ないえごろうブログ

同音異義の探索

1843年10月・王と王が並ぶ今・・・琴の音・筑の音・筝の音のヒビキって、キンコンカン?

 文字霊日記・3384日目

 

   ↓↑
 王と王が並ぶ今・・・琴のカンジ・・・
 1843年10月
 天王星の公転運動の狂いから
 海王星の存在と位置を予言

   ↓↑

 始皇帝暗殺未遂=高 漸離=切り離す?
 「筑⇔琴⇔筝」の音・キン・ゴン・カン・・・
   ↓↑
 トリにくい・・・鶏肉意・・・・・腎臓に良し、だって?
  ↓↑
 鳥居耀蔵 取り字句意 神造→甚造→人造→訊叢(象)
 鳥取・安藝
 垂仁(活目)天皇⇔「狭穂姫=沙本毘売
          =佐波遅比売」命を皇后とする
 の子供
 品牟都和気命(ほむツわけ)
 本牟智和気命(ほむチわけ) 『古事記
 誉津別命(ほむつわけのみこと)『日本書紀』・・・
  ↓↑
 誉田天皇(ほむたのすめらみこと)=応神天皇⇔神功(じんぐう)皇后
  ↓↑
 「筑紫・筑前筑後」の漢字・・・「筑」⇔「琴」⇔「筝」

