ないえごろうブログ

同音異義の探索

「オスのタツのオトシゴ」の役割・・・が、ナゼなんだか?

 文字霊日記・3473日目

 前回の「辰=龍=竜」・・・
     辰巳=巽=辰爾・・・の延長・・・
 ・・・・立つ見・・・意=立+日+心(㣺・忄)
             亠+䒑+曰+心
             亠+丷+一+曰+心
     意義・意見・意思・意志・・・異議
 ・・・今朝、「夢」を見たが・・・
 何時もは
 殆どが
 起床後に記憶が薄れて脳ミソの内部に逃げていき
 「思い出せない夢」なのだが・・・
 忘れぬうちにメモったが・・・
 「辰の漢字」
 コンピュータで検索しているボクが視えるのだが・・・
 メモ帳に、
 その「辰=竜=龍=巽」を書き込んだ後に
 〇・●を
 「『』=鍵括弧の中」に書き込もうとスルのだが
 コンピュータに何度も拒否されて書き込めない・・・
 ・・・理由がワッカラナイ・・・
 また、PCがイカレタ・・・
 ・・・「竜のオトしゴ」・・・
    「竜の落とし子」の形状・・・
 日本列島に似ている・・・?
 ・・・ハナシがトンで・・・また、検索コペPィ・・・

 ↓↑
 「タツのオト・シゴ」
 ↓↑
 出典
 : フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 タツノオトシゴ
  Hippocampus
 ポットベリード・シーホース・・・海馬・・・?
 Hippocampus abdominalis
 分類
 界    :    動物界 Animalia
 門    :    脊索動物門 Chordata
 亜門    :    脊椎動物亜門 Vertebrata
 綱    :    条鰭綱 Actinopterygii
 目    :    トゲウオ目 Gasterosteiformes
 亜目    :    ヨウジウオ亜目 Syngnathoidei
 科    :    ヨウジウオ科 Syngnathidae
 亜科    :    タツノオトシゴ亜科 Hippocampinae
 属    :    タツノオトシゴ属 Hippocampus
 学名
 Hippocampus
 Rafinesque, 1810
 タイプ種
 Hippocampus coronatus
 和名
 タツノオトシゴ(竜の落とし子)
 英名
 Seahorse
 種
 タツノオトシゴ(龍の落とし子)
 トゲウオ目
 ヨウジウオ科
 タツノオトシゴ
 Hippocampus
 に分類される魚の総称
 狭義にはその中の一種
 Hippocampus coronatus
 の標準和名
 魚には見えない外見
 オスが
 育児嚢で
 卵を保護する繁殖形態で知られた
 分類群
 別名
 ウミウマ(海馬)
 カイバ(海馬)
 ウマノコ(馬の子、日本各地)
 ウマノカオ(馬の顔、富山)
 リュウノコマ(竜の駒、神奈川県三崎)
 ウマヒキ(馬引き)
 リュウグウノコマ(竜宮の馬、和歌山)
 ウマウオ(馬魚)
 タツノコ(竜の子、高知)
 など

 ↓↑
 Seahorse(シーホース=海の馬)  …河馬=魁罡
             海豚・海鼠・海栗=海胆・海月
 ↓↑        蘇我入鹿 なまこ  うに くらげ
 熱帯から温帯の浅い海に生息する海水魚
 ↓↑
 一部の種は
 「汽水域」・・・汽水=淡水と海水が混在状態の液体
 にも進入
 成魚の大きさは全長 1.4cm~35cm
 体表の色や突起なども
 種類間、個体間で変異に多
 ↓↑
