ないえごろうブログ

同音異義の探索

マイマイ は「雌雄同体」同士の 「自然界の生殖行為」だが・・・

 文字霊日記・3325日目

 「ゴカイ」された「ワーグナー」(1)
 ↓↑
 個々人間の勝手だが・・・自然界では有りえない・・・?
 デンデンむしむしカタツムリ・・・マイマイ
 は「雌雄同体」同士の
 「メイクラブ」だが・・・
 ↓↑
 LGBT
 Lesbian
 Gay
 Bisexual
 Transgender
 Transsexual
 頭文字の頭字語・・・

 ↓↑
 防人生活者の「同性関係・代用関係」・・・?
 「アマゾネス」は
 「おとこ」を拉致して「目的」を果たしたが・・・
 「目的」とは「生命継続体の確保」だったのか?
 それとも
 「性交快感」だったのか?・・・単体でのクローン増殖とは異なる
  ↓↑
 「あま」
 海に潜って
 サザエ(栄螺)やアワビ(鰒・鮑・蚫)などの貝類や
 ワカメ(若芽)やテングサ(天草)などの海藻類を採る女性
 素潜り潜水漁に従事する人々を「あま」と呼び
 女性を「海女(あま)」⇔「尼=比丘尼(ビクニ)」
 男性を「海士(あま)」⇔「比丘(ビク)=苾蒭(ビッシュ)=乞子」
 あま=「海女・海人・海部・蜑・白水郎」と表記
 河川、湖沼で
 素潜(すもぐ)りする漁民
 釣漁・網漁・塩焼き・水上輸送・航海にたずさわる人々
 海中に潜って操業する漁業の意
 「アマ」・「カヅキ」とよばれる漁民
 かつては「男女」とも
 「こしまき(腰巻)」
 「ふんどし(褌)」
 などの布を身につけただけの姿で
 海に潜り
 テングサ(天草)・ワカメ(若芽)・コンブ(昆布)などの海藻や
 アワビ(鮑)・サザエ(栄螺)・ウニ(海栗)などの貝類などを
 イソガネ(磯金・礒金)やカマ(鎌)などの爬具(はぐ)を用いて採った
 もり(銛)、やす(簎)、ひし(魚杈)
 などを使った「魚の潜り突き」を行った
 ↓↑
 エルンスト・ユリウス・ギュンター・レーム
 (Ernst Julius Gunther Rohm)
 1887年11月28日
 ~
 1934年7月1日
     大運1924年8月(36歳)丁未比肩
 丁亥(戊甲壬)比肩・正官 胎⇔甲戌印綬
 辛亥(戊甲壬)偏財・正官 胎⇔庚午正財
 丁酉(庚 辛)  ・偏財長生⇔癸酉偏官
 辛丑(癸辛己)偏財・食神 墓⇔癸丑偏官
  辰巳空亡
 ↓↑
 ドイツの陸軍軍人
 バイエルン第10野戦砲兵連隊
 第一大隊副官
 インゴルシュタット
 バイエルン第11歩兵旅団副官
 第一次世界大戦の陸軍の将校
 ナチ党の古参党員
 突撃隊の指導者
 最終階級は陸軍大尉(ドイツ軍)
      陸軍中佐(ボリビア陸軍)
 アドルフ・ヒトラーの盟友
 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の功労者
 国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の功労者
 民族社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の功労者
 ナチ党の準軍事組織
 突撃隊(SA)を統率
 同党の政権把握に貢献
 ヒトラーと路線対立し
 粛清された
 ↓↑
 突撃隊(Sturmabteilung, 略号:SA)
 国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の
 準軍事組織
 制服の色から
 「褐色シャツ隊(Braunhemden)」
  ↓↑
 褐=衤+日+匂=褐
   衤+日+勹+匕
 褐=衤+曷
   衤+日+匃
   衤+日+勹+亾
   衤+日+勹+人
   カツ
   ぬのこ
   あらく粗末な布でつくった衣服
   身分の低く貧しい人が着る衣服
   身分の低く貧しい人
   かちいろ・焦(こ)げ茶色
   黒ずんだ茶色・黒ずんだ黄色
  曷=「日+匃」=盍・・・葛
     日+勹+亾
     日+勹+L+人
     カツ
     いずくんぞ
     いつ=「いつになったら」と時を問う意
     なに=物事を問う意=何
     なんぞ
     「どうして~か・どうして~であろうか」
     と疑問・反語の意
     短褐穿結(タンカツセンケツ)
      貧しい人の質素な衣服
