ないえごろうブログ

同音異義の探索

「ににぎ」が嘲笑(わらう)・・・ヒメはイカル

文字霊日記・3462日目

 「狭穂彦の謀反」と
 「狭穂姫=佐波遅比売命=佐本比売命」の
 カンジから「差和字」と「差翻字」をヨム
 「ホン」の「たわけ」の「オウ字」・・・
 「ににぎ」が嘲笑(わらう)
 「星の下で1」

suno.com

 ↓↑
 掰=手+分+手=バイ
    両手で割(さ)く、捥(も)ぎ取る
    折る、折って二つに分ける
 掱=手+手+手=パァ
    掱手(パァショウ)=扒手
    掏摸(トウバク・すり)
    他人の懐(ふところ)から
    物を盗(ぬす)み取ること
 𢮣=爫+又+手=ラン
   𤔔𤔬𤔦𠧏𠧎𤕍𤔭𤔪𠮗𤔒𤔐𠦸𠭟
   乱れているものを
   秩序ある状態にする
   治(おさ)める
   ごちゃごちゃしているものを
   すっきりさせる=亂(乱)・・・乱れる

 「誉津別命」・・・ダレ
 と
 「白鳥」・・・・・白の鳥=新羅の長?
  ↓↑
 「狭穂彦の謀反」
  ・・・狭=犭+夹=せまい
      =犭+夾=狹    
     狹はキュウジ(旧字)
       給仕(ページ=頁)・球児     
     立つ人の両脇を
     左・右から手で・・・鋏(はさみ)でキル
     挟 (はさ)む象形
     せまい ・せばめる・せばまる
     「狹=狭」
     狭=キヨウ=狹
     狭=犭+夹
       犭+二+丷+人
       犭+一+丷+大
       犭+一+丷+人
       犭+一+人+一+丷(ハ)
     狹=犭+夾
       犭+大+从
       犭+人+大+人
 ↓↑
 で焼死した
 皇后
 「狭穂姫=佐波遅比売命=佐本比売命」
 『日本書紀』・・・狭穂姫命
 『古事 記』・・・沙本毘売命=佐波遅比売命
     佐本毘売命
 皇子 誉津別命(本牟智和気御子)の生母
ー↓↑ーー
 楕円(ダエン)・・・
 新宿西口
 「隨苑(ズイエン)」は
 アルバイト先だったが・・・
ー↓↑ーー
 狭・穂・  姫  (賣=うり=陏・瓜)
 沙・本・  毘・売(賣=うり=陏・瓜)
 佐・波・遅・比・売・・・賣
    ↓↑
      讟=言+賣+言=トク
        㾄=うらむ
    にくむ
    うらみの言葉
    怨言
    そしる
    悪口を言う
    誹謗中傷する
    人に凡ゆる言葉を
    浴びせて傷つける
 ↓↑      ↓↑
 佐・本・  毘・売
 ↓↑
 佐=亻+左・・・・左=
   亻+ナ+工・・・
   人の名は工(たくみ・コウ)
   (巧・匠・内匠・功・伎・匡)
   亻+一+丿+工(丅・丄)
 ↓↑
 十二辰
 フリー百科事典
 『ウィキペディアWikipedia)』
 十二辰(ジュウニシン)
 古代中国天文学
 天球分割法の一
 天球を
 天の赤道帯にそって
 東から西に
 十二等分した区分・・・360°÷12=30°
 「各辰」の名称
 十二支が当てられ
 子(シ)・丑(チュウ)・寅(イン)・卯(ボウ)
 辰(シン)・巳(シ)・午(ゴ)・未(ビ)
 申(シン)・酉(ユウ)・戌(ジュツ)・亥(ガイ)
 太陽・月・惑星
 の位置や運行を説明する
 座標系として使用
 ↓↑
 天球分割法である
 「十二次」
 と全く領域を同じくし
 並べられる方向が異なるのみで
 その東から西へという配置は
 日周運動の方向で
 地上の方位
 十二支の方向性と一致
 ↓↑
 太歳紀年法
 「木星=辰星」
 は
 「約12年」
 で天球を1周
 1年間に
 「一辰=30°+α」
 の区分を移動し
 「木星=辰星」
 の進行循環
 「十二辰=十二支」
 の区分位置で
 1年間の記録が可能だが
 「実星の十二辰」
 の進行循環方向とは
 逆回りであるため
 木星が回る円軌道に直径を引き
 その直径を境に
 実体の木星位置とは
 反対位置(対冲・対角30°)に
 「太歳」
 と呼ばれる仮想の惑星を想定し
