ないえごろうブログ

同音異義の探索

「ネフェル+タリ(Nefer+tari)」・・・「たり=足=拾=Ⅹ=十 」

 文字霊日記・3427日目

 「エジプト=埃及=絵字附訳(譯)」・・・譯=言+睪(罒+幸)

 「出エジプト (Exodus)=出埃及」・・・
            ゴミが及ぶ所からの脱出・・・?
 紀元前1230年頃
 エジプト新王国
 第19王朝
 第3代ファラオ
 「ラメセス2世」・・・
 (Ramesses II・紀元前1303年頃~紀元前1213年頃)
 ヒッタイト
 ハットゥシリ3世
 と
 世界初の平和条約
 エジプト・ヒッタイト平和条約を締結
 ↓↑
 彼の最初の正妃
 「ネフェルタリ・・・たり=足=拾=Ⅹ=十
 (Nefertari)
  ネフェルトリ・・・とり=鳥=鷄=酉=取」
 神后(God's Wife)の称号
 全名
 ネフェルタリ・メリトエンムト
 (Nefertari-Meritenmut)
 「美しい人(Nefertari)」
 「女神ムトに寵愛されし者 (Meritenmut)」

  ネクタリン(Nectarine)
 バラ科の果樹
 モモの変種
 和名
 ズバイモモ・ツバキモモ(椿桃)・ヒカリモモ(光桃)・アブラモモ(油桃)
 「ネクター=桃の果汁」
 ネクタリン名前の由来
 ギリシャ神話
 果実は紅黄色でモモよりやや小さく 球形
 表面に毛はなくツバキの実のように光沢
 果実は紅黄色でモモよりやや小さく 球形
 表面に毛はなくツバキの実のように光沢
 語源
 古代ギリシア神話の
 ネクタル(ネクタール・神々が常飲する生命の酒
     不老不死の霊薬である薬酒・滋養果汁)
 英語
 花蜜=ネクター(Nectar)
 源はギリシア神話の飲み物
 ネクタール(nektar:nek(死)+tar(打ち勝つ効能))
  に由来
 西暦1600年
 「花の蜜」として記述
  ↓↑
 ボクの聴覚は勝手に
 ネクタール=ネフェルタリ・・・
 聴き、文字で確認すると
 ネクタール≠ネフェルタリ・・・?
  ↓↑
 (Nefertari)
  ネフェルトリ
  の時代
 聖書の年代記計算
 出エジプト
 紀元前1513年
 40年間イスラエルは荒野を放浪し
 (出エジプト16章35節)
 紀元前1553年にカナンの地に到達
 モーセ誕生
 紀元前1593年
 死亡
 紀元前1473年
 イスラエルがカナンの地に到達する直前に
 ネボ山の上で死んだ
 申命記
 32章49、50節
 イスラエルのカナン侵入は
 紀元前1473年
 時代がズレている・・・・  紀元前1593年~紀元前1473年頃
 「ラメセス2世」・・・
 (Ramesses II・・・・・紀元前1303年頃~紀元前1213年頃)
  ???        (在位 前1279年~前1213年)
 ユダヤ人迫害
 第18王朝
 イアフメス1世
 モーセのエジプト脱出は諸説ある・・・
 前13世紀の
 第19王朝
 ラムセス2世(在位前1279~1213)の時代
  ↓↑
 「ヒッタイト
 と
 「ヒクソス」
 の
 「コンフユーズ(confuse 
         三人称単数 現在 形 confuses, 現在分詞 confusing
         過去形&過去分詞 形 confused )
         ( transitive) to puzzle, perplex, baffle, bewilder
         (somebody) to afflict by …)」
 ・・・それは「問う吉備」からハジマった・・・
 北海道生まれのボクの子供の頃、
 「ポップコーン(Popcorn)」のことを
 伯母ちゃんや、友達同士での会話で
 「ドン」とか
 「バクダン」とか云っていたのだが・・・
  ↓↑
  cone(コーン)と
  ヒューズ(fuse)・・・?
  トウモロコシ(玉蜀黍・唐黍)の・・・?
