文字霊日記・3303日目
「言部文の変」・・・人名、地名の変・・・玄武門のヘン
千葉県
木更津市
ーー地震ーー
2023年5月11日6時木曜日
2023 年 干支40 癸卯(甲・ ・乙)年
05 月 干支54 丁巳(戊・庚・丙)月
11 日 干支06 己巳(戊・庚・丙)日
旧3/22(虚宿)己巳/命|害・赤口
4時16分 干支06 丙寅(己・丙・甲)時
7時00分 干支08 戊辰(乙・癸・戊)時
↓↑
六害(月時)巳寅
六害(日時)巳寅
↓↑
人名、地名の意味の変・・・?
年号漢字の意味の示唆・・・?
年月日の数字の変・・・?
カンジがヘン・・・?
本当に変であるカナ・・・?
↓↑
名前(なまえ
(希: όνομα
羅: nomen
英: name)
物や人物に与えられた言葉
対象を呼んだりする際に使われる
名称、名
「名付ける・命名(メイメイ)する」
名前=名詞
名前=人名
家族を表す姓(名字・苗字)
個人を識別する名
姓を指して「名前」と呼ぶこともある・・・
名前の「前」=「名」の敬称・・・
「ナンのマエ」なんだか?・・・
「おマエさま」?・・・
「オンまえさま」
「おメエさま」
「おメイさま」
「あなた様」
様子(ヨウス)=木+羊+氺+子=容貌・顔貌・姿態
十+八+羊+氺+了+一
↓↑
様=木+⺷+氺・・・キサマ?・木羊水
木+䒑+土+氺
木+䒑+十+一+氺
木+丷+三+丨+氺
十+八+丷+三+丨+氺
ヨウ
さま・すがたかたち・ありさま
かた・のり・手本
質や個数、種類などの数詞
名前などの下につけて敬意を表す
↓↑
羊水=羊膜上皮から分泌され
羊膜腔を満たす液体
爬虫類、鳥類、哺乳類などの
有羊膜類の胚、胎児は
羊水に浮かんで発育
尿膜水と一括して
胎水とも呼ばれる
↓↑
樣=「木+羕」=様
木+⺷+永
木+䒑+土+永
木+䒑+十+一+永
木+䒑+土+一+永
十+八+丷+三+丨+永
↓↑
「名前」の語は近世頃から使用
明治以降広く使用・・・明治以後
↓↑
姓・氏・苗字・名字
字・字名
忌名=諱(いみな)・諡(おくりな)
号(ゴウ)・雅号
戒名
揮毫(キゴウ)
↓↑
「仁義をキル」って、ナニ?・・・自己紹介?
↓↑
「仁義を切る」
任侠、テキヤ、香具師、博徒、渡世人
などが初対面の際に交わす挨拶の形式を表現する言葉
「仁義」=元の意義としては
人間の行動規範の根本として
孔子の説く博愛の
「仁」+「義」=最高の徳として
孟子が説いたもの
江戸時代
博徒は必ず仁義を切るものでもなく
鉱山労働者の
人足部屋(飯場、寄宿舎)では
仁義を切って
銭をもらった・・・?
「一宿一飯の恩(オン)」をもらった・・・?
↓↑
「手前、生国と発しますは
・・・・、・・・・のクニ
・・・にゴザんす」
「稼業上、親と発しますは
・・・・一家、・・・・にゴざんす
手前、姓名の儀、発します
姓は・・・丹下(たんげ)
名は・・・左膳(さぜん)
人呼んで、「・・・・」と発します
お見掛け通り、あちこちの、お兄いさん、お姐さんに
迷惑掛けがちな
「・・・・」にゴござんす
以後面体お見知りおきのうえ
嚮後万端=キョウゴバンタン・コウゴバンタン
=向後万端・・・今後も万端よろしく
よろしくお引き回しのほど
おたの申します」
↓↑
「・・・・さん方、お控えなすって、お控えなすって
手前、生まれは「遠州」、「森の村」でござんす
姓は・・・・「森」
名は・・・・「石松」
人呼んで
「イシ」と発するケチな渡世人でござんす
今宵
一宿一飯の恩義にあずからしていただきますおり
隅から隅まで
ズズいと
お見知りおきいただくよう存じやす」
ー↓↑ーーー
やくざ、渡世人、博打打・・・
一宿一飯のオンギの出入りと云えば
「橘 真一」の・・・「あばしり番外地」?
