ないえごろうブログ

同音異義の探索

みそ、曾侯乙の墓・湖北省・随県(随州市・曽都区)・徒然に

 文字霊日記・3531日目

 本日も、ガンガンの晴天・・・
 ミニトマトとキュウリ一本収穫・・・
 コレと云ってヤルこともなし・・・
 PCとTVの電源を入れる・・・

 そして
 気儘(気侭・きまま)に
 「徒然なるクサ(帳面)=ブログ」に随筆?
 「ブログ (blog)」
 「World Wide Web」 上の ウェブページ に
 覚え書きや論評などを記す ウェブサイト
 「Webに Log する」の 
 「ウェブログ (weblog) をブログ(Blog)」と略称
 執筆者=ブロガー (blogger)
 個別記事=ブログエントリー(blog entry)
 ↓↑
 『徒然草(つれづれぐさ)』
 「卜部兼好兼好法師・兼好・吉田兼好)」
 が書いた随筆・・・
 徒然=「徒然(トゼン)」に同じ
    何も起こらず物寂しい様子
    何かをすることもなく
    ただ時間を無為に過ごす状態・・・?
 ・・・呼吸し、生きていかねばならない「人間」なのに
 「つれづれ」には
 「くう・ねる・だす」は含まれない、って・・・?
 ・・・「徒然」=「連 (つ) れ連 (づ) れ」・・・
    の「有無」は「有」で
    生命活動
    生活事の連脈、連結、連接だろう?
    名・形動
    することがなくて退屈
    手持ちぶさた(無沙汰)・・・?
 「社会、組織」からの・・・「沙汰(命令)が無い」・・・
 「私的自由」が多い・・・
 「徒」のカンジって、ナニ?
 ↓↑
 徒=彳+走
   彳+土+龰
  =𨑒=土+辶
     十+一+辶(⾡=彡+ト+人)
       小学校で習う読みト
   ズ
   あだ
   いたずらに
   かち
   ただ
   ともがら
   むだ=無駄
   かち・乗り物に乗らないで歩く
   なにもない・なにも持たない
   から
   ともがら・仲間
   弟子・門下の人・門徒
  「ただ」=限定の意
  「いたずらに」=むだに・むなしく
   無駄・無益の意
   五刑の一
   強制的に労役に服させる刑罰
   徒刑(ずけい)
   日本語
   あだ・無駄・無益
 悪徒
 徒言(あだごと)=空ごと
 徒事(あだごと)=無駄ごと
 徒桜(あだざくら)=儚い出来事
 徒し・空し(あだし)=気侭な
 徒し心(あだしごころ)=浮気心
 徒名・仇名・あだ名(あだな)=艶聞
 徒情け・仇情け(あだなさけ)
    =かりそめの情け
 徒波・徒浪・仇浪(あだなみ)
 唖然・啞然(アゼン)=呆れる
 暗然・黯然(アンゼン)
 依然(イゼン)=以前と変わらずの様子
 怡然(イゼン)=歓ぶ様
 隠然(インゼン)=背後、黒幕の威力
 鬱然・蔚然(ウツゼン)=鬱蒼(ウッソウ)
 嫣然・艶然(エンゼン)=色っぽく笑う
 宛然(エンゼン)=そっくり
 婉然(エンゼン)=気品ある物静かな様
 一味徒党(イチミトトウ)
 往返徒労(オウヘントロウ)=無駄足
 家徒四壁(カトシヘキ)=貧乏な様
 高陽酒徒(コウヨウのシュト)=唯の飲んべい
 市井之徒(シセイのト)
 徒手空拳(トシュクウケン)
 馬歯徒増(バシトゾウ)=無駄に歳を喰うこと
 無為徒食(ムイトショク)=ごく潰し
 浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
 徒疎か(あだおろそか)=いい加減
 徒野の露、鳥部野の煙
 (あだしののつゆ、とりべののけむり)
 徒野の露、鳥辺野の煙
 (あだしののつゆ、とりべののけむり)
 徒の悋気(リンキ)=他人同士の恋に嫉妬
 徒花に実は生らぬ
 徒や疎か(あだやおろそか)
 市井の徒(シセイのト)
 徒党を組む
 船盗人を徒歩で追う
 (ふなぬすびとをかちでおう)
 ↓↑
 前回の
 「曾・侯・乙・随」などの
 「漢字」の探求?・・・だったが・・・
ーーーーー
 「曾侯乙-墓(ソウコウイツ-ボ)」
 漆箱 出土・・・漆=七
 湖北省
 随県・・・・・・・随(王朝)+懸
 擂鼓墩(ライコトン)
 (31度42分)
 (113度24分)
 BC433年
 ↓↑
 随=阝+迶・・・真髄・神髄・心髄
   阝+辶+有