  モロコシ (蜀黍・唐黍・corn )の・・?
  フユーズ(fuse)の爆発・・・?
  ポップコーン(Popcorn)・・・?
  トウモロコシの実を 炒って 爆裂させ
  塩 などで味付けした 食品・・・ドン
 ↓↑
 以下「etymonline」の原文から参照、参考したものです
https://www.etymonline.com/jp/word/corn
 corn:
 とうもろこし・コーン・魚の目(うおのめ)
 corn の語源
 [穀物]
 古英語のcorn
 「穀物一粒の種
  穀物の種一般
  畑で育つとコーンを生産する植物」
 ゲルマン語の原形*kurnam「小さな種」
 (古フリジア語や
  古低ザクセン語 korn穀物
  中オランダ 語 coren
  ドイツ   語 Korn
  古ノルド  語 korn
  ゴート   語 kaurn
 PIEの根源語
 gre-no-「穀物」に由来
 ↓↑
 古英語
 「その種がまだ含まれている穀物
 (barleycorn(大麦の一粒)のような)
 という意味で、特定の植物を指すものではなかった
 地域によっては
 その地区の主要作物を指すもの
 ↓↑
 約1600年頃
 アメリカで
 Indian corn(インディアン・コーン)
 固有の
 maize(トウモロコシ)を指す
 イギリスでは「小麦」
 スコットランド
 アイルランドでは「オーツ麦」
 てドイツの一部では「Kornライ麦
 ↓↑
 1550年
 中国に導入され
 米があまり育たない地域でよく成長し
 18世紀
 中国の人口爆発の重要な要因となった
 Corn-starch
 は1850年から使われ
 Corn-silkは1852年から証明されている
 ↓↑
 corn
 「皮膚の硬化または肥厚」
 15世紀初頭
 corne、古フランス語のcorne(13世紀)から
 「動物の角」
 「足のうおのめ」
 という意味になった
 ラテン語 cornu
 「動物の角」
 PIEの根
 「角=頭」の意味
 ↓↑
 ラテン語 cornu
 動物の角のような物質や形状の多くのものを指して
 「いぼ(疣)、川の枝、土地の舌
  弓や帆竿の端、山の頂、角笛、軍隊の翼」
 「ゲルマン人の固い毛」の意味
 ↓↑
 15世紀初頭
 corn
 1550年代
 「粒状にする、粒状化する」という意味
 1560年代
 「塩の粒('corns')を使って
  保存し風味をつける」
 という意味
 1785年(corned)
 「酔わせる」という意味で使用さ
 トウモロコシを原料とした
 ウイスキーに由来
 「Corned beef」は穀物(corn)とは関係がなく
 肉を保存するのに使われる塩の粒('corns')
 粒状の塩にちなむ
 ↓↑
 barleycorn
 "大麦"は
 14世紀後半に
 barley + corn 
 から来て
 大麦の植物や穀物をその製品から区別するため
 英国と米国では
 穀物は主に酒を作るために使用され
 人格化された
 麦芽酒の John Barleycorn (1620)
 がポピュラーなバラードで使用され
 16世紀
 to wear a barley cap=酔っ払う
 ↓↑
 maize
 1550年代
 「インディアンコーンの穀粒」
 1580年代
 それを生産する草科の穀物植物
 キューバスペイン語の 
 maiz から来て
 アラワカン語(ハイチ)の
 mahiz
 は先住民の名前から来ている
 西洋では
 「Turkey corn」
      ・・・トーキイ コーン ?
         トーキー (talkie)
                      映像と音声が同期した映画
         1900年のパリ
         発声映画が最初に上映された
         ガイダンストーキー 
         電話 サービスの自動音声案内
 とも呼ばれ
 この名前は
 起源に関する誤った考えから
 「鳥」と同様に付けられた・・・???
 「七面鳥のトウモロコシ」=「Turkey corn」
  ↓↑
  蜷局巻状に
  ソフトクリームを注入される
  角状の
  食べられる黍(きび)菓子・・・吉備瑕疵・・・?
