ないえごろうブログ

同音異義の探索

倭姫=倭比売命=日本(倭)建の叔母 & 倭姫=天智天皇の正妻(姪)=古人大兄皇子の娘

 文字霊日記・3406日目

  11=「eleven(イレブン)」・・・異例文・異例分・違例分
        入例旻・伊禮旻?


 ↓↑
 ニワトリか他万語か・・・
 ランの始まりはミコト・・・
 2016-06-16 18:12:52 | 古事記字源
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 ウィリアム・アダムス(William Adams
 1564年9月24日
 ~
 1620年5月16日
 (元和六年四月二十四日)
 甲子       三合壬    庚申(傷官)
 癸酉(傷官・食神)三合辛    辛巳(食神)
 己卯       支合丁    壬戌(正財)
 木曜日      土曜日  
 仏滅       大安
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 江戸時代
 徳川家康に外交顧問として仕えた
 イングランド人航海士・ 水先案内人・貿易家
 三浦 按針(みうら あんじん)
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 生誕 1564年9月24日
 イングランド王国・ケント州・ジリンガム
 1620年5月16日
 肥前国平戸(長崎県平戸市)で死没
 配偶者 お雪(マリア)
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 カラスの異状
 2013-10-01 20:04:48 | 古事記字源
 「長髄彦」は
 「那賀須泥毘古(古事記)」と表記され
 「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」
 「登美毘古(トミビコ)」
 とも呼ばれる
 「登美能那賀須泥毘古」。
 八重さん
 「足の脛(臑)が長い鳥」は「鶴」だろう?・・・
 「鶴が城」、それに「白虎」は「西の聖獣」だったョなッ。
 「大和国鳥見(とみ)」・富・冨・・・富雄・・・蛇行剣
           飛魚=とびお=天馬飛雄=アトム
 「鳥見(とみ)」は鵄(とび・鳶)が訛ったモノではないだろう
 字面道理の敵の
 「金鵄(キムシ・キンシ・金武氏)」
 を見る「鳥の見の場所」
 であるカナ、風見鶏。
 奈良盆地の侵略者はダレか、と云えば歴然である
 「神武天皇=磐の余りのビのコ」・・・「岩波文庫・種まく人」?
 で
 侵略されたのは
 「那賀須泥毘古(長髄彦)」・・・
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 ・・・なんで、「岩波(いわなみ・ガンバ)」なのか・・・?
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 岩波文庫
 発行日 1927年(昭和2年)7月10日
 発行元 岩波書店
 ジャンル 古典的価値を持つ書物
 出典:
 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 岩波文庫
 公式サイト https://www.iwanami.co.jp/bun/
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 岩波文庫(いわなみぶんこ)
 株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル
 概要
 1927年(昭和2年)7月10日
 当時の教養・啓蒙主義のもと
 ドイツの
 レクラム文庫・・・例句等ム文庫・・・例眩む分故?
 を模範とし
 書物を安価に流通させ
 より多くの人々が
 手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として
 創刊された日本初の文庫本
 国内外の古典的価値を持つ
 文学作品や学術書などを幅広く収めており
 最初の刊行作品は
 『こゝろ』、『五重塔』、『にごりえたけくらべ
 『戦争と平和 第一巻』(米川正夫訳)
 『櫻の園』(同訳)など
 22点
 第二次世界大戦前は
 『岩波英和辞典』編集者の
 島村盛助訳による
 エドウィン・アーノルドの抒情詩
 『亜細亜の光』などが刊行
 戦中には
 賀茂真淵『語意・書意』
 本居宣長『直毘霊』
 などの国学文献のほか
 『軍隊の服従と偉大』
 などが発行された
 1938年2月7日
 社会科学関係書目28点などが
 自発的休刊を強いられる
 戦後は
 『きけ わだつみのこえ
 や
 社長
 吉野源三郎
 『君たちはどう生きるか
 などが発行された
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 出典
 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 岩波書店
 設立日 1949年(昭和24年)4月25日
(創業は1913年(大正2年)8月5日)
 代表者 代表取締役社長:坂本政謙
 本社郵便番号 〒101-8002
 本社所在地 東京都千代田区一ツ橋2-5-5
 資本金 9000万円