 「十二辰=各十二支」
 区間における
 「太歳の位置」で
 1年間の記録をするようになった
 これは
 「太歳紀年法
 と呼ばれ
 「太歳在子(太歳が子にある年)」
 のように記述
 その後
 「十二辰」のと「十干」が組み合わされ
 「60年周期=六十年干支周期」になり
 1年間の期間を
 「一干支」として記述されるようになった
 (この時点での
  干支はまだ
  太歳としての
  仮想位置=30°を表すものであった)
 ↓↑
 「実星=木星
 の公転周期は正確には
 「11.862年」
 で
 「約86年」たつと
 「太歳の位置」は
 「一辰ずれる」ことになる
 これを
 「超辰」と呼んで
 このズレを調整するために
 改暦のたびに
 「11年目の干支」
 は
 「一干支」
 を跳び越え
 補正され
 「太初の改暦」
 では
 「太初元年(紀元前104年)」
 を
 「乙亥」の次の年の
 「丙子」を飛び越え 
 「丁丑」に改めたが
 後の三統暦では遡って
 「太初元年」を
 「丙子」に戻し
 「太始二年(紀元前95年)」
 に
 「乙酉から丙戌」
 に変更した
 だが、その後
 後漢においては
 「超辰」
 を補正すべき年を
 補正しなかったため、
 以後、
 「実星=辰星の逆位置」の
 仮想
 「太歳の位置」とは関係なしに
 機械的に干支を進めて
 「60年1周」の
 循環を繰り返していく
 「干支紀年法
 が使われるようになり、現在まで継続
 いつから
 「干支紀年法
 が使われたと断定することができないが
 見かけ上
 「太初暦の太歳紀年」に基づけば
 「太初元年」から
 「三統暦の太歳紀年」に基づけば
 「太始二年」からの
 「干支」が現在まで連続している
 ↓↑
 「太陽」
 の変動はいくつかの周期単位が存在する
 最も基礎的なものとして
 「11(十一)年」
 の
 「太陽活動周期 (黒点周期)」
 「11年周期」
 太陽黒点
 増加と減少が
 「約11年」
 の周期で起きる現象
 太陽表面は
 「黒点
 が多く存在する時期は
 同時に
 「白斑」
 も多く発生する
 ↓↑
 「22(二十二)年周期」
 太陽磁場の反転を伴って現れ
 磁極は二回の反転によって
 元の状態に回復
 ↓↑
 「87年 (70~100年) 周期」
 グライスベルグ周期
 と呼ばれる周期で
 シュワーベ周期 (11年) の
 振幅変調・・・
ー↓↑ー
 邪・横しま=(読みは)よこしま
 ↓↑
 横の方向の・・・さま・よこむき・よこさま
 正しくないこと・道にはずれていること
 横暴なこと・そのさま・邪悪・非道
 ↓↑
 左
 佐=伊佐木・鶏魚(いさき)
 一佐(いっさ)
 王佐(オウサ)
 海佐(カイサ)
 細螺・扁螺・喜佐古(きさご・きしゃご・ヘンラ)
 空佐(クウサ)
 佐保姫(さおひめ・さほひめ)
 佐官(サカン)
 佐幕(サバク)
 少佐(ショウサ)
 大佐(タイサ)
 中佐(チュウサ)
 主典・佐官(サカン)
 補佐・輔佐(ホサ)
 陸佐(リクサ)
 阿衡之佐(アコウのサ)
 王佐之才(オウサのサイ)
 佐命立功(サメイリッコウ)
 ↓↑
 㝾=九+左(ナ+エ)
  =尣(ハ+儿)+ナ+工
   =尢+左=尣(オウ)+左 
   一+丿+乚+ナ+工
  =サ
   足の不自由なさま

 咗=口+左(ナ+エ)=ソウ

 袏=衤(衣)+左(ナ+エ)=サ

 惰=忄+左(ナ+エ)+月=惰性

 隋=阝+左(ナ+エ)+月=ズイ・タ・ダ
   堕ちる・なまける・おこたる
   随行・随分・随筆

 隋=阜+左(ナ+エ)+月=スイ・ズイ・タ・ダ
   阜=フウ・ブ・フ・おか=𨸏
     土が山のように高く盛り上がったところ
     大きな丘
     山よりも小さく丘よりも大きいもの
     こんもりと盛り上がっているさま
     盛んなさま・大きいさま・豊かなさま
     おか・こざと・部首名
   阝=阜
     こざと・こざとへん
     部首名
     偏=ヘン(漢字の左部)にあるときの字形