      「短褐」=丈の短い粗末な布の服
      「穿結」=破れていたり、繕ったりしている服
     被褐懐玉(ヒカツカイギョク)
      すぐれた才能を持っているが、表面には出さないこと
      「褐」=ぼろぼろの服
      能ある鷹は爪を隠す
     褐(カツ)を被(き)て玉を懐(いだ)く
   葛=艹+曷  =葛󠄀=艹+日+匂
     艹+日+匃   艹+日+勹+匕
     艹+日+勹+亾 
     艹+日+勹+L+人
     カツ
     かずら
     かたびら(帷子)
     つづら(葛籠)
     くず・くずかずら
     くずぬの(葛󠄀布・屑布)
     かずら・つづら
     つる草の総称
     かずらの蔓(つる)で作った箱(函)
 ↓↑
 1930年8月
 突撃隊最高指導者
 フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン
 1930年9月4日
 国会選挙の候補者名簿に
 突撃隊員をもっと加えるようヒトラーに要求し、対立
 ザロモンは
 1930年8月12日に職を辞した
 ベルリン東部地区突撃隊副司令官
 ヴァルター・シュテンネスが
 党指導部に対して反乱
 突撃隊を巡る情勢は不穏
 ヒトラー自らが
 突撃隊最高指導者に就任したが
 この状況を抑えられる人物は
 ボリビア
 レームだけと悟り
 レームはヒトラーの打診を了承し
 1930年11月1日
 ドイツに帰国
 ナチ党に再入党(党員番号41)
 1931年1月5日
 突撃隊幕僚長に就任
 レームは
 1931年春
 突撃隊の
 中央集権化の組織改革
 1931年4月
 シュテンネスの再反乱で
 1万人が党と突撃隊を去る
 「世界恐慌(1929年)」の影響で
 巷に失業者があふれ
 彼らは
 反資本主義的な政治的急進派となって
 ナチ党や突撃隊に続々と参加
 1930年
 7万人だった突撃隊隊員数は
 1931年末
 17万人
 政権掌握直前
 70万人
 突撃隊は過激化し
 隊員達は
 ヒトラー
 「合法路線」・・・「ヒトラーの国家組織観」は正統だった?
 にしびれを切らし
 武装蜂起を求めるた
 レームも隊員の不満を抑えるために
 1931年末に
 ヒトラー武装蜂起を進言
 ↓↑
 1932年4月13日
 ハインリヒ・ブリューニング首相
 ヴィルヘルム・グレーナー内相
 の進言により
 パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領
 が
 突撃隊と親衛隊の活動禁止命令を出した
 5月8日
 ヒトラー
 と
 レーム
 はナチ党弾圧の命令に反対していた
 大統領側近
 クルト・フォン・シュライヒャー将軍
 と面会し
 ブリューニング
 と
 グレーナー
 の失脚工作について話し合った
 シュライヒャーとナチ党は
 5月13日
 グレーナーを辞職させ
 5月30日
 ブリューニング内閣を総辞職に追い込んだ
 シュライヒャーの推薦によって
 首相に就任した
 フランツ・フォン・パーペン
 は
 6月16日
 禁止令を解除
 1933年1月30日
 ヒトラー内閣が発足
 レームには閣僚職は与えられなかった
 ↓↑
 1933年3月5日
 国会議員選挙で
 ナチ党は44.1%を得票
 連立与党国家人民党
 と合わせて過半数を得た
 ナチ党政権は
 選挙結果は党が国民の信任を受けている証拠とし
 党が参加していない州の政権は
 民意を反映していないので退陣すべきと主張
 各州に対する介入を開始
 バイエルン州首相
 ハインリヒ・ヘルトは
 ナチ党の介入に反抗
 3月9日
 レームは
 フォン・エップ
 や
 ヴァーグナー
 ヒムラー
 らとともにヘルト政権の解体にあたった
 3月10日
 バイエルン州の国家弁務官となった
 フォン・エップより
 レームは州委員に任命され
 3月12日
 バイエルンの7つの群知事庁に
 治安維持と政敵排除に責任を負う
 「突撃隊最高指導部特別委員」
 を設置させ、彼らの指揮下に
 突撃隊を補助警察官として採用
 レームはこの制度を
 他の州にも導入させようと図り
 5月
 プロイセン州で導入
 その後他の州も続々と導入
 突撃隊員達は
 補助警察官として
 ドイツ各地で政敵を予防検束
 ヒトラー