   阝+辶+月
   随意・随筆・追随・付随
   気随
   自分の思ったままにふるまうこと
   気のおもむくまま
   気まま=気儘
   したがう・つき従う・付いていく
   供をする
   隨員・隨行・隨従・隨身
   隨伴・追隨・付隨
   成り行きにまかせる
   思いのまま
   隨意・隨喜・隨処・隨時
   隨筆・気隨
   ↓↑
   六十四卦の一
   第十七番目の卦
   沢雷隨
   外卦兌
   内卦震
   で構成
   澤雷隨(タクライズイ)
   従うの意
   人に従い、事柄に従い
   時流に従えば吉
     逆らうと凶
   ↓↑
  「随」は
  「隨」の略体
  「左」の字を欠く漢字
   委随・意随・影随・鴈随
   教随・群随・肩随・行随
   順随・倡随・臣随・追随
   天随・陪随・伴随・付随
   随意・随蔭・随縁・随駕
   随宦・随感・随喜・随宜
   随迎・随肩・随後・随口
   随行・随坐・随時・随侍
   随手・随従・随順・随処
   随所・随序・随唱・随踵
   随仗・随心・随身・随声
   随勢・随即・随逮・随逐
   随直・随丁・随輩・随陪
   随伴・随班・随筆・随風
   随分・随兵・随便・随包
   随封・随来・随藍・随鑾
   随鸞
   夢随
   随・迶・髄・遀・㵦・膸
   瀡・瓍・㰐
   䜔=言+隨
     他人の考えについて話すこと
     ・・・評論・論評?
     自分のことを
     あまり考えずに話すこと
     従うこと
   䥦=金+遀
   髓=骨+遀
     左+月+進行
     ナ(奈=柰=林檎=蘋果
         桼=漆=うるし・七)
     工(工人・大工・石工
       陶工・刀工)
             月(肉=ジク・にく)
     ⻌=「 ⻍・ 辶・⻎」
      =⾡=彡+ト+人
  「迶」は
  「隨」の略体
  「瀡=㵦+阝=氵+隨=なめらか」
  「楕円形=長円形」
   楕=橢=木+阝+左+月=㯐=椭
     タ・ダ
   隨=阝+⻍+左+月
     ズイ
     したがう 
   瀡=氵+隨
     氵+阝+⻍+左+月
     なめらか
   瓍=王+隨
     スイ・ズイ
     珠の名
     辵=⾡(⻌・ ⻍・ 辶・⻎)
     有=ナ+月(肉・ジク・にく)
   ↓↑
   気随(キズイ)
   随う(したがう)
   随意(ズイイ)
   随一(ズイイチ)
   随員(ズイイン)
   随喜(ズイキ)
   随行(ズイコウ)
   随所・随処(ズイショ)
   随時(ズイジ)
   意到筆随(イトウヒツズイ)
   嫁鶏随鶏(カケイズイケイ)
   管仲随馬(カンチュウズイバ)
   銜尾相随(カンビソウズイ)
   形影相随(ケイエイソウズイ)
   彩鳳随鴉(サイホウズイア)
   水随方円(スイズイホウエン
   随縁放曠(ズイエンホウコウ)
   随感随筆(ズイカンズイヒツ)
   意到りて筆随う
   一目山随徳寺(イチモクサンズイトクジ)
   一波纔かに動いて万波随う
  (イッパわずかにうごいて
           マンパしたがう)
   影の形に随うが如し
   随徳寺をきめる
   善悪の報いは影の形に随うが如し
   他の追随を許さない
   水は方円の器に随う
   礼は宜しきに随うべし
     令は俗に従うべし
 ↓↑
 「汝陰侯-墓(ジョインコウボ)」
 六壬式盤(リクジンショクバン)出土
 安徽(アンキ)省
 阜陽(フヨウ)市
 (32度54分)
 (115度49分)
 BC169
 ↓↑
 『説文解字
 河南省
 洛陽市
 漢
 洛陽
 周
 洛邑(ラクユウ)
 (34度39分)
 (112度26分)
 AD100成立
ーー↓↑ーー
 黹=业+㡀(小冂小)
  =业+小(亅八冂)小(亅八)
  =业+亅+八+冂+亅+八
   生業は
   釣り針の
   把知(八字形⇔簗⇔魚籠=ビクの罠)
   海の外の
   冂(ケイ構え・キョウ構え
     柵の囲い・境)
   内海(うつみ・ナイカイ・港湾内)
   山の内の冂の内の
   弓矢=丫(ふたまた・木のまた)
