ないえごろうブログ

同音異義の探索

「物部 麤鹿火」・・・モノを述べることに諍(抗・争・あらが)う

 文字霊日記・3423日目

 「魚+羊」のカンジ・鮮血、生血の臭い・・・
           潜血・先決・専決・・・マナ?
 「鮮卑」・・・戦費・先非・船費・・・戦備・尖尾・尖火・千尾(ちを)?
 「アザやかなイヤシさ」・・・?
 そもそも「鮮(セン)」を「あざやか」と訓読する根拠はナニか?

 鮮=魚+羊
   ⺈+田+灬+羊
  =赻=走+少
     土+龰+小+丿
   セン
   あざ(鮮)やか
   あたら(新)しい
   すく(少)ない
   さかな・生きている魚・生魚
  「羊のにお(臭)い」がする魚
   ・・・「羊の血」の「生臭いニオイのする魚(まな・真名)」・・・
  「鮮血の臭い」・・・?・・・生臭坊主・・・戒律破壊の坊主・・・
   ↓↑
   魚のなます(膾・鱠・齏・韲)
     齏=齊+韭
       亠+刀+丫+ノ+㇙+乀+韭
       亠+刀+丫+ノ+㇙+乀+非+一
       亠+刀+丫+ノ+㇙+乀+非+一
       亠+刀+丫+イ+-+乀+非+一
       亠+刀+丫+㇙+㇏+非+一
       亠+刀+丫+⊥+乁+非+一
     朝齏暮塩(チョウセイボエン)
     韲=齊+韭
       亠+刀+丫+丿+一+丨+韭
       虀・䪡・䪠・䪣・齑・䪢
       サイ・セイ
       あえもの
       あえる・くだく
       なます
       あえる・まぜる・まぜあわせる
       くだく・細かくする
       あえもの
       野菜を細かく切り、調味料であえたもの
     齑=齐+韭
       文+丿+丨+韭
       文+丿+丨+非+一
       亠+乂+丿+丨+韭
       部首 齊・斉部(セイ)
       文部(ブンニョウ)
       齊=セイ・サイ・シ
         ととの(える)
         ひと(しい)
         ものいみ
         ととのえる。ひとしくする。
         ととのう。ひとしい。きちんとそろう。
         ひとしい。みな。
         中国の王朝名。
         まぜあわせる。調合する。整える。
         ものいみ
         神仏を祭るとき
         飲食や行動を慎んで、心身を清める
         斎
         もすそ。裳のすそ。衣服のすそ
         「齐」
         異体字
         齐=斉・齊・斊・亝・䄢
           亝=厽+二
             ㇺ+厸+二
             ㇺ+ム+ム+二
           斎宮・斎王・斉明天皇
     朝齏暮塩(チョウセイボエン)=貧食生活
   ↓↑
   鮮
   あたらしい・生き生きとしている
   あざやか・はっきりしている・明らか
   よい・美しい・みめよい・あで(艶)やか
   すくない・まれ(稀・希)である
   「鮮=羴+鱻」=生臭い・鮮血の臭い
   「鮮やか=痣+やか(接尾辞)」  
       あざ=痣=疒+志(士+心)
         =字=宀+子(了+一)
         =悝=忄(ハ+l=心)+里(田+土)
              ハ+亅=心
  α+鮮
  蘚=艹+鮮=セン・「こけ=苔」植物の総称
    艹+魚+羊
    艹+⺈+田+灬+羊
    蘚類(センルイ)・蘚苔(センタイ)
  廯=广+鮮
    广+魚+羊
    广+⺈+田+灬+羊+鮮
    セン
    米や穀物穀物倉庫・・・非魚 
  㶍=氵+鮮
    氵+魚+羊
    氵+⺈+田+灬+羊
    セン・川の名
  癬=疒+鮮
    疒+魚+羊
    疒+⺈+田+灬+羊
    セン・たむし・ひぜん・かゆみを伴う皮膚病
    疥癬カイセン)
    白癬(ハクセン・白雲)
    頑癬(ガイセン)
    皮癬(ヒセン)
  䇁=穴+鮮
    宀+八+魚+羊
    宀+八+⺈+田+灬+羊
    シ・あな=穴
  䉳=竹+鮮
    竹+魚+羊
    竹+⺈+田+灬+羊
    セン・竹の名
    「𥳐䉳」=人や土地の記録・戸籍
  ↓↑
  人名「鮮」の名乗り
  あき・あきら・あらた・き・まれ・よし
  熟語
  鮮(あざ)やか
  海鮮(カイセン)・・・海鮮問屋・廻船問屋
  新鮮(シンセン)
  生鮮(セイセン)
  鮮魚(センギョ)
  鮮血(センケツ)
  鮮度(センド)
  鮮明(センメイ)
  鮮麗(センレイ)
  鮮烈(センレツ)
  鮮紅(センコウ)
  鮮少・尠少(センショウ)
  鮮肉(せんにく)
  だみ絵・濃絵・鮮絵・鮮画(だみえ)
  寡廉鮮恥(カレンセンチ)
  旗幟鮮明(キシセンメイ)
  数見不鮮(サクケンフセン)
  鮮血淋漓(センケツリンリ)
  鮮美透涼(センビトウリョウ)
  巧言令色、鮮なし仁
 (コウゲンレイショク、すくなしじん)
 なます
 野菜の場合は
 「立塩=食塩水」に浸し
 魚介類は
 昆布じめにする
 なます=「膾・鱠」
 膾=肉料理・鶏のささ身や胸肉
 鱠=魚介類料理
 野菜類のナマス
 精進膾(ショウジンなます)
 刺身=さしみなます=「向付」・・・?
 刺身の語源、由来
 向付(むこうづけ)の意味
 氷頭(ひず)の意味と語源
 刺身代わり(さしみがわり)
 さばく(捌く)・おろす(ト・下す)・開く
 「膾」=細かく切った肉・刻んだ肉
 生肉(なましし)=なます
 膾=「生+酢」=なます
   「室町時代」以降の調理法
   本来の語源ではない・・・
 膾=肉(月)+會(会)・・・曾・噌=ソ
    おせちの重箱
    菊膾(きくなます)
    氷頭膾(ひずなます)
     鮭の鼻先から目の部分が
     氷のように透明度の高い軟骨
    酢の物
    和え物

