ないえごろうブログ

同音異義の探索

崇神天皇に訊いてみたい「コロナ・ヴィルス」の再度の蔓延・・・

 文字霊日記・3353日目

 「大物主」がナゼ「崇神天皇」に祟(たた)ったのか?
 ダレかがボクの日記を訪問してくれて
 読んでくれたらしい記事をボクも
 再度、再三、再四、読み返して
 ・・・2016年の過去記事の部分を少々改作して
 再度貼り付けてみた・・・
 ・・・毎日、コジキのカンジに拘ってきているけれど・・・
 「コロナ・ヴィルス」が再度、蔓延しそうな兆しだが・・・
https://www.youtube.com/watch?v=x3pcJF0iNZ4

www.youtube.com

 ↓↑
 「崇神天皇スジンテンノウ・第10代 天皇)」
 「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」
  『日本書紀
 ↓↑
 御間城入彦五十瓊殖天皇
 (みまきいりびこいにえのすめらみこと)『日本書紀
    ・・・彦=ゲン・ひこ=肥後(ヒゴ)?
      五十=いそ・ゴジュウ=五(丅+ユ)拾
      五=丅+ユ=㐅
      ゴ・いつ・いつつ
      いつたび
      ごかい・ごど
      いつつ=午前八時(辰の刻)
          午後八時(戌の刻)
 御間城天皇
 (みまきのすめらみこと)『日本書紀
 御間城尊
 (みまきのみこと) 『日本書紀
 御肇國天皇
 (はつくにしらすすめらみこと)『日本書紀
 御眞木入日子印恵命
 (みまきいりひこいにえのみこと)『古事記
 所知初國御眞木天皇
 (はつくにしらししみまきのすめらみこと)『古事記』 
 美萬貴天皇
 (みまきのすめらみこと)『常陸国風土記
 ↓↑
 「崇神天皇スジンテンノウ)」
 が、ナゼ、
 「大物主の祟り」
 を被ったのか?
 ・・・・「出雲の大国主(大己貴)」は
   「葦原中国=出雲」
   「国譲り」で派遣された
   「建御雷神(武甕槌神)」
        異名
        「建布都神(たけふつのかみ)」
        「豊布都神(とよふつのかみ)」
   「天鳥船神」・・・「経津主神
   に迫られ、息子の
   「事代主神」・・・百(もも)足らず
          八十隈(やそくまで)へ隠れた
   ともに自殺し・・・
   「大国主大己貴命・大穴持命)」
   もう一人の息子
   「建御名方神(たけみなかた)
     大国主大己貴神・大穴持命)
     と
     高志沼河姫の子」・・・高志=高句麗
   を
   科野国
   州羽の海まで追い詰めて殺そうとした
   「建御名方神(たけみなかた)」
   は
   「天津神の御子」・・・
     「天津川」は
     隋王朝二代
     「煬帝」の宮殿の橋の下を流れる川
     「煬帝=楊広(ヨウコウ)=英(エイ)
        =小字 阿𡡉(あま)」
   に
   「葦原中国(出雲)を譲ります」と
   「建御雷神(武甕槌神)」
   に降参した・・・
   最後まで抵抗したものは
   「倭文神(しとりがみ)」・・・「倭文=ワブン」
   である
   「建葉槌命」を遣わせて服従させた
   ↓↑
   「出雲王朝」は
   「天孫降臨族」・・・「天津族」?
   に滅ぼされた一族だった・・・
   生き残ったのは
   「諏訪」・・・諏=言+取(耳+又)
        訪=言+方(亠+勹)
           ・・・「亠=音の字略・蓋」
   に閉じこもった
   ↓↑
   「素戔嗚」
   の血統
   「大国主(出雲)」一族は
   「天孫降臨族=天津族」
   の「圀譲り強要」に恨みを抱いていた
   「天孫降臨族」=「大物主=海族」の祟り
   「崇神天皇」 =非「天孫降臨族」
   「崇神天皇」 =?
   「崇神天皇」 =「大物主=海族」の祟り
   「大物主=海族」の祟り=「天津族=隋」
   「崇神天皇」 =「天照大神」を宮中から排除
   なのか・・・?
