ないえごろうブログ

同音異義の探索

オオカミがキタもサンカイまで・・・法華経・方便品

 文字霊日記・3355日目

 オオカミがキタ

 ↓↑
 倭国(俀國)の遣隋使・遣唐使・・・検討詞?
 ↓↑
 ・・・人名に使用される漢字の「意味・意義」の変・・・
 名前(姓・諱・字・号・諡)に使用される
 漢字の「意味・意義」の変・・・
 犬=一+人+丶(チュウ)=狗・戌
 上=卜+一
 御=彳+卸(シャ)
 田=囗+十
 鍬=金+秋(禾+火)
 犬    上      御 田 鍬
 ケン   ジョウ  オンデンシュウ
 懸(兼) 条(声) 音 伝 習(集)?
 ↓↑
 倭国(俀國)の遣隋使
        ・・・兼隋史
        ・・・懸瑞詞・・・高野瑞皐・久坂玄瑞
            瑞西(瑞士)・瑞典(蘇亦斉)
          「外国地名および国名の漢字表記一覧
          (ウィキペディアWikipedia))」

 犬上 御田鍬(いぬかみ の みたすき)
 飛鳥時代の人物
 大和朝廷の中級官吏・外交官の一人
 名  御田鍬=みたすき=三田耜
    音伝習?     満たす記=見多諏記?
 姓  君
 冠位 大仁
 氏族 建部君→犬上君
 最後の遣隋使
 最初の遣唐使
 日本武尊の子・稲依別王の後裔
 犬上
 近江国犬上郡
 (滋賀県犬上郡彦根市周辺地域)に由来
 推古天皇二十二年(614年)六月
 矢田部造とともに最後の遣隋使
 推古天皇二十三年(615年)九月
 百済使を伴って帰国
 舒明天皇二年(630年)八月
 第1次遣唐使大使
 薬師恵日と共に唐に派遣
 舒明天皇三年(631年)
 使節一行は皇帝・太宗と謁見
 航海での遠いことを矜(あわ)れみ
 毎年の入貢をやめさせた
 舒明天皇四年(632年)八月
 唐使・高表仁を伴って
 対馬国に到着
 霊雲・旻・勝鳥養
 や
 新羅の送使も行をともにしている[
 高表仁
 10月に難波津に到着
 舒明天皇五年(633年)一月
 唐へ帰国
 ↓↑
 遣隋使
 推古朝
 倭国(俀國)が技術や制度を学ぶために
 隋に派遣した朝貢使
 600年(推古八年) ~618年(推古二十六年)
 18年間に
 3回~回派遣
 第一回