 蓮蒸し(はすむし)=和食の蒸し物
 材料に「れん根」を使った蒸し物の総称
 葉を使用した場合は「ハスの葉蒸し」
 翡翠揚げ(ひすいあげ)
 和食の揚げ物・かわり揚げ
 ぎんなん(銀杏)を衣にして緑色に仕上げたもの
 ↓↑
 万葉集
 巻第十六巻
 三千八百八十五番歌
 作者 乞食者・作者不詳
 題詞 乞食者 二首・・・・こじき古事記
    コツジキ
 ↓↑
 原文       譯・訳
 伊刀古 名兄乃君・・・・いとこ 汝背の君
 居々而 物尓・・・・・・居り居りて 物に
 伊行跡波・・・・・・・い行くとは
 韓國乃 虎神乎・・・・・韓国の 虎といふ神を
 生取尓 八頭取持来・・・生け捕りに 八つ捕り持ち来
 其皮乎 多々弥尓刺・・・その皮を 畳に刺し
 八重疊・・・・・・・・・八重畳
 平群乃山尓・・・・・・・平群の山に
 四月 与五月間尓・・・・・四月と 五月との間に
 藥猟 仕流時尓・・・・・・薬猟 仕ふる時に
 足引乃 此片山尓・・・・・あしひきの この片山に
  二立・・・・・・・・・・二つ立つ
 伊智比何本尓 梓弓・・・・櫟が本に 梓弓
 八多婆佐弥・・・・・・・八つ手挟み
 比米加夫良・・・・・・・ひめ鏑
 完待跡・・・・・・・・・獣待つと
 吾居時尓・・・・・・・・我が居る時に
 佐男鹿乃・・・・・・・・さを鹿の
 来立嘆久 頓尓・・・・・・来立ち嘆かく たちまちに
 吾可死・・・・・・・・・我れは死ぬべし
 王尓・・・・・・・・・・大君に
 吾仕牟・・・・・・・・・我れは仕へむ
 吾角者・・・・・・・・・我が角は
 御笠乃波夜詩・・・・・・み笠のはやし
 吾耳者 御墨坩・・・・・・我が耳は み墨の坩
 吾目良波 真墨乃鏡・・・・我が目らは ますみの鏡
 吾爪者・・・・・・・・・我が爪は
 御弓之弓波受・・・・・・み弓の弓弭
 吾毛等者・・・・・・・・我が毛らは
 御筆波夜斯・・・・・・・み筆はやし
 吾皮者 御箱皮尓・・・・・我が皮は み箱の皮に
 吾完者・・・・・・・・・我が肉は
 御奈麻須波夜志・・・・・み膾はやし
 吾伎毛母・・・・・・・・我が肝も
 御奈麻須波夜之・・・・・我が肝も み膾はやし
 吾美義波・・・・・・・・我がみげは
 御塩乃波夜之・・・・・・み塩のはやし
 耆矣奴・・・・・・・・・老いたる奴
 吾身一尓・・・・・・・・我が身一つに
 七重花佐久・・・・・・・七重花咲く
 八重花生跡・・・・・・・八重花咲くと
 白賞尼 <白賞尼> ・・・・申しはやさね 申しはやさね
  ↓↑
 「磐 鹿六鴈(いわ かむつかり)」
 『日本書紀』等に記録された人物
 「磐 鹿六鴈」
    「六鴈臣(むつかりのおみ)」
 「磐 鹿六獦命」
 「磐 鹿六雁命」
 「伊波我牟都加利命」
 『古事記』に記載はなし
 第八代
 孝元天皇皇子の
 大彦命の孫
 比古伊那許志別命(大稲腰命)の子
 膳臣(かしわでのおみ、膳氏=高橋氏)の遠祖