   内山(うちやま・ナイサン・盆地)
   戈(ほこ)・l(棒)
   斧(おの)
   鉞(まさかり)
   鉈(なた)
   or
   弋(ヨク・イキ)=𢍺
   弋=𢍺=七+丶
    =匕+丶⇔一+乚(乙)+丶
     いぐるみ
     矢に糸をつけて放ち鳥をとる道具
   弋=繳射なり
    =繳(いぐるみ)(玉篇)
     とる・獲物をからめとる・弋猟
     くろい・黒い色
     くい(杭・杙)⇔(橋桁)⇔羽咋
     うかぶ・水にうかび泳ぐ
     遊弋(ユウヨク)
   弑=しいする・ころす
     下の者が上の人を殺す
     弑逆・弑虐⇔嗜虐・簒弑(サンシ)
   业=業(わざ・なりわい・ギョウ・ゴウ)
     丵=茂る生草・鍼灸、刺青のハリ
     並(ならぶ・ヘイ)=䒑+业⇔並立・並行
     晋(すすむ・シン)=一+业+日(曰)
    「易に曰く、明、地上に出づるは
     㬜(至+至+日=晋)(易経
     㬜=臸+日(曰)⇔「臸=至+至」
       至(一のムは十の一)が
       並ぶ「至」
       初めの「ム=横島」に重位置
             横島←阿蘇山→横島
   黹=ぬいとり・チ
   刺繍・縫う
   『康熙字典
   「黹」字中央を「ハ」形
   下部内部の左払いと点を
   上の横画
   中央の縦画から離している
   中国の新字形では「ハ」形を
   「逆ハ字」の「丷」形とし
   「曽=曾=曽」⇔ソ+田+日
     ↓↑
     曽=丷+田(口十)+日
     ↓↑
     曾=八+口+小(亅八)+日
   左払いと点を
   上の横画
   中央の縦画とくっつけ
  「弊・幣」
   の左上の偏旁と統一
  「黹=針と糸による
     衣服や布の縫いとり・刺繍
     『説文解字』は
     㡀=「幣」の左上の字
       破れた衣の意
       「丵(叢から
       取を除いた部分の字・草むら)
       の会意文字・・・?
    ・・・「业+㡀(小冂小)」
       金文など
       衣架に掛けられた衣服に
       縫いとりのある形に象る・・・
       偏旁の意符として
       縫いとり
       刺繍に関することを示す
       黹(チ)部
 ↓↑     ↓↑
 挙=ツ+一+手=擧(旧字体)=举(簡体字
        舉(繁体字、俗字)
       =與+キ(扌⇔手)
   あげる・あがる・キョ
   こぞる・こぞって
   持ちあげる・取り上げる
   事を起こす
   捕える
   ふるまい・行動
   すべて
ーー↓↑ーー
 會=亼+口+川(小⇔亅八)+日(曰)・・・
              昍
    「罒+l」
 㑹=亼+由(口十)+日(曰)
 ↓↑
 曽我・曾我・蘇我・嵯峨・相賀
 ↓↑
 曾=異体字は「曽」
    「曽(丷田日)」 は常用漢字新字体
    「曾(八口小日)」 は旧字体
   「蒸気を発する為の器具の上に
    重ねた
    甑(曾+瓦=こしき・蒸し器)から
    蒸気が発散している象形
   「かさねる・かさなる」
 ・・・甑が「瓦の曾」なら
      「かわら=化話等」の
       増長(重)だが
 ↓↑    
 曾=曽=かつて・これまで・すなわち
     (以前に・これまでに)
     曽遊・未曽有(ミゾウ)
     かさねる・かさなる・かさなり
     曽孫・類字は層・増す
     ます・ふえる
     すなわち
 ↓↑
 かって=曽て・曾て・嘗て
       ・・・「嘗(な)めて」?
     (副)
     過去のある時点に
     その事柄が成立
     昔。以前。前に。
     打ち消しの語を伴って
     今まで一度も・ついぞ
     ~ない・・・
     打ち消しの語を伴って
     全然・決して・少しも
     ~でない
     すべて・みな・ことごとく
     ↓↑
     曾の二画目
     「八」が
     片仮名の「ソ」     
     草書体が
     平仮名の
      「そ」になった・・・?