                 岡山県
                 黍団子・桃太郎
  ・・・トップcone・・・円錐形の道路表示器?
 ↓↑
 吉備河岸・賀詞・画詞・餓死
 ↓↑
 沿岸域から内陸地域にかけて
 「吉備国」=広島県東部に位置する備後(びんご)地方
      香川県島嶼部などと併せた
      日本の中国地方・・・大陸中国人移民の地域?
      備前(びぜん)、備中(びちゅう)、備後(びんご)
      美作(みまさか)地方
         岡山県の北東部(旧美作国)に位置
         兵庫県および鳥取県と県境を接する
         ミサカ(御坂・三坂)に由来
         ウマサケ(甘酒)の産地に由来
             あまざけ
      同一文化圏であったが
      現在では
      備後地方のみ広島県に所属
      倉敷市の西部を流れる
      高梁(たかはし)川
      ↓↑ 
   ・・・高粱(コウリャン)=高橋・・・高麗移民?
      コーリャン=高粱=たかはし
            高橋 虫麻呂
            膳夫(かしわで)
            古代朝廷の食膳管理の伴造氏族
            始祖
            磐鹿六鴈
            磐鹿 六鴈(いわか むつかり)
            『日本書紀』記載の人物
            「磐鹿 六鴈=六鴈臣
                (むつかりのおみ)」
            「磐鹿 六獦命
             磐鹿 六雁命
             伊波我牟都加利命」
            『古事記』に記載はなし
         膳部・お膳立て・・・
             ↓↑ 
      イネ科の一年草  膳部・お膳立て
      モロコシ(蜀黍・唐黍)
      イネ科の一年草
      タカキビ(高黍)とも呼ぶ・黍=禾+氺(水)
      外来語呼称
      コーリャン(漢:高粱)
      ソルガム(英:sorghum)
      ソルゴー(伊: sorgo)
      トーナチン(沖縄方言)
      大陸中国
      東北部(満州・高麗・高句麗
      などで多く栽培されるモロコシの一種
      実を食用・醸造
      ↓↑
      高梁(たかはし)川
      以西が
      備後圏
      ↓↑
      井笠地方(井原市笠岡市)は
      福山圏と認識される・・・
      江戸時代初期
      岡山に
      池田氏
      池田綱政は日本三名園
      後楽園を造成し、閑谷学校を開校
      ↓↑
      津山に
      森氏
      が外様大名として入封、城下町を形成
      笠岡、井原は
      徳川家康の従兄弟
      水野勝成氏の領地となり広大な新田開発
      倉敷に
      寛永十九年(1642年)
      代官所
      江戸幕府直轄の天領
      物資集積地・船舶輸送中継で発展
      県内を南北に流れる3つの
      一級河川高梁川旭川・吉井川)
      江戸時代から昭和戦後期
      瀬戸内海の大規模な干拓で広い農地が形成
      水稲、麦
      果樹の生産
      白桃、マスカット・オブ・アレキサンドリア、ピオーネ
      などは生産量日本一
      県北の標高1,200メートルに位置する
      蒜山高原
      ジャージー牛の大規模な放牧
      チーズ、ヨーグルト、アイスクリームなどに加工
      ↓↑
      笠地方は
      岡山県内だが
      経済圏、生活圏は
      広島県東部と一体的であり
      福山都市圏を構成
      戦前
      一次産業と紡績などの軽工業
      ↓↑
      戦後は
      水島地区の
      川崎製鉄JFEスチール倉敷地区)
      笠岡地区の
      日本鋼管JFEスチール福山地区)
      敷地は県境を跨ぎ笠岡市から福山市にかけて広がっている
      大規模な二つの
      銑鋼一貫製鉄所が建造
      臨海部を中心に重工業化工業県へと変貌
      福山地区の年間粗鉄生産能力は
      1200万トン規模
      水島臨海工業地帯
      国際コンテナターミナル石油化学コンビナートが整備
      笠岡地区は
      備後工業整備特別地域に指定
      国際港湾、製鉄を含む工場群が建造
  ↓↑
  コン-フユーズ(con-fuse
  ↓↑
  fuse(ヒューズ)
    =過大電流から電気回路を保護する部品
     加熱や発火など
     電気火災事故を防止する電気・電子部品
     電気回路内で伝導体
     電気回路に異常に過度な電流が流れると
     合金部品が鎔けて電気製品を保護
 ↓↑
 混乱=confuses・・・混同=mix up (with)
 ↓↑
 ヒクソス(Hyksos)
 古代エジプト第2中間期
 シリア・パレスチナ地方に起源を持つ
 雑多な人々の集団が
 エジプトへ侵攻したものだった・・・
 ↓↑
 トリノ王名表
  ・・・鳥の王名・・・嚶鳴(オウメイ)?