 料理の神さま
 『日本書紀
 第十二代
 景行天皇五十三年十月条
 天皇が東国巡幸において
 上総国に至り海路から
 淡水門(あわのみなと・安房の水門)
 を渡る際
 覚賀鳥(かくがのとり・ミサゴ・鶚)
 の声が聴こえ
 天皇がその姿を見ようと海の中に入ると
 白蛤(うむぎ・ハマグリ)を得
 「磐鹿六鴈
 が、蒲を襷としてその白蛤を
 膾にして献上
 六鴈は
 膳大伴部(かしわでのおおともべ)を賜った
 高橋氏文
 『本朝月令』所引『高橋氏文逸文
 『日本書紀』伝承の経緯に異伝も含め詳細に記録
 景行天皇五十三年十月
 天皇
 上総国
 安房浮島宮に至った時
 「磐鹿六獦命」
 は皇后の命で
 「カクカクと鳴く鳥」
 を捕らえようとしたが果たせなかったが
 堅魚と白蛤を皇后に捧げると
 天皇にも献上するよう命じられ
 六獦命は
 「无邪志国造」上祖の
 「大多毛比」
 「知々夫国造」上祖の
 「天上腹」・「天下腹」らを呼び寄せ
 膾・煮物・焼物を作って献上
 天皇はこれを誉め
 永く御食を供進するように命じ
 六獦命に大刀を授け
 大伴部を与えた
 さらに
 諸氏族・東方諸国造12氏から
 「枕子(赤子)」各1人を進上させ
 六獦命に付属せしめた
 この時に
 上総国
 安房大神(安房神社・千葉県館山市
 を御食都神(御食津神)として奉斎
 大膳職の祭神
  ↓↑
 『政事要略』所引『高橋氏文逸文
 「六鴈命(六獦命・六雁命)」
 が
 景行天皇七十二年八月死去
 天皇は悲しんで親王の式に准えて葬を賜り
 宣命使として
 藤河別命・武男心命を派遣
 「六鴈命」・・・「命」・・・いのち・みこと・メイ・・・
 を宮中の食膳を司る膳職に祀り
 子孫を
 膳職の長官および
 上総国淡路国安房国?)の長と定め
 和加佐国(若狭国)は
 永く子孫らが領する国として授けた
 「古事記
 景行天皇
 同天皇の時代に
 「東之淡水門」
 「膳之大伴部」
 を定めた記録
 『常陸国風土記逸文
 大足日子天皇景行天皇
 東国巡幸の際に
 「伊賀理命(いかりのみこと・五鴈命?)」
 「賀久賀鳥」の捕獲を命じ
 伊賀理命は捕鳥
 『新撰姓氏録逸文
 景行天皇の時に
 「磐鹿六獦命」が
 「膳臣」の氏姓を賜ったと記録
 「磐鹿六鴈
 膳臣(かしわでのおみ・高橋氏)の遠祖
 膳大伴部(かしわでのおおともべ)
 が与えられた記録
  ↓↑
 『新撰姓氏録』(高橋朝臣本系)逸文
 景行天皇の時に
 磐鹿六獦命が「膳臣」の氏姓を賜ったのち
 「天武天皇の時」に
 「六獦命十世」孫の
 「膳国益」が
 「高橋朝臣(高橋氏)」
 に改めた・・・
  ↓↑
 『新撰姓氏録』(抄録)
 後裔記載
 左京皇別 膳大伴部 - 阿倍朝臣同祖
 大彦命孫の磐鹿六雁命の後
 景行天皇が淡水門に至った時
 磐鹿六雁が
 白蛤を膳となして進上したので
 六雁は膳大伴部を賜った
 ↓↑
 右京皇別
 若桜朝臣
 阿倍朝臣同氏