     遡=朔+辶=さかのぼって
       辿(たどって)
       振り返って
       朔=屰(䒑屮)+月
         屰=さからう
           逆らう・ゲキ
           武器
           戈や矛の機能を備えた武器
           殷~唐代にかけて多用
       塑=でく・けずる
         貼り付ける・・・糊(のり)
         こねる
         ソ・ス
         塑像・塑造
       愬=朔+心
         うったえる・ソ・サク
         朔+心
     ↓↑
     曽て(かつて)
     曽参
     人を殺す=息子(曽参)が
          人を殺したと
          嘘も繰り返し云われれば
          母親も信じてしまう
         (ソウシンひとをころす)
     曽祖(ソウソ)
     曽祖(父ソウソフ)
     曾孫(ひまご・ソウソン)
 ↓↑
 亼=シュウ・集まるという意味
   會意=入 + 一
      象は三合之形
   合・僉・俞
   會・今・令・侖・食・舍・全
 ↓↑
 「細々としたモノを集める」
 「意見などをあわせる」
 「まるく集まる様から円い」
 の会意兼形声文字
 儈=市場で売り手と買い手を
   集めて引き合わせる仲買人
 噲=のど・口の奥で円くなった部分
 廥=まぐさ小屋
 澮=田畑の水を集める溝
 獪=ずるい(→老獪)・犬が調子を合わせる
 懀=
 𡑭=
 璯=
 薈=草木が集まって茂るさま
 繪(絵)=様々な色の糸を集めて作った刺繍
 糩=
 膾(→鱠)=肉を集めたごちそう
 鬠=もとゆい・髪の毛を集めた部分
 形声文字= 劊・鄶・檜(桧・ひのき)
 意義[編集]
 (人が)あつまる・あつまり
 あう
 儈=市場で
   売り手と買い手を集めて
   引き合わせる仲買人
 噲=のど・口の奥で円くなった部分
 廥=まぐさ小屋
 澮=田畑の水を集める溝
 獪=ずるい(→老獪)・犬が調子を合わせる
 懀=
 𡑭=
 璯=
 薈=草木が集まって茂るさま
 繪(絵)=様々な色の糸を集めて作った刺繍
 糩=膾(→鱠・なます)=肉を集めたごちそう
 鬠=もとゆい・髪の毛を集めた部分
   劊・鄶・檜(桧)
ーーーーー
 随県の
 東団破
 此曾国与史书(書)
 中的姬姓・・・中国の
       「姬=ひめ=姬(キ)=姫」姓
          比米=米の量の比較=石
           米国の比較・比率?
 随国一国两名
 始祖为(為)赫赫
 有名的
 周朝开(開)
ーーーーー
 曾侯乙 墓(ソウコウイツ-ボ)
 擂鼓墩1号墓(ライコトン-イチゴウボ)
 中国の
 湖北省
 随県
 (随州市
  曽都区)
 で発見された
 戦国時代初期の諸侯の墓
 「卜」字形の竪穴墓
 南北16.5メートル
 東西21メートル
 1978年5月11日
 文物考古部門が発掘開始
 17日
 泥水につかった墓の排水
 21日
 盗掘洞を発見
 23日
 曾侯乙-編鐘
 が水面に露出
 ↓↑
 墓主
 45歳前後の男性
 殉葬者は13~25歳の女性
 出土した
 銅鐘の銘文
 戦国初期
 曾国の
 「乙」
 という名の君主の墓
 「曾侯乙」と呼ばれる
 墓葬年代は
 楚の
 恵王56年(紀元前433年)頃
 「曾侯乙乍・・・」
ーーーーー
 大量の
 青銅製の
 礼器・楽器・兵器・金器・玉器
 車馬器・漆器・木器・竹器
 竹簡
 などの文物
 15404件が発見
 ↓↑
 曾侯乙-編鐘
 65個の青銅製の鐘
 青銅と木で作られた
 3段の枠に並べた楽器
 編鐘
 全65鐘が無傷で出土
 編鐘に
 5音 音階
 7音 音階
 西洋 音楽の
 12平均律に匹敵する
 独自の12律が存在
 転調の発想があった・・・
 音域は5オクターブ
 すべての音に
 異なる音名が付けられ
 高度な
 音楽理論があった
 高度な音楽理論を元にし
 編鐘は製造され
 多種多様な音楽が演奏
 編鐘の製造
 紀元前433年
 と銘記
 ↓↑
 「曾侯乙-作持」
 の銘文