 内相ヴィルヘルム・フリックも
 プロイセン州首相・内相ヘルマン・ゲーリング
 突撃隊に警察権限を認めることには反対だった
 ゲーリング
 1933年8月
 補助警官隊に解散を命じ
 他の州も続々と補助警官隊を解散させた
 ごく一部の突撃隊員が
 正規の警察官として採用されたが
 他の大多数の突撃隊員は
 補助警察官として
 支給されていた給料を切られ、失業
 突撃隊の不満が高まり
 彼らは公然と
 「第二革命」
 を叫び
 1933年8月以降
 各地で暴動を起こした
 レームもこれに同調し
 ヒトラーの革命終了宣言に抵抗
 レームは
 9月1日
 バイエルン
 突撃隊最高指導部特別委員制度を廃止
 かわりに
 バイエルン州政府に
 突撃隊特別全権官
 群政府に
 突撃隊特別委任官
 を設置
 彼らの任務は
 「国家(国民)社会主義革命」
 による発展が続けられているかを
 官庁と協力しながら監視することであった
 これによって
 地方行政機関を第二革命に動かそうとした
 10月
 ゲーリングの支配する
 プロイセン州にも
 突撃隊特別全権官の設置を認めさせた
 ゲーリング
 突撃隊政治部長
 ゲオルク・フォン・デッテン
 から
 「国会議事堂放火事件」
 の真相を暴露すると
 強請られて渋々認めた
 各州もプロイセン州に倣って
 突撃隊特別全権官の設置を認めた
 突撃隊特別全権官による
 行政への横やりや命令無視が横行
 ヒトラー政権は
 早晩崩壊するだろうという噂がたった
 ↓↑
 ヒトラー
 突撃隊特別全権官と州政府を一体化させるため
 1933年12月1日
 党と州の統一のための法律を成立させ
 レーム
 を無任所相に任じた
 ゲーリング
 12月15日
 「プロイセン州市町村制度法」を導入し
 市町村の地方評議会メンバーを
 25歳以上に限定すると定め
 若者がほとんどを占める突撃隊員を
 プロイセン地方自治から締め出した
 ↓↑
 国際連盟脱退
 ポーランドとフランスが侵攻してくるのではないか
 という危機感がドイツで高まり
 再軍備問題が関心を集め
 レームは
 1934年1月15日
 突撃隊特別全権官の任務を
 「反国家的陰謀との闘争」
 に限定させるなど第二革命問題で
 一定の譲歩の姿勢を見せたが
 再軍備問題に関連して
 突撃隊をドイツの正規軍にするという野望を抱く
 突撃隊を正規軍にすることができれば
 隊員の失業問題は大きく改善し
 革命など起こす必要はなくなるため
 レームは
 第二革命より
 突撃隊正規軍化に力を入れた
 ↓↑
 レームの軍事的野心は
 正規軍である国軍と軋轢を生んだ
 彼は
 貴族が幹部を占める今の国軍では
 ヴェルサイユ条約を打破して
 再軍備がかなったとしても結局
 旧プロイセン王国的な旧式軍隊にしかならず
 近代戦に対応できる軍隊にはならないと考えていた
 レームが理想とするのは
 国民軍の形態で
 突撃隊は5つの
 突撃隊上級集団(軍隊の「軍団」に相当)と
 18の突撃隊集団(「師団」相当)で構成され
 国軍の5倍にあたる兵力を保持し
 軍隊と同等の規律を有し
 その指揮官達は
 元将校たちで占められていた
 国軍に取って代わることができた
 国軍と突撃隊は
 1933年5月に協定を結び
 突撃隊と
 親衛隊と
 鉄兜団は
 国防省の管轄に入ることになっていた
 国軍からのスタッフの手も借りて
 フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー突撃隊大将の下に
 突撃隊員の訓練が行われ
 国軍に送りだしていた
 やがて
 レームは東部国境守備隊の指揮権を要求し
 その武器庫を管理下に置こうとし
 国軍との対立を深めていた
 ↓↑
 ヒトラー
 国軍をもって
 再軍備を行うことを決めており
 レームの
 国民軍構想をはねつけていた
 1934年2月28日
 ヒトラー立ち会いのもとに
 国防相
 ヴェルナー・フォン・ブロンベルク上級大将
 以下
 国防省の幹部と
 レーム
 以下
 突撃隊の幹部が会談
 ヒトラーの希望で両者は
 国軍がドイツ唯一の国防兵力と認め
 突撃隊は準軍事組織としての役割に徹し
 国軍入隊者への
 訓練などを主任務とすることで合意
 会談後に
 レームは
 「あのふざけた伍長の言う事に何の意味がある!
  俺はこんな協定全く守る気はない!