 開皇二十年(600年)
 『日本書紀』に記載はない
 『隋書・東夷傳俀國傳』
 高祖文帝の問いに遣使が答えた
 「開皇二十年
  俀王
  姓 阿毎
  字 多利思北孤
  號 阿輩雞彌
 遣使詣闕
 上令所司訪
 其風俗
 使者
 俀王 以天 爲兄
    以日 爲弟
  天未明時 出聽政 跏趺坐
       日出 便 停理務
  云委 我弟
  高祖曰
  此 太無義理
  於是 訓令 改之」
 ↓↑
 600年(推古八年)第1回遣隋使派遣
     『隋書』俀國伝
 607年(推古十五年)
    『日本書紀』(巻第二十二)
     推古天皇十五年(607年)秋七月戊申 朔庚戌
     大禮 小野臣 妹子 遣於大唐(隋)
     以  鞍作  福利 為 通事
     厩戸皇子聖徳太子)が大使に選任
     冠位は「大禮=大礼」
      禮=示+豊=示+乚(イン・乙・Z)
     豊(ホウ・フ)=乚(イン・乙=オツ・イツ
             L=エル・Z=ゼット・ズィ)
     豐=「山+丰+丰+豆」=豊=𧯮=𣍈=丰=三+|
         丰(フウ・ボウ・すがた=姿)・・・素形?
     豊後(ぶんご)・豊前(ぶぜん)・豊国(とよくに)
        文語      憮然
 608年(推古十六年)第2回遣隋使
     小野妹子らを派遣
     ↓↑
     小野妹子・・・中国名 「蘇因高」
     父 春日 小野仲若子
     子    毛人 臣・・・妹子の子?
                日下姓
                小野義持・・・?
                聖徳太子から日下姓を賜った?
     孫    毛野
     曾孫  小野 永見(おの の ながみ・永く見る・英建?)
          征夷副将軍
          小野 岑守(おの の みねもり)は三男・参議
          小野小町の曾祖父
     6代目  小野篁(たかむら・竹+皇)
          小野 岑守の子
          小野小町小野篁の孫
          小野 好古(よしふる)の
          小野道風は弟
            小町と従兄弟
     ↓↑
     小野妹子
     冠位 大徳
     六角堂の初代住職
     池坊において「華道の祖」
     ↓↑
     小野妹子
     天帯彦国押人命(天足彦国押人命
     和珥(わに)の臣等の始祖・・・
     小野妹子
     敏達天皇の皇子の
     春日皇子の子・・・?
    「春日小野臣大樹」の後裔・・・?
     その  
     天帯彦国押人命(天足彦国押人命
     6世孫の
     米餅(こめつき)搗(舂・つき)大使主の後裔
     餅搗( もちつき・もちづき)
     米兵付記?
     搗=トウ
       うつ・かつ・かてて・たたく・なごむ
     搗ち合う=かち-あう(あふ)
     頼めば越後から米搗きにも来る
     提灯で餅を搗く
     搗いた餅より心持ち
     搗き臼で茶漬け
     ↓↑
     国書を持参
     小野妹子、裴世清らとともに
     住吉津に着き、帰国
     『日本書紀』、『隋書・俀國伝』
 608年(推古十六年)『隋書・煬帝紀』
 609年(推古十七年)第3回遣隋使
          小野妹子
          吉士雄成
          など派遣
          学生として
          倭漢直福因(やまとのあやのあたいふくいん)
          奈羅訳語恵明(ならのおさえみょう)
          高向漢人玄理(たかむくのあやひとくろまろ)
          新漢人大圀(いまきのあやひとだいこく)
          学問僧
          僧旻
          南淵請安
          志賀漢人慧隠(しがのあやひとえおん)
          ら8人留学
          隋使
          裴世清 帰国
          『日本書紀』、『隋書・俀國伝』
 610年(推古十八年)第4回遣隋使
          『隋書・煬帝紀』
 614年(推古二十二年)
 615年(推古二十三年)第5回遣隋使
          犬上御田鍬
          矢田部造
          らを隋に派遣
          百済使
          犬上御田鍬に従って来る
          『日本書紀
 618年(推古二十六年)隋 滅亡
 ↓↑
 諂(へつら)う=讇
 ↓↑
 武蔵国
 無邪志国造
 牟邪志国造・・・牟邪志?
 ↓↑
 明治以前の
 川口市の地域
 蔵国
 足立郡に属していた
 ↓↑
 无邪志(むざし)・・・ヨコシマな志は無し
 胸刺(むなさし・むさし)
 知々夫(ちちぶ
 の三国
 ↓↑
 713(和銅六)年
 「武蔵(むさし)」
 の表記
 「无謝志の国造」
 ↓↑
 武蔵国・・・埼玉
 多摩郡
 ↓↑