 同じ科の
 ヨウジウオ(楊枝魚)類・・・幼児・用事・要字
 と同じく  楊枝・・・歯糞掃除の竹の針
 体は
 鱗が変化した環状の硬い甲板に覆われ
 凹凸がある
 口は小さく
 管状の吻(くちさき・フン・ブン)
 が前方に突き出て
 吻(くちさき・フン・ブン)の
 つけ根に目がある
 尾鰭(おびれ)はないが
 尾は長く
 尾を海藻や珊瑚(サンゴ)などに
 巻きつけて体を固定
 ほとんどの魚は
 前後に伸びた姿勢をとるが
 タツノオトシゴ類は
 体を直立させ
 頭部が前を向く姿勢をとる
 この姿が
 竜やウマの外見に通じ
 「竜の落とし子」
 「海馬」
 「龍宮の駒」
 「Seahorse
  などの名前がつけられた・・・
 「魚」
 概念からかけ離れた外見だが
 前に曲がった首のあたりに
 小さな
 鰓孔(えらあな)・・・鰓の後方にある水の排出口
            咽頭部と外界との連絡口
            鰓裂(サイレツ)
            鰓孔(サイコウ)と
 胸鰭(むなびれ)があり
 背中にも
 小さな背鰭(せびれ)がある
 熱帯・温帯域の沿岸浅海に生息
 種類・個体数とも多い
 尾を絡めて
 身を隠せる岩礁域・藻場・サンゴ礁などに生息
 いくつかの種類は
 流れ藻について外洋を漂う
 泳ぐ時は
 胸鰭(むなびれ)と
 背鰭(せびれ)を小刻みにはためかせて泳ぐ
 動きは非常に遅い
 体表の色や
 突起が
 周囲の環境に紛れこむ擬態になっていて
 見分けることが困難
 肉食性
 魚卵、小魚、甲殻類など
 小型の動物プランクトン
      ベントス
 を吸い込んで捕食
 捕食は素早く
 餌に吻(くちさき・フン・ブン)を
 ゆっくりと近づけ瞬間的に吸い込む
 獰猛な捕食者
 細い口吻に
 ぎりぎり通過するかどうかというサイズの
 甲殻類でも
 積極的に攻撃し
 激しい吸引音をたてて摂食
 繁殖行動
 タツノオトシゴ属の
 オスの
 腹部に
 育児嚢(イクジノウ)
 メスが産んだ卵を
       稚魚になるまで保護
 タツノオトシゴ属の体表は
 凹凸がある甲板
 育児嚢の表面は
 滑らかな皮膚に覆われ
 外見からも判別でき
 タツノオトシゴ
 オス・メス
 を判別できる
 繁殖期
 春~秋
 メスは輸卵管を
 オスの育児嚢に差しこみ
 育児嚢の中に産卵し
 育児嚢内で受精
 ↓↑
 日本近海産のタツノオトシゴ
 メスは5~9個を産卵し
 一休みを繰り返しながら
 約2時間で計40~50個を産卵
 大型種の
 オオウミウ
 産出稚魚が600尾に達することも
 産卵はメスだが
 育児嚢へ産卵されたオスは腹部が膨れ
          妊娠したような外見
 卵の孵化
 10日~1か月半ほど
 普通は2~3週間ほど
 仔魚は
 孵化後も
 しばらくは
 育児嚢内で過ごし稚魚になる

 「出産」のオス
 尾で海藻などに体を固定し
 体を震わせながら
 稚魚を産出
 稚魚は全長数mmほどだが
 既に親とほぼ同じ体型
 海藻に尾を巻きつけるなど
 親と同じ行動をする 
ーー↓↑ーーー
 ハタマタ・・・ハナシがトンで・・・
 マタ、また、検索から
 ながぁい、ナガイの「新羅歴史」の
 コペPィ・・・貼り付け・・・
 勉強だから・・・でも、なんか、ウンザリ・・・
 「SUNO」さんに
 「コジキのウタ」を連作してもらおうと
 思っていたのに・・・
 視覚が限界、頭痛・・・午前3時・・・
 ↓↑
 馬韓(バカン)=百済=慕韓=ボカン=母管
 紀元前2世紀末~4世紀中葉
 朝鮮半島
 南部に存在した部族集団
