ないえごろうブログ

同音異義の探索

「水神」として祀る「大久保神社」が 福島県郡山市にある・・・?

 文字霊日記・3491日目

 白水郎(はくすいろう)
 海上交通の役を司ったもの
 白水の漁夫の意
 日本との交通に当たっていた
 鄮県(揚子江河口付近)の
 白水郎に
 「アマ」
 の表記に用いたものであると記載

 男女の「あま」
 の漢字での使用法
 「白水郎(あま)」
  とし
  男を海士(あま)
  女を潜女(かずきめ)
  海士(あま)=日本だけの呼称・・・
  海士・・・帝国日本の「海軍士官」・・・?

 江戸時代
 「和漢三才図会」
 裸潜水漁労者すべてを
 「蜑人(あま)」・・・「延=廴+丿+止」+虫
               廴=いそ・ひく               
             涎=氵+延長・・・海
             筳=竹+延長・・・本州
 熟語
 圧延(アツエン)
 生き延びる(いきのびる)
 延引(エンイン)
 延延・延々(エンエン)
 延会(エンカイ)
 延期(エンキ)
 延焼(エンショウ)
 延伸(エンシン)
 延寿(エンジュ)
 延髄(エンズイ)
 延性(エンセイ)
 延滞(エンタイ)
 延着(エンチャク)
 延納(エンノウ)
 延泊(エンパク)
 延発(エンパツ)
 延命(エンメイ)
 落ち延びる
 外延(ガイエン)
 食い延ばす・食延ばす
 先延ばし
 順延(ジュンエン)
 遷延(センエン)
 遅延(チエン)
 逃げ延びる・逃延びる
 延縄(はえなわ)
 延いては(ひいては)
 間延び(まのび)
 延長(エンチョウ)
 繰り延べる・繰延べる(くりのべる)
 延頸鶴望(エンケイカクボウ)
 延頸挙踵(エンケイキョショウ)
 延年益寿(エンネンエキジュ)
 延年転寿(エンネンテンジュ)
 延命息災(エンメイソクサイ)
 延陵季子(エンリョウノキシ)
 美意延年(ビイエンネン)
 悪は延べよ
 足を延ばす
 一寸延びれば尺(しゃく)
 一寸延びれば尋(ひろ)
 一寸延びれば尋延びる(ひろのびる)
 今日できることを明日まで延ばすな
 事が延びれば尾鰭(おひれ)が付く
 善は急げ
 悪は延べよ
 手を延ばす

 α+延+β
 霆=雨+延(廴+ノ+ト+丄)=いかづち=雷
 誕=言+延(廴+ノ+ト+丄)=誕生・生誕
 涎=氵+延(廴+ノ+ト+丄)=よだれ
 莚=艹+延(廴+ノ+ト+丄)=むしろ・筵
 㝚=宀+延(廴+ノ+ト+丄)=ウ・宇宙の延長?
 郔=延(廴+ノ+ト+丄)+阝=エン・春秋時代
             (前770年~前5世紀)
              鄭(テイ)国
             (前806年~前375年)
              にあった古地名
 埏=土+延(廴+ノ+ト+丄)=エン・セン・はて・地の果て
              こねる・ねる・やわらかくする
 娫=女+延(廴+ノ+ト+丄)=エン・女の字(あざな)
              みめよい・うつくしい
 挻=扌+延(廴+ノ+ト+丄)=セン・のばす・ひきのばす
              こねる・やわらかくする
              取る・奪い取る
 狿=犭+延(廴+ノ+ト+丄)=エン
              獌狿(マンエン)=狸に似た獣
 唌=口+延(廴+ノ+ト+丄)=セン・ゼン・タン・ダン・エン
              なげく・嘆く
              しぶき・よだれ
              何度も讒言(ザンゲン)する
 梴=木+延(廴+ノ+ト+丄)=テン・木がまっすぐ伸びて長いさま
 烻=火+延(廴+ノ+ト+丄)=エン・セン・テン
              光がのびる・光が起こる・光
 脠=月(肉)+延(廴+ノ+ト+丄)=セン・テン
              ししびしお
              細切りにした生肉の塩漬け
              魚の塩辛
 硟=石+延(廴+ノ+ト+丄)
  =丆+口+廴+丿+止=セン
           転がしながら押し延ばして
           布の艶(つや)を出す
           皴(しわ)を延ばすための石
           通雅:卷三十七:衣服
           石輾 之 曰硟
           硟 以石輾 繒色光澤也
           鏝・アイロン
 䘰=衤(衣)+延(廴+ノ+ト+丄)=セン・エン・振袖?
 䀽=目+延(廴+ノ+ト+丄)=セン・エン
              振り返って見る
              振り返っては進み
              進んでは振り返る
             =𥆊=𢌨=𨕐
 綖=糸+延(廴+ノ+ト+丄)=エン・セン
              冕(ベン・かんむり)を覆う
              黒色の布で包まれた方形の板
              のびる・ゆるくなる
              細い糸
 𦧝=舌+延(廴+ノ+ト+丄)=テン・𦧝𦧴(テンタン)
                 言葉が正しくないさま
 蜒=虫+延(廴+ノ+ト+丄)=エン
              蚰蜒(ユウエン)=ゲジゲジ
              蜒蚰(エンユウ)=なめくじ
              祝蜒(シュクエン)=やもり
              うねうねと長いさま