     おおざと
     部首名
     邑(むら・ユウ)が
     旁=ボウ・つくり
       (漢字の右部)にあるときの字形

     𨸏=阜=フウ・ブ・フ・おか=阜
 ↓↑
 隋=阝+左(ナ+エ)+月
   崩(くず)れる・崩れ落ちる=墮
   落ちる・落下する=墮・・・堕落
   惰(おこた)る
   だらだらとして何もしようとはしない
   怠(なま)ける=惰
   古王朝名・581年~618年=隋代
   神や祖先などに供えた肉の残り
   「說文解字・肉部:隋・裂肉也」
   「說文解字注
    :裂訓繒餘引伸之凡餘
     皆曰裂
     裂肉
     謂尸所祭之餘也」
     隌=阜+音=アン・オン
       陽が隠れ光が届かず暗い
       薄暗い=暗
   形声文字=意「肉」+音「隓」
   阜部(こざと・こざとへん・おか)
   𨸏=阜(フウ・ブ・フ・おか)
   隓=阝+左+左
   隓=𡽃 𢢠 𩪦 𩼏
   キ
   くずれる・壊れる
   𡽃 𢢠 隓 𩪦 𩼏
   随=阜+迶=スイ・ズイ・したがう
   隨 䢫 𨔳 遀 𨼕
   付き従う
   他のものの後に付いて行く
   随行・・・隋書の行文?
   他の者や思いや考えなどのままに
   任せる・成り行きに従う
   随意・・・好き勝手に
   ↓↑
   𨸝=阜+氏=シ・ジ
   崖が崩れ落ちそうなさま   
   阺=阜+氐=テイ・タイ
     𨸧・𨸞
     丘陵・小高い土山(つちやま)
   阼=阜+乍(サ・ジャ)
     ソ・ゾ・ながら
     堂(ドウ)
     (賓客の接待や
     重要な行事などの際に
     使われる建物)
     の
     東側の階段
     主人が
     賓客を出迎える際に
     使う階段
     天子が
     祭祀などを執り行う際に
     登る階段
     天子の位、帝位
    「踐阼・踐祚=センソ
     (先帝の跡を継いで
   天子の位に就くこと)」
     「阼=祚」
     阿=阜+可=ア・おもねる
     大きな陵(土山(つちやま)
     隅(すみ)っこ
     奥深くまで入り込んだところ
     おもねる
     自分を曲げ
     相手に合わせて付き従う
     諂(へつら)う、迎合する
     親しみを込めて相手を呼ぶ語
    「阿母=アボ(母さん・代母)」
    「阿婆=アバ(おばあさん)」
    「阿姨=アイ(おばさん)」
     陏=阜+有(ナ+月)
    タ・ダ
    ウリ(瓜)類の果実
     陦=阜+寿=トウ=隯
    島
    海や湖などの広い水の中の
    陸地=「嶹・島・隝」
     𨹶=阜+厽+三=セイ・サイ
   =隮・𨽘・𨼻・𨻕・𨹷
    高く登る・立ち昇る
    同じ位置まで昇る
    同じ位置まで落ちる
     陽=阜+昜=ヨウ・ひ
    阳阦𨹈𨼗𨼘𨼡𣆄𥌖
     隅=阜+禺・・・偶
    グ・グウ・すみ
    𨺁𨺷
    「<」字状に
    なっているところの内側
   =隈・・・大隈重信
    𨺯
    奥まったところ
    中心から離れた角(すみ)
 隋=阝+左(ナ+エ)+月
   ↓↑
   北周の権臣
   楊堅(文帝)が
   静帝から禅譲建国
   都は大興(長安
   589年
   陳を滅ぼし
   南北に分かれていた中国を統一
   中央集権国家を築いた
   二代皇帝
   煬帝
   は大運河を開き
   大規模な高句麗遠征したが失敗
   反乱、混乱の中で滅亡
   「隋」
   南北朝を統一した王朝(581~618)
   北朝北周の権臣
  「楊堅(文帝)」
   が
  「静帝
   の禅譲を受けて建国
   都は大興(長安
   589年
   南朝
   陳を滅ぼして全中国を再統一
   科挙
   州県制・均田制・ 租庸調 制・府兵制
 隋の類字
 堶=土+左(ナ+エ)+月=タ・ダ・煉瓦(レンガ)
   かわら(瓦)などを投げる遊戯
 媠=女+左(ナ+エ)+月=タ・ダ=嫷=女+隋
    おこたる・みめよい・美しい
 㨊=扌+左(ナ+エ)+月=
 䦈=镸(長)+左(ナ+エ)=キュウ・ク・ひさしい
                         シャ・サ
 楕=木+左(ナ+エ)+月=イ・タ
   㨊=手+左+月=イ・ユイ・タ・ダ=撱=手+隋
   手で軽く触れるようにして探(さが)す
   手探(てさぐ)りする=捫=手+門
   小さく細長く角が丸いさま
   㨊圓(だえん・楕円)=楕
   棄てる=𢸦
   落ちる