 三韓の一
 帯方郡の南
 黄海に接し
 東方は辰韓新羅
 南方は弁韓に接す
 ↓↑
 馬韓
 定住民
 穀物を植え、養蚕
 馬韓諸国には首長
 大きな首長を臣智(シンチ)
 次位を邑借(ユウシャク)
 集落に城郭は無く
 五十余国が存在
 その内の
 伯済国が百済になった・・・
 ↓↑
 『後漢書辰韓
 『三国志』魏書 辰韓
 秦の始皇帝の労役から
 逃亡してきた
 秦の遺民がおり
 馬韓人はその東の地を割いて
 彼らに与え住まわせた
 『三国志』魏書 弁辰伝
 馬韓人と辰韓人は
 言語が異なっていた
 建国
 『三国遺事』
 「魏志云。魏滿撃朝鮮。
  朝鮮王 準率 宮人左右。
  越海而 南至韓地。
  開國 號 馬韓
  ↓↑
 『魏書』
 「侯準 既 僭 號 稱王
  爲
  燕亡人
  衛滿 所 攻奪
  將 其左右宮人 走 入海
  居 韓地
  自 號 韓王」
  ↓↑
 『後漢書
 「初、
  朝鮮王
  準
  為
  衛滿 所破、
  乃將其餘衆
  數千人 走 入海、
      攻 馬韓、破之、
      自立 為 韓王」
  「衛満」
  が
 「箕子朝鮮」を滅ぼした際に
 「箕子朝鮮」の最後の王
 「準王」
  は数千人を率いて逃亡
 「馬韓=慕韓」
     宋書倭国
     ・・・宋書倭国伝記載「慕韓」・・・
     なぜ
    「したう(慕う)
     韓(いげた・井桁・井戸枠)」
     なのか?
     韓=龺+韋(なめす)・・・葦=蘆=芦
       十+日+十+|+ユ+口+㐄
     韋=韦=二+|+𠃌
     韋部(なめしがわ)
     イ
     なめしがわ・毛を取り除き・やわらかくした皮
     そむく・たがう・行き違う
     かこい・かこう=囲

     澣=氵+幹=浣・・・幹(みき)
       氵+龺+人(𠆢)+干
       氵+十+日+人(𠆢)+干
       カン
       よご(汚)れを落とす
       あら(洗)う
       すす(濯)ぐ・・・水を搾(しぼ)る
                乾燥させる
                龺=太陽の光熱

     韓雲孟竜(カンウンモウリョウ)
     韓海蘇潮(カンカイソチョウ)
     韓信匍匐(カンシンホフク)
     韓文之疵(カンブンのシ)
     韓信の股くぐり
  ↓↑
  を攻め落として
  韓王となって
  馬韓を支配
 ・・・「午の年」は「2026年」
    「巳の年」は「2025年」だから
 「臍=へそ=綣・毘」に笑われる前に
 「辰」だけれど・・・
 「唇=くちびる」
 「吻=くちさき=口先」・・・
  新羅検索・・・
  長いのは
 「竜(辰)の落とし子」の「吻(くちさき)」・・・
 ↓↑
 2024年5月5日8時日曜日・旧暦三月二十七日
 2024年 干支 41 甲辰(乙・癸・戊)年
 5  月 干支 05 戊辰(乙・癸・戊)月
 5  日 干支 06 己巳(戊・庚・丙)日
 8  時 干支 17 戊辰(乙・癸・戊)時
 ↓↑        ↓↑
    邪の道は蛇(它・巳・蝮
          波布=飯匙倩・毒蛇
          はぶ=羽生・波浮・土生)
 ↓↑       ↓↑
          奄美(あまみ)の
          クロうさぎ
          黒 兎・・・句賂の憂詐欺?
          と
          クマねずみを捕食
          熊 鼠・・・熊本の移鼠?