「ア・パ・シリ(我らが見つけた土地)」
「網走
網=糸+罔
走=十+一+ト+人」
「アパ・シリ(入り口の地)」
「チバ・シリ(幣場のある島)」
幣場=神様を祀る祭祀所
幣(ぬさ・みてぐら・ヘイ)
幣=敝+巾
㡀+攵+巾
丷+巾+八+攵+巾
↓↑
春に春に追われし花も散る
カフェひけカフェひけ
カフェ愚(ぐ)れて
どうせ俺らが来た場所は
その名も雪の原野かな
↓↑
キラリキラリ光った流れ星
燻(くす)むこの身は北の果て
姓は誰々
名は誰々
その名も名のらぬカムイかな
↓↑
遙か遙か彼方にゃピンネシリ
沈む真っ紅なオヒさまが
川にキラメキ、目にイタイ
その名もカムイのピンネシリ
↓↑
オワレ追われたワケじゃぁなし
この身をババぁの故里で
泣いてくれた可愛いい娘(こ)
かけてやりたや優(やさ)言葉
すでにアンタは石が重なる乭(いわ・石の乙女・ドル)の下
↓↑
魏=委+鬼・・・委は鬼・・・
「鬼に
委(禾の女)任された
奴(女の又)」・・・オンナの分れ目?
禾+女+鬼
(カ ジョ キ)・・・加序(叙・汝・如・助・埜)記?
夫余(ふよ・Fuyu・夫餘)
扶余(扶餘)
ギ 扶余 豊璋(ふよ ほうしょう・扶余豐璋)
たかい・高く大きい・高大
↓↑
「魏+α」
蘶=艹+魏
艹+委+鬼
艹+禾+女+鬼
ギ
草木を切った後に
新しく芽が出る=新芽
↓↑
巍=山+魏
=ギ・たかい・山が高大にそびえるさま
↓↑
犩=魏+牛
委+鬼+牛
禾+女+鬼+牛
ギ・巨大な野牛
↓↑
䭳=魏+香
ギ
薬の名
「䭳星(ショウセイ)」=古代中国で「大きな幸運をもたらす星」
江戸時代のカメラ職人
「鈴木春市郎」
は初めて作製された
日本製カメラに
「䭳星号」と名付けた・・・
↓↑
房魏(ボウギ)・・・謀議・防蟻=白蟻から家の被害を予防する
薬剤を散布すること
房=一の尸の亠の勹
ふさ=夫差・・・乳房・厨房・監房・官房
魏=禾の女の
甶(フツ・鬼や亡霊の頭)の
儿の
ム(yこしま)
↓↑
唐代の
房 玄齢・・・ボウゲンレイ=妄言(暴言・防眩)?
宣政元年(578年)~貞観二十二年七月二十四日
(648年 8月18日)
字 喬(たかし・キョウ・ギョウ)
山東人
斉州 臨済県の人
本貫 東清河郡
繹幕県
左僕射
↓↑
唐の太宗(李世民)・・・諡号 文皇帝
文武聖皇帝
文武大聖皇帝
文武大聖大広孝皇帝
父 高祖 李淵
母 太穆皇后竇氏
穆=禾+㣎
禾+白+小+彡
㣎=ボク・モク
ビュウ・ミュ
細文・詳細に書く人
后 長孫皇后
に仕え唐朝創立
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杜如晦(トジョカイ)
・・・開皇五年(585年) ~貞観四年三月十九日(630年5月6日)
字 克明
諡 成
追贈 司空・萊国公
本貫 京兆郡杜陵県
父 隋の昌州長史の杜吒
叔父 杜淹
弟 杜楚客
らとともに宰相
「貞観の治」を実行
『貞観政要』=唐代に呉兢 が編纂した太宗の言行
「貞観」は太宗の在位の年
「政要」は「政治の要諦
全10巻40篇
中宗の代に上呈したもの
玄宗の代にそれを改編したものと
2種類があり
第4巻の内容が異なる・・・
↓↑
魏 徴・・・・・ギチョウ=技調・議長・儀長
諫議大夫・・・太宗に直諫(じかに諫言)
左光禄大夫・秘書監・侍中を歴任
鄭国公
大象二年(580年)~貞観十七年一月十七日
(643年2月11日))
字 玄成
諱 文貞公
太宗の命で編纂した『隋書』の序論
『梁書』・『陳書』・『北斉書』の総論
その言論は『貞観政要』に多く収められ
「人生意気に感ず」
「中原に鹿を逐う」
の句で有名な
「述懐」という詩を詠んだ
↓↑
「十思之疏(天子がわきまえるべき十か条の戒め)」
見可欲則思知足
欲すべきを見れば
則(すなわ)ち足るを知るを思う
欲しいものがあっても、
多くを望まないことを思う
↓↑
將興繕則思知止
將(まさ)に興繕(コウゼン)せんとすれば
則ち止まるを知るを思う
物事を行う時には、
度を越さないようにすることを思う
↓↑
處高危則思謙降
高危(コウキ)に處(お)れば
則ち謙降(ケンコウ)を思う
立場や地位が高くても、
控えめな態度をとることを思う
↓↑
臨滿盈則思挹損
滿盈(マンエイ)に臨めば
則ち挹損(ユウソン)を思う
十分満足な時には、
むしろ減らすようにすることを思う
遇逸樂則思撙節
逸樂(イツラク)に遇(あ)えば
則ち撙節(ソンセツ)を思う