 无=一+尢=ブ・ム・ない=無
   一+丿+乚
  ↓↑
  庑=广+尢=廡
    のき
    ひさし
    家の軒に差し出し
    雨や日光をさえぎるための小さな屋根
    廊下・回廊
    しげる・草や木が生い茂る
  怃=忄+尢=憮=㒇
    ブ
    ム
    いつくしむ
    がっかりするさま・失望するさま
    いつくしむ・大切にしてかわいがる
  呒=口+尢=嘸
    ブ
    ム
    さぞ
    はっきりとしないさま
    何も口に出して言わないさま
    黙示    
  抚=扌+尢=撫
    フ
    ブ
    なでる
    手のひらでさする
    なでるようにしてかわいがる
    愛撫
    なだめる・落ち着かせる
    うつ・軽くたたく
  妩=女+尢=嫵
    ブ
    ム
    こびる
    みめよい・美しい
  芜=艹+尢=蕪
    ブ
    ム
    あれる(荒れる)
    かぶ
    かぶら
    しげる(茂)
    みだれる
    雑草が生い茂って荒れる
    乱れる・すさむ(荒む)
    荒れ地・草むら・草原
    かぶ・かぶら
  ↓↑
  䥻=金+尢=金+無
  ↓↑
  无何之郷(むかのきょう)
   果てしなく広くて見渡す限り何もなく
   人の手が入っていない場所
  無何有郷(むかゆうのきょう)
   理想郷を言い表す言葉。
   「無何有」=何も有ること無し・何も存在しない世界
   絶対的な無の世界
   「无何有郷」
   出典『荘子』「逍遥遊」
   異形
   無何有郷(むかゆうきょう)
   无何有郷(むかゆうきょう)
   無何有郷(むかうきょう)
   無何有郷(むかうのさと)
   類義語
   无何之郷(むかのきょう)
  ↓↑
  无妄之福(むぼうのふく)
   考えてもいなかった幸運が突然訪れること
   予期していなかったことが突然起こること
   「無=无=莫・勿・毋=なかれ」
  ↓↑
  无望之禍(むぼうのわざわい)
   考えてもいなかった不幸が突然訪れること
   「毋望」=予期せぬ出来事が突然起こること
 ↓↑
 武蔵国
 無邪志国造
 牟邪志国造
 ↓↑
 牟=厶+牛
   ボウ
   ム
   なく(鳴く)・牛の鳴き声
   むさぼる(貪る)
   むさぼり奪う・奪い取る
   大きい・多い
   きび(黍)やあわ(粟)を
   盛りつける器(うつわ)
   かぶと(兜・冑・甲)
   ひとみ・牟子(ボウシ)
   大麦(おおむぎ)・牟麦(ボウバク)
 ↓↑
 牟=厶+牛
   ボウ
   ム
   むさぼり奪う・奪い取る
 ↓↑
 ヨコシマ=横嶋=横嶌=横嶋=横縞
    =邪・犯・姦・奸・謀・冒・漢・菅・私=ム
 ・・・ヨコシマなカンジがワンサカ・・・
 「ヨコシマ(横島)」
 と読まれる漢字は
 「感冒」の「冒」をはじめに
 よこしま=宄(宀+九)
 =横・邪
 =姦・奸・干(カン=諌=甲)
 =佞・漢・・頗(よこしま)・欺・讒・謀・背
  よこしま=侘・差・左・ム・私
  よこしま=宄=侈(シ)・佻(チョウ・ジョウ)・犯
  よこしま=毎・曲・奸・淫・自・己
  ↓↑
  阿毎王朝(九州阿蘇山の麓)・・・
      は隋王朝
      諂(へつら)わず=非讇(へつら)わず
 ↓↑
 梺=ふもと=文幹・府本・富ヨコシマ=横嶋=横嶌=横嶋=横縞
  =邪・犯・姦・奸・謀・冒・漢・菅・私=ム
  =諂(へつら)う=讇(テン)
 臽(カン)=⺈+臼=落とし穴=陥(おとしい)れる
      ⺈=勹(つつむ・ホウ・ヒョウ)・・・刀(かたな・トウ)
      六韜三略(リクトウサンリャク)?
   ・・・太公望呂尚
        姓は姜(カン・キョウ=羊+女
         生姜=ショウガ)
         ≠羌(コウ・キョウ・えびす)=羊+儿
          羌(キョウ)=羗=猐=犭+羌)
           =羌+厶
       蜣螂(キョウロウ)
               =黄金虫
                糞転がし=スカラベ
  氏は呂・字は子牙 or 牙・諱は尚・・・
    ↓↑
  「太安万侶」・・・万=一+勹=萬=艹+甲+冂+ム
    ↓↑
   「呂 不韋(リョ フイ)」・・・不意?
    ?~紀元前235年
    秦の相国
    荘襄王を王位につけ
    相国として権勢を振るった
    荘襄王により
   「文信 侯(ブンシン コウ)」
    に封じられた
   「始皇帝=政=嬴」の実父・・・?
    出身地
    韓の陽翟・・・(『史記呂不韋列伝)
    韓國の陽の
    翟(タク・テキ)=羽+隹
    雉(きじ)・尾の長い雉・・・記事・生地
                  木地・素字
    雉の尾羽=舞楽に用いる
    雉の羽で飾った衣服
    中国の北方の異民族名
    or
    衛の濮陽・・・(『戦国策)
      濮=氵+僕
        氵+亻+菐
        氵+亻+业+䒑+夫