 蜑=延(廴+ノ+ト+丄)+虫=タン・あま・えびす
              中国南方に住む異民族
              日本語
              あま・海人・漁師

 筵=竹+延(廴+ノ+ト+丄)=エン・せき・むしろ
              たかむしろ
              竹を編んで作ったむしろ
              しきものの総称・・・史記物?
              座席・せき・ところ・場所
 鋋=金+延(廴+ノ+ト+丄)=エン・セン
              柄の短い小さな矛・てぼこ
              ほこで刺す・刺し殺す
 䩥=革+延(廴+ノ+ト+丄)=タン・ダン・テン
 駳=馬+延(廴+ノ+ト+丄)=タン・ダン・鞍をつけていない馬
 鯅=魚+延(廴+ノ+ト+丄)=セン・シン
              魚醤(ギョショウ)
              魚のひしお・しおから
 䗺=延(廴+ノ+ト+丄)+虫虫=エン・タン・ダン
  ↓↑
 「白水郎(あま)」・・・新羅の潜水夫?
  とし
  男を海士(あま)
  女を潜女(かずきめ)
  海士(あま)=日本だけの呼称・・・

 「白水郎」の歌十首
 「万葉集巻十六」
 「筑前国の志賀
     の白水郎
     の歌十首」

   右は
   神龜年中に
   大宰府
   筑前
   宗像郡の百姓 
   宗形部
   津麻呂
   を差して
   對馬送粮の舶の
   抱師(かじとり)に宛つ。
   時に
   津麻呂
   滓屋の郡志賀の村の
   白水郎(あま)
   荒雄の許に詣りて
   語りて 曰はく
   「我小事有り
    けだし許さじか」
   と云ふ。
   荒雄
   答へて 曰はく
   「我郡を異にすといへども
    船を同じくすること日久し。
    志は兄弟より篤く
    殉死することありとも
    豈また
    辞(いな)びめや」
   といふ。
   津麻呂 曰はく
   「府の官(つかさ)
    我を差して
    對馬
    送粮の舶の
    抱師(かじとり)に宛てたれど
    容齒衰老して
    海路に堪へず。
    ことさらに来りて
    祇候(シコウ)す。
    願はくは
    相替(か)はる
    ことを垂れよ」・・・・垂(た)れよ=話せ
   と云ふ。
   是に荒雄、許諾(ゆる)し、
   遂にその事に従ふ。
   肥前
   松浦の縣の
   美祢良久(みねらく)の崎より
   舶を發(い)だし
   直に
   對馬をさして海を渡る。
   すなはち
   忽(たちまち)ちに・・・コツ・コチ・ゆるがせ
   天暗冥くして
   暴風に雨を交へ
   竟(つい)に
   順風無く
   海中に沈み没(い)りき。
   これに因りて
   妻子等、犢慕にあへずして
   此の謌を裁作る。
   或は
  「筑前國守
   山上憶良
   妻子の傷(いたみ)を
      悲感(かな)しび
   志を述べて
   此の謌を作るといふ。

 王の遣(つか)は
 さなくに
 さかしらに行きし
 荒雄ら沖に袖振る(3860)

 荒雄らを
 来むか
 来じかと
 飯(いひ)盛りて
 門に出で立ち
 待てど来まさず(3861)

 ・・・「岸壁の母」・・・

 志賀の山
 いたくな
 伐りそ
 荒雄らが
 よすかの山と
 見つつ偲はむ(3862)

