1942年(昭和17年)2月24日
 伊17乙型大型潜水艦による
 カリフォルニア州
 サンタバーバラ
 エルウッド石油製油所
 への砲撃
 フランクリン・D・ルーズベルト大統領は
 日本軍の本土上陸があると判断
 ロッキー山脈でこれを阻止する作戦立案を指示
 ニイハウ島事件の影響で
 日系アメリカ人の強制収容
 ↓↑
 アメリカ政府は
 日本軍の本土攻撃に対し
 国民の動揺と厭戦気分を防ぐ
 マスコミに対する報道管制
 ロサンゼルスに対する
 日本軍機の空襲を誤認し
 米陸軍による高射砲戦が行われ
 6人の民間人の死者
 (ロサンゼルスの戦い)
 米国の官民は混乱
 ↓↑
 1941年(昭和16年)12月8日
 開戦時
 真珠湾攻撃で米空母の捕捉に失敗
 日本海軍潜水艦部隊は
 幾度か米空母を発見するが
 損害を与えられなかった
 1942年(昭和17年)1月初旬
 伊号第三潜水艦が
 ハワイ近海で米軍機動部隊を襲撃失敗
 1月12日
 伊号第六潜水艦が
 「レキシントン型1隻撃沈」報告
 実際の戦果は
 「空母サラトガ」大破
 1月24日
 クェゼリン環礁に帰投した
 伊六からの詳細報告により
 連合艦隊レキシントンの撃沈を確信
 警戒態勢を緩め
 南雲機動部隊(第一航空艦隊)を
 ラバウル攻略作戦
 南方作戦に転用
 1942年2月初旬
 米艦隊は
 マーシャル・ギルバート諸島機動空襲
 ウェーク島
 南鳥島
 など日本軍の拠点に牽制攻撃を敢行
 日本海軍は米軍機動部隊の奇襲に翻弄
 4月5日
 大本営海軍部は
 ミッドウェー攻略
 アリューシャン西部要地攻略作戦に同意
 1941年12月21日
 ホワイトハウス会議
 ルーズベルト大統領は
 アメリカ統合参謀本部に対し
 米国民の士気を高めるためにも
 可能な限り早く
 日本に爆撃すべきだと要求
 1942年(昭和17年)1月
 海軍作戦部作戦参謀
 フランシス・S・ロー海軍大佐(潜水艦出身)は
 空母ホーネットの状況を確認した際
 「航続距離の長い陸軍航空軍の爆撃機
  空母から発艦させ
  日本本土を爆撃する」
 というプランを思いつき
 ロー大佐は
 アーネスト・キング提督に
 アイデアを説明
 航空作戦参謀
 ドナルド・B・ダンカン海軍大佐にも報告
 アーネスト・キング提督から
 ヘンリー・アーノルド陸軍航空軍司令官に伝えられ
 アーノルドは
 ジミー・ドーリットル中佐を
 任務の指揮官に選んだ
 艦載する爆撃機はB-25
 ↓↑
 B-25のうちB型から24機が本作戦用に改修
 1月22日から作業
 部隊は
 第17爆撃隊
 (第34、第37、第95爆撃中隊、第89偵察中隊)
 から志願者を選別
 長距離飛行のために
 燃料タンクを大幅に増設
 爆弾槽内や無線士席の脇にも
 燃料タンクが設置
 下部銃塔も撤去してタンクの設置場所に充てた
 作戦中は無線封止となるため無線機類は撤去
 爆弾は通常の500ポンド爆弾1発
 TNTとアマトール混合の500ポンド特殊爆弾1発
 焼夷弾128発を束ねたM54集束焼夷弾2発
 計4発
 2月1日
 ノーフォーク沖で
 ジョン・E・フィッツラルド海軍大尉
 ジェームス・F・マッカーシー海軍大尉
 がB-25Bをホーネットからの発進成功
 4月1日
 16機がサンフランシスコ・アラメダ埠頭で
 空母ホーネットの甲板にクレーンで搭載
 任務終了後は空母に帰投・着艦するのではなく
 日本列島を横断し
 中華民国東部に着陸予定
 蔣介石(中華民国総統)は
 日本軍の報復を恐れ
 着陸の延期を執拗に要請
 中華民国軍飛行場への
 誘導電波発信機設置は間に合わなかった
 アメリカ軍は
 ウラジオストクを避難場所とすることを検討し
 ソ連に提案したが
 日本と中立条約を結んでいたので拒否
 B-25を搭載する空母は
 ホーネット
 護衛には
 姉妹艦エンタープライズ
 ↓↑
 1942年(昭和17年)4月1日
 16機のB-25を搭載した空母ホーネット
 護衛の巡洋艦3隻
    駆逐艦3隻
 はサンフランシスコを出撃