            鸚鵡(オウム)
            鸚=嬰+鳥
            鵡=武+鳥
     嚶鳴=鳥が仲よく鳴き交わし
        友人を求めて鳴いたりすること・その声
        友人同士が仲よく語り合うこと
        ↓↑
        鳥が鳴く・梁・劉峻〔広絶交論〕
        故に絪縕(インウン)相ひ感じ
        ↓↑ ↓↑
        絪=糸+因・・・イトの因縁・原因?
        ↓↑ ふんわりとした短い繊維の
          塊(かたまり)
          縺(もつ)れた麻の繊維=褞
          靄(もや)もやとしたさま
          横になる時に体の下に敷く敷物
          敷布団
          座る時に腰の下に敷く敷物
          座布団=茵
          絪縕(インウン)
        ↓↑ ↓↑
          縕=糸+𥁕
           =氤氳
           =壹㚃(イツウン)
            天の気と地の気
            天地(陽陰)の気が交じり満ちるさま
            天地の気が漲(みなぎ)るさま
            もやもやとした気(雲・煙)が
            立ち籠(こ)めるさま
            赤に黄が混じった茶色または朱色
       ↓↑
       霧涌き雲す
       嚶鳴相ひ召し
       星のごとくれ
       電(いなづま)のごとく激す
       ↓↑
   『トリノ王名表(英: Turin King List )』
    元はサルディニア王の持ち物
    イタリア・トリノのエジプト博物館で発見
   『トリノ王名表』(Turin King List・Turin Royal Canon
    トリノのエジプト博物館に保管
    ラムセス2世以前の歴史についての基礎文献
       古代エジプト
       王(ファラオ)名を記したパピルス文書
       古代 エジプト
       第19王朝
       ラムセス2世 の治世(紀元前13世紀)
       紀元前1300年~紀元前1201年
             「后母戊大方鼎 (司母戊大方鼎)」
               は現存する最大の殷の青銅器
       に制作
 ↓↑     ↓↑
     近代にはサヴォイア家の王国
     サルデーニャ王国の首都
     猿 出絵似也?
     申し出を得るにや?
     ↓↑
     名称
     「トリノ(トリーノ・トリィィノ)」
     と発音
     ピエモンテ語: Turin(テュリン・テュリーン)
     フランス語: Turin(テュラン)
     英語: Turin(テューリン・テュリン・テュアリン)
     紀元前にポー河上流にいた
     ケルト系部族名に由来・・・部族名の由来?
     トリノの名は
     タウリノールムに由来
     タウリニー人(Taurini)が居住
     紀元前1世紀
     ローマ人によって
     カストラ・タウリノールム(Castra Taurinorum)
     と命名          カストラ=城=castle
     後に
     アウグストゥスにちなんで
     アウグスタ・タウリノールム(Augusta Taurinorum)
     と改名
 ↓↑     ↓↑
 6人のヒクソス王が
 ・・・6=六=陸・・・鹿=ロク・しか・か
              ・・・蘇我入鹿
         ・・・鹿鳴館鹿苑寺金閣寺
   磐鹿 六獦命
   磐鹿 六雁命
   伊波我牟都加利命
 ↓↑
 108年間在位
 マネトの記録
 第15王朝の王も
 6人
 一般に
 「ヒクソス・ヒクソス政権」
    ・・・比句曾諏(素=しろ)・素人=白人?