   「大国主」+「少彦名(少名毘古那神)・・・常陸
   「大国主」+「大物主・・・奈良・三輪山
  ・・・ナゼ「崇神天皇」に祟(たた)ったのか?
 ↓↑
 「大物主」
 出雲の圀譲りで帰順した首長
 大物主神(おおものぬし)
 と
 「事代主神
 は八十万神を
 天高市(あまのたけち)に集めて
 それらを率いて天に昇って忠誠心を示し
 高皇産霊尊大物主神
 「もし国神を娶れば
  お前には謀反の心があると思ってしまう。
  だから、私の娘の
  三穂津姫(みほつひめ)をお前の妻とさせたい
  八十万の神々を率いて
  永遠に皇孫(すめみま)を守護し奉れ」
  と勅して、下界に帰り降らせた
 ↓↑
 『古事記
 御諸山上坐神(みもろのやまのうえにますかみ)
 美和之大物主神(みわのおおものぬしのかみ)
 『播磨国風土記
 八戸挂須御諸命(やとかけすみもろのみこと)
 大物主葦原志許(おおものぬしあしはらのしこ)
 『日本書紀
 大己貴神の和魂(にきみたま)
 別名
 三輪明神
 倭大物主櫛甕魂命
 (やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)
 『出雲国造神賀詞』
 倭大物主
 櫛𤭖玉命
 ↓↑
 『古事記
 神武天皇の岳父
 綏靖天皇の外祖父
 三輪氏の祖神
 ↓↑
 「大物主神
 『日本書紀
 「三穂津姫」を妻
 『日本書紀
 葦原中国平定
 国譲り後に幽界へ移った
 「大国主神
 に対して
 「高皇産霊尊
 が自分の娘
 「三穂津姫
 を妻にする事を求めた
 ↓↑
 国造り
 『記紀神話
 「大国主神
 とともに国造りしていた
 「少名毘古那神」
 が常世の国へ去った後
 「海の向こうから
 光り輝く神が現れ
 我を
 倭の青垣の東の山の上に奉れば
 国造りはうまく行く」
 と言い
 「大国主神」は
 この神を三輪山に祀ることで国造りを終えた
 「古事記
 「勢夜陀多良比売」との出逢い
 「三嶋湟咋(みしまのみぞくい)」の娘の
 「勢夜陀多良比売
 を
 「美和の大物主神
 は、赤い丹塗り矢に姿を変え
 「勢夜陀多良比売
 が用を足しに来る頃を見計らって
 川の上流から流れて行き
 彼女のほと(陰所)を突いた
 その矢を自分の部屋の床に置くと
 麗しい男の姿に戻った
 二人は結ばれて、生まれた子が
 「富登多多良伊須須岐比売命
 (ほとたたらいすすきひめ-)」
 で、後に「ほと」を嫌い
 「比売多多良伊須気余理比売
 (ひめたたらいすけよりひめ)」
 と名を変え
 神武天皇の后となった
 ↓↑
 「倭迹迹日百襲姫
 (やまとととひももそひめ)」
 は、夜ごと訪ねてくる男性顔をみたいと願い
 「絶対に驚いてはいけない」
 と朝に「小物入れ」をのぞけと話した
 朝に百襲姫が小物入れをのぞくと
 小さな黒蛇がいた
 驚いた百襲姫が尻もちをついたところ
 置いてあった箸が陰部に刺さり死んだ
 ↓↑
 崇神天皇
 天変地異と疫病の流行に悩んでいると
 夢に大物主が現れ
 「こは我が心ぞ。
 意富多多泥古(大田田根子)=意富多々泥古命
 をもちて、我が御魂を祭らしむれば