 4月13日
 第18任務部隊(ホーネット隊)
 ハルゼー提督直率の
 第16任務部隊
 (エンタープライズ巡洋艦2隻、駆逐艦4隻)
 と合流し、日本へ向かった
 事前の計画
 4月18日午後
 日本本土(本州)沿岸距離500浬地点で
 B-25隊は発進(各機500ポンド爆弾4個搭載)
 指揮官ドーリットル中佐機は
 夜間の東京に焼夷弾を投下
 火災を目標に後続機が爆撃を敢行
 (名古屋、大阪、神戸を各1機が空襲)
 空襲終了後は
 全機中国大陸に脱出
 ↓↑
 4月18日02:10
 エンタープライズはレーダーに2つの光点を発見
 米艦隊はSBDドーントレス爆撃機を索敵発進
 北緯36度4分
 東経153度10分地点で
 哨戒艇発見
 日本軍特設監視艇
 第二十三
 日東丸(日東漁業、昭和10年建造、90トン)
 は
 軽巡洋艦ナッシュビルの砲撃
 F4Fワイルドキャット
 (エンタープライズ)の機銃掃射を受け
 撃沈
 アメリカ軍は付近の日本軍哨戒艇を攻撃
 第二旭丸(第二哨戒隊)
 海神丸
 福久丸
 粟田丸
 第三千代丸
 第二十六南進丸
 長久丸
 機銃掃射で火災、漂流、沈没した
 「栄吉丸」はSBD1機と交戦、航行不能
 支援艦赤城丸に曳航されて本土に向かった
 ↓↑
 「第一岩手丸」
 米軍機の爆撃と機銃掃射で航行不能、沈没
 船員は潜水艦「伊七四」に救助
 ↓↑
 第二一南進丸
 航行不能軽巡洋艦木曾が砲撃処分
 ↓↑
 長渡丸
 ナッシュビルが6インチ砲102発
        5インチ砲63発
 で撃沈
 ↓↑
 米艦隊は日本軍に発見され
 当初の夜間爆撃の予定をとりやめ
 予定より7時間早い08:15から
 B-25爆撃機を発艦後
 直ちに退避を開始
 B-25の7番機(テッド・W・ローソン中尉)
 の搭載爆弾には
 駐日米海軍武官補佐官
 ステファン・ユーリカ海軍中尉
 の所有物で
 日本から授与された
 紀元2600年祝典記念章が
 ドーリットルの手で装着されていた
 ハルゼー提督(エンタープライズ乗艦)は
 「諸君、利息をつけて
  この勲章を返してやれ、成功を祈る」
 と伝言
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 ドーリットル率いる
 B-25爆撃機16機中15機が爆弾投下に成功
 ↓↑
 日本軍に逮捕された爆撃機搭乗員8人は
 都市の無差別爆撃と非戦闘員に対する
 機銃掃射を実施した戦時国際法違反であるとし
 戦争犯罪人として扱われた
 アメリカは爆撃機搭乗員が捕虜になったことを知ると
 「彼らは軍事目標のみを攻撃した」
 と事実とは異なる主張を展開
 ↓↑
 1943年(昭和18年)4月23日
 アメリカはドーリットル隊員の処刑を報道
 日本政府に対して抗議
 日本側の行為を『野蛮人の蛮行』として非難
 大々的にプロパガンダに利用
 東條英機を「血に飢えた独裁者」であると宣伝
 1944年(昭和19年
 これら捕虜を描いた映画
 『パープル・ハート
 が20世紀フォックスによって製作
 ガダルカナル島の戦い
 アッツ島の戦い
 を経た同時期に至ると
 連合国の間では
 日本人絶滅政策を検討
 米軍の調査によれば
 約半数の米兵が
 「平和が回復されるまで
  日本人(軍人・民間人関係なく)は
  一人残さず殺すべきだ」
 1944年(昭和19年)12月
 の世論調査
 (戦争終了後、日本人に対する処置について)
 では
 アメリカ国民の13%が
 日本人の全員殺害を希望
 ルーズベルト大統領首席補佐官
 ウィリアム・リーヒ提督は
 「日本は我々のカルタゴ
 と表現(1942年9月) 

ー----

 ・・・???・・・
   ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)  + (表紙・画像・音楽)」の  移転先・・・
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」