文字霊日記・3353日目
「大物主」がナゼ「崇神天皇」に祟(たた)ったのか?
ダレかがボクの日記を訪問してくれて
読んでくれたらしい記事をボクも
再度、再三、再四、読み返して
・・・2016年の過去記事の部分を少々改作して
再度貼り付けてみた・・・
・・・毎日、コジキのカンジに拘ってきているけれど・・・
「コロナ・ヴィルス」が再度、蔓延しそうな兆しだが・・・
https://www.youtube.com/watch?v=x3pcJF0iNZ4
↓↑
「崇神天皇(スジンテンノウ・第10代 天皇)」
「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」
『日本書紀』
↓↑
御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりびこいにえのすめらみこと)『日本書紀』
・・・彦=ゲン・ひこ=肥後(ヒゴ)?
五十=いそ・ゴジュウ=五(丅+ユ)拾
五=丅+ユ=㐅
ゴ・いつ・いつつ
いつたび
ごかい・ごど
いつつ=午前八時(辰の刻)
午後八時(戌の刻)
御間城天皇
(みまきのすめらみこと)『日本書紀』
御間城尊
(みまきのみこと) 『日本書紀』
御肇國天皇
(はつくにしらすすめらみこと)『日本書紀』
御眞木入日子印恵命
(みまきいりひこいにえのみこと)『古事記』
所知初國御眞木天皇
(はつくにしらししみまきのすめらみこと)『古事記』
美萬貴天皇
(みまきのすめらみこと)『常陸国風土記』
↓↑
「崇神天皇(スジンテンノウ)」
が、ナゼ、
「大物主の祟り」
を被ったのか?
・・・・「出雲の大国主(大己貴)」は
「葦原中国=出雲」
「国譲り」で派遣された
「建御雷神(武甕槌神)」
異名
「建布都神(たけふつのかみ)」
「豊布都神(とよふつのかみ)」
「天鳥船神」・・・「経津主神」
に迫られ、息子の
「事代主神」・・・百(もも)足らず
八十隈(やそくまで)へ隠れた
ともに自殺し・・・
「大国主(大己貴命・大穴持命)」
もう一人の息子
「建御名方神(たけみなかた)
大国主(大己貴神・大穴持命)
と
高志沼河姫の子」・・・高志=高句麗?
を
科野国の
州羽の海まで追い詰めて殺そうとした
「建御名方神(たけみなかた)」
は
「天津神の御子」・・・
「天津川」は
隋王朝二代
「煬帝」の宮殿の橋の下を流れる川
「煬帝=楊広(ヨウコウ)=英(エイ)
=小字 阿𡡉(あま)」
に
「葦原中国(出雲)を譲ります」と
「建御雷神(武甕槌神)」
に降参した・・・
最後まで抵抗したものは
「倭文神(しとりがみ)」・・・「倭文=ワブン」
である
「建葉槌命」を遣わせて服従させた
↓↑
「出雲王朝」は
「天孫降臨族」・・・「天津族」?
に滅ぼされた一族だった・・・
生き残ったのは
「諏訪」・・・諏=言+取(耳+又)
訪=言+方(亠+勹)
・・・「亠=音の字略・蓋」
に閉じこもった
↓↑
「素戔嗚」
の血統
「大国主(出雲)」一族は
「天孫降臨族=天津族」
の「圀譲り強要」に恨みを抱いていた
「天孫降臨族」=「大物主=海族」の祟り
「崇神天皇」 =非「天孫降臨族」
「崇神天皇」 =?
「崇神天皇」 =「大物主=海族」の祟り
「大物主=海族」の祟り=「天津族=隋」
「崇神天皇」 =「天照大神」を宮中から排除
なのか・・・?
「大国主」+「少彦名(少名毘古那神)・・・常陸」
「大国主」+「大物主・・・奈良・三輪山」
・・・ナゼ「崇神天皇」に祟(たた)ったのか?