  ヒトラーのような裏切り者は追い出さねば駄目だ。
  奴を排除した後
  我々が権力を握るのだ!」
 と吐き捨てた・・・

  ↓↑
 「長いナイフの夜」
 5世紀ウェールズでの
 ザクセン人傭兵による
 ブリテン人への宴席での
 騙し討ち
 『長いナイフの裏切り』に因む
  ↓↑
 「 レーム一揆=レーム事件」
 1934年 6月30日 ~ 7月2日 にかけて
 国家(国民・民族)社会主義ドイツ労働者党=ナチ党
 が行った
 「突撃隊 (SA) 」に対する
 粛清、殺害処刑事件
 正式な法的措置を執らずに行われた
 116名死亡者
 他国への亡命者千人以上
 ↓↑
 国軍軍務局長
 ヴァルター・フォン・ライヒェナウ少将
 と
 親衛隊SD長官
 ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊少将は
 突撃隊の排除のために
 連絡を取り合っていた
 ハイドリヒは
 レームとその一派全員の抹殺を決意し
 親衛隊全国指導者
 ハインリヒ・ヒムラー
 を説き伏せて
 レームの粛清を決意させた
 親衛隊は
 プロイセン州首相
 ヘルマン・ゲーリングと連携して
 レーム抹殺計画を進め
 ゲーリングにとっても
 レームは同州における警察権力
 国防軍総司令官の地位をめぐっての脅威であった
 ↓↑
 突撃隊問題に曖昧な態度をとるヒトラー
 粛清を決意させるため
 ヒムラー、ハイドリヒ、ゲーリング
 らは突撃隊の
 「武装蜂起計画」
 をでっち上げることにし
 1934年4月下旬から5月末
 ハイドリヒは
 武装蜂起の証拠収集・偽造を行った
 1934年6月はじめ頃
 武装蜂起の噂が流れ
 これを重く受け止めた
 パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領
 国防相
 ヴェルナー・フォン・ブロンベルク
 1934年6月21日
 ヒトラーに対し
 「もし突撃隊問題が解決できないなら
  ヒトラーの権限を陸軍に移して
  代わりに処置させる」
 と通告した
 ヒンデンブルクの病状が悪化しており
 死が近いことは明らかで
 軍にとって大きな存在である彼の死後
 ヒトラーは忠誠を誓わせねばならないため
 そのためには
 軍が望む突撃隊幹部の粛清が必要だった
 ヒトラーはこの日に突撃隊の粛清を決意
 6月28日
 ヒトラー
 リューマチ療養で
 バイエルン州バート・ヴィースゼー
 にある突撃隊の保養クラブ
 「クアハイム・ハンゼルバウアー」
 にいた
 レームと連絡を取り
 突撃隊員が起こした暴行事件について
 6月30日に会議を行いたいので
 幹部を集めておくようにと指示
 レームら幹部は疑うこともなく召集に応じ
 6月30日午前6時30分頃
 ヒトラー
 ゼップ・ディートリヒの部隊が到着するのを待たず
 自ら親衛隊員を率いて
 レーム達幹部が就寝中に
 クラブハウスに押し入り
 ヒトラー
 レームに拳銃を突きつけ
 「エルンスト、きみを逮捕する」
 と述べ
 レームは
 逮捕された他の突撃隊幹部たちとともに
 ミュンヘン
 シュターデルハイム刑務所に移送され
 ヒトラーの命令により
 6月30日のうちに刑務所に入れられた幹部のうち
 エドムント・ハイネス突撃隊大将
 アウグスト・シュナイトフーバー突撃隊大将
 ペーター・フォン・ハイデブレック突撃隊中将
 ヴィルヘルム・シュミット突撃隊中将
 ハンス・ハイン突撃隊中将
 ハンス・フォン・シュプレーティ
 =ヴァイルバッハ突撃隊大佐
 の6名が銃殺
 ヒトラー
 レームについてはこの日処刑を見送った
 彼はミュンヘンを発つ際に
 「レームは彼の功績に免じて許した」
 と述べた
 ベルリンに戻った後
 レームを助命しようという
 ヒトラーの意志は
 7月1日正午頃までに
 ヒムラー
 と
 ゲーリングによって崩された
 ヒトラー
 ダッハウ強制収容所所長
 テオドール・アイケ
 レームに自決の機会を与え
 自決しないなら
 彼を処刑せよと命じた
 午後2時頃
 アイケは部下の
 ダッハウ副所長
 ミヒャエル・リッペルトを引き連れ
 シュターデルハイム刑務所のレームの独房を訪れ
 アイケは彼に対して自身の逮捕を報じる党機関紙
 『フェルキッシャー・ベオバハター』
 と自決用に一発だけ弾の入ったブローニング拳銃を置いて
 「貴方は死刑に処される。
  総統は最終決断のための機会を貴方に与えた」
 と宣告したが
 レームは
 「俺が殺されるべきというなら