 隓=阝+左(ナ+エ)+左=隋

 毻=左(ナ+エ)+月+毛=毤=公+儿+毛
    タ=𣮆=兌+毛
   鳥獣の毛が抜け落ちる
   抜け落ち生え変わる=毻

 㻟=王+左(ナ+エ)+月=
 遀=辶+左(ナ+エ)+月=

   膸 𦢪 㰐 㵦 瀡 𤅵 𤢍 𤢩
   𤩼 瓍 𧁼 𧃚 遀 䥦 𨯝 隨
   𩟆 髓 𩪷

   辺=辵+=ヘン・あたり・べ・ほとり
     邊=边
     境(さかい)・境界
     面状のものの区切り
     互いに接するところ
     一般にはその先も
     同じような状態で
     続いているものの区切りとなるところ
     そこで途切れ
     その先がないものは「縁」
     線状・棒状のものの先端は「端」
     国が果(は)てるところ
     中央から遠く離れたところ
     ~の近く・~の付近
     ~の側(そば)・~の傍(かたわ)ら
     「辺=𨘳」

     𨑔=辵+巳=キ・コ
       おきる・おこす・おこる・たつ
      =起=𧺫𢀽𨑓𨑖𡆡
       横になっている状態
       低い状態から上に向かって)立つ
       立ち上がる・立たせる・立ち上げる
       それまで動きのなかった物事が
       動き出す・動き始める
       物事を動かす
       始める・始まる・物事の始まり

       𨑡=辵+土=ト・ド・ズ
    かち・いたずらに・むだ・あだ
    徒=𢔗=𣥲𨑒𧺑𧺔𠫠
    かち
    乗り物に乗らず歩いて行く=𢓂
    何も持たない
    「徒手(トシュ)
     =手に何も持たないこと」
     徒手空拳
     いたずらに・むだ・あだ
     空(むな)しい・無駄に
    「手に何もない」
    「得るものが何もない」
    歩兵・徒歩(かち)の兵士
    人・輩(やから)・惡徒(アクト)
    行動を共にする人々=徒党」
    同じことを(同じ師から)学ぶ人々
    弟子(テイシ・でし)
    門徒
    古代の刑罰の一
    労役の刑
    ただ・単に
       远=辵+元=エン・オン・とおい
   =遠=𨖸逺𢕱
       𨑢=辵+人+人=ショウ・シュ
    𨑹=𨒀=𨒁