 節入り五月己巳(戊・庚・丙)は5月6日から
 ↓↑
 2024年5月6日8時月曜日・旧暦三月二十八日
 2024年 干支 41 甲辰(乙・癸・戊)年
 5  月 干支 06 己巳(戊・庚・丙)月
 4  日 干支 07 庚午(丙・ ・丁)日
 8  時 干支 17 丙辰(乙・癸・戊)時
 ↓↑        ↓↑
 ↓↑      秦=辰韓=斯蘆=新羅
 「斯蘆」の発音は
 日本語では「しろ」
 朝鮮語では「サロ」
 漢字の
 上古音では「シラ」
 ↓↑
 日本語
 「新羅」を「しらぎ」と読む
 奈良時代までは「しらき」と清音
 「万葉集新羅奇)」
 「出雲風土記(志羅紀)」
 訓はいずれも清音
 「新羅城」の意味・・・
  ↓↑
 「秦⇔斯蘆=白
      =白鷺
      =鸕(ロ・う=鵜・卯=兎)」
       鸕野讃良・・・だろう・・・
       持統天皇
 ↓↑
 「三韓馬韓(慕韓)・辰韓弁韓
       「辰韓」・辰星・辰年辰月辰日辰時
        龍・・・竜巻・渦巻
 ↓↑
 梁の
 職貢図
 ↓↑
 斯羅國・・・斯羅國は
 本・・・・・元
 東夷・・・・東夷
 辰韓・・・・辰韓
 之・・・・・の
 小國也。・・小国
 魏時・・・・魏の時代
 曰・・・・・イワク
 新羅・・・・新羅
 宋時・・・・(劉)宋の時
 曰・・・・・イワク
 斯羅・・・・斯羅
 其實一也。・その実体は同一の国
 或・・・・・あるときは
 屬韓・・・・韓に属し
 或・・・・・あるときは
 屬倭・・・・倭に属し
 國王・・・・国王は
 不能・・・・あたわず(できなかった)
 自・・・・・おのずから
 通使・・・・通使を
 聘。・・・・訪問させること=招聘(ショウヘイ)
 普通二年・・普通の二年(521年)
 其・・・・・その
 王名・・・・王名が
 募秦・・・・ボシン・・・募(つの)る秦=
 始・・・・・はじめて
 使・・・・・使いを
 隨・・・・・随行させ
 百濟・・・・百済
 奉表・・・・表を奉じ
 献方物。・・放物を献(ささげた)
 其國・・・・その国に
 有・・・・・有する
 城・・・・・城は
 號曰・・・・号してイワク
 健年。・・・健の年
 其俗 ・・・その俗は
 與・・・・・与するに
 高麗・・・・高麗
 相類。・・・相似の類(たぐい)
 無 文字・・文字は無い
 刻 木・・・木に刻み
 為範・・・・規範と為す
 言語・・・・ことばは
 待・・・・・待たし
 百濟・・・・百済
 而後・・・・しこうして後
 通焉・・・・疎通(梁と会話)
 ↓↑
 新羅朝鮮半島での
 (668年~900年)
 「統一新羅時代」
 10世紀
 新羅、後高句麗後百済
 に分裂
 「後三国時代
 (ごさんごくじだい)
 渤海朝鮮民族の歴史に組み込み
 「統一新羅時代」を
 「南北国時代」
 と称している・・・
 ↓↑
 『三国史記
 「新羅本紀」
 「辰韓の斯蘆国」
 の時代から一貫した新羅の歴史としている
 史実性があるのは
 4世紀の
 第17代
 「奈勿王」以後で
 それ以前の個々の記事は伝説的なもの・・・
 ↓↑
 6世紀中頃
 新羅
 半島中南部
 「加羅」諸国を滅ぼし配下にし
 唐が
 660年
 百済を滅ぼし
 668年
 高句麗を滅ぼし
 新羅
 唐軍指揮下で参軍(羈縻支配)
 後
 唐が吐蕃と戦争を始め
 新羅
 唐に反乱を起こし
 旧百済領全土
 旧高句麗の南半分を統治していた
 唐の役所を襲撃し
 唐の官員を殺戮し
 (唐・新羅戦争)
 朝鮮半島中南部を統一
 首都
 金城(慶尚北道慶州市)
 9世紀末
 百済高句麗の再興を図る勢力が
 後百済・後高句麗
 との鼎立による
 「後三国時代
 となり
 「後高句麗」の
 「高麗」
 に帰順し
 新羅は滅亡
 ↓↑
 『三国史記
 「新羅本紀・敬順王紀」
 始祖から
 第28代
 「真徳女王」末年(654年)までを上代
 第29代
 「武烈王(金春秋)」即位から
 第36代
 「恵恭王」末年(780年)までを中代
 第37代
 「宣徳王」から滅亡までを下代
 ↓↑
 「斯蘆」の発音は
 日本語では「しろ」
 朝鮮語では「サロ」
 漢字の
 上古音では「シラ」
 ↓↑
 日本語
 「新羅」を「しらぎ」と読む
 奈良時代までは「しらき」と清音
 「万葉集新羅奇)」
 「出雲風土記(志羅紀)」
 訓はいずれも清音
 「新羅城」の意味・・・
  ↓↑
 「秦⇔斯蘆=白
      =白鷺
      =鸕(ロ・う=鵜・卯=兎)」
       鸕野讃良・・・だろう・・・
       持統天皇=字統典考?