 神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」
 と告げた
 天皇は「活玉依毘売の末裔」
 「意富多多泥古(大田田根子)」
 を捜し出し
 三輪山で祭祀を行わせたところ
 天変地異も疫病も収まった
 『日本書紀
 崇神天皇が大物主から夢で直接に神託を得るまで
 亀卜や沐浴斎戒
 宮殿内部の潔浄と言った祭祀の過程と内容が詳細に記され
 天変地異が収まった翌年に
 大神神社に奉る酒の管掌に
 「高橋邑」の人
 「活日」が任命された
 『古事記
 三輪大神は
 「意富美和之大神」
 とされる
 系図
 陶津耳命活玉依毘売櫛御方命
 ー飯肩巣見命ー建甕槌命ー意富多多根古
 ↓↑
 「活玉依毘売
 のもとに毎晩麗しい男が夜這し
 毘売は身篭った
 不審に思った父母が問いつめた所
 「活玉依毘売
 は知らない男が夜毎にやって来ることを告白
 父母は糸巻きに巻いた麻糸を針に通し
 針をその男の衣の裾に通すように教えた
 翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており
 糸をたどると三輪山の社まで続いていた
 糸巻きには糸が
 3回りだけ残っていたので
 「三輪」と呼ぶようになった・・・
 ↓↑
 「大物主」
 の由緒は不明瞭
 『古事記
 「大国主命
 とは別の神である
 『日本書紀
 異伝で
 「大国主神
 の別名が
 「大物主神
 大神神社では
 由緒記録に
 『古事記
 『日本書紀
 のそれぞれの記述が併記
 ↓↑
 異伝を記した「一書」
 国譲りの時に
 「天津神
 とその子孫に忠誠を尽くすと誓って帰参
 「国津神の頭」として
 「事代主神
 と並び
 「大物主」が明記
ーー↓↑ーーー
 開化天皇9年または10年・誕生
 開化天皇28年
 1月、19歳で皇太子に立てられる
 崇神天皇元年
 1月、即位
 崇神天皇3年
 9月
 磯城(しき)
 瑞籬宮(みずかきのみや)に遷都
 崇神天皇5年
 疫病が流行、多くの民が死亡
 崇神天皇6年
 疫病対策で
 宮中に祀られていた
 天照大神
 と
 倭大国魂神(大和大国魂神)
 を皇居の外に移した・・・ナゼなのか?
 崇神天皇7年
 2月
 大物主神
 倭迹迹日百襲姫命に託宣
 8月
 倭迹速神浅茅原目妙姫
 大水口宿禰(穂積臣遠祖)
 伊勢麻績君
 がともに同じ託宣を受ける
 11月
 「大田 田根子(おほた たねこ)」を
 「大物主神」の神主とし
 「市磯長尾市(いちしのながおち)」を
 「倭大国魂神」の神主としたところ
 疫病は終息し五穀豊穣となった
 崇神天皇8年
 4月
 高橋邑の
 「活日」を
 大神(大物主神)の掌酒にした
 12月
 大物主の祭祀を事視して神酒を捧げる
 崇神天皇9年
 4月
 墨坂神
 と
 大坂神
 を祀る
 崇神天皇10年
 9月
 四道将軍派遣
 「武埴安彦」
 と妻の
 「吾田媛
 の叛乱
 「五十狭芹彦命(吉備津彦命)」が
 「吾田媛」勢を迎え討ち
 「大彦命
 「彦国葺(ひこくにぶく、和珥氏の祖)」
 が
 「武埴安彦」勢を打ち破った
 10月
 四道将軍が再出発