        氵+亻+业+丷+一+二+人
    ↓↑
    趙の人質、秦の公子の
   「異人(子楚=秦の荘襄王)」・・・異の人?
    を
   「これ奇貨なり。居くべし」
    と陽翟に帰った呂不韋は父と相談し
    将来のために
   「異人」に投資
   「異人」は
    秦王
    昭襄王の太子
   「安国君(孝文王)」の子で
    趙の人質であった
    呂不韋はこの「異人」を秦王にし
    権力を握りる事を狙い
   「異人」に金で社交界で名を売る事を指導し
    秦の安国君の
    華陽夫人に
   「異人」が実母のように慕っているとし
    華陽夫人の姉にも財宝を贈って彼女を動かし
   「異人」を華陽夫人の養子とさせ
    安国君の世子とするよう説得
    未だ子がない華陽夫人は話に乗り
    安国君は
   「異人」を自分の世子にした
   「異人」は
    養母となった
    華陽夫人が楚の公女だったので
   「子楚」と改名
    ↓↑
    呂不韋
    趙國豪族の娘(趙姫)を寵愛していたが
   「子楚」に彼女を譲った
    彼女は既に呂不韋の子を身籠っていた
   「子楚」にはこれを隠し
    生まれた子は「子楚の子」とした
    これが
   「政(始皇帝)=嬴」である・・・
   『史記呂不韋列伝』
   ↓↑
   昭襄王56年(紀元前251年)
   逝去
   次男の
  「孝文王」が立ち
  「子楚」は秦に送り返され
   太子となったが
   孝文王が50代で逝去し
  「子楚」が
  「荘襄王」となり
   呂不韋は相国(相邦)となり
  「文信侯」と号し
   洛陽の10万戸の領地を授けられた
   ↓↑
   荘襄王3年(紀元前247年)
   荘襄王死亡
  「政」が王となり
   呂不韋
   仲父(父に次ぐ尊称)の称号を授けられた
   ↓↑
   秦王政6年(紀元前241年)
   楚・趙・魏・韓・燕
   の五国合従軍が秦に攻め入ったが
   呂不韋
   秦軍の総指揮を執って
  「函谷関」で迎え撃ち撃退
   ↓↑
   孟嘗君や信陵君
   などが食客を集め名声を得ていたが
   呂不韋
   3,000人の食客を集め
   召使は1万を超えた・・・
   この中に
  「李斯」
   がおり王に推挙した
   ↓↑
   秦王政8年(紀元前239年)
   百科事典のような書物
  『呂氏春秋』を完成させ
  これに
  「一字でも減らすか
       増やすか
   出来る者には
   千金を与える」
   と触れ回った
   ↓↑
   呂不韋
   元々愛人であった
  「政」の生母である太后(趙姫)と密通していたが
  「嫪毐(ロウアイ)」と男を太后に紹介し
  後宮へ宦官として偽装し送り込み
  太后(趙姫)は息子を2人生んだ
   ↓↑
  「嫪毐」は
  長信侯に封じられたが
  太后との密通が発覚し
  「政」に謀反したが
  鎮圧され車裂きの刑で誅殺された
  呂不韋連座処刑されるところだったが
  相国の罷免と蟄居に減刑
  ↓↑
  秦王政12年(紀元前235年)
 「政」は
  呂不韋に詰問状で
 「君何功於秦。秦封君河南,食十萬戸。
  君何親於秦。號稱仲父。
  其與家屬徙處蜀(一族諸共蜀に行け)」
  呂不韋は蜀地域への流刑を追加され
  鴆酒を仰いで自殺
  ↓↑
  劉邦の妻の
 「呂雉(呂后)」は
 「呂不韋」の一族だった・・・説
  蜀漢に仕えた豪族の
 「呂凱」は、呂不韋の末裔・・・
 『三国志・蜀志呂凱伝』   
    ↓↑
 ・・・ヨコシマなカンジがワンサカ・・・
 「ヨコシマ(横島)」
 と読まれる漢字は
 「感冒」の「冒」をはじめに
 ↓↑
 よこしま=宄(宀+九)
     ・・・ウは「九=個々の通(津・都)」
         九州の都?・九番目の津?
         今使譯所通
         三十國の九番目の津?
         三十語句の九番目の譯?
   1(イ・あ)
   狗邪韓国・・・狗邪=倭に属す倭人の圀?
         「韓」の西部に馬韓
            東部に辰韓
            南東に弁辰(辰韓
            馬韓と弁辰が
            各々その南方で
            「倭と接する」
         ・・・倭人の国(居住地)は
           朝鮮半島内の南の先端にあった
   から始めて
   一海を渡り、千余里で
   2(ロ・い)
   対海(対馬・ツシマ)国に至る
   又
   3(ハ・う)
   渡一海千餘里 至
   末盧(マツロ)國
   4(二・え・ゑ)
   東南 陸行 五百里 到
   伊都(イト)國
   5(ホ・お・を)
   東南百里 至
   奴(ヌ・ド)國・・・~奴(ヌ・ド)國へ循環
   6(へ・か)
   東行 百里 至
   不彌(フミ・フウビ)國
   7(ト・き)
   南 水行二十日 至
   投馬(ツマ・トウマ)國
   8(チ・く)