  ↓↑ 
 「三韓馬韓
     辰韓弁韓
    「辰韓」・・・辰星・辰年辰月辰日辰時
     龍・・・竜の落とし子・竜巻・渦巻
 ↓↑
 新羅の前身
 朝鮮半島
 南東部・・・「巽=辰巳」の方角
 辰韓十二国のうちの1
 「斯蘆国」
 新羅の建国
 前漢
 孝宣帝
 五鳳元年
 甲子の年
 西暦
 紀元前57年
 古代朝鮮
 三国(高句麗百済新羅
 中で最も早い建国・・・?
 ↓↑
 中国史
 高句麗百済新羅
 の順に登場
 『三国史記
 高句麗の建国よりも
 新羅の建国が早く設定されたのは
 著者
 「金富軾」
 が、慶州出身で新羅王家の一族だったため
 「金富軾」
 は、新羅王家の一族だったが
 「高麗」王家に仕えて
 平壌が高麗から独立した反乱を鎮圧し
 武勲を上げた人物・・・
 ↓↑
 『三国史記
 建国神話
 慶州盆地に
 6つの村
 (閼川楊山、突山高墟、觜山珍支
  茂山大樹、金山加利、明活山高耶)
 があり
 その六村が
 卵から生まれた
 「赫居世」
 を王に推戴したのが新羅の始まり
 新羅の建国神話は
 三姓の
 王の交代という形をとり
 初代
 「赫居世」に始まる「朴」氏
 第4代
 「脱解」に始まる「昔」氏
 第13代
 「味鄒」に始まる「金」氏
 (始祖は味鄒より数代前の「閼智」)
 新羅で姓が使われ始めるのが
 6世紀に入ってからで
 史実としては扱われない
 三姓がそれぞれに
 異なる由来を語り
 6つの村
 (後の新羅六部の前身)
 が関わる独特の建国神話・・・
 ↓↑
 朴氏の初代
 「赫居世(赫居世居西干)」
 辰韓の六村の長の一人が
 蘿井(慶州市塔里面に比定)
 の林で馬の嘶くのが聞こえ
 近寄ったところ
 馬が消えて大きな卵があった
 ・・・「司馬氏」が消えて
    「卵=たまご・ラン=乱・鸞」・・・
 卵を割ると中から
 幼児が出てきて育て上げたが
 10歳を越えた頃
 六村の人たちは彼を王位につけた
 卵が瓠(ひさご・瓢箪)ほどの大きさで
 「辰韓」の語で
 「瓠」を表す「朴」を姓とした
 「赫居世」
 紀元前57年
 13歳で王位
 (辰韓の語で王者=居西干)
 に就き
 国号を
 「徐那伐」
 とした
 「閼英井(南山の北西麓の羅井)」
 に
 「龍(娑蘇夫人)」が現れ
 その左脇(『三国史記』では右脇)
 から生まれた幼女が長じ
 容姿端麗にして人徳を備えていたので
 「赫居世」
 は
 彼女(閼英夫人)を王妃とした
 日本側伝承では
 新羅の祖は
 「鵜葺草葺不合命
 の子で
 神武東征に従った
 「稲飯命
 『三国遺事』
 「赫居世」
 と
 「閼英」夫人
 はともに
 中国から辰韓に渡来した
 中国の王室の娘
 「娑蘇」夫人の子である・・・伝承
 『三国史記
 「敬順王」条末尾で
 編者
 「金富軾」
 が中国の接待官から
 類似の話を聞いた記録が残されている
 「赫居世」
 の臣下には
 倭国から来たとされる
 「瓠公」・・・格好・恰好・滑降・郭公?