楽しみを味わう時には、
程よく控えめにすることを思う
↓↑
在宴安則思後患
宴安(エンアン)に在(あ)れば
則ち後患(コウカン)を思う
遊び暮らしていると、
身を滅ぼしてしまうことを思う
↓↑
防壅蔽則思延納
壅蔽(ヨウヘイ)を防ぐには
則ち延納を思う
正確な情報を得るには、
周囲の意見をよく聞くことを思う
↓↑
疾讒邪則思正己
讒邪(ザンジャク)を疾(にく)むには
則ち己(おのれ)を正すを思う
悪口を憎むよりも、自分の言動を正しくすることを思う
↓↑
行爵賞則思因喜而僭
爵賞(シャクショウ)を行うには
則ち喜(キ)に因(よ)りて僭(セン)するを思う
優れた功績をあげても必要以上に褒めないことを思う
↓↑
施刑罰則思因怒而濫
刑罰を施すには則ち
怒(ド)に因りて濫(ラン)するを思う
過ちを罰する時には、
感情的にとがめないことを思う
↓↑
本貫 鉅鹿郡下曲陽県
曾祖父の魏釗は北魏に仕え
祖父 の魏彦は北斉・北周に仕え
父 の魏長賢は隋に仕えた
子 魏叔玉
魏叔瑜・魏叔琬・魏叔璘
娘 霍王李元軌の妻
↓↑
太宗の側近
房玄齢・杜如晦・魏徴・王珪・・・
王珪=571年~639年
字 叔玠
烏丸王氏・唐朝宰相
↓↑
李建成・・・唐初代皇帝高祖李淵の長男・皇太子
玄武門の変で
弟の李元吉とともに
次弟の
李世民に殺された
の側近で
李建成が陰謀を企てて混乱を引き起こし
王珪(貴)は義州に追放されたが
玄武門事件の後
王珪(貴)は
太宗に呼び戻された
正関二年(628年)
従者を務めた
↓↑
玄武門の変
626年7月2日(武徳九年六月四日)
唐の高祖
李淵の後継者争いを巡る暗殺事件
次男の秦王
李世民が
皇太子であった長男の
李建成
四男の斉王
李元吉
を
長安の玄武門周辺にて暗殺
李世民が
第2代皇帝として即位
↓↑
高祖李淵は長男の
李建成を立太子するが
隋討伐で戦功を挙げた
李世民の名声が高まり
李世民に
天策上将の称号を与え
東宮に匹敵する
博義宮を建築
李建成は皇太子の地位に不安を持ち
李世民の勢力を削減しようとし
李世民から礼遇されている謀臣
房玄齢
杜如晦
を讒言により排除
李建成の幕臣
魏徴や
弟の
李元吉が
李世民暗殺を建議・・・「王珪」もその一味だった
↓↑
李世民は、讒言によって遠ざけられていた
房玄齢と杜如晦を道士に変装させて自邸に呼び
李建成の部下で長安城の北門である
玄武門の守備隊長
「常何」
を買収し
変を起こした
警備兵に守られていた李建成であるが
宮殿内部は符籍を有した者しか
入ることが許されていなかったため
少数の供者を引き連れて中に入ると
李世民側に寝返っていた
「常何」らが一斉に切りかかった
李建成の幕臣
「馮立」
皇太子派の
「李元吉」の幕臣
「謝叔方」
が奮戦し
李世民の部下
敬君弘
呂世衡
の首代を上げ抵抗したが
李建成
李元吉
は殺害された
↓↑
李世民は、父の高祖
李淵から譲位を受け
第2代皇帝太宗として即位
↓↑
「呉兢」
の著した
『貞観政要』によれば
太宗は即位後
馮立
謝叔方
の2人を取り立て
李建成の幕臣
魏徴を召し出し
先の建議を譴責したが
魏徴は
これに対し堂々と持論を述べた態度に敬意を表し
諫議大夫に抜擢し
寝所への出入りを許し
政治方針の相談を行った
太宗は後継者争いを政争とせずに
宗家の問題として処理し
処罰したのは
李建成
李元吉
の一族のみとし
有能な人材を失うことなく
太宗の治世は大いに栄え
「貞観の治」
と呼ばれた
ーーーーー
・・・???
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
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ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
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モモちゃん
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モウ君の総合目次
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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古事記と虎関師錬