ないえごろうブログ

同音異義の探索

みにくい『奇怪な再会』・・・

 文字霊日記・3286日目

ボク自身の「文字解釈」の「是非」を前提に
 「🧐Bingさん」に「アイ」を訊いてみた・・・


 「團團珍聞(まるまるちんぶん)」・・・
 ・・・現在の「プーチン的ロシアの状況」・・・クタバレッ、P
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 芥川龍之介の短編小説
 『奇怪な再会』
 に登場する主人公
 黒田太郎は・・・「黒田太郎」・・・「黒田清隆」?
 「醜男」と自称・・・
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 新しい Bing へようこそ
 AI を利用した応答エンジン
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 🧐Bing
 その他
 厳密
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 「旡=㒫」の漢字について詳しく教えて
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 🧐Bing
 「旡」は、部首が「无」、画数が4画
 音読みは「キ」
 訓読みは「むせる」
 意味は、「むせる・息詰まる」などがあります。
 ただし、「㒫」という漢字についての情報は見つかりませんでした。
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 「旡」の成り立ちや語源について教えて
  ↓↑
 🧐Bing
 申し訳ありませんが
 「旡」の
 成り立ちや語源についての情報は見つかりませんでした。
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 㤅=旡+心=愛・・・について?
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 🧐Bing
 「㤅」は、「旡」と「心」が組み合わさった漢字です。
 そして
 「愛」の漢字は
 「㤅」と「夊」
 が組み合わさったものだと考えられています1。
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 㤅(いとしい)=愛
 㤅(うい)
 㤅(おしむ)
 㤅(かなしい)
 㤅(まな)
 㤅(めでる)
  ・・・訓じているのですが・・・
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 🧐Bing
 「㤅」は、「旡」と「心」が組み合わさった漢字です。
 ただし、
 その読み方については、私の知る限りでは
 いずれも正しい読み方ではありません。
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 炁=旡+灬 について?
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 🧐Bing
 「炁」は
 「旡」と「灬」が組み合わさった漢字です。
 この漢字は
 形声文字であり
 「灬」(火)が意符
 「旡」が音符です1。
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 その意味は?
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 🧐Bing
 「炁」の意味としては
 「いき」、「呼吸」、また「空気」とされています1。
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 「邪・犯・姦・奸・謀・冒・漢・菅・私=ム」は
 「よこしま」と訓じますか?
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 🧐Bing
 いいえ
 「邪・犯・姦・奸・謀・冒・漢・菅・私」は
 「よこしま」と訓じません。
 それぞれの漢字には
 独自の読み方があります。
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 このページに対してのみ再試行する
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 申し訳ございませんが
 ページのコンテキストを理解できません。
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 「よこしま」と訓じる漢字を教えて
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 🧐Bing
 「よこしま」と訓じる漢字はありません。
 ただし
 「邪」は「よこしま」という意味を持つ漢字です。
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 よこしま=宄(宀+九)
     =横・邪
     =姦・奸・干(カン=諌=甲)
     =佞・漢
 よこしま=侘・差・左・ム・私
 よこしま=宄=侈(シ)・佻(チョウ・ジョウ)・犯
 よこしま=毎・曲・奸・淫・自・己
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 🧐Bing
 「よこしま」と訓じる漢字はありません。
 ただし
 「邪」は
 「よこしま」という意味を持つ漢字です。
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 諸橋轍次先生の
 「大修館・新漢和辞典(改訂版)」
 には記載があるのですが・・・?
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 🧐Bing
 諸橋轍次先生の
 「大修館・新漢和辞典(改訂版)」
 については
 私は確認することができません。
 ただし
 一般的に
 「よこしま」と訓じる漢字はありません。
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 ありがとう・・・
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 🧐Bing