  ・・・瓠=夸+瓜
       大+亏+瓜
       大+一+丂+瓜
       大+二+ㄣ+瓜
       一+人+二+ㄣ+瓜
       一+人+二+ㄣ+厂+ム+乀
       カク・コ
       ひさご=瓢=西+示す+ウリ
       ひょうたん
       ふくべ=服部(はっとり)
       うり=瓜=カ
       瓜剖豆分(カボウトウブン) 
       瓠落(カクラク)=丸く中が空虚
       瓜の皮は大名(一人名)に剥かせよ
 ↓↑    柿の皮は乞食(古事記)に剥かせよ
       柿=かき=柹=枾
         柹(古体)=木+ノ+ㄣ+オ
         枾(本字)=木+十+丿+一+丨
       杮(こけら)=木+亠+巾=𣏕=木屑
         切り屑の破片・欠片(かけら)
 ↓↑        ↓↑
 倭人=和人=大和人=日本人?
          =列島人
          =竜の落とし子の形状の列島人
 ↓       芥川龍之介・・・「クモのイト」?
 がおり
 辰韓が属国であると主張する
 「馬韓王」
 に対峙させた・・・説話
 「瓠公=赫居世」・・・説
 ↓↑
 「昔」氏初代
 「脱解(第4代脱解尼師今)」
 『三国史記
 倭国東北一千里の
 「多婆那国(日本の丹後、但馬)」
 の王妃が妊娠ののち
 7年たって
 大きな卵を生んだが
 「多婆那王」は不吉であるとし
 卵を捨てるように命じたが
 王妃は捨てるに忍びず
 絹の布で卵を包み
 宝物と共に箱に入れて海に流した
 その後
 金官国に流れ着いたが
 金官国の人々は警戒してこれをとりあげなかった
 次いで
 辰韓
 「阿珍浦」に流れ着き
 住んでいた老婆が箱を拾って開けると
 中から一人の男の子が出てきたので
 育てることにし
 男の子は成長するに従い
 身長九尺にもなり神の如き風格を備えた
 姓氏がわからず
 箱が流れ着いたときに
 「鵲(カササギ)」
 がそばにいたので
 鵲の字を略して
 「昔」を姓とし
 箱を開いて生まれ出てきたので
 「脱解」と名付けた
 学問を身に着けた
 「脱解」
 は
 倭人の宰相であった
 「瓠公」の邸宅を見て
 吉兆の地であると判断し
 相手を「騙(詐欺=さぎ=鷺)」
 して土地を取り上げた
 これが後の新羅の拠点である
 「月城」になった
 新羅
 第2代王
 「南解」
 は
 「脱解」が賢者であるのを見て
 娘(阿孝夫人)を与え
 第3代
 「儒理王」
 は死に際して
 「脱解」
 に後事を託し
 「脱解」が王となった
 ↓↑
 金氏始祖
 「金閼智
 第13代
 「味鄒(味鄒尼師今)」
 の7世祖
 「脱解」
 の治世に、首都金城の西方の
 「始林の地」
 で
 「鶏の鳴き声」
 を聞こえたので
 夜明けになって
 倭人
 「瓠公」に調べさせたところ
 金色の小箱が木の枝に引っかかっていた
 その木の下で
 「白い鶏」
 が鳴いていた
 「脱解」
 が役人に小箱を回収させ開かせると
 中から小さな男の子が現れ
 容姿が優れていたので
 「脱解」
 は喜んでこれを育てた
 聡明に育ち
 「閼智(知恵者)」
 と名づけ
 金の小箱に入っていたので
 「金」を姓とした
 「始林の地」
 を
 「鶏林」
 と改名
 後に
 金氏が新羅王となると
 始祖である
 「閼智」
 にちなんで
 国号も
 「鶏林」
 とした
ーー↓↑ーー