 䙃=衣+左(ナ+エ)+月=

 墮=阝+左(ナ+エ)+月+土=堕落

 憜=忄+阝+左(ナ+エ)+月=

 墯=忄+左(ナ+エ)+月+土=

 嫷=女+阝+左(ナ+エ)+月=

 嶞=阝+左(ナ+エ)+月+山=

 撱=扌+阝+左(ナ+エ)+月=

 䔺=艹+阝+左(ナ+エ)+月=

 橢=木+阝+左(ナ+エ)+月=

 隨=阝+辶+左(ナ+エ)+月=

 㯐=阝+左(ナ+エ)+月+木=

 㵦=氵+辶+左(ナ+エ)+月=

 䢫=辶+阝+左(ナ+エ)+月=

 膸=月+辶+左(ナ+エ)+月=

 䤻=金+左(ナ+エ)+月=

 隳=阝+左(ナ+エ)+月+𠆢+㣺(心)=

 䭉=食+左(ナ+エ)+月=

 鬌=髟+左(ナ+エ)+月=

 䜏=言+隋(阝+左(ナ+エ)+月=

 䜐=隋(阝+左(ナ+エ)+月+言=

 䝐=豕+隋(阝+左(ナ+エ)+月=

 䯝=骨+左(ナ+エ)+月=

 瀡=氵+隋(阝+左(ナ+エ)+月=

 鰖=魚+左(ナ+エ)+月=

 瓍=王+隨(阝+辶+左(ナ+エ)+月=

 㰐=木+隨(阝+辶+左(ナ+エ)+月=

 䜔=言+辶+左(ナ+エ)+月=

 䥦=金+辶+左(ナ+エ)+月=

 髓=骨+辶+左(ナ+エ)+月=

 䲊=魚+隋(阝+左(ナ+エ)+月=

ー↓↑ーー
 「狭穂姫=佐波遅比売命=佐本比売命」
 ↓↑
 父  彦坐王開化天皇の皇子)
 母  沙本之大闇見戸売(春日建国勝戸売の女)
 兄  狭穂彦王
 弟  袁邪本王
 次兄 葛野別・近淡海蚊野別の祖
 弟  室毘古王・若狭耳別の祖『古事記
 ↓↑
 垂仁天皇
 次の皇后
 日葉酢媛命は
 彦坐王の子の
 丹波道主王の女で
 姪
 ↓↑
 『古事記伝
 伊邪河宮(開化天皇)の条
 「後世の歌に
  佐保姫と云ことあり」
 等の記述があり
 春をつかさどるとされる
 「佐保姫」との関連性・・・?
 ↓↑
 狭穂彦王の叛乱
 『古事記』中巻・垂仁天皇
 『日本書紀垂仁天皇四、五年条
 特に
 『古事記』中巻では
 「倭建命」の説話と共に叙情的説話・・・

 『古事記』での
 あらすじ。
 狭穂毘売は垂仁天皇の皇后
 兄の
 狭穂毘古に
 「お前は夫と私どちらが愛おしいか」
 と尋ねられて
 「兄のほうが愛おしい」と答え
 短刀を渡され・・・匕首・匙・メス(小刀)・懐剣
     是+ヒ(七・匕・牝)
     ・・・是非もない・・・?
     本能寺の変・・・織田信長
 天皇
 暗殺するように言われた
 妻を愛している天皇
 何の疑問も抱かず
 姫の膝枕で眠りにつき
 姫は
 三度短刀を振りかざすが
 夫不憫さに耐えられず
 涙をこぼし
 目覚めた天皇から、夢の中で
 「錦色の小蛇が私の首に巻きつき
  佐保の方角から
  雨雲が起こり
  私の頬に雨がかかった」
 これはどういう意味だろうと言われ
 狭穂毘売は
 暗殺未遂の顛末を述べた後
 兄の元へ逃れてしまった

 姫の腹には
 天皇の子がすくすくと育っていた
 姫も息子を道連れにするのが忍びなく
 天皇に息子を引き取るように頼んだ

 天皇は敏捷な兵士を差し向け
 息子を渡しに来た姫を奪還させようとするが
 姫の決意は固く
 髪は剃りあげて鬘にし
 腕輪の糸は切り目を入れ
 衣装も酒で腐らせ
 兵士が触れるそばから破けてしまったため
 姫の奪還は叶わず
 天皇
 「この子の名はどうしたらよいか」
 と尋ねると、姫は
 「火の中で産んだのですから
  名は
  本牟智和気御子
  とつけたらよいでしょう」
 と申し上げ
 天皇
 「お前が結んだ下紐は
  誰が解いてくれるのか」
 と尋ねると
 姫は
 「旦波比古 多多須美 知能宇斯王
  に兄比売と弟比売という姉妹がいます
  彼女らは忠誠な民で
  故に二人をお召しになるのがよいでしょう」
 と申し上げ炎に包まれた稲城の中で
 狭穂毘売は兄に殉じてしまった

 成長した
 「誉津別命=本牟智和気御子」
 は
 大人になっても
 言葉を話すことができず
 振舞いも子供のようだった
 即位23年
 「白鳥」がやってきたのを見た
 「誉津別命=本牟智和気御子」
 は
 「あれはなんだ」
 と初めて言葉を発し
 天皇
 天湯河板挙に
 その白鳥を捕まえるよう命じ
 湯河板挙は
 出雲で
 白鳥を捕まえて
 天皇に献上した
 誉津別命
 白鳥を遊び相手にしているうちに
 言葉を話せるようになり
 「鳥取部・鳥飼部・誉津部」
 を設けた

 『古事記』では
 「天湯河板挙」は
 「山辺大鶙」
 という名で登場
 越国まで行って
 白鳥を捕まえたが
 本牟智和気王(誉津別命)は
 「一向」
 にしゃべる気配を見せず
 その後に天皇
 出雲大社
 の神殿を改築せよという
 大国主神
 の託宣を受けて従ったところ
 本牟智和気王
 は言葉を話せるようになった

 即位15年
 天皇
 丹波道主王の娘たちと再婚し
 長女の
 「日葉酢媛命」
 を皇后としたが
 末娘の
 「竹野媛」
 だけは醜かったので故郷に返した
 『古事記
 では
 「歌凝比売」
 「円野比売」
 の2人は恥じ、
 「竹野媛」
 は葛野で輿から投身自殺
 『古事記
 では
 「円野比売」
 が
 相楽で自殺未遂
 弟国で自殺・・・音句似・・・?・・・字刷・・・