  アドルフ自らがやるべきだ」
 と抗弁した
 2人は独房を後にしたが
 自決の銃声がしないため
 午後2時50分ごろ戻ると
 レームは立ったままであった
 アイケはレームを撃つよう
 リッペルトに命じ、2発発砲
 撃たれた彼は床に倒れながら
 「わが総統よ…」
 と呟き
 アイケは
 「貴方はもっと早くそれを言うべきだった」
 と返した・・・
 まだ息があったため
 もう1発胸に撃ち込んで殺害
 ↓↑
 粛清で
 150名から200名
 それ以上の
 突撃隊幹部
 党の政敵
 反ヒトラー分子などが捕えられ
 法的手続きを経ることなく処刑され
 ミュンヘン一揆を鎮圧した
 グスタフ・フォン・カール
 元バイエルン州総督
 ナチス左派の元指導者
 グレゴール・シュトラッサー
 陸軍中将クルト・フォン・シュライヒャー
 元首相などがいた
 親衛隊の超法規的措置の前例が生まれ
 国軍はナチスの強硬手段に
 戦慄しつつも脅威が一掃されたことを評価し
 以降完全な協力を約束することになった
 ↓↑
 隊員の男色、狼藉、酒乱などで
 評判の悪かった突撃隊の粛清に
 市民の反応は冷静で
 ニュースでは
 好感をもって伝えられた

 ↓↑
 ナチスは公式には
 1928年以来
 「同性愛者」を
 ナチス党の敵と見なすとしていたが
 レームは公然たる同性愛者で
 同性愛を罰する条項の
 刑法175条の撤廃を主張していた
 「近代家族主義」擁護・・・?
 の立場から
 同性愛に反対する
 アルフレート・ローゼンベルクのことを
 「間抜けなモラルを説く奴」
 と罵倒
 レームは
 「私のところにいる男たちは
  法律に反した特別な事(同性愛)に
  慣れねばならない」
 とも述べて
 突撃隊で横行していた同性愛は
 彼らの
 「革命的性質」・・・?
 と無関係ではなかった
 レームが突撃隊幕僚長に就任した
 1931年以降
 社民党など敵対政党の機関紙は
 「ナチスは刑法175条の維持を主張する癖に
  身内には公然と同性愛を許している」
 としてレームの同性愛疑惑の追及を行った
 ヒトラーはレームの重要性から
 彼らの同性愛行為を黙認
 「長いナイフの夜」
 の後は一転して彼の同性愛を激しく非難
 レーム粛清後
 突撃隊に取って代わった
 親衛隊によって
 同性愛者への弾圧は強化され
 粛清の犠牲者の遺族には年金が支払われたが
 レームの母親は
 息子が同性愛者であると認めなかったため
 受け取りを拒否した
  ↓↑
 「ロシア的なプーチン侵略戦争の現代」
  ↓↑
 「ゴカイ」された「ワーグナー
 ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー
 (Wilhelm   Richard   Wagner)
 美意留拝流夢 利者弄人  和蛙具名雅・・・?
 1813年5月22日
 ~
 1883年2月13日
      大運1878年9月(65歳)庚戌傷官
 癸酉(庚 辛)偏財・食神長生⇔癸未偏財
  三合辛局・食神
 丁巳(戊庚丙)偏印・印綬帝旺⇔甲寅正官
 己未(丁乙己)  ・比肩冠帯⇔戊子劫財
 乙丑(癸辛己)偏官・比肩 墓⇔癸丑偏財
  子丑空亡
 ↓↑
 ドイツの作曲家・指揮者・思想家
 名 ワグナァ
   ヴァグナァ
 ↓↑
 ワグネル⇔SS(ナチス親衛隊)
 プリゴジンヒムラー(ハインリヒ・ルイトポルトヒムラー
 ワグネル=ワーグナー
 ↓↑
 逆卍=親衛隊(SS)
 国家社会主義ドイツ労働者党
 国民社会主義ドイツ労働者党・・・「国民社会主義
 (Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei
   De-Nationalsozialistische
   Deutsche Arbeiterpartei.ogg
  略称 NSDAP=NAZIS=ナチス
 「ナチ(Nazi=ナーツィ)=Nationalsozialist」
 党名の略称
 「NSDAP(エンエスデーアーペー)=NS(エンエス)」
 「Partei(パルタイ)=党同志
          =Parteigenosse(パルタイゲノッセ)
          =PG(ペーゲー)略」
           「同志=Kamerad(カメラート)」
 ↓↑
 中国語
 「民族社會主義德意志工人黨」
 「國家社會主義德意志工人黨」
 「國家社會主義德國工人黨」
 略称は「納粹黨」
 「Nazi」=「南尖」・・・「尖閣列島」・「尖兵」?