 崇神天皇11年
 4月
 四道将軍
 戎夷(ジュウイ・蝦夷)」を従わせて帰参、奏上
 崇神天皇12年
 9月
 戸口調査・課役を科す
 御肇国天皇と称えられる
 崇神天皇17年
 10月
 献上品運搬の船を造る
 崇神天皇48年
 4月
 活目命を皇太子とした
 崇神天皇60年
 7月
 「飯入根(いいいりね)」が
 出雲の神宝を献上
 兄の
 「出雲振根」が
 「飯入根」を謀殺し
 皇軍に誅殺される
 崇神天皇62年
 10月
 依網池を造成
 11月
 苅坂池
 と
 反折池
 を造成
 崇神天皇65年
 7月
 任那国が
 「蘇那曷叱知(そなかしち)」
 を遣わして朝貢
 崇神天皇68年
 12月
 崩御・享年120歳
 『古事記』は
 戊寅年12月
 享年168歳で崩御と記録
 垂仁天皇元年
 10月
 山邊道勾岡上陵に葬られた
 垂仁天皇2年
 「蘇那曷叱知」
 が任那に帰国
 新羅に下賜品を奪われる
ーー↓↑ーー
 「茅渟(木の国・紀の国)」の
 「海の茅渟(ちぬ・海鯽)=黒鯛(関西)」の別称・・・
 「茅渟・血沼・千沼・千渟・智努
  大阪府南部の和泉国
 にあたる地域・・・
 崇神天皇
 多田田根子(オオタタネコ)を
 チヌのスヱ(陶)村で見つけ
 大物主の祟りを鎮めた・・・
 「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」・・・
 和泉国
 淡路国の間の海を
 「茅渟の海(和泉灘)」・・・
 ↓↑
 「鳴門海峡Naruto Strait)
  四国の北東端の
  大毛島孫崎(徳島県鳴門市)
  と
  淡路島門崎(兵庫県南あわじ市
  との間に位置する海峡
  瀬戸内海
  播磨灘
  と
  太平洋の
  紀伊水道を結ぶ海峡
 ↓↑
 「血(ち)沼(ぬ)」は
 神武天皇(磐余比古)の兄
 「彦五瀬命
 (ひこいつせのみこと・日本書紀五瀬命古事記)」
 の死に場所でもあった・・・
 「孔舎衛の楯津で
  長髄彦(那賀須泥毘古・登美彦)と戦い
  矢傷を受け
  紀伊の血沼で死亡」・・・血沼=「茅渟の海(和泉灘)」?
 ↓↑
 「難波に到着、川を遡り、河内国
  草香村の
  白肩之津に到り
  生駒山の孔舎衛坂の戦いで
  肘を射られ
  紀伊
  雄水門(男之水門)で死亡」・・・
 ↓↑
 「菟原処女を巡って
  菟原壮士(うないおとこ)と、
  血沼壮士(ちぬおとこ)が争い、
  嘆き悲しんだ
  菟原処女が自殺」・・・
 ↓↑
 「茅の輪」
  ・・・茅(ちがや)を束ねて大きな輪としたもの
  6月30日の夏越なごしの
  祓(はら)えの際に作られ
  くぐることによって穢(けがれ)を祓らう
  小さく作って首にも掛けた
  菅貫(すがぬき)
  茅輪神事(ちのわしんじ)
  「輪越祭・茅の輪くぐり」
  茅(ち=かや)
  茅萱(ちがや)・菅(すげ)・薄(すすき)
  などで輪を作り、輪くぐり越えて罪や穢れを除く
  素盞鳴尊(すさのおのみこと)⇔武塔神(むとうしん)
  が
  旅の途中
  「蘇民将来(そみんしょうらい)」
  「巨旦将来(こたんしょうらい)」・・・虚誕?
