ないえごろうブログ

同音異義の探索

「核武装国連軍」・・・

文字霊日記・3364日目

 「鎮兵」・・・陳兵・塵閉・・・「核武装国連軍」?
 鎮兵
 「鎮兵」・・・陳兵・沈兵・塵閉・・・
 「核武装国連軍」・・・核兵器の国連管理と使用権の独占
 「沈黙の艦隊」・・・・国連軍保有
            原子力潜水艦
            搭載核ミサイル

 ↓↑
 鎭=金+眞
   金+匕+目+ハ
 鎮=金+真
   金+十+具
   金+十+目+一+ハ
   チン
   テン
   しずまる
   しずめる
   おさえ
   しっかりとおさえる・おさえつける
   やすめる・しずめおさえる・やすらかにする
   おさえ・おもし
   上からおさえるためにおく重みのあるもの
   おさえ・重要なもの・中心的なもの
   まち・大きなまち
   つねに・ずっと・いつまでも
   うずめる・ふさぐ=填
 ↓↑
 鎮める
 騒動をおさめる
 内乱を鎮静
 勢いを弱める
 神を鎮座させる
 痛みなどを和らげる
 鎮痛
 対義語⇔煽(あお)る=煽動(センドウ)
 ↓↑
 鎮(しず)まる
 鎮(しず)める
 地鎮祭
 風鎮祭=油万燈祭
     二百十日の前に風の鎮めを願い
     五穀豊穣・家内安全を祈念
     日暮れとともに
     油と灯芯が入った小皿に火が灯される
 鎮花祭(チンカサイ・はなしずめのまつり)
 重鎮(ジュウチン)
 鎮火
 鎮咳剤(チンガイザイ)
 鎮魂(チンコン・たましずめ)
 鎮護・・・護国鎮護
      大護国寺・・・聖徳太子建立の寺
      四天王寺
   ・・・四天王
      東方持国天
      南方増長天
      西方広目天
      北方多聞天
 鎮座
 鎮守
 鎮静
 取り静める・取鎮(とりしず)める
 文鎮(ブンチン)
 鎮め
 鎮魂(たましずめ)
 鎮圧
 鎮台
 鎮痛(チンツウ)
 鎮定
 鎮撫(チンブ)
 日鎮(ひしず)め・・・
 ↓↑
 兵=丘+ハ
 ヘイ
 ヒョウ
 いくさ
 つわもの
 いくさ・戦い・戦争
 つわもの・軍人・軍隊・兵士
 武器・武器で戦う者・兵器
 ↓↑
 㑟=イ+丘+ハ
   ホウ・ヒョウ
   いつわる・あざむく=欺く
 浜=氵+丘+ハ
 宾=宀+丘+ハ
  =賓・賓・賔
   ヒン
   したがう
   服従する・つき従う・従える
   まろうど・客人・身分の高い客・大切な客
   客としてもてなす・客としてあつかう
   しりぞける・おしのける・すてる
   連ねる・連なる・順序立てて並べる
 捠=扌+丘+ハ
 娦=女+丘+ハ
  =嬪・嫔
   ヒン
   そう
   ひめ
   よめ
   妻
   貴人の側室
   女性の美称
   そう・つれそう・嫁にいく・夫に仕える
 㙃=土+丘+ハ
 梹=木+丘+ハ
 傧=イ+宀+丘+ハ
 缤=糸+宀+丘+ハ
 滨=氵+宀+丘+ハ
 摈=扌+宀+丘+ハ
 嫔=女+宀+丘+ハ
 㺍=犭+宀+丘+ハ
 =獱=かわうそ
 瑸=王+宀+丘+ハ
 槟=木+宀+丘+ハ
 殡=歹+宀+丘+ハ
   一+夕+宀+兵
   一+夕+宀+丘+八
  =殯
   ヒン
   かりもがり
   かりもがりする
   死者をおさめた棺を埋葬するまで安置
 膑=月+宀+丘+ハ
   ヒン・ひざのさら・膝蓋骨(シツガイコツ)
   あしきり・足を切断する刑罰
   膝蓋骨を取り去る刑罰
 镔=金+宾
   金+宀+丘+ハ
   ヒン
   精錬された上質の鉄
  良い刃物をつくるのに用いられる
 鋲=金+丘+ハ
   ビョウ
   びょう・頭の大きい留め具・くぎの一種
   画鋲
   国字
 鬂=髟+丘+ハ
   髟=镸+彡
 鬓=髟+宀+丘+ハ
   ヒン・ビン
   びん・びんずら・耳のそばの髪
  =鬢・髩・鬂
 髌=骨+宀+丘+ハ
   ヒン・ひざのさら。膝蓋骨(シツガイコツ)
   あしきり・足を切断する刑罰
   膝蓋骨を取り去る刑罰
 丘=斤+一
 乒=丘+丿
 乓=丘+丶
 岳=丘+山
 邱=丘+阝
 坵=土+丘
 茊=艹+丘
 岴=山+丘
 拞=扌+丘
 㚱=女+丘
 㳋=氵+丘
 屔=丘+尼
 䂡=石+丘
 蚯=虫+丘
 虗=虍+丘
 䟬=足+丘
 駈=馬+丘