 「音階や音律」
  についての記述
 音楽史の貴重な文字史料
 ↓↑
 曾侯乙-編磬
 「へ」字形の石板(磬)を
 青銅製の架に並べて吊り下げた楽器
 曾侯乙-大鼎
 「曾侯乙-作持用終」
 の銘文を持つ鼎
 鴛鴦形漆盒
 曾侯乙之走戈
 「曾侯乙之走戈」
 の銘文を持つ戈
 竹簡
 240枚
 6696文字
 葬送に用いられた
 車馬
 武器甲冑
 の名称を記録した遺策
ーーーーー
 世界大百科事典内の
 曾侯乙-墓の言及
 【殷周美術】より
 ↓↑
 …河南省洛陽の
 金村古墓
 輝県
 固囲村-墓(輝県古墓群)
 王侯級の墓
 金属器の精品の出土
 1977年
 湖北省
 随県
 発見の
 曾侯乙-墓
 保存良好な
 戦国前期
 木槨墓
 青銅器は
 透し彫・浮彫・錯・嵌の技巧をこらし
 とりわけ
 「尊」と
 「尊盤」は
 複雑な透し彫装飾を器全面に
 付加したみごとな精品
 注目をひくのは
 楽器群で
 管弦打楽器がそろい
 編鐘は
 L字形
 上下3段の
 鐘虡(ショウキョ)
 に
 大小64点の鐘がかけられたまま出土
 ↓↑
 「随」より
 都邑
 湖北省
 随県
 随県城の北西にある
 前5世紀ころの
 古墓
 曾侯乙-墓
 から
 曾侯
 の銘のある青銅器が出土
 随
 と
 曾
 との関係・・・が論議
 「隋・唐」の
 「隋」とは
 「楊堅(文帝)」の父の
 「楊忠」が
 北周のとき
 随国公に封ぜられ
 命名されたことによる
 ↓↑
 春秋時代(紀元前5世紀)
 王孫誥
 が諸侯の
 賓客を款待する為に造らせた
 と銘文に記録
 ↓↑
 擂鼓墩
 湖北省
 随州市
 西の郊外
 省都
 武漢
 から北西へ155キロ離れたところ
 2000年以上前の
 春秋時代(紀元前770〜同476年)
 楚王
 がここで太鼓を叩いて(擂鼓)
 突撃する兵士を鼓舞した
 ↓↑
 1978年
 湖北省博物館
 2400年以前の
 曾国の王
 曾侯乙の墓
 を発掘した際
 大量の
 青銅器
 漆器、陶器、玉器
 竹簡など
 埋蔵物
 1万5400点余りが出土
 その中で
 「古代冷蔵庫」と称えられている
 青銅製の
 「鑑缶(酒を冷やしたり温めたりする容器)」
 彫刻が精美な
 「大金盞
  16の環が繋げられた龍鳳玉飾り
  二十八宿図」
 を描いた
 衣装箱
 完全に保存された
 65個の鐘を備えた
 「編鐘」
 は、現在でも各種の曲を演奏できる
 「編鐘セット」によって
 2400年前の音楽を再現することができる
 ↓↑
 編鐘の表面に
 2800文字の銘文
 ↓↑ 
 墳墓
 中室には
 編鐘
 編磬(打楽器の一種)セット
 瑟(琴に似た弦楽器の一種)
 建鼓
 竹篪(笛に似た8つの穴がある楽器)
 排簫
 などの楽器
 全部そろうと
 大規模な古代宮廷オーケストラ
 曾侯乙が主催した祭祀
 婚礼、葬礼
 などの儀式や宴会で演奏した・・・
 東室からは
 琴、太鼓、笙などの楽器が出土
 曾侯乙
 が音楽を好み、
 余暇には、
 居間でこれらの楽器で演奏
 東室に安置された
 副葬棺の中で眠っていた
 8人の若い女性は
 当時、彼のためだけに音楽を演奏した美女・・・
 ↓↑
 鎛鐘がひとつある
 大きな鐘体を持ち
 精美に作られている
 この鐘は
 下段中央のもっとも目立つ位置に吊るされ
 正面には
 31文字の銘文が鋳造され
 「楚恵王56年(紀元前433年)
  惠王は西陽から戻り、
  曾侯乙のために、
  この鎛鐘を鋳造し、
  曾侯が永遠に享受できるように
  西陽に送った」
 という意味の銘文
 銘文は音律と関係ないが
 曾楚両国
 の強い友情の絆を示している・・・
 ↓↑
 代々の
 楚王は
 随国への恩返しを肝に銘じ
 楚国は相次いで
 60ヵ国以上の諸侯国を滅ぼしたが
 弱小の
 随国は700年近く生き延び
 随国文化を後世に残した
 紀元前433年
 曾侯乙が亡くなると
 楚の
 恵王は
 父君を助けてもらった恩に報いるため
 この鎛鐘を鋳造し
 曾(随)国・・・・・曾=隨
 もこの手厚い贈り物を
 もっとも目立つ場所に置き
 楚国に敬意を示した・・・
ー↓↑ーーー
 つづく・・・