   南 水行十日陸行一月 至
   邪馬壹(ヤマイ・ヤバイ)國
   女王之所都
   自 女王國以北
   其戸數道里 可得略載
   其餘 旁國遠絶 不可得詳
   9(リ・け)
   次有
   斯馬(シバ)國
   10(ヌ・こ)
   次有
   巳百支(シハクシ)國
   11(ル・さ)
   次有
   伊邪(イヤ・イザ)國
   12(ヲ・し)
   次有
   都支(トシ)國
   13
   次有
   彌奴(ミド・ミヌ)國
   14
   次有
   好古都(コウコト)國
   15
   次有
   不呼(フコ)國
   16
   次有
   姐奴(シャド・ソド)國
   17
   次有
   對蘇(タイソ・ツソ)國
   18
   次有
   蘇奴(ソヌ・ソド)國
   19
   次有
   呼邑(コユウ)國
   30
   次有
   華奴蘇奴(カドソド・カクソヌ)國
   21
   次有
   鬼(キ)國
   22
   次有
   為吾(イゴ)國
   23
   次有
   鬼奴(キド・キヌ)國
   24
   次有
   邪馬(ヤバ。ヤマ)國
   25
   次有
   躬臣(キュウシン)國
   26
   次有
   巴利(ハリ)國
   27
   次有
   支惟(シユイ・シイ)國
   28
   次有
   烏奴(ウド・ウヌ)國
   29
   次有
   奴(ド・ヌ)國・・・「奴國」は
           5番目の「奴國」
           に戻った・・・循環した?
           奴(ヌ)⇔ナ・ニ・(ヌ)・ネ・ノ
           奴(ド)⇔ダ・ヂ・ヅ・デ・(ド)゙
                ザ・ジ・ズ・ゼ・ゾ
   此
   女王 境界 所盡
   ↓↑
   30
   其南有
   狗奴國
   男子 為王
   其官・・・・・・・官職の名称?
   有 狗古智卑狗・・・クコチヒコ・コウコヒコ=公処比古(肥後)?
            俱己地庇護・好子蜚語?
            流言蜚語(飛語・卑語)?
   不屬 女王
   自郡 至
   女王國 萬二千餘里
 ↓↑
 茨城県筑西市横島
 江戸時代に記録のある地名
 茨城県常総市大塚戸町
 岡山県笠岡市横島
 熊本県玉名市横島町横島
 熊本県天草市新和町大多尾横島
 ↓↑
 ヨコシマ=横嶋=横嶌=横嶋=横縞
    =邪・犯・姦・奸・謀・冒・漢・菅・私=ム
    ・・・コシマなカンジがワンサカ・・・
    =頗(よこしま・ハ)
    =かたよる・不公平
     偏頗(ヘンパ)
     すこぶる・たいそう
 ↓↑
 よこしま=宄(宀+九)
    =横・邪
    =姦・奸・干(カン=諌=甲)
    =佞・漢・頗(よこしま)・欺・讒・謀・背
 よこしま=侘・差・左・ム・私
 よこしま=宄=侈(シ)・佻(チョウ・ジョウ)・犯
 よこしま=毎・曲・奸・淫・自・己
    阿毎王朝
    九州阿蘇山の麓・・・
    梺=ふもと=文幹・府本・富本
 ↓↑
 「宄=宀+九=キ・よこしま」は
 「邪悪・姦・・悪者・盗人」
 と諸橋轍次先生の
 「大修館・新漢和辞典(改訂版)」
 にあり
 「究」の「八」を欠字させた漢字である
 ↓↑
 「菅原(すがわら)」の
 「菅」も「よこしま」と訓れている・・・
 漢和辞典を注意してみないと
 「よこしま」
 とヨマれている漢字を見落とす事になる・・・
 もちろん
 太宰府に流刑された
 「菅原道真」の「菅」である
 ↓↑
ーーーーー

(ユカリとオジさんの世迷い言・2)

古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)

エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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 干支歴
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 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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 モモちゃん
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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 古事記と虎関師錬

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鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・
オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポルカ」 (haa98940.wixsite.com)