 などは
 この第15王朝
 ↓↑
 第15王朝を大ヒクソス
 第16王朝を小ヒクソス
 と呼ぶ場合もある
 第16王朝については
 テーベの・・・・テェェベ=手絵得部?
 エジプト第13王朝
 の後継政権である・・・とする説
 ヒクソス=「異国の支配者達」
     を意味する古代エジプト語の
     「ヘカウ・カスウト」
      経化得・化素得訳・・エイリアン(異邦人)?
     のギリシア語形に由来
 ヘカウ・カスウト
 はしばしば誤って
 「羊飼い・牧人の王達」
 などと訳される・・・
 ↓↑
 1500年後の
 マネト・・・・真似訳(人・等)
 による記録のみ
 ヒクソスの起源
 未解決の問題
 ヒクソス関係の後代の史料は
 外国人に対する偏見を強調、酷く歪曲・・・
 ヘカウ・カスウト
 字義通り「外国人の首長」
 特にアジア人のそれを指す言葉として使用
 中王国時代に作られ
 ベニ・ハサン・・・紅・葉作務・・・紅葉 造作?
               江戸城紅葉山文庫
 に残る墳墓には
 「異国の首長(ヘカウ・カスウト)アビシャイ」
 が37人のアジア人を率いて
 エジプトへ産物を運ぶ光景を描いたものがある
 この単語が
 エジプトを支配する異民族を指す呼称となったのは
 エジプトを支配するようになった異民族達が
 ヘカ・カスウトの語を
 一種の尊称として使用してからである
  ↓↑
 「ヒクソス」
 がどのようにして形成された集団であるのか謎
 ハブール土器、ヌジ土器
 エジプト側で発見されている土器は
 ハブール土器ともヌジ土器とも異なるタイプ
 ヒクソスとフルリ人の関係を想定するのは困難
 ヒクソスの人名はほぼセム語系
 言語学的に
 ヒクソス
 と
 フルリ人・・・振る理?
 を結びつけるのも不可能
  ↓↑
 「アジア人」との関連性
 ヒクソスとの関係が明白なのは
 同時代の
 シリア・パレスチナ地方にいた
 西セム系の人々
 ヒクソスの人名には明らかに
 西セム語の要素(ヤコブ等)が見られ
 ヒクソスの時代と前後して
 アナト・・・穴戸・穴門・長門
       長門国
       古くは「穴門(あなと)の国」
            ・・・鳴門の渦?
          「穴戸(あなと)」と記録
       『 日本書紀
       大化六年(650年)
       穴戸の 国司
      「草壁醜経」
       が
      「白雉(しろきじ)」を献上
       天智四年(665年)
       長門国 初見
 ↓↑
 や
 バアル・・・嵐、暴風雨の神=颱風・台風
 と言った
 シリア地方の神が
 エジプトに持ち込まれ
 ヒクソスと
 「アジア人」
 の繋がりを想定させる・・・
 ヒクソス時代の遺跡から
 発見される彼らの物質文化は
 レヴァントの文化
 と
 エジプトの文化の特徴が混合したもの
 神殿の建築
    土器
    金属加工製品の形式などは
 シリア・パレスチナ地方
 のモノと類似しているが
 同一ではない・・・
 ロバ(驢馬)
 の犠牲などの儀式が行われた
 習慣はパレスチナ地方でもある・・・
 ↓↑
 九州には「馬」の埋葬が発見されている
 一番古い馬具
 福岡県
 甘木市
 池の上
 墳墓6号墳
 福岡市
 老司3号
 石室から出土
 轡(くつわ)、鞍金具、鉸具
 等
 ↓↑
 縄文時代貝塚から馬の骨が出土
 馬に関する道具(青銅製車馬具)
 長崎県山口県弥生時代の遺跡から数例出土
 九州
 六世紀の後半まで
 宮崎県
 熊本県を中心に
 馬を殉葬
 福岡県
 小郡市周辺で多く見られ
 五世紀後半~六世紀後半
 東大阪地方
 生駒山
 河内湖周辺の遺跡から
 馬の骨の出土例が31を数える
 四条畷(しじょうなわて)市
 五世紀後半~六世紀後半
 奈良井遺跡から
 六頭以上の馬の骨が発見
 一頭は丁寧に板の上に乗せられ
 周辺に馬型土製品や人形などが出土
 馬を祭祀に葬った・・・
 五世紀代
 長野県飯田市を中心とする
 伊那地方から
 馬の骨が多数出土
 5世紀以降
 馬の遺骸とともに馬具が出土
 ↓↑
 2020/1/4 14:31
 夕刊
 西日本新聞
 熊本市南区城南町
 塚原歴史民俗資料館
 古墳時代中期
 5世紀ごろのものとみられる
 馬の全身骨を公開
 ↓↑
 クレタ・・・暮れた・・・呉詫・・・繰れ汰?