↓↑
「大物主」
出雲の圀譲りで帰順した首長
大物主神(おおものぬし)
と
「事代主神」
は八十万神を
天高市(あまのたけち)に集めて
それらを率いて天に昇って忠誠心を示し
高皇産霊尊は大物主神に
「もし国神を娶れば
お前には謀反の心があると思ってしまう。
だから、私の娘の
三穂津姫(みほつひめ)をお前の妻とさせたい
八十万の神々を率いて
永遠に皇孫(すめみま)を守護し奉れ」
と勅して、下界に帰り降らせた
↓↑
『古事記』
御諸山上坐神(みもろのやまのうえにますかみ)
美和之大物主神(みわのおおものぬしのかみ)
『播磨国風土記』
八戸挂須御諸命(やとかけすみもろのみこと)
大物主葦原志許(おおものぬしあしはらのしこ)
『日本書紀』
大己貴神の和魂(にきみたま)
別名
三輪明神
倭大物主櫛甕魂命
(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)
『出雲国造神賀詞』
倭大物主
櫛𤭖玉命
↓↑
『古事記』
神武天皇の岳父
綏靖天皇の外祖父
三輪氏の祖神
↓↑
「大物主神」
『日本書紀』
「三穂津姫」を妻
『日本書紀』
葦原中国平定で
国譲り後に幽界へ移った
「大国主神」
に対して
「高皇産霊尊」
が自分の娘
「三穂津姫」
を妻にする事を求めた
↓↑
国造り
『記紀神話』
「大国主神」
とともに国造りしていた
「少名毘古那神」
が常世の国へ去った後
「海の向こうから
光り輝く神が現れ
我を
倭の青垣の東の山の上に奉れば
国造りはうまく行く」
と言い
「大国主神」は
この神を三輪山に祀ることで国造りを終えた
「古事記」
「勢夜陀多良比売」との出逢い
「三嶋湟咋(みしまのみぞくい)」の娘の
「勢夜陀多良比売」
を
「美和の大物主神」
は、赤い丹塗り矢に姿を変え
「勢夜陀多良比売」
が用を足しに来る頃を見計らって
川の上流から流れて行き
彼女のほと(陰所)を突いた
その矢を自分の部屋の床に置くと
麗しい男の姿に戻った
二人は結ばれて、生まれた子が
「富登多多良伊須須岐比売命
(ほとたたらいすすきひめ-)」
で、後に「ほと」を嫌い
「比売多多良伊須気余理比売
(ひめたたらいすけよりひめ)」
と名を変え
神武天皇の后となった
↓↑
「倭迹迹日百襲姫
(やまとととひももそひめ)」
は、夜ごと訪ねてくる男性顔をみたいと願い
「絶対に驚いてはいけない」
と朝に「小物入れ」をのぞけと話した
朝に百襲姫が小物入れをのぞくと
小さな黒蛇がいた
驚いた百襲姫が尻もちをついたところ
置いてあった箸が陰部に刺さり死んだ
↓↑
崇神天皇が
天変地異と疫病の流行に悩んでいると
夢に大物主が現れ
「こは我が心ぞ。
意富多多泥古(大田田根子)=意富多々泥古命
をもちて、我が御魂を祭らしむれば
神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」
と告げた
天皇は「活玉依毘売の末裔」
「意富多多泥古(大田田根子)」
を捜し出し
三輪山で祭祀を行わせたところ
天変地異も疫病も収まった
『日本書紀』
崇神天皇が大物主から夢で直接に神託を得るまで
亀卜や沐浴斎戒
宮殿内部の潔浄と言った祭祀の過程と内容が詳細に記され
天変地異が収まった翌年に
大神神社に奉る酒の管掌に
「高橋邑」の人
「活日」が任命された
『古事記』
三輪大神は
「意富美和之大神」
とされる
系図
陶津耳命ー活玉依毘売ー櫛御方命
ー飯肩巣見命ー建甕槌命ー意富多多根古
↓↑
「活玉依毘売」
のもとに毎晩麗しい男が夜這し
毘売は身篭った
不審に思った父母が問いつめた所
「活玉依毘売」
は知らない男が夜毎にやって来ることを告白
父母は糸巻きに巻いた麻糸を針に通し
針をその男の衣の裾に通すように教えた
翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており
糸をたどると三輪山の社まで続いていた
糸巻きには糸が
3回りだけ残っていたので
「三輪」と呼ぶようになった・・・
↓↑
「大物主」
の由緒は不明瞭
『古事記』
「大国主命」
とは別の神である
『日本書紀』
異伝で
「大国主神」
の別名が
「大物主神」
大神神社では
由緒記録に
『古事記』
『日本書紀』
のそれぞれの記述が併記
↓↑
異伝を記した「一書」
国譲りの時に
「天津神」
とその子孫に忠誠を尽くすと誓って帰参
「国津神の頭」として
「事代主神」
と並び
「大物主」が明記
ーー↓↑ーーー
開化天皇9年または10年・誕生
開化天皇28年
1月、19歳で皇太子に立てられる
崇神天皇元年
1月、即位
崇神天皇3年
9月
磯城(しき)
瑞籬宮(みずかきのみや)に遷都
崇神天皇5年
疫病が流行、多くの民が死亡
崇神天皇6年
疫病対策で
宮中に祀られていた
天照大神
と
倭大国魂神(大和大国魂神)
を皇居の外に移した・・・ナゼなのか?