 荒雄らが
 行きにし日より
 志賀の
 海人の
 大浦田沼は
 寂しくもあるか(3863)

 官(つかさ)こそ
 さしても
 遣らめさ
 かしらに行きし
 荒雄ら波に
 袖振る(3864)

 荒雄らは
 妻子(めこ)の産業(なり)をば
 思はずろ
 年の八年を待てど
 来まさず(3865)

 沖つ鳥
 鴨とふ
 船の帰り来ば
 也良(やら)の崎守
 早く告げこそ(3866)

 沖つ鳥
 鴨とふ船は
 也良の崎
 廻(た)みて
 漕ぎ来と
 聞こえ来ぬかも(3867)

 沖行くや
 赤ら小船に
 裏(つと)遣らば
 けだし
 人見て開き見むかも(3868)

 大船に
 小船引き添へ
 潜くとも
 志賀の
 荒雄に
 潜き逢はめやも(3869)

 潜=潛(氵+兂兂+日)=濳(氵+先先+日)
       兂=簪(かんざし・髪挿し・櫛)
  =氵+替
   氵+㚘+日
   氵+夫+夫+日
   氵+二+人+二+人+日
   氵+一+人+一+人+日
   セン
   ひそ(む)
   もぐ(る)
   くぐ(る)
   水中にもぐる
   ひそむ。ひそめる・・・前島 密
   かくれる。かくす。
   ひそかに。ひそむ。こっそりと。人知れず。
   心をしずかに落ち着ける。深く集中する。
   深い。水の深いところ

 前島 密(まえじま ひそか)
 1835年2月4日
 天保六年一月七日
  ~
 1919年
 大正八年4月27日

      大運1915年5月(80歳)丙戌・劫財
                破
 甲午(丙 丁)印綬・比肩建禄⇔己未・食神・支合・丙
 丁丑(癸辛己)比肩・食神 墓⇔戊辰・傷官
 丁卯(甲 乙)  ・偏印 病⇔己酉・食神・冲
 辛丑(癸辛己)偏財・食神 墓⇔乙丑・偏印
  戌亥空亡

 官僚・政治家・教育者
 華族
 位階勲等爵位 従二位勲二等男爵
 本姓 上野
 幼名 房吾郎
 諱  巻退蔵
    密
 通称 来輔
 号  如々山 翁鴻爪

 出身地 越後
 近代郵便制度の主要な創設者の一人
 「日本近代郵便の父」
 大蔵省 駅逓頭(郵政大臣総務大臣
 逓信省次官
 「郵便・切手・葉書・小包・為替・書留」
 などの
 名称を定めた
 1円切手の肖像人物
 東京専門学校
 早稲田大学
 の建学に関係
 早稲田大学
 第2代校長
 
 漢字廃止
 を
 建議

 1866年(慶応二年)
 「漢字 御廃止 之 議」
 という建議書を
 将軍
 徳川慶喜
 に提出
 学問を広めるため
 難しい漢字の使用をやめるべきという趣旨
 日本の国語国字問題について
 言文一致を提言した歴史的な文献
 土産の絵草紙と三字経を甥に教え
 漢字教育の難しさを痛感
 漢字廃止を思い立った

 1862年文久二年)
 長崎で
 チャニング・ウィリアムズ(立教大学創設者)
 から英学の教えを受け
 郵便制度に加え
 漢字廃止論も
 ウィリアムズから示唆を受けた・・・

 江戸遷都
 建言

 大久保利通の大阪遷都論を読み
 大久保に東京遷都を実現
 七月
 江戸は東京と改名
 九月
 天皇は東京行幸
 江戸城が皇居となった

 鉄道敷設
 立案
 
 1870年(明治三年)
 上司の
 大隈重信
 から
 鉄道の
 建設費と営業収支の見積りを作るよう命じられ
 精密な計画案
 「鉄道臆測」を作り上げた
 1872年(明治五年)5月
 品川~横浜間に鉄道が仮開業
 1872年(明治5年)9月
 新橋~横浜間の正式開業

 郵便創業

 1871年(明治四年)
 三月一日(新暦4月20日
 東京~大阪間
 官営の郵便事業開始
 1870年(明治三年)から
 11年間
 郵政の長として事業育成にあたり基礎を築いた

 新聞事業
 育成

 1871年(明治四年)12月
 新聞雑誌の低料送達
 翌年6月
 自ら出版者を勧誘し
 太田金右衛門
 に
 郵便報知新聞(報知新聞)
 を創刊させた
 1873年(明治六年)
 記事の収集を容易くするため
 新聞の原稿を無料で送れるようにした