          「尖がり帽子の時計台」?
 当時駐在ドイツ武官を務めていた
 国民革命軍少将の
 「酆悌」が
 「納粹」と訳した
 「納粹」=「Nazi」([ˈnaːtsi])という音を表すとともに
     「精粋を納める」という意味で
     肯定的な意味を持つ
     「納粹」という単語は「Nazi」の訳語
 ↓↑
 ヒトラーは党名について
 「民族(国民)的= national」とは
 「民族(国民)全体に対する
  無限のあらゆるものを包む愛情
  必要とあればそのために命をも投げ出すこと」
 「社会主義的 =sozialistische」 とは
 「民族同胞のための労働という倫理的義務」
 「労働者= Arbeiter」とは
 「体を使って働かない人」に対して
 「体を使って働く人」
 「労働を軽視するユダヤ人に対して
  労働を恥じないゲルマン人
 を意味すると説明・・・
 ↓↑
 2023年6月23日~2023年6月25日
 ロシア軍のヘリコプター、軍用機の撃墜
 プリゴジン、モスクワ進撃
 ↓↑
 プーチンパイロットの死亡が出たことを認め
 ワグネルを国家の反乱であると
 TVで激怒の演説
 ↓↑
 出典
 フリー百科事典
 『ウィキペディアWikipedia)』
 ↓↑
 ワグネル・グループ
 (ロシア語 グルッパ・ヴァグネラ)
 ロシアのサンクトペテルブルクに本部を置く
 準軍事組織
 民間軍事会社(PMC)
 傭兵ネットワーク
 「ウラジーミル・プーチンの私兵」
 ロシア系PMCの先駆け
 創設者
 エフゲニー・プリゴジン
 ↓↑
 ロシア政府は長年存在を否定していた
 シリア内戦
 アフリカにおける複数の内戦
 ウクライナ侵攻
 等において
 プーチン、ロシアの
 権益拡大のために活動
 プーチン
 2023年6月
 ロシア政府がその支援者であったことを認めた
 2023年6月23日
 プリゴジン
 ロシア連邦内において
 武装蜂起を宣言(ワグネルの反乱)
 ロシア連邦軍との戦闘を避けるため
 引き揚げにロシア軍と合意
 プリゴジン
 「(ロシア国防省などの)
  陰謀と思慮不足の決定により
  7月1日に消滅しなければならなくなった」
 と述べた
 ↓↑
 ロシアでは
 民間軍事会社の設立が禁じられている
 だが「法の枠を越えて活動」
 さまざまな要素が
 ネオナチや極右の過激派と強く結びついている・・・
 ↓↑
 ワグネル・グループ
 ウクライナ
 「ドンバス戦争」で
 2014年~2015年
 ドネツク
 および
 ルガンスク人民共和国
 の分離主義勢力を支援
 ↓↑
 ワグネル・グループ の請負業者は
 シリア内戦
 リビア内戦
 中央アフリカ共和国内戦
 マリ内戦
 などの世界中の紛争に参加
 ワグネルの工作員
 派遣先で数多くの戦争犯罪を行っている
 市民に対する
 レイプや強盗
 契約違反を犯して脱走した兵に対する拷問など
 ↓↑
 ワグネル
 プーチン・ロシアの利益のために活動
 ロシア国防省(MoD)から
 軍事装備を受け取り
 訓練のために
 MoDの施設を使用
 ロシアの軍事情報機関
 GRUの事実上の部隊と見なされている
 特定の紛争において
 ロシア政府が
 「もっともらしい否認」
 を行うことを可能にし
 ロシアの海外介入による
 犠牲者の数や
 財政的コストを
 国民から隠すために利用されている・・・
 ↓↑
 2022年2月24日午前5時頃(ウクライナ時間)
 「プーチン
 はウクライナ東部で
 「特別軍事作戦」を開始すると発表
  国際連合
  第11回緊急特別総会
 「Russian Federation’s Invasion of Ukraine」
 「Aggression against Ukraine」
 「Russian aggression against Ukraine」
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 ロシアのウクライナ侵略
 活動の中で
 ウクライナの指導者を
 暗殺するために配置され
 前線の戦闘のために
 囚人や受刑者を広く徴用・・・
 2022年12月
 米国防総省
 ジョン・カービーは
 ワグネル・グループは
 ウクライナ
 1万人の契約者
 4万人の受刑者を含む
 5万人の戦闘員を擁していると主張
 他の人々は
 徴用した囚人の数を2万人以上
 ウクライナに存在する
 PMCの全体数は
 2万人と推定・・・
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 プーチン
 と密接な関係を持つ
 プリゴジン
 が所有または資金提供していると認識されてきた
 プリゴジン
 ワグネル・グループとの関係を長年否定
 2022年9月
 準軍事グループを「創設」したことを認めた
 2023年6月
 プーチン自身も
 ロシア政府から
 ワグネル
 プリゴジン
 の関連企業に
 資金提供を行ってきたとする演説を行った