崇神天皇7年
2月
大物主神が
倭迹迹日百襲姫命に託宣
8月
倭迹速神浅茅原目妙姫
大水口宿禰(穂積臣遠祖)
伊勢麻績君
がともに同じ託宣を受ける
11月
「大田 田根子(おほた たねこ)」を
「大物主神」の神主とし
「市磯長尾市(いちしのながおち)」を
「倭大国魂神」の神主としたところ
疫病は終息し五穀豊穣となった
崇神天皇8年
4月
高橋邑の
「活日」を
大神(大物主神)の掌酒にした
12月
大物主の祭祀を事視して神酒を捧げる
崇神天皇9年
4月
墨坂神
と
大坂神
を祀る
崇神天皇10年
9月
四道将軍派遣
「武埴安彦」
と妻の
「吾田媛」
の叛乱
「五十狭芹彦命(吉備津彦命)」が
「吾田媛」勢を迎え討ち
「大彦命」
「彦国葺(ひこくにぶく、和珥氏の祖)」
が
「武埴安彦」勢を打ち破った
10月
四道将軍が再出発
崇神天皇11年
4月
四道将軍が
戎夷(ジュウイ・蝦夷)」を従わせて帰参、奏上
崇神天皇12年
9月
戸口調査・課役を科す
御肇国天皇と称えられる
崇神天皇17年
10月
献上品運搬の船を造る
崇神天皇48年
4月
活目命を皇太子とした
崇神天皇60年
7月
「飯入根(いいいりね)」が
出雲の神宝を献上
兄の
「出雲振根」が
「飯入根」を謀殺し
皇軍に誅殺される
崇神天皇62年
10月
依網池を造成
11月
苅坂池
と
反折池
を造成
崇神天皇65年
7月
任那国が
「蘇那曷叱知(そなかしち)」
を遣わして朝貢
崇神天皇68年
12月
崩御・享年120歳
『古事記』は
戊寅年12月
享年168歳で崩御と記録
垂仁天皇元年
10月
山邊道勾岡上陵に葬られた
垂仁天皇2年
「蘇那曷叱知」
が任那に帰国
新羅に下賜品を奪われる
ーー↓↑ーー
「茅渟(木の国・紀の国)」の
「海の茅渟(ちぬ・海鯽)=黒鯛(関西)」の別称・・・
「茅渟・血沼・千沼・千渟・智努
大阪府南部の和泉国」
にあたる地域・・・
崇神天皇が
多田田根子(オオタタネコ)を
チヌのスヱ(陶)村で見つけ
大物主の祟りを鎮めた・・・
「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」・・・
和泉国と
淡路国の間の海を
「茅渟の海(和泉灘)」・・・
↓↑
「鳴門海峡(Naruto Strait)
四国の北東端の
大毛島孫崎(徳島県鳴門市)
と
淡路島門崎(兵庫県南あわじ市)
との間に位置する海峡
瀬戸内海
播磨灘
と
太平洋の
紀伊水道を結ぶ海峡
↓↑
「血(ち)沼(ぬ)」は
神武天皇(磐余比古)の兄
「彦五瀬命
(ひこいつせのみこと・日本書紀・五瀬命(古事記)」
の死に場所でもあった・・・
「孔舎衛の楯津で
長髄彦(那賀須泥毘古・登美彦)と戦い
矢傷を受け
紀伊の血沼で死亡」・・・血沼=「茅渟の海(和泉灘)」?
↓↑
「難波に到着、川を遡り、河内国の
草香村の
白肩之津に到り
生駒山の孔舎衛坂の戦いで
肘を射られ
紀伊の
雄水門(男之水門)で死亡」・・・
↓↑
「菟原処女を巡って
菟原壮士(うないおとこ)と、
血沼壮士(ちぬおとこ)が争い、
嘆き悲しんだ
菟原処女が自殺」・・・
↓↑
「茅の輪」
・・・茅(ちがや)を束ねて大きな輪としたもの
6月30日の夏越なごしの
祓(はら)えの際に作られ
くぐることによって穢(けがれ)を祓らう
小さく作って首にも掛けた
菅貫(すがぬき)
茅輪神事(ちのわしんじ)
「輪越祭・茅の輪くぐり」
茅(ち=かや)
茅萱(ちがや)・菅(すげ)・薄(すすき)
などで輪を作り、輪くぐり越えて罪や穢れを除く
素盞鳴尊(すさのおのみこと)⇔武塔神(むとうしん)
が
旅の途中
「蘇民将来(そみんしょうらい)」
「巨旦将来(こたんしょうらい)」・・・虚誕?