 トリにくい・・・鶏肉意・・・・・腎臓に良し、だって?
 鳥居耀蔵 取り字句意 神造→甚造→人造→訊叢(象)
 鳥目=闇夜では視にくい・・・例外はフクロウ(梟・🦉)=首魁
  ↓↑
  活目入 彦 五十狭茅  天皇
 (いくめいりびこ いさ ちのす めらみこと)
  伊久米 伊理 毘古 伊佐知 命
 (いく め いり びこ  いさちの みこと)
 御間城天皇崇神天皇)の第三皇子
 生母
 御間城姫命(みまきひめのみこと
       大彦命孝元天皇の皇子の娘)
 兄 豊城入彦命
 父が崩御した翌年の一月二日即位
 即位二年
 彦坐王天皇の伯父)の娘の
 「狭穂姫=沙本毘売
     =佐波遅比売」命を皇后とする
 即位五年
 狭穂姫命の兄の
 狭穂彦王が叛乱
 兄と共に焼死
 即位十五年二月
 丹波道主王の娘たちと再婚
 長女の
 「日葉酢媛命」を皇后とし
 末娘の
 「竹野媛」・・・筑紫のヒメ?
 は醜かったので故郷に返され
 葛野(かどの)で輿から投身自殺
  ・・・葛野⇔葛城・桂木・・・桂小五郎木戸孝允
  ・・・葛野王弘文天皇大友皇子)と
       十市皇女天武天皇額田女王との娘)
       との第一皇子
       淡海三船の祖父
   天皇直系継承として
   天武天皇(大海皇子)
   持統天皇の孫=文武天皇(輕皇子)を主張
   文武天皇(輕=珂瑠皇子)は
   草壁皇子と阿陪(阿閉)皇女(元明天皇)との子
 ↓↑
 『古事記』では故郷に返されたのは
 歌凝(うたごり)比売
 と
 円野(まどの)比売の2人
 円野比売は
 「相楽(さがら・サガリ)」で自殺未遂
 「弟(おと=音・乙)国」で自殺
    弟子=でし=出氏?
 ↓↑
 日葉酢媛命を新たな皇后とし
 大足彦尊(景行天皇
 倭姫命
 を得た
 即位25年
 五大夫を集めて
 祭祀の振興
 伊勢神宮、武器奉納、相撲、埴輪
 鳥飼といった様々な文化の発祥に関わった
 即位37年
 大足彦尊(景行天王)を立太子
 即位九十九年に
 壱百四拾歳
 で崩御
 『古事記』では
 壱百五拾参歳
 ↓↑
 品牟都和気命(ほむツわけ)
 本牟智和気命(ほむチわけ) 『古事記
 誉津別命(ほむつわけのみこと)『日本書紀
 垂仁天皇
 と
 狭穂毘売命(さほびめのみこと・日子坐王の女)
 の皇子
 『上宮記』の逸文
 継体天皇の先祖
 応神天皇誉田別命)=凡牟都和希王(ほむつわけのみこ)
 の名が記録・・・?
 垂仁天皇五年十月・・・語念(撚)+壹拾(足)解譯?
 討伐令
 稲城での籠城が翌月まで続き火攻めが行われた
 垂仁天皇五年十一月
    ・・・語念(撚)
       +
       壹拾(足)
        +
        位置(伊地・移置)
         +
         解譯?
 「本牟智和気(訳・譯)=品牟都和気
           =誉津別」命(御言・見事)
  誕生
 長じて鬚(髭・髯
      ひげ=卑下・婢解・日下・比毛=比懸)
 が
 胸先に達しても
 言葉を発することがなく
 赤子のように泣いてバカリいた
 ある日
 鵠(くぐい・白鳥)が渡るさまを見て
 「是何物ぞ」と初めて言葉を発した
 天皇はその鵠を捕まえることを命じ
 天湯河板挙(鳥取造の祖)が
 出雲(一書に但馬)で捕まえて献上
 津別命は
 鵠を遊び相手に
 言葉を発するようになり
 鳥取部・鳥飼部・誉津部
 を設けた(日本書紀
 ↓↑
 天皇尾張の国の
 二股に分かれた
 杉(サン・すぎ=椙・彬)で
 二股船を作り
 それを運んで
 市師池・軽池に浮かべて、皇子とともに戯れた
 あるとき皇子は天を往く鵠を見て何かを言おうとし
 天皇はそれを見て
 鵠(告+鳥・白鳥)を捕らえるように命じた
 鵠は
 紀伊・播磨・因幡丹波・但馬・近江・美濃・尾張信濃・越
 を飛んだ後に捕らえられたが
 皇子は鵠を得ても物言わなかった
 ある晩、天皇の夢に何者かが現れて
 「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら
  皇子はしゃべれるようになるだろう」
 告げたので
 天皇
 太占で夢に現れたのが何者であるか占わせると