 との関係
 クレタとの関係は今日非常に注目
 アヴァリスの遺跡
 (テル・アル=ダバア遺跡)
 で
 クレタ島
 クノッソス宮殿に類似した
 「牛とび」
 を描いた壁画の破片が発見
 第15王朝の王
 キアンの
 カルトゥーシュ・・・位牌に似る絵文字ん「枠」
           化瑠訳得雨(卯・兎・烏・鵜)主(諏)
 名を記した
 アラバスター・・・アラバスター (Alabaster)
          美しい白色の 鉱物 の変種
          美しい白さ=アラバスター
          白いものの形容
          「alabaster skin"(白く滑らかな肌)」
 製
 水差しの蓋の存在によって
 ヒクソスとクレタ文化圏の間に
 交渉があった
 アヴァリスで発見された壁画は
 単なる模倣というよりは
 クレタ文化圏の人々が
 この時期の
 エジプトに移住していた
 ↓↑
 古代エジプト
 伝統的な歴史認識において
 ヒクソス
 は野蛮な侵略者と見なされていた
 プトレマイオス朝時代に
 『アイギュプティカ(エジプト史)』
 を著した
 マネト・・・真似人
 の記録では
 ヒクソス(第15王朝)
 による支配を
 エジプトを襲った災厄、異民族として描いている
 ↓↑
 ヒクソスによる支配から
 エジプトを「解放」した
 テーベ(古代エジプト語:ネウト 現在のルクソール
 政権(第17、第18王朝)が残した記録には
 ヒクソス支配をして
 「アジア人の恐怖」・・・蒙古・モンゴル人
 と呼ぶものもある
 ↓↑
 ヒクソスとは
 軍事力でもってエジプトを征服した異民族政権である
 古代エジプト人の記録に加えて
 戦車、複合弓といった
 「新兵器」の使用
 シリア・パレスチナ地方に起源を持つと
 考えられる習俗、人名などの存在によっている
 ↓↑
 ヒクソスに関する同時代史料は
 後世のエジプト人による破壊のため
 ほとんど残されていない
 そして数々の文献史料や考古学的発見によって
 「アジア人」のエジプト移住が
 第1中間期から
 継続的に行われていたことが判明
 ↓↑
 ヒクソスがエジプトの伝統を数多く導入し
 王名もエジプト式に
 カルトゥーシュに囲んで表記された
 ↓↑
 葬制
 シリア・パレスチナの影響
 アジア系の人物の墓では
 頭を北に
 顔を東に向けるという
 伝統的なエジプトの埋葬法とは異なり
 死者の頭を南にして
    顔を東に向けるという埋葬法が取られており
    墓にはシリア・パレスチナ風に
    ロバ(驢馬)が副葬されている
    古代日本では「馬」の埋葬
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 エジプト中王国
 ヒクソス
 の侵入で崩壊
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 エジプト新王国
 ヒクソスを駆逐
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 ヒッタイト・・・鉄器
 小アジアに建国
 古バビロニア王国を倒した
 後
 「海の民」
 に侵入され、滅亡
 エジプト新王国
 も侵入され、滅亡

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(ユカリとオジさんの世迷い言・2)

古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)

エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
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 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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 干支歴
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 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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 メリキリの - YouTube
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 モモちゃん
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 モウ君の総合目次
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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 古事記と虎関師錬

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鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・