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 2023年6月26日
 プリゴジン
 SNSへの投稿で
 「(ロシア国防省などの)
  陰謀と思慮不足の決定により
 7月1日に消滅しなければならなくなった」
 と述べた
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 2014年
 ワグネル・グループは
 ウクライナに初めて登場
 クリミア併合に参加
 2014年
 ウクライナ
 ルハンスク地方で
 ロシアが支援する分離主義者とともに戦闘
 第一次、第二次チェチェン紛争
 の兵役経験者
 ドミトリー・ヴァレリエヴィチ・ウトキン
 がこのグループを設立した・・・
 ウトキンは
 2008年~2013年
 ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)
 特殊部隊
 第2独立旅団
 第700独立スペツナズ分遣隊の
 中佐兼旅団長を務めていた
 退役後
 2013年から
 ロシア軍の退役軍人たちが設立した民間企業
 「モラン・セキュリティ・グループ」
 で働き始め
 世界中で警備や訓練任務に携わり
 海賊に対する警備を専門に行っていた
 モラン・セキュリティ・グループの
 上級管理職は
 内戦下のシリアで
 「油田やパイプラインを守る」
 ために請負人を
 ヘッドハンティングする香港の
 スラヴ軍団の立ち上げに関与
 ウトキンは
 スラヴ軍団のメンバーとして
 シリアに派遣され生還
 後
 ロシア連邦保安庁
 スラヴ軍団の一部の隊員を
 違法な傭兵行為で逮捕
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 2021年
 フォーリン・ポリシーの報告書
 「ワグネル」の名前の由来
 グループの名前は
 ウトキン自身のコールサイン
 「ワグナー」
 に由来・・・説
 ドイツの作曲家
 リヒャルト・ワーグナー
 にちなんで
 ウトキンが
 ナチス・ドイツへの情熱から選んだとされる
 (ワグナーは
  アドルフ・ヒトラーのお気に入りの作曲家)
 彼を「ネオナチ」と考える人もおり
 エコノミスト誌は
 ウトキンが
 ナチスのタトゥーをいくつも入れていると報じている
 ワグネル・グループのメンバーは
 ウトキンが
 スラブ土着の信仰者である
 ロドノヴェリエであると言っている
 Radio Libertyは
 内部関係者の話を引用し
 ワグネル・グループの指導者は
 現代異教徒の新宗教運動である
 スラヴ・ネイティヴ・フェイス
 の信者であると述べている
 2017年8月
 トルコの新聞Yeni Şafakは
 ウトキンは
 同社の図式的な存在で
 ワグネル社の本当のトップは
 別の人物である可能性があると推測
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 ワグネル
 白人至上主義
 ネオナチの極右過激派と結びつき
 ワグネルの公然たる
 極右・ネオナチの
 ルシッチ部隊や
 ワグネルのメンバーが
 戦場にネオナチの落書きを残している
 国連大学政策研究センターの上級政策顧問
 エリカ・ガストンは
 ワグネル・グループは
 イデオロギーに基づくものではなく
 「ロシアの治安国家と結びついた」
 傭兵のネットワークであると指摘
 ロシアはこのつながりを否定しており
 公式にはこのグループは存在しないとされていた
 2023年6月
 プーチンが軍当局者への演説において
 2022年5月~23年5月
 860億ルーブル(約1450億円)余りの資金を
 政府から提供していると述べ
 ワグネルの資金源が
 ロシア政府であったと認めた
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 2013年
 ウクライナ紛争で
 「ロシア軍がウクライナ領内で
  活動していない状況を作るため」
 投入され
 シリア内戦において
 ロシア連邦軍が直接介入する前に要員を派遣
 海外での活動において
 GRU
 より支援・調整を受けている・・・
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 2018年以降
 ワグネル社は
 反政府ゲリラとの紛争の
 中央アフリカ共和国で活動
 業務内容は政府軍の訓練と支援
 2016年10月
 に撤退した
 フランス軍の役割を埋めるものであった
 ワグネル社は
 軍事支援だけでなく
 複数の
 子会社(ダイヤモンド取引をするディアムヴィル社など)
 を通して
 鉱山採掘
 伐採
 輸送船の警備
 税関の提供
 ウォッカやビールを生産するなど
 中央アフリカのインフラ事業に介入
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 2020年以降
 ワグネル社が
 軍事クーデターと
 イスラム勢力の攻勢に揺れる
 マリ共和国で活動