 従業員数 135名
 ネット販売 自社サイト、オンライン書店
 主要出版物
 広辞苑
 岩波文庫岩波現代文庫
 岩波新書、岩波ジュニア新書 ほか 
 なまこ=海鼠=カイソ=改組・開祖・鹿磯・甲斐祖・蝦夷
    海鼠 海祖
    猿女=宇受売=渦目・・・水挽(みずびき)の結び
       エンジョ=塩女=しおめ=潮目
      天鈿女命(あめのうずめ)
      「宮比神」(ミヤビノカミ)
      猿女君=稗田氏の祖・・・
         「卑彌(弥)呼」の末裔?
    天宇受売(賣)は
    猿田毘古神を送って
    日向国志摩国)に帰った後
    大小の魚を集めて
    天孫邇邇芸命)に仕えるかどうか尋ねた
    みな「仕える」と答えた中で
    海鼠(なまこ)だけが何も答えなかった
    天宇受売(賣)は
    その口を小刀で裂いてしまった
    それでナマコの口は裂けている・・・生口・・・?
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    猿田彦
    鹽竈神社の別宮の祀神
    猿田彦=事勝國勝、塩土老翁
        岐神、興玉命、太田命
        の6座と同体異名の神
        道の神、旅人の神=道祖神
        庚申講の神と同一視
      塩田飛虎・・・飛虎=天武天皇
               大海王子
      塩田斐(あや・ヒ)子
      子孫=大田命
    猿田毘古神
    伊勢の
    阿邪訶(あざか・旧一志郡阿坂村、現松阪市
    の海で漁をしていた時
    比良夫貝(ひらふがい)=阿倍比羅夫
    に手を挟まれ、溺れた
    海に沈んでいる時に
    「底度久御魂(そこどくみたま)」
     提督
    猿田毘古神が
    吐いた息の泡が昇る時に
    「都夫多都御魂(つぶたつみたま)」
     都の良人
       多く渡(譯)、語根の音今
       粒=米+立=米国・経つ
         (螺=虫+塁・顆=果+頁)
       発てる
    泡が水面で弾ける時に
    「阿和佐久御魂(あわさくみたま)」
    佞(侫・おもねる)倭の割(作・策)
             語根の音今 
    という三柱の神が生まれた
    生じた泡の三柱の神は
   「阿射加神社
   (三重県松阪市大阿坂と小阿坂)」
    2社存在し鎮座している・・・
   「阿邪訶」=おもねる(阿蘇・侫・佞)
        よこしま(邪馬台国
        しかる(然るに・志賀留・滋賀留)
   阿=阝+可・・・可=丁+口
   邪=牙+阝・・・牙=ヰ+ノ
   訶=言+可・・・言=亠+ニ+口
   青面金剛猿田彦道祖神
   鬼病 を流行させる鬼神
   身は 青色
   四臂または二臂・六臂
   目は赤くて三眼
   頭髪 は炎のようにさかだち
   身には蛇をまとい
   足下 に
   二匹の鬼を踏みけ
   怒りの 形相・・・神像
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 『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)
 倭姫命
 天照大神を祀るのに相応しい地を求めて
 諸国を巡っていたとき
 猿田彦の子孫である
 大田命(おおたのみこと)が
 倭姫命を先導して
 五十鈴川の川上一帯を献上
 大田命の子孫は
 宇治土公(うじのつちぎみ)
 と称し
 代々伊勢神宮
 玉串大内人に任じられた
 しかし
 大田命を
 猿田彦の子孫と主張し始めたのは
 鎌倉時代に成立した
 『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』
    『倭姫命世記』・・・
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    倭姫=倭比売命
    日本(倭)建の叔母
    第十一代
    垂仁天皇の第四皇女
    母は皇后の日葉酢媛命
    垂仁天皇25年3月丙申
    天照大神を伊勢の地に祀った
    第十代
    崇神天皇の皇女
    豊鍬入姫命の跡を継ぎ
    天照大神
    御杖代として
    大和国から伊賀・近江・美濃・尾張
    の諸国を経て伊勢の国に入り
    皇大神宮伊勢神宮内宮)を創建
    御杖代=依代として神に仕える者
    倭姫命伊勢神宮を創建するまで
    天照大神の神体である
    八咫鏡を順次奉斎した場所は
    「元伊勢」
    日本武尊倭姫命の甥王)
    に草薙剣を与えている
    伊勢の地で
    天照大神を祀る最初の皇女
    制度化されて後の斎宮となった
 ↓↑ ↓↑   
    倭姫=天智天皇の正妻
    舒明天皇の第一皇子である
    古人大兄皇子の娘
    叔父の天智天皇の皇后
    大化元年九月十二日
    (645年10月7日)
    父・古人大兄皇子
    は謀反の罪で
    中大兄皇子に誅された
    天智天皇七年二月二十三日
    (668年4月10日)
    中大兄皇子が大王に即位し
    大后となる