 大彦命孫の
 「伊波我牟都加利  命」の後
  いわかむつり  の みこと
 この抄録で
 高橋朝臣(左京皇別)は
 大稲輿命の後として記載
 その条の中で
 景行天皇のときに
 大蛤を献じたことにより
 膳臣の姓を賜り
 天武天皇十二年(683年)
 膳臣から高橋朝臣に改賜姓された・・・
  ↓↑
 『新撰姓氏録
 「膳大伴部」は
 膳氏の統轄下に置かれた
 「伴造」氏族を指すが
 その本質は『高橋氏文』に見えるように
 国造級の地方豪族層であったと見られることから
 姓氏録の記すような
 膳氏との同族関係は本来はなかった・・・
 ↓↑
 名に肉類である
 「鹿」や「雁」が含まれることから
 肉食禁忌以前の時代の
 料理人・・・文明開化の調理人・・・?
  ↓↑
 「磐鹿六鴈
 高家神社(千葉県南房総市
 高椅神社(栃木県小山市
 高橋神社(奈良県奈良市
 いずれかの神社から
 勧請を受けた各地の神社で祀られ
 料理の祖神、醤油・味噌などの
 醸造の神
 として調理師や調味業者などの信仰対象
 『高橋氏文逸文
 「磐鹿六鴈
 は死後に宮中の膳職に祀られた
 安房
 大膳職の御食津神の神格に
 磐鹿六鴈
 があてられた・・・
 『日本三代実録
 『延喜式神名帳
 宮中の
 大膳職醤院に祀られたと見える「高倍神(高部神)」
 を、この磐鹿六鴈に比定・・・説
 安房神社は『延喜式神名帳において
 「安房国」の所在であるが
 上総国とする『高橋氏文』の記載は
 『高橋氏文』の成立当時に
 安房国上総国のうちに含まれていたことによる・・・
 『日本書紀
 景行天皇崩御年は六十年・・・
  ↓↑
 「物部 麁鹿火」 ・・・「鹿の漢字」の塊だけれども・・・
 (もののべ の あらかひ・あらかい)
 古墳時代 の 豪族
 饒速日命14世孫で
 物部麻佐良(まさら)大連の子
 仁賢(にんけん)・武烈(ぶれつ)
 継体(けいたい)・安閑(あんかん)
 宣化(せんか)の5朝に仕え
 『日本書紀 』の 武烈 即位前紀に大連
 武烈天皇崩御
 継体天皇 の擁立を働きかけ
 その即位後
 大伴金村 と共に
 再び大連(むらじ)
 継体天皇六年(512年)十二月
 百済
 任那四県の割譲の際
 麁鹿火は
 百済の使者に
 割譲の容認を伝える宣勅使となるが
 妻からの諫めにより考えを改め
 病と称してその役を辞退
 継体天皇六年(527年)六月
 九州北部で反乱
 筑紫国
 磐井
 の征討将軍に就任
 天皇から筑紫以西の統治を委任
 継体天皇六年(527年)十一月
 筑紫三井郡
 磐井を破って処刑
 磐井の乱を平定
 その後の
 安閑天皇宣化天皇の代にも大連を務め
 宣化天皇元年(536年)七月死没
 『古事記
 「物部荒甲」の表記
    荒=艹+亡(亠乚)+儿+丨
      艹+亡(亠乚)+ノ+丨+乚
    甲=日+丨
      囗+十
      冂+十+一
  の表記