  という兄弟のところで宿泊を乞い
  弟の巨旦将来は断り
  兄の蘇民将来は泊めて歓迎
  後
  素盞鳴尊は再び
  「蘇民将来」の家を訪れて
  「もし悪い病気が流行することがあったら
  茅で輪を作って
  腰につけていれば病気にかからないですむ」
  とお教え
  「蘇民将来」と書いた紙を
  門にはっておくと災いを免れるという信仰
  ↓↑
  富裕な弟の「巨旦」はことわって、後に没落
  貧しい兄の「蘇民」は
  粟柄(あわがら)を敷いて座席をしつらえ
  粟飯を献じて心から歓待し、
  後に「茅で輪」で疾病を免れ繁栄
 ↓↑
 「始皇帝」は
 「度量衡=物理量の測定、物理単位」も
 「漢字」も統一させた・・・
 度は「長さ・さし」
 量は「体積・枡(升・ます)」
 衡は「質量・秤(はかり)」
 の意だが、
 「類似の類字」は混乱、誤解の「語化異」を招いた・・・
 ↓↑
 「蠃(蝸牛・似我(ジガ)蜂)」は「虫」
  蠃=吂+月+虫+卂(⺄+十)
 「嬴(瀛・大海)」は「女」
  嬴=吂+月+女+卂(⺄+十)
   =エイ・満ちる・余る・勝つ
 「贏(余り・儲け)」は「貝」
  贏=吂+月+貝+卂(⺄+十)
 「羸(痩せる・疲労)」は「羊」
  羸=吂+月+羊+卂(⺄+十)
  羸=吂+月+羊+凡
   =ルイ・つかれる・やせる・よわい・よわる
   =つかれる・弱る・弱りつかれる
    弱い・弱弱しい
    やせる
    からむ・からまる
 「臝(臝・裸(はだか)・躶・裸・果・𧝹)」は「果」
  臝=吂+月+果+卂(⺄+十)
 が異なる文字で
 ↓↑
 「吂=亡+口」=ボウ・モウ
   =答えない・応答しない・承知しない
   =老いる・老いで頭が鈍くなる・ボケ
 と
 「月(ゲツ)」=肉(ジク・しし=宍=ジク・にく)
        舟(シュウ・ふね)
        冃(ボウ・ずきん=頭巾) 
       を漢字構成の偏として代用
 「卂」=⺄+十(乂・メ)=シン・はやい・はやく飛ぶ
 「凡」=几+丶=凢=凣
   =ボン・ハン
    およそ・おおよそ・おおかた・あらまし
    すべて・あらゆる・みな
    なみ・普通・一般的・あたりまえ
 が同じである・・・
 ↓↑
 嬴(女)=エイ・満ちる・余る・勝つ
 䇔(立)=𦣄(羊)
     =𦣉(叟)=𤼘(羊)=痩せる
 㜲(女)=エイ・ヨウ・みめよい・美しい
 攍(女)=エイ・ヨウ・になう(荷う)・かつぐ(担ぐ)
 蠃(虫)=ラ・蜾蠃(カラ)=ジガバチ(似我蜂)
 瀛(女)=灜(貝)=エイ・うみ・大海・池・沼・沢
      穏やかな海
 羸(羊)=ルイ・つかれる
      やせる
      よわい・よわい
      つかれる
      弱る・弱りつかれる
      弱い・弱弱しい
      からむ・からまる
 䕦(女)=エイヨウ・菊の花=萾
 䑉(女)=エイ・ヨウ・くそ・排泄物=糞・屎
 贏(貝)=エイ・あまる・かつ・になう・のびる
      もうける・もうけ・利益を得る
      あまる・あまり・あます
      あふれる・みちる
      すぎる
      ゆるむ・のびる
      勝つ・まさる・勝利
 臝(果)=ラ・はだか・はだかになる
      毛が短い獣
      果臝(から)=ウリ科の植物名
 䃷(女)=エイ・ヨウ・石の名
 籝(女)=エイ・ヨウ・竹籠・竹製の箸箱=籯
 ↓↑
 灜(貝)=エイ・うみ・大海・池・沼・沢
      穏やかな海
  天渟中原瀛真人天皇天武天皇
           =大海人皇子
 (あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
  40代天皇(在位:673年3月20日
       天武天皇二年二月二十七日
        ~
       686年10月1日
       朱鳥元年九月九日〉)
  瀛=道教における
    東方三神山の一つ瀛州(蓬莱・方丈)のこと
    真人(シンジン)は優れた道士
  ↓↑
  始皇帝(紀元前259年2月18日
       ~
      紀元前210年9月10日)
     (在位:紀元前221年~紀元前210年)
      秦の第31代君主
     (在位:紀元前247年~紀元前210年)
      6代目の王
     (在位:紀元前247年~紀元前221年)
   ↓↑
  姓は嬴(エイ)
  氏は趙(チョウ)
  諱は政(セイ)
 ↓↑
 驘(馬)䯁(羊)= 䯁=騾
   ラ・らば
   雄のロバと雌の馬の交雑種
 㱻(羊)=ラ・ライ・動物の病気・やむ・病に罹かる
 㬯(羊)=レツ・レチ・日が落ちる・日没
 鸁(鳥)=ラ・カイツブリ=鳰(にお)
      鸊鷉(ヘキテイ)・鸊鵜(ヘキテイ)
      みそさざい(鷦鷯・三十三才)
      縄張りの中に2個以上の巣作り
      巣の内側はオスとメスが完成させる
      ミソサザイの巣は
      入口と出口の双方が
      それぞれ反対側に造る
      抱卵・育雛中に外敵から襲われると
      親鳥は入り口とは反対側の出口から脱出
 ↓↑
 䌱(立)=・䌴(羊)=ラ・糸を張る・波打つ弦?