 陸運元会社
 創立

 江戸時代から
 定飛脚問屋(じょうびきゃくどんや)
 は
 郵便事業に強く反対していたが
 前島密の説得を受け入れ
 1872年(明治五年)6月
 日本通運株式会社の前身
 陸運元会社
 を設立
 全国の宿駅に誕生した陸運会社を統合
 郵便輸送を中核として
 貨物専門の近代的な通運会社として発展

 海運政策
 建議

 函館で
 自ら廻送業者の手代に加わって
 実務を体験
 1872年(明治五年)
 日本帝国郵便蒸気船会社
 誕生
 1875年(明治八年)
 大久保利通
 前島密の建言によって
 画期的な海運政策を建て
 岩崎弥太郎
 の
 郵便汽船三菱会社(三菱商会)
 を補助、政策を推進
 日本郵船株式会社の前身
 
 郵便為替
 開始

 1875年(明治八年)1月
 郵便為替
 郵便創業の翌年
 郵便為替の実施が必要だと建議後
 4年でその創始

 郵便貯金
 開始

 1875年(明治八年)5月
 東京横浜の両地で郵便貯金の取り扱い開始

 訓盲院
 創立

 1876年(明治九年)
 視覚障碍者の教育を目指す
 楽善会に入会し
 杉浦譲
 など同志たちとともに私金を出し合い
 訓盲院の設立に尽力
 1879年(明治十二年)
 完成
 後 文部省へ移された
 前島は引き続き同校の役員として
 長くその運営発展に力を注いだ
 「訓盲院」
 筑波大学
 附属
 視覚特別支援学校
 の前身

 勧業博覧会
 開催

 大久保利通
 前島の業博覧会を開催を取り入れ
 内務省の所管として
 1877年(明治十年)
 東京上野
 第一回
 勧業博覧会
 開催
 前島を
 審査官長に命じた

 日本海
 掖済会
 創立

 1880年(明治十三年)
 海員の
 素質の向上
 保護救済
 などを目的とした
 日本海員掖済会
 を発足させ
 海員の寄宿と乗船の仲介を行った
 海員養成
 無料職業紹介
 診療事業
 を行ない
 殉難職員の遺族に対する
 慰藉
 海員の
 養老扶助まで事業を拡大

 東京専門学校
 創立

 1882年(明治十五年)
 早稲田大学
 前身
 東京専門学校
 創立
 学問の独立を主張する
 大隈重信
 の発意で生まれたが
 前島 密
 創立に参画してこれを助け
 後
 1887年(明治二十年)
 校長に就任

 電話通信
 開始

 1890年(明治二十三年)12月
 東京横浜市内と
 その相互間で
 初めて
 電話の交換業務が開始
 1883年(明治十六年)以来
 官営にするか民営にするか議論
 前島密
 1888年(明治二十一年)
 逓信大臣だった
 榎本武揚
 の依頼で
 逓信次官に就任し
 官営に意見を統一
 電話事業を開始
ーーーーー
 大久保 利通(おおくぼ としみち)
 文政13年8月10日
 1830年9月26日
 ~
 明治11年
 1878年5月14日

      大運1875年1月(44歳)庚寅・正官
 庚寅(戊丙甲)正官・劫財帝旺⇔戊寅・正財
 乙酉(庚 辛)比肩・偏官 絶⇔丁巳・食神・三合辛
 乙未(丁乙己)  ・偏財 養⇔壬辰・印綬
 丁丑(癸辛己)食神・偏財 衰⇔辛丑・食神
  辰巳空亡

 碁(ご)が大好き人間
 肖像写真好き
 頭頂部に大きな禿(はげ=兀=ゴチ=語知)?
 コンサバティブ(conservative)
 「保守的・守旧的・無難・控えめな・保守主義者」
 大久保利通
 「水神」として祀る
 「大久保神社」が
 福島県郡山市にあり
 「大久保様の水祭り」
 が
 毎年9月1日に執行

 前島密
 「よく人にも計り
    人の言も容れた人で
  一事を裁断するにも
  念には念を入れる流儀だったが
  ただ裁決した以上は
  もう何事が起こっても
  気が迷うの
  躊躇するのということは
  なかった」

 参照、参考は
 by『ウィキペディアWikipedia)』