 金兵=かなひょう・かねひょう・きんびょう・きんぴょう
 戸兵=とひょう・とべ
 根兵=ねひょう・ねへい
 一兵卒
 衛兵
 閲兵
 援兵
 海兵
 皆兵・・・国民皆兵
 化学兵器
 核兵器
 角兵衛獅子
 寡兵(カヘイ)
 戈兵(カヘイ)
 観兵(カンペイ)
 観兵式
 騎兵
 強兵
 挙兵
 義兵
 軍兵(グンピョウ)
 軽騎兵
 工兵
 小兵
 私兵

 戢兵(シュウヘイ)= 戦争を止めること・兵器をしまう
 戢=咠+戈
   口+耳+戈
   シュウ
   おさめる・しまう・しまいこむ
   兵器を集める・兵器をまとめてしまい込む
   ・・・武装解除・・・武装準備・・・?
   咠=シュウ・ユウ
     ささやく・耳もとでささやく(囁く)
     楫(かじ)
      「楫取 美和子(かとり みわこ)」
     楫取素彦と再婚
     旧姓名は「杉 文(すぎ ふみ)」
     楫取素彦=小田村伊之助
     通称 久米次郎・内蔵次郎
     小田村家の養嗣
     後に文助・素太郎
     慶応三年(1867年)九月
     楫取素彦と改名
     諱 希哲(ひさよし)
     字 士毅
     号 耕堂彜堂・晩稼・棋山・不如帰耕堂
     吉田松陰の次妹の寿と結婚、死別
     明治十六年(1883年)
     久坂玄瑞の未亡人
     吉田松陰の末妹の
     美和子(文)と再婚
 出兵
 手兵
 将兵
 傷兵
 新兵
 心兵(シンペイ)=そのものに応じて変わる心の働き
          特に色欲を指していう
          受け入れたり、逆らったりする様子を
          敵に対応する様子にたとえた言葉
 戎兵(ジュウヘイ)=戦争のための衣服と器具
           軍服と兵器
          戦士・兵士

 按甲休兵(アンコウキュウヘイ)
 按甲寝兵(アンコウシンペイ)
 按兵不動(アンペイフドウ)
 佳兵不祥(カヘイフショウ)
 緩兵之計(カンヘイのケイ)
 棄甲曳兵(キコウエイヘイ)
 窮兵黷武(きキュウヘイトクブ)
 胸中甲兵(キョウチュウのコウヘイ)
 驕兵必敗(キョウヘイヒッパイ)
 堅甲利兵(ケンコウリヘイ)
 紙上談兵(シジョウダンペイ)
 草木皆兵(ソウモクカイヘイ)
 短兵急接(タンペイキュウセツ)
 大兵肥満(ダヒョウヒマン)
 富国強兵(フコクキョウヘイ)
 兵戈槍攘(ヘイカソウジョウ)
 兵強馬壮(ヘイキョウバソウ)
 兵荒馬乱(ヘイコウバラン)
 兵車之会(ヘイシャのカイ)
 兵隊勘定(ヘイタイカンジョウ)
 兵者凶器(ヘイはキョウキ)
 兵馬倥偬(ヘイバコウソウ)