 籯(貝)=エイ・竹かご・竹筒・箸箱=籝
 ↓↑
 カンナ・ヅキ・・・旧暦10月の異称
       新暦10月下旬~12月上旬ごろ
       2023年11月13日~12月12日の30日間
 関連性が
 「あるんだ、と、よう~」
 ・・・神無月・・・
 2016-07-15 11:25:21
 古事記字源 
 ↓↑
ーーーーー
 じゃがたら オハル
    ・・・緒(吝・御)波(葉)留?
 JAGATARAじゃがたら
      邪臥太良(多良・多羅・楤・鱈)?
 ↓↑
 じゃがたら「お春」
 1625年ごろ~1697年
 江戸時代初期に長崎に在住し
 後に
 バタヴィア(Batavia)
 伯帯庇亜=巴達維亜=板淡
    (ジャカルタ=加拉巴・雅加達)
     「加拉巴=カラパというのは
      ジャカルタ=雅加達・加拉巴
      の海岸部にあった町
      西部ジャワを支配した
      パジャジャラン王国の要港の一
 へと追放された
 イタリア人と日本人の混血女性
 イタリア人
 ニコラス ・ マリン・・・
 Nicholas Marine
(似凝らす・ 真理務)?
 と
 長崎の貿易商の子女
 マリア
 との間に産まれた
 ↓↑
 寛永十六年(1639年)六月
 に発布された
 第五次鎖国令で
 同年十月
 長崎に在住していた紅毛人とその家族が
 バタヴィアへ追放された際
 14歳(15歳)の
 「お春」は
 母・マリア
 姉・お万
 と共に離日
 オランダ側の記録では
 お春は「ジェロニマ・ジェレニモ=Jeronimo」
        字絵例似模? 
 お万は「マダレナ=Maddalena=真誰名」?
 同じ便で日本を離れた者の中に
 慶長五年(1600年)
 に
 「ウィリアム・アダムス(三浦按針)」
 らと共に日本に漂着した
 「メルキオール・ファン・サントフォールト」
 もいた
 追放後
 1646年11月29日
 「お春」
 21歳のとき
 オランダ人との混血男性で
 オランダ東インド会社の事務員補
 平戸生まれの
 「シモン・シモンセン」・・・試問選・諮問撰?
 と結婚
 「シモン」は
 東インド会社で要職を歴任した後、貿易業
 「お春」は
 「シモン」との間に三男四女(or四男三女)
 を儲け
 1697年4月
 72歳で死去
 ↓↑
 じゃがたら
 追放後に
 ジャカルタから故郷の人々に宛てた文
 ↓↑
 千はやふる、
  ・・・千早ぶる=荒ぶる
        神代も
        きかず 龍田川
        からくれなゐに=紅葉で
        水くくるとは=ミズを絞り染め
        在原業平朝臣
       (十七番・古今集
 ↓↑
 神無月とよ、
 うらめしの嵐や、
 まだ宵月の、
 空も心もうちくもり、
 時雨(しぐれ)と
 ともにふる里を、
 出でし
 その日を
 かぎりとなし、
 又、
 ふみも見じ、・・・・・・フミ、モミジ・・・?
 あし原の、・・・・・・・蛙詞葉等之?