 言語(物言わぬ)は出雲大神の祟りとわかった
 皇子を
 曙立王・菟上王とともに
 出雲(島根県東部)に遣わして
 大神を拝させた
 出雲から帰る際
 肥川に橋を渡し
 仮宮を造営して滞在していると
 出雲国造の祖先
 「岐比佐都美」
 が青葉の木を飾り立てて川下に立て
 食事を献上しようとしたとき
 皇子は
 「この川下に青葉の山のように見えるものは
  山の様で山ではない。
  もしかすると
  出雲の石硐の曽宮に坐す
  葦原色許男大神
  を仕え奉る祭場ではないだろうか」
 と問うた
 皇子が話せるようになったことを
 御供の王たちは喜び
 皇子を檳榔の長穂宮に移すと
 早馬を走らせて天皇に報告
 天皇はこれを喜び
 菟上王を出雲に返して大神の宮を造らせた
 また
 鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐
 を設けたという(古事記
 ↓↑
 『釈日本紀』に引く『尾張国風土記逸文
 「阿麻乃彌加都比女=阿麻乃弥加都比女
  =天甕津媛命=阿麻彌加都比女
   あまのみかつひめ」
 の祟り
 誉津別皇子は
 七歳になっても話すことができなかったが
 皇后の夢に
 多具の国の神
 「阿麻乃彌加都比売」が現れ
 「自分にはまだ祝(はふり)がいないので
  自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら
  皇子は話せるようになり
  寿命も延びるであろう」
 と言っので天皇
 日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせ
 建岡君は美濃国の花鹿山に行き
 榊を折って鬘(髪飾り)を作り、誓約(ウケイ)し
 「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」
 と言った。鬘は空を飛んで
 尾張国丹羽郡に落ちたので
 建岡君は同地に社を建てたので
 同地も
 鬘が訛って
 「阿豆良(あづら)の里」と呼ばれるようになった
 多具の国=出雲国の多久川流域
 阿麻乃彌加都比売は
 『出雲国風土記
 秋鹿郡伊農郷にみえる
 天甕津日女(楯縫郡神名樋山の項の天御梶日女)
 と同神
 天御梶日女は
 葦原色許男大神の子である
 阿遅鉏高日子根神の妻
 阿遅鉏高日子根神は
 『出雲国風土記』において
 誉津別皇子と同じく
 大人になっても子供のように泣き止まなかった
 ↓↑
 「肥長比売」
 『古事記』では
 出雲において皇子は
 肥長比売と婚姻したが
 垣間見ると
 肥長比売が
 蛇体で
 皇子は畏れて逃げたが
 肥長比売は
 海原を照らしながら追いかけてきたので
 皇子はますます畏れて
 船を山に引き上げて大和に逃げ帰った・・・
 ↓↑
 「筑紫・筑前筑後」の漢字・・「筑」⇔「琴」⇔「筝」
           琴の音・・・琴=王+王+今
                   王+王+亼+フ
                   王+王+𠆢+ラ
                   王+王+𠆢+一+フ
           琴の弦を
           爪で弾いて出す音ではなく
           琴の弦を
           棒(stick)で敲(たた)いて出す
           琴=玨+今・・・・王が並ぶ今
             王+王+亼+フ
             王+王+亽+フ
            =玨の異体字
             玨=珏=王+玉=カク=一対の玉
           =琴の異体字
            珡=玨+人
            琹=玨+木
            䥅=王+十+王+金
            䥆=亠+非+金
            䦦=門+金
            キン
            ゴン
            こと
            弦楽器の一種
            こと・筝・和琴などの弦楽器の総称
            筝=竹+争・・・
  ↓↑         ↓↑