 寇(あだ)に兵を藉(か)し、盗に糧を齎(もたら)す
 寇に兵を藉し、盗に糧を齎(もたら)す
 権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる
 知らぬ顔の半兵衛
 短兵急(タンキュウペイ)
 長崎ばってん、江戸べらぼう、
 神戸兵庫のなんぞいや、ついでに丹波のいも訛
 名無しの権兵衛
 生兵法(なまびょうほう)は大疵(おおきず)の基
 生兵法は大怪我の基
 敗軍の将は兵を語らず
 兵強ければ則ち滅ぶ
 兵は詭道(キドウ)
 兵は神速を貴ぶ
 兵を挙げる
 老兵は死なず、消え去るのみ(マッカーサー元帥)
ーー↓↑ーー
 日本初の発見!木簡に
 「鎮兵(ちんぺい)」
 の文字…歴史紐解く貴重な資料に 福島
 c テレビユー福島
 8月、福島市の遺跡で、1000年以上前の木の板「木簡」が見つかり
 この木簡には「鎮兵」という文字が記されていた
 ↓↑
 福島市は23日
 奈良末期~平安初期の集落跡
 西久保遺跡で出土した
 「鎮兵(ちんぺい)」
 に関する木簡を現地で一般公開した。
 鎮兵は
 蝦夷(えみし)の反乱を鎮定するため
 関東周辺から東北地方に派遣された兵を指す。
 鎮兵の文字が完全な形で出土したのは全国初
 木簡は
 長さ29.6センチ、
 幅2.5センチ、
 厚さ1.1センチ。
 18文字が確認され、
 うち
 12文字が判明した。
 「出羽国下野国司 鎮兵○○○之状○○○」(○は判読不能
 と記され、
 8世紀末~9世紀初頭に
 出羽国山形県秋田県)から
 下野国(栃木県)の国司に宛てた書簡
 残る6文字も解析中・・・
ーー↓↑ーー
 鎮守府(ちんじゅふ)
 陸奥国に置かれた古代日本における軍政を司る役所
 天平元年(729年)
 鎮守府長官の初出記録
 奈良時代前半
 鎮守府相当の機関が
 東国のいずれかの地に設置された・・・
 鎮守府将軍
 職位は五位から四位相当
 ↓↑
 鎮守府の前身
 『続日本紀
 「鎮所」
 陸奥国府があった
 る多賀城付近に併設
 延暦二十一年(802年
 坂上田村麻呂
 胆沢城を築城
 鎮守府
 胆沢城に移転・・・
 ↓↑
 鎮兵
 鎮守府には鎮兵と呼ばれる固有の兵力が配備
 陸奥国
 出羽国
 の軍団の兵士と共に
 城柵の警備を担当
 蝦夷と対置する
 陸奥国には
 軍団(最大で7個)が設置
 他の多くの国で軍団が廃止された後も
 増強が続けられた
 軍団兵士は各国内の農民より動員するために負担が大きすぎ
 不足することから別個の兵で補完が必要であった・・・
 軍団兵士
 6番程度に分けて交代で勤務
 鎮兵は東国の軍団兵士からの出向で
 防人と出自を同じくしていたが
 東国の負担が大きすぎることなどから
 地元の
 陸奥国
 出羽国
 より鎮兵を集めることになり
 軍団兵士との差が曖昧になっていく
 ↓↑
 鎮兵の記録
 天平九年(737年)
 以前の記録にも
 「鎮守軍卒」
 「鎮兵人」
 という似たような記述があり
 鎮兵制の発足は
 神亀元年(724年)頃・・・
 陸奥国
 出羽国
 の軍団兵士の兵力の増減と密接な相関関係で増減を繰り返し
 弘仁元年(810年)
 3800名を数えた
 その後は次第に削減され
 弘仁六年(815年)
 全廃
 ↓↑
 多賀城時代
 鎮守府相当機関
 多賀城に設置・・・
 ↓↑
 天平宝字三年(759年)
 将軍以下の俸料と
 付人の給付が
 陸奥国司と同じと決定
 鎮守府将軍はほぼ4年ごとに任命
 将軍は
 按察使
 陸奥
 を兼任するのが通例で
 中には3官を兼任する場合もあった
 ↓↑
 征夷
 征夷大使(将軍)
 征東大使(将軍)
 が任命され、征討軍が編成
 鎮守府
 通常の守備と
 城柵の造営・維持など
 陸奥国内の軍政を主な任務としていた・・・
 ↓↑
 胆沢城時代
 延暦二十一年(802年
 坂上田村麻呂によって
 胆沢城が造営
 多賀城から鎮守府が移転
 弘仁三年(812年)
 鎮守府の定員が
 将軍1名
 軍監1名
 軍曹2名
 医師・弩師(どし)各1名と定められた
 ↓↑
 承和元年(834年)
 元は
 陸奥国印を使っていたのが
 新たに
 鎮守府印を賜った
 移転後の鎮守府
 多賀城にある
 陸奥国府と併存した形で
 第2国府のような役割を担い
 胆沢の地(岩手県南部一帯)を治めていた
 ↓↑
 鎮守府
 平常時での統治であり
 非常時の征討ではない
 平安時代中期以後
 鎮守府本来の役割は失われ
 鎮守府将軍の位のみが
 武門の誉れとして授けられた
 ↓↑
ーーーーー

(ユカリとオジさんの世迷い言・2)

古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)

エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
  ↓↑   ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
  +
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・

 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
 ↓↑
 干支歴
 ↓↑
 追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
 ↓↑
 メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?

 ↓↑
 モウ君の総合目次
 ↓↑
コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
 ↓↑
 古事記と虎関師錬

 ↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・
オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポルカ」 (haa98940.wixsite.com)