という兄弟のところで宿泊を乞い
弟の巨旦将来は断り
兄の蘇民将来は泊めて歓迎
後
素盞鳴尊は再び
「蘇民将来」の家を訪れて
「もし悪い病気が流行することがあったら
茅で輪を作って
腰につけていれば病気にかからないですむ」
とお教え
「蘇民将来」と書いた紙を
門にはっておくと災いを免れるという信仰
↓↑
富裕な弟の「巨旦」はことわって、後に没落
貧しい兄の「蘇民」は
粟柄(あわがら)を敷いて座席をしつらえ
粟飯を献じて心から歓待し、
後に「茅で輪」で疾病を免れ繁栄
↓↑
「始皇帝」は
「度量衡=物理量の測定、物理単位」も
「漢字」も統一させた・・・
度は「長さ・さし」
量は「体積・枡(升・ます)」
衡は「質量・秤(はかり)」
の意だが、
「類似の類字」は混乱、誤解の「語化異」を招いた・・・
↓↑
「蠃(蝸牛・似我(ジガ)蜂)」は「虫」
蠃=吂+月+虫+卂(⺄+十)
「嬴(瀛・大海)」は「女」
嬴=吂+月+女+卂(⺄+十)
=エイ・満ちる・余る・勝つ
「贏(余り・儲け)」は「貝」
贏=吂+月+貝+卂(⺄+十)
「羸(痩せる・疲労)」は「羊」
羸=吂+月+羊+卂(⺄+十)
羸=吂+月+羊+凡
=ルイ・つかれる・やせる・よわい・よわる
=つかれる・弱る・弱りつかれる
弱い・弱弱しい
やせる
からむ・からまる
「臝(臝・裸(はだか)・躶・裸・果・𧝹)」は「果」
臝=吂+月+果+卂(⺄+十)
が異なる文字で
↓↑
「吂=亡+口」=ボウ・モウ
=答えない・応答しない・承知しない
=老いる・老いで頭が鈍くなる・ボケ
と
「月(ゲツ)」=肉(ジク・しし=宍=ジク・にく)
舟(シュウ・ふね)
冃(ボウ・ずきん=頭巾)
を漢字構成の偏として代用
「卂」=⺄+十(乂・メ)=シン・はやい・はやく飛ぶ
「凡」=几+丶=凢=凣
=ボン・ハン
およそ・おおよそ・おおかた・あらまし
すべて・あらゆる・みな
なみ・普通・一般的・あたりまえ
が同じである・・・
↓↑
嬴(女)=エイ・満ちる・余る・勝つ
䇔(立)=𦣄(羊)
=𦣉(叟)=𤼘(羊)=痩せる
㜲(女)=エイ・ヨウ・みめよい・美しい
攍(女)=エイ・ヨウ・になう(荷う)・かつぐ(担ぐ)
蠃(虫)=ラ・蜾蠃(カラ)=ジガバチ(似我蜂)
瀛(女)=灜(貝)=エイ・うみ・大海・池・沼・沢
穏やかな海
羸(羊)=ルイ・つかれる
やせる
よわい・よわい
つかれる
弱る・弱りつかれる
弱い・弱弱しい
からむ・からまる
䕦(女)=エイヨウ・菊の花=萾
䑉(女)=エイ・ヨウ・くそ・排泄物=糞・屎
贏(貝)=エイ・あまる・かつ・になう・のびる
もうける・もうけ・利益を得る
あまる・あまり・あます
あふれる・みちる
すぎる
ゆるむ・のびる
勝つ・まさる・勝利
臝(果)=ラ・はだか・はだかになる
毛が短い獣
果臝(から)=ウリ科の植物名
䃷(女)=エイ・ヨウ・石の名
籝(女)=エイ・ヨウ・竹籠・竹製の箸箱=籯
↓↑
灜(貝)=エイ・うみ・大海・池・沼・沢
穏やかな海
天渟中原瀛真人天皇=天武天皇
=大海人皇子
(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
40代天皇(在位:673年3月20日
天武天皇二年二月二十七日
~
686年10月1日
朱鳥元年九月九日〉)
瀛=道教における
東方三神山の一つ瀛州(蓬莱・方丈)のこと
真人(シンジン)は優れた道士
↓↑
始皇帝(紀元前259年2月18日
~
紀元前210年9月10日)
(在位:紀元前221年~紀元前210年)
秦の第31代君主
(在位:紀元前247年~紀元前210年)
6代目の王
(在位:紀元前247年~紀元前221年)
↓↑
姓は嬴(エイ)
氏は趙(チョウ)
諱は政(セイ)
↓↑
驘(馬)䯁(羊)= 䯁=騾
ラ・らば
雄のロバと雌の馬の交雑種
㱻(羊)=ラ・ライ・動物の病気・やむ・病に罹かる
㬯(羊)=レツ・レチ・日が落ちる・日没
鸁(鳥)=ラ・カイツブリ=鳰(にお)
鸊鷉(ヘキテイ)・鸊鵜(ヘキテイ)
みそさざい(鷦鷯・三十三才)
縄張りの中に2個以上の巣作り
巣の内側はオスとメスが完成させる
ミソサザイの巣は
入口と出口の双方が
それぞれ反対側に造る
抱卵・育雛中に外敵から襲われると
親鳥は入り口とは反対側の出口から脱出
↓↑
䌱(立)=・䌴