  筑=筑・・・琴⇔筝=竹(筑)の争い=筑紫の二人の王の争い
        珏=王+玉=カク
         =一対の玉・・・
          移置の
          対は
          球磨(熊・隈・久万=土佐)               
           ・・・大隈と板垣=隈板内閣・・・?
  ↓↑     ↓↑
        球磨(くま)
        日本海軍の
        二等巡洋艦(軽巡洋艦)
        球磨型の1番艦
        艦名は
        熊本県
        球磨川にちなむ
        球磨川(くまがわ)
        熊本県南部
        人吉盆地を貫流
        川辺川をはじめとする支流を併せながら
        八代平野に至り
        八代海不知火海)に注ぐ一級河川
        球磨川水系の本流
        熊本県内最大の川で
        最上川富士川と並ぶ日本三大急流の一
  ↓↑     ↓↑
        球磨地方(くまちほう)
        熊本県南東部
        人吉市球磨郡を指す
        球磨村 
        北緯32度15分08秒
        東経130度39分03秒
        球磨川が村内を東西に流れている。
        国見山(標高969m)
        球泉洞(きゅうせんどう)
        球磨村球磨川沿いを走る国道219号
        鎗倒しと呼ばれる岩壁の上に立地
        権現山(標高694m)の地下にある鍾乳洞
        球泉洞の総延長は第一本洞と第二本洞をあわせ4800m
  ↓↑     ↓↑
        隣接市町村
        熊本県
        八代市
        人吉市
        水俣市
        球磨郡 山江村
        葦北郡 芦北町
        鹿児島県
        伊佐市
  ↓↑     ↓↑
        久万川(くまがわ)
  ↓↑     ↓↑
        久万川 (仁淀川水系)
         愛媛県上浮穴郡
         久万高原町を流れる
         仁淀川水系一級河川
        久万川 (松山市)
         愛媛県
         松山市を流れる本流の二級河川
        久万川(くまがわ) =高知県
         高知県
         高知市を流れる
         国分川水系の二級河川
        久万高原町(くまこうげんちょう)=愛媛県
         北緯33度39分20秒
         東経132度54分06秒
  ↓↑     ↓↑