 金村と共に
 竺紫君
 「石井(磐井)」討伐の任
 『新撰姓氏録
 後裔に
 「高岳首」らの氏族・・・高氏・・・
 ↓↑
 大連(おおむらじ)
 「麤鹿火」
 と記録
 麤=鹿+广+比
  =麁・麄
   自麤入細(ジソニュウサイ)
    大雑把な部分から始め
    細かい部分へと進んでいくこと
    文章を作るときの作り方をいう言葉
   麤言細語(ソゲンサイゴ)
    荒々しい言葉・取るに足らない言葉
    「粗言細語」
   『麁』=『麤=鹿+鹿+鹿』の俗字体
   麁枝大葉(ソシタイヨウ)
    規則に縛られず、自由に書いた文章
    小さなことにこだわらない、大まかなこと
     「麁枝」=まばらで大きな枝
     「粗枝大葉」とも
   麁鹵迂遠(ソロウエン)
    質が悪く、役に立たない様子
     「粗鹵」=作りが雑で役に立たないこと
     「迂遠」=遠まわしで面倒な様子
     「疎鹵迂遠」、「麁鹵迂遠」とも書く
   麁鹵狭隘(ソロキョウアイ)
    見識や学問が雑で狭いこと
     「狭隘」=狭い
     「疎鹵狭隘」、「麁鹵狭隘」とも
 ↓↑
 「物部 麤鹿火」
 512年
 大伴金村
 任那四県、百済への割譲の際
 難波での百済使への宣勅使に任じられたが
 病と称して辞任
 527年
 筑紫国造磐井(いわい)が
 新羅遠征軍の行く手を阻んで軍を起こし
 大伴金村の推挙により
 磐井征討の将となり
 翌528年
 筑紫御井で磐井を斬り
 乱を鎮圧
 ↓↑
 出雲族・・・?・・・天武天皇時期に
        「石上(いそのかみ)」氏
 ↓↑
 父 物部麻佐良
 母 須羽直(すわのあたい)女・妹古
 生母不明
 男子 物部磐弓=石弓若子(いわゆみわくご)
 男子 物部毛等=毛等若子(もとわくご)
 女子 物部影媛(かげひめ)
 ???
ーー↓↓ーー

(ユカリとオジさんの世迷い言・2)

古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)

エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・