 マリ政府とロシア政府は否定しているが
 アメリカアフリカ軍(AFRICOM)の司令官は
 インタビューで
 「ワグネルはロシア軍の支援を受けている
  ロシア空軍機が彼らを現地へ移送している」
 とロシア政府が関与していると示唆
 フランスの外相は
 ワグネルの傭兵が
 イスラム過激派との闘いを口実に
 マリ暫定政権を支援していると非難
 「ロシア機で移送されてくる傭兵について
  ロシア当局が知らないとしたら驚くべきことだ」
 と言及
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 2022年
 ロシアのウクライナ侵攻
 ウォロディミル・ゼレンスキー大統領
 をはじめとする
 ウクライナ指導者の暗殺作戦(斬首作戦)
 に投入された・・・
 全体では
 8,000人が投入
 イギリスの調査報道機関
 ベリングキャットは
 作戦失敗により
 3,000人が戦死したと報じた
 3月の時点では
 内戦が続くシリアなどで
 戦闘経験が豊富な人材の募集
 7月には
 キルギスなど
 旧ソビエト連邦構成国などで
 警備員の求人を装い
 月給24万ルーブルの条件で
 戦闘員を募集している・・・
 ロシア国内の刑務所で
 囚人を戦闘員として募集・・・
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 セルビア
 や
 ノルウェー
 などヨーロッパの極右が少数参加
 セルビア
 アレクサンダル・ブチッチ大統領は
 ワグネルが
 国民を勧誘して
 武力紛争に参加させることを
 「違法行為」として抗議
 8月の時点
 ワグネル社は
 ルハーンシク州
 セヴェロドネツィク地区
 ポパスナに拠点を設置
 ウクライナ
 8月16日までにこの拠点を攻撃して破壊した
 一時は
 プリゴジンが死亡した可能性も報じられたが
 プリゴジンはその後声明を発表し生存確認
 12月
 ワグネル社が
 北朝鮮から
 歩兵用のロケットやミサイルを購入した・・・
 2023年4月
 創設者
 エフゲニー・プリゴジン
 東部ドネツィク州バフムートの戦いで
 今後は捕虜を取らずに
 ウクライナ兵は
 全員殺すという方針を発表
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 2023年6月
 任務完了としてバフムートから撤退
 ロシア国防省
 ワグネルの退避ルートに
 数百個の地雷を仕掛けていたと国防省を非難
 6月23日
 ワグネル創設者の
 エフゲニー・プリゴジン
 SNSに投稿した動画で
 以前より批判していた
 セルゲイ・ショイグ国防相
 ワレリー・ゲラシモフ軍参謀総長
 を念頭に
 「軍幹部の悪事を止めなければならない
  抵抗する者はすぐに壊滅させる」
 と述べ、武装蜂起を宣言
 ロシア国防省
 「情報による挑発だ」
 と反発
 ロシア連邦保安局(FSB)は
 武装反乱の扇動に該当するとし
 捜査を始めた
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 ウクライナ紛争(ドンバス戦争)における親ロシア派への支援
 シリア内戦におけるバッシャール・アサド政権への支援
 スーダンにおけるオマル・アル=バシール政権への支援[75]
 2014年
 リビア内戦における
 ハリファ・ハフタル率いる
 リビア国民軍(LNA)への支援
 (傭兵に加え戦闘機を投入した)
 中央アフリカ共和国の内戦における政府支援
 ベネズエラにおける
 ニコラス・マドゥロ政権への支援
 2020年ベラルーシ大統領選挙への介入疑惑
 2022年ロシアのウクライナ侵攻での
 ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の暗殺未遂
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 参考、参照の原文
 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
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 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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 干支歴
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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 古事記と虎関師錬

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鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・