 どういたしまして。
 他に何かお手伝いできることがありますか?
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 また、次回にお尋ねしたいと思います
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 「ボクの解釈」は「一般的」ではないらしく
 「是」を「一般のヒトビト」に理解してもらうのは
 困難であるらしい・・・カナ・・・
 でも「🧐Bingさん」のコタエが「逆」に
 「ボクの自己納得の正当性(正統性?)」
 を教えてくれたような気がする・・・
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 🎨 クリエイティブなインスピレーションを得る
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 「桃」の漢字を
 「木=十八」と
 「兆」を「偏旁」に分解し
 桃のイメージを踏まえた物語をきかせてください
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 🧐Bing
 「桃」の漢字は、
 「木」と「兆」から成り立っています。
 「兆」は左右二つに離れるさまを表し
 「木」+「兆」で
 実が二つに割れる木を意味しています。
 桃のイメージを踏まえた物語としては
 次のようなものが考えられます。
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 🧐Bing
 「桃から生まれたから、桃太郎と名付けよう」と言いました。
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 桃に関する他の物語や伝説はありますか?
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 🧐Bing
 はい、桃に関する物語や伝説は他にもあります。
 例えば
 中国では
 桃は延命長寿の木とされ
 桃の汁を飲むと
 神仙になれると信じられていました。
 また
 桃の木には邪気を払う力があると考えられており
 中国の神話では
 天帝の使者である
 三脚烏が
 桃の枝を持って魔物を退治したり
 八仙の一人である
 呂洞賓
 が桃杖で悪魔を打ち倒したりする話があります。
 日本でも桃は魔除けの果物として古くから親しまれてきました。
 日本神話では
 イザナギが黄泉から逃げる際に
 黄泉返りのイザナミから身を守るために
 大きな岩戸に立てかけた桃の枝が役立ちました。
 また
 ひな祭りで飾る雛人形菱餅
 元々は邪気を払うための道具であり
 桃の花も同じく
 厄除けや
 無病息災を願って飾られています。
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 「木=き・ボク」
 と
 「兆=きざし・チョウ」
 の
 「訓読と音読」
 の音から
 「日本書紀」を踏まえるならば
 どのようなイメージができるでしょうか?
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 🧐Bing
 「木=き・ボク」
 と
 「兆=きざし・チョウ」
 の「訓読と音読」の音から
 「日本書紀」を踏まえるならば
 次のようなイメージができるかもしれません。
 「木=き・ボク」は
 日本書紀においては
 自然や生命の象徴として登場することが多いです。
 例えば
 神代巻では
 イザナギイザナミが国土を作る際に
 天の浮橋から槍を突き立てたところから
 木々が生えたり
 アマテラスが岩戸に隠れた際に
 桃の木
 や
 五百箇神(さかつかみ)の木が役立ったりします。
 また
 人代巻では
 桃太郎や
 ヤマトタケルなどの
 英雄的人物が
 桃や葦などの木を使って
 鬼や敵を退治したりします。
 「兆=きざし・チョウ」は
 日本書紀においては
 神意や運命を示すものとして登場することが多いです。
 例えば
 神代巻では
 ニニギが地上に降りる際に
 八咫烏(やたがらす)という
 神鳥が先導したり
 イワレビコ神武天皇)が
 大和へ向かう途中で
 八咫烏
 白鹿などの吉兆を見たりします。
 また
 人代巻では
 推古天皇時代に
 百済王子
 阿毎利(あまり)から送られた
 仏像を受け入れるべきか否かで議論した際に
 天皇側近の
 物部守屋(ものべもりや)が
 仏像を打ち壊そうとしたら
 雷雲に打たれて死んだことで
 仏教受容派が勝利したりします。
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 吉兆の動物を
 朝廷に献じた人物名を知りたいのですが
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 🧐Bing
 吉兆の動物を朝廷に献じた人物名については
 『日本書紀』によると、次のような例があります。
 斉明天皇4年(658年)7月には
 蝦夷の酋長
 恩荷が
 白い雀を献じました。
 斉明天皇5年(659年)3月には
 阿倍比羅夫
 粛慎から
 捕らえたヒグマ2匹と
     ヒグマの皮70枚を献じました。
 斉明天皇6年(660年)5月には
 阿倍比羅夫
 蝦夷50人余りと
 粛慎47人を献じました。
 これらの動物は
 中国で
 瑞獣や吉祥獣と呼ばれる
 神意や運命を示すものとして扱われていたもので
 日本でも同様に珍重されていたと考えられます。
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 吉士の醜男はドウですか?
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 🧐Bing
 「吉士の醜男」という言葉は
 『日本書紀』に登場する人物の一人で
 吉士磐金(きし いわかね)という名前です。
 吉士磐金は
 飛鳥時代の外交官で
 難波吉士(なにわのきし)とも呼ばれます。
 難波吉士は
 古代朝鮮における
 「首長・族長」を意味する語に由来する
 姓や氏で
 中国周人の出自とされます。
 吉士磐金は
 推古天皇5年(597年)に
 新羅に派遣されたことが記録されています。
 また