  筑=竹+巩
    竹+工+卂
    竹+工+凡
    竹+工+⺄+十
    竹+工+几+丶
    チク・ツク
    巩=工+卂
      キョウ
      抱く・つつみかかえる・・・鼓 (つづみ)抱える?
      卂=⺄+十           水留  渦カエル?
        シン
        はやい・はやく飛ぶ
    巩+α       α+手
    㧬=巩+手・・・・拿・挙・擧=舉・举・㪯
      工+卂+手
      工+凡+手
      工+⺄+十+手
      工+几+丶+手
      キョウ
      両手で抱えて、物を持ち上げる
 ↓↑ ↓↑
    古代中国の打弦楽器
    筑の形は琴に似ているが
    弾奏するのではなく
    竹(筑は同音)の棒で
    弦をたたいて音を出す
    弦の数は
    5弦
    13弦
    21弦ともいう
    戦国時代にはすでに存在
    『戦国策』では
    斉の都の「臨淄」において
    人々がみな
    竽・瑟・筑・琴などの楽器を演奏していた
    奏者としてもっとも有名なのは
    「高 漸離」・・・高 漸離=切り離す
       漸=氵+斬・・・グラフxy上の漸近線
         氵+車+斤
         ゼン・ザン・セン
         すすむ
         やや
         ようやく・次第に・だんだんと
         じわじわ進む・少しずつ進む
         ものごとのおこるきざし・おこり・はじめ
         易(エキ)の六十四卦の一つ
         中国を流れる川の名「漸水」=浙江
         ひたす・しみる・しみこむ・うるおす
         川が注ぐ・海に流れ込む
         山が高く険しいさま
      斬殺・・・・・惨殺
      斬=車+斤
        ザン・サン
        きる・刃物で切る・切り殺す
        たえる・たちきれる・とぎれる
        泣斬馬謖(キュウザンバショク)
        斬衰斉衰(ザンサイシサイ)
        斬新奇抜(ザンシンキバツ
        斬釘截鉄(ザンテイセッテツ)
        先斬後奏(センザンコウソウ)
        披荊斬棘(ヒケイザンキョク)
 ↓↑  ↓↑
   「高 漸離」は
    友人の
   「荊軻」・・・荊=艹+刑
            艹+开+刂
            ケイ
            いばら
            むち
            うばら
            とげがある低木類の総称
            にんじんぼく
            しもと
          自分の妻に冠する謙称
          昔の国の名
          軻=車+可
            車+丁+口
            カ
          車がくぼみにつかえて
          進みにくいさま
          物事が
         うまくいかないさま=轗軻(かんか)
 ↓↑  ↓↑
   「荊軻
    を送るときに「筑」を演奏した
    始皇帝に近づいて暗殺しようとしたが
    失敗して殺された
    1973年
    馬王堆3号墓から
    明器(副葬品)の筑が発見
 ↓↑
 「日本書紀
 氣長足姬尊 神功皇后
 氣長足姬尊、
 稚日本根子彥大日々天皇之曾孫、
 氣長宿禰王之女也、
 母曰
 葛城高顙媛。
 足仲彥天皇二年、・・・仲哀天皇二年
 立爲皇后、・・・・・・・・・皇后となられた
 幼而
 聰明叡智、貌容壯麗。
 父王
 異焉。・・・いぶかしがられる
 ↓↑
 九年春二月、
 足仲彥天皇仲哀天皇
 崩
 於
 筑紫・・・・・・筑紫
 橿日宮。・・・香椎宮(かしいのみや)
 時
 皇后、
 傷(いたみ)
 天皇
 不從
 神教而
 早崩、
 以爲、
 知所
 崇之神、
 欲求
 財寶國。
 是以、
 命群臣及百寮、
 以
 解罪
 改過、
 更造
 齋宮
 於
 小山田邑。
 ↓↑
 三月 壬申朔、・・・壬申の朔(ついたち=一日)
 皇后選吉日、
 入齋宮、
 親爲神主。
 則命
 武內宿禰
 撫琴、・・・琴=筑
 喚
 中臣
 烏賊津(いかつ)
 使主(おみ)
 爲
 審神(さにわ)者。
 因以
 千繒高繒・・・幣帛(ヘイハク)
 置
 琴
 頭尾、
 而請曰
 「先日 教 天皇者 誰神也、
     願 欲知其名。」
 逮于
 七日七夜、
 乃答曰
 「神風
  伊勢國
  之
  百傳
  度逢(わたらい)縣(あがた)之拆鈴
  五十鈴宮所居神、
  名
  撞賢木嚴(つきさかきいつ)
  之
  御魂(みたま)
  天疎(あまさかる)向津(むかいつ)媛命焉。」
 亦問之
 「除是神 復有神乎。」
 答曰
 「幡荻穗出 吾也、
  於
  尾田吾田節
  之
  淡(あわ)郡所居神之有也。」
 問
 「亦有耶。」
 答曰
 「於
  天事代(あめのことしろ)
  於
  虛事代(そらのことしろ)
  玉籤(たまくし)
  入彥
  嚴(いつ)
  之
  事代(ことしろ)神
  有之也。」
 問
 「亦有耶。」
 答曰
 「有無之不知焉。」
 於是、審神者(さにわ)曰
 「今
  不答而
  更後
  有言乎。」
 則對曰
 「於
  日向國
  橘小門
  之
  水底所居而
  水葉稚(みずば)之出居神、
  名表
  筒男・中筒男・底筒男神之有也。」
 問
 「亦有耶。」
 答曰
 「有無之不知焉。」
 遂不言且有神矣。
 時得神語、
 隨(したがい)
 教而祭。
 然後、
 遣
 吉備臣祖
 鴨別(かもわけ)、
 令擊
 熊襲國、
 未經浹辰而
 自服焉。
 且
 荷持田村(にもちたむら)
 荷持(にもち)、
 此云能
 登利有
 羽白熊鷲者、
 其爲人强健、
 亦身有翼、
 能飛以高翔、
 是以、
 不從皇命。
 毎略
 盜
 人民。
 ↓↑
 戊子、
 皇后、
 欲擊
 熊鷲(くまわし)而
 自
 橿日宮
 遷于
 松峽宮(まつおのみや)。
 時、飄風忽起、
 御笠(みかさ)
 墮風、
 故時人號
 其處曰
 御笠(みかさ)也。
 辛卯、
 至
 層増(そそ)岐野(さの)、
 卽
 舉兵擊
 羽白(はしろ)熊鷲(くまわし)而
 滅之。
 謂左右曰
 「取得熊鷲(くまわし)、我心則安(やすらか)。」
 故號
 其處曰
 安(やす)也。
 丙申、
 轉至
 山門縣、
 則誅
 土蜘蛛(つちぐも)
 田油津(たぶらつ)媛。
 時、
 田油津媛
 之兄
 夏羽(なつば)、
 興軍而迎來、
 然聞
 其妹
 被誅而
 逃之。
 ↓↑
 「古事記
 其大后
 息長帶日賣命者。
 (神功皇后)は
 當時歸神。
 故天皇
 筑紫之
 訶志比宮。
 將撃熊曾國之時。
 控御琴而。
 建内宿禰大臣。
 居於沙庭。
 請神之命。
     