 浦路はるかに、・・・・・有等字
 へだゝれど、
 かよふ心の
 おくれねば、
 おもひやる
 やまとの道の
 はるけきも
 ゆめに
 まちかく
 こえぬ夜ぞなき
 ・・・略・・・
 あら日本
 恋しや、
 ゆかしや、
 見たや 。
     じゃがたら
     はるより
  ↓↑
 「千はやふる、
  ・・・千早
   (センソウ=撰想・撰叢・撰奏
    千艘・千嫂・千層・船倉
    戦争)
    ↓↑
    センソウ フ     ル
    戦 争、 負(フ・附)る
    戦(いくさ)
    者(は・もの・シャ)
    負(まけ・フ)る  
    戦争負(フ・附)留
    戦者(は・もの・シャ)也、
       風(フ)に留(ル)る
    戦  頗(は・かたよる
       よこしま・すこぶる)
       家(いえ・ヤ)
      (斁・邪・鰥)破流
       「斁」=いやになる=厭(嫌)
       エキ・セク・ト・ズ
       「邪」=「耶」・・・ム=私
       「鰥」=魚+眔(トウ)
       眔=目から流す涙
         死者の胸元に
         眔(なみだ)する
         妻のいない男
         男やもめ
       「鰥寡(カンカ)」
        鰥=カン・ケン・コン
       「矜寡(カンカ)」
       「孤独鰥寡」
        やもめ=鰥夫・寡婦
       「矜持(キンジ)=あわれむ」
  神無月・・・・神なんかは
       無(イナイ)
       月=つき=通飢・椄記(紀)
  とよ   とよ=臺與
        ・・・壹與?
         登与
         利世
         豐代
        ・・・豊後・豊前・豊國の代
         豊與
        「~だとよ」
        他からの伝聞
        揶揄(やゆ)する意
        ~と、いうことだよ(な)
        ~だ、そうな
        ~で、あるらしいな
  ・・・
  あら日本・・・荒(あら)、日の本 
  恋しや、・・・ 故意詞邪(耶・哉・埜・也)
  ゆかしや、・・・有化史也(邪・耶・埜・焚)
  見たや、
  見たや」
 ↓↑
 と結ばれた手紙文・・・?
ーーーーー
 ・・・「~と、いうことだよ(な)」・・・
 ↓↑
 小泉八雲・・・いずむ・いずも・いずみ・・・イズム・・・
 2016-07-17 18:57:36
 古事記字源
 ・・・「トルコ(土耳古・Turkey)」でクーデタ(Coup d'etat)ですか・・・不用意で、不十分、中途半端な「政治的暴力」の行使・・・「一部の軍部の反乱により161人が死亡し、1440人が負傷したと発表した。拘束した2839人の軍人の中には一般兵士のほか、幹部も含まれるという。首謀者は拘束された・裁判官2745人を解任(ロイター通信)」・・・「民主主義選挙」で選ばれた権力者が「民主主義制度」を利用し、「人権と言論」を弾圧をしてきた・・・独裁者による「指導される民主主義」と、民主主義制度の「選挙」によって選ばれた大統領の「指導される独裁主義」・・・イズレも「危うい綱ワタリ」だが、「綱」は、その制度を「撚っている様々なヒトビト」である・・・そして、イズレはホグれて「キレル」・・・今のところ「カーボン繊維」と云うワケにはいかない・・・
 「民主」と云うコトバに「主義」を接合する前に、「民主」と、その「民主」である定義と、その「ミンシュ」としての「手技、手法・やり方・方法」を考えるベキであるかな・・・
 ウイッキペデアや、ブログ辞典を参照にすれば、
 「主義(イズム・ism)」は・・・「主義・主張・学説」で、「多く固有名詞の下に付いて、特有な主義・流儀・傾向などの意」であるらしいが、「主義(イズム・ism)」は「正義(ジャステス・justice・ right・righteousness)」とは異なるらしい・・・ボクには「right」も「light」も同じように聴こえる、「lights(家畜の肺臓・犬、猫の餌、食べ物」・・・「right・left」って、両翼、両手、野球の守備位置?・・・
 「イズミ」なら「出水・泉」か、「イズモ」なら「出雲」に聴こえるかも・・・「小泉八雲」に訊いてみたい・・・
 で、北海道では「いづむ」は「歯がいずむ」、「いずむような痛さ」だが・・・「いづむ」とは大和方言で、「いじける・萎縮する」、「差し控かえる」、長野県では「ねたむ・ひがむ」らしい・・・イズム、ナニを妬むんだか・・・