    天智天皇の危篤・崩御の際に
    詠んだ歌4首が『萬葉集
    2-147、2-148、2-149、2-153
    に収録
 ↓↑ ↓↑
 大田命を
 猿田彦の子孫と主張し始めたのは
 鎌倉時代に成立した
 『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』
 『倭姫命世記
 であり
 延暦期成立と見られる
 『皇太神宮儀式帳』
 や後三条朝までの編年記事が見える
 『大神宮諸雑事記』
 では
 宇治土公は単に
 大田命の子孫であるとだけ主張し
 大田命の遠祖に
 猿田彦を架上したものと指摘・・・
 「児島系図」では
 久斯比賀多命三世孫の
 久斯気主命を祖とし
 石部公
 狛人部
 と同族であるとし
 これに従えば
 三輪氏族となる
 ↓↑
 椿大神社三重県鈴鹿市
 の社伝では伊勢の
 」阿邪訶」
 にて溺れた際に命を落とし
 後に同神社の
 高山土公神御陵に葬られ
 これが猿田彦命の御陵とされた
 二見興玉神社三重県伊勢市二見町)
 の由緒書では
 同神社の境内の
 海中に位置する
 興玉神石は
 天孫降臨の際に
 猿田彦が降り立った神跡
ーー↓↑ーーー
 「生口」とはナニか?
 なまくち=生口=セイコウ=声巧=歌手?
     生口=海女・海人・潜水夫・・・?
 ↓↑
 生=牛+一
   𠂉+土
   𠂉+十+一
   𠂉=髪挿し・櫛・笄・簪・兂・釵・鈿・角
   セイ・ショウ
   いきる・いかす・いける
   うまれる・うむ
   はえる(生える)・はやす
   なま
   おう(生う)
   セイ・・・百生=百瀬(ももセイ)の異形
     富山県 南砺市
     焼野の農業従事者が
     百々の作物が生々と育つように
     百瀬姓から改姓
   う・・・桃生=桃生町 (ものうチョウ)
     宮城県 北東部
     桃生郡 に属した町
     2005年 4月1日合併
     新制の 石巻市 となった
   き・・・生真面目・生粋
 生意気=なまいき
 自分の年齢・経験・地位・能力を考えず
 得意気な言動・差し出がましい言動をすること
 語源・由来
 生意気の「意気」
 「意気揚々・意気込み」
 などの「やる気・心構え」
 生意気の「生」
 「生煮え・生乾き」
 中途半端な状態や
 十分に熟していない状態を
 表す接頭語
 「年齢・経験」などにかかる
 心構えだけで
 実が伴わない未熟な者に対し
 差し出がましいと思う気持ち
 「小生意気」=「小」は接頭語
       「小憎らしい・小賢しい」
 生意気の言い換え
 小生意気・しゃらくさい・小癪・猪口才
 小賢しい・賢しら・猿松
 小利口・利いた風
 洒落たことをする
 小憎らしい
 おこがましい・差し出がましい
 厚顔・厚かまし
 図々しい・いけずうずうしい
 僭越
 こましゃくれる・こまっしゃくれる・ふてぶてしい
 偉そう・高慢ちき・高慢・傲慢
 横柄・傍若無人・不遜・嵩高・嵩高い
 失礼・無礼・不躾
 態度が大きい・頭が高い
 腰が高い・腰高
 白河夜船・・・何が起きても気づかないほど
       ぐっすり眠っていること
       知ったかぶりをすること
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