 於是大后
 歸神。
 言教覺詔者。
 西方有國。
 金銀爲本。
 目之炎耀。
 種種珍寶。
 多在其國。
 吾今歸賜其國。
     
 爾天皇答白。
 登高地見西方者。
 不見國土。
 唯有大海。
 謂爲詐神而。
 押退御琴。
 不控。
 默坐。

 爾其神大忿。
 詔凡茲天下者。
 汝非應知國。
 汝者向一道。
     
 於是
 建内宿禰大臣白。
 恐我天皇
 猶
 阿蘇婆勢・・・阿蘇場(葉・羽・波)・・・「阿蘇山
   婆=卑弥呼の勢い
 其大御琴。〈自阿至勢以音〉
     
 爾稍取依其御琴而。
 那摩那摩邇〈此五字以音=なまなまに〉
 控坐。
 故未幾久而。・・・かれ、幾時いくだもあらずて
 不聞御琴之音。 御琴の音聞えず
 即擧火見者。
 既崩訖。・・・ 既に崩(かむあがり・身罷り・崩御・死亡)
ーー↓↑ーーー
 ウラノス=浦之主(州・洲・棲・笥・子)
 天王星(Uranus・ウラノス)・・・
     浦(裏・恚)の洲
     浦島太郎
     高橋虫麿(磨・麻呂・万呂)
     高橋景保シーボルト事件
     伊能忠敬・日本地図作成
ーー↓↑ーーー
 天王星(Uranus・ウラノス
 太陽系第7惑星
 よりも
 海王星(Neptune・ネープチン)
 太陽系第8惑星
 「♆」=ネプトゥーヌスの三叉槍
 ↓↑
 ジョン・クーチ・アダムズ(John Couch Adams
 1819年6月5日
 ~
 1892年1月21日
     大運1888年9月(69歳)壬戌 ・偏印
              支合丁
 己卯(甲 乙)正財・劫財帝旺⇔辛卯 ・正官
┏ 己巳(戊庚丙)正財・食神 病⇔辛丑 ・正官
 干合戊
┗ 甲辰(乙癸戊)  ・偏財 衰⇔壬子 ・偏印・支合壬
 庚午(丙 丁)偏官・傷官 死⇔丙午 ・偏官
  寅卯空亡
 ↓↑
 イギリスの数学者・天文学者
 海王星の軌道を計算し
 その位置を予測
 コーンウォール
 ラニーストに生れ
 セント・ジョンズ・カレッジに学び
 1859年から33年間ケンブリッジ大学の教授
 1843年10月
 天王星の公転運動の狂いから
 海王星の存在と位置を予言
 ↓↑
 同じ計算を
 フランスのユルバン・ルヴェリエも行って
 海王星は彼らの予測の1度以内の位置に
 ↓↑
 1846年・・・
 ヨハン・ガレによって発見された
 海王星のまわりのリングは
 ガレ、ルヴェリエ、アダムス
 と名付けられている
 干支 : 丙午
 ↓↑
 日本(天保暦)弘化三年
        皇紀2506年
        3月10日(弘化三年二月十三日)
        孝明天皇 即位
        7月19日(弘化三年閏五月二十七日)
        ジェームズ・ビドル提督
        米国軍艦2隻が
        浦賀水道に来航し通商を打診
        7月27日(弘化3年6月5日)
        浦賀奉行が通商拒否・退去通告
        7月29日(弘化三年六月七日)
        仏国インドシナ隊司令
        セシュ長崎来航
        9月23日
        ベルリン天文台
        J・ガレ
        天文学者
        U・ルベリエの計算に基づき
        海王星を発見
        12月28日
        米国アイオワが・・・相生話(和・倭・環・輪)
        29番目に州となる
        日付不詳
        輪転印刷機が発明
 ↓↑
 中国   清 道光二十六年 
 李氏朝鮮   憲宗十二年
 ↓↑
ーーーーー

(ユカリとオジさんの世迷い言・2)

古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)

エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・
オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポルカ」 (haa98940.wixsite.com)