 「主義は人、団体や政府が主張や行動の指針にする原則や思想」、「主義は中国の史記に記録された言葉であり、信じている一定の主張を意味し、明治前期に英語のプリンシプル(principle=モノがよって立つ根本的な原理、原則、公理の・主な・主要な・第 一の・先頭に立つ)訳語で、その後、英語のイズム(-ism=主義・主張・思想・信条)として定着したらしい・・・
 明治以前「君主・領主・国主・船主」と云う概念はあったカモだが、「民主」と云うコトバはなかっただろう・・・
 「民」は「君主の領民で、私有物(生殺与奪)」だったから、この漢字を字面どうりの「主・義」と考えれば、「君主=王」の「主(支配者)の義」である。「僕(下僕・被支配者)の義」ではない・・・そして、「正義」とは「君主のモノだった」・・・当然、「主の義」である。「君臣忠義(忠儀)」の主従関係の「主の義」である。
 これは、「民」への善政、悪政に関係なく「独裁者の主の義」で、「主の戯」でもあった・・・
 そして、戦争、威喝服従を媒介に領土分轄の移譲、土地の支配権利、民の支配権の利権の相互依存関係の契約(封建関係)となっていった。君臣臣従とは貢納・軍事奉仕、命令服従等の義務契約である。そして、依然として君を頂点とする臣下の階級序列支配の中で「民」は彼らの「私有物(生殺与奪物)」であり、生産物を産みだす「家畜→価値躯?」だった・・・
 今現代の「社会的な自由関係」とは「市場」での金銭を媒介にした「売買」である・・・この流通経済関係の枠内でのみ「選択の自由」がある・・・歪(ひずみ)が出れば、立法しようが、しまいが、「政治」が強制介入するか、妥協的介入をする・・・
 この関係は身分制度を残しながらも「カネ」を媒介する「商品(雇用関係の労働も含む)の売買」として、個々人相互の「利害関係(私有財産維持)」の契約となっていったのである・・・当然、カネを蓄積しているモノには有利ではあるが・・・記録された数字上の約束は、確実にソレの「使用価値」を保障しない・・・
ーーーーー
 「不安と恐怖」はダレのモノであるのか・・・「安心と安全」はダレのモノであるのか・・・失うモノで怖れを抱くのはダレか・・・無いモノを欲しいと願望するのはダレか・・・
 痛みと、失ったモノがあるコトを経験したモノ、観て聴いて知っているモノに「不安と恐怖」がある・・・そして、「安心と安全」も・・・生きている、生きてきた人間の自覚と覚悟の問題である・・・「自覚」があっても「覚悟」がなければ「不安と恐怖」は払拭は出来ない・・・そして、それらのレベルは個々別々である・・・
 ボケた人間には「不安と恐怖」はない。それらはボケを観て知っている人間に属する・・・
 泣き叫ぶ赤ん坊は自己存在の危機を訴えるが、子供の「危険」を認識、自覚して感じているのは、それを分身した「母親の不安と恐怖」である・・・
 いずれも、生きて、「自覚」している人間の領域である・・・「自覚」している人間とは「失うモノ」に「不安と恐怖」を感じるのだ・・・そして、それらをマモルには「リスク」が伴う・・・そして、それをマモルこと、マモルモノには個々人で異なる・・・
 「天国」には「安全」と「危険」は無い・・・無いモノは無いのである・・・「地獄」はあるのか・・・在るモノは在るのである。「天のウエの獄」ではない、この「地のウエの獄」にである・・・
 最近では「宇宙空間」にもあるかも・・・
 だが、殆んどは・・・「エゴのレベル」は地上に「生きている社会的人間」にある・・・
 ・・・「なんでも云ってイイ」ケレどねッ・・・イエる時がハナである・・・
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(ユカリとオジさんの世迷い言・2)

古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)

エメラルドブルーの謎  (碧き眼の人形伝説)  奈井江 五郎
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鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・
オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポルカ」 (haa98940.wixsite.com)