 推古天皇16年(608年)には
 遣隋小使として
 小野妹子
 に従って隋に渡りました。
 その際に
 隋の煬帝から
 「醜男」と呼ばれたことが
 『日本書紀』に記されています。
 この「醜男」という言葉は
 見た目が不細工だったことを示すものではなく
 隋側から見て
 日本人が服装や礼儀などで
 劣っていることを表現したものだと考えられます。
 同じく遣隋使だった
 小野妹子
 「小男」と呼ばれていますが
 これも身長が低かったことではなく
 日本人が
 文化的に未開だったことを示したものです。
 吉士磐金はその後も外交活動を続けました。
 舒明天皇5年(633年)1月に
 唐使
 高表仁
 らの送使を務めました。
 白雉4年(653年)5月には
 遣唐使として派遣されました。
 皇極天皇元年(642年)2月に
 国勝
 吉士
 水鶏(くいな)
 が百済への使者として選ばれましたが
 これも
 吉士磐金と同一人物だと考えられます。
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 大国主
 別名が
 「醜男」
 とありますが
 他にもそのような「名」を有する人物はいるでしょうか?
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 🧐Bing
 「醜男」という名を持つ人物は
 大国主以外にもいくつか存在します。
 例えば
 『古事記』に登場する神話の人物で
 天照大神
 孫である
 天津彦根命(あまつひこねのみこと)は
 「醜男(しこお)」とも呼ばれています。
 彼は
 海上五十狭茅(うみやそひめ)と結婚しましたが
 彼女が
 美しい姿をした
 兄の
 火闌降命(ほりこおりのみこと)
 に恋していたために不幸な結末を迎えました。
 また
 『日本書紀』に登場する歴史上の人物で
 遣隋使として
 小野妹子に従って隋に渡った
 吉士雄成(きし おなり)は
 「醜男」と呼ばれました。
 これは隋側から見て
 日本人が
 服装や礼儀などで
 劣っていることを表現したもので
 見た目が不細工だったことではありません。
 さらに
 近代文学作品では
 芥川龍之介の短編小説
 『奇怪な再会』
 に登場する主人公
 黒田太郎は・・・「黒田太郎」・・・「黒田清隆」?
 「醜男」と自称しています。
 彼は高校時代の
 同級生
 村井君
 と再会しましたが
 彼女が美しく成長した姿を見て
 自分の醜さを恥じました。
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 醜=酉+鬼・・・酒樽+鬼・・・
   酒に酔った虎のフンドシを着た「人間」
  「酒呑童子」と同類の意味・・・?
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  「黒田清隆(くろだきよたか)
   1840~1900(天保11~明治33)」
   北海道開拓長官
   薩摩藩出身で薩長連合の成立に奔走
   戊辰戦争では箱館五稜郭の攻撃を指揮
   榎本武揚ら旧幕臣の助命に尽力
   ↓↑
  「團團珍聞」
   ↓↑
  「黒田清隆が自宅で
   酒乱で妻を惨殺したという
   説が流布しているのを諷刺し
   1878年4月13日
   発行停止となった・・・」
  「黒田清隆
   妻の
   清は
   24歳で肺の病により亡くなるが・・・
   ↓↑
   その死に際しては
   酒乱の黒田が撲殺したと
  「團團珍聞」という新聞に書かれた・・・
  「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」
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  この件を🧐Bingに訊いてみたが
  「その件には答えられません」
  との回答・・・資料はあるが「Wikipedia」・・・
  ・・・検索資料もワンサカ・・・?
   ↓↑
   團團珍聞(まるまるちんぶん)
   1877年(明治10年)~1907年(明治40年
   まで刊行
   主に
   週刊の戯画入り
   時局風刺雑誌
   マルチンと呼ばれた
   社説にあたる
   「茶説・洒蛙説(しゃあせつ)」
   「狂句・狂歌・風刺戯画」
   で藩閥政府を皮肉って人気を呼び
   自由民権運動をあおった
   『團々=団団=団々』とも書いている資料がある
   一時期
   妹格の『驥尾團子(きびだんご)』誌・・・桃太郎の黍団子?
   ↓↑
  「團團珍聞」は
   弾圧の対抗策に
   1878年10月から
  『驥尾団子』誌を出し
   団団の発行停止の場合に備えた
   そして
   頻繁に、罰金・禁獄・発行停止などの処分を受けた
   1883年
   政府は団団・驥尾を念頭に
   新聞紙条例を改訂して
   ピンチヒッター的並立を困難にしたので
   団団社は
   驥尾団子の
   自殺号を出した上で同誌を廃刊
   ↓↑
   出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑   ↓↑
エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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 干支歴
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 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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 メリキリの - YouTube
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 モモちゃん
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 モウ君の総合目次
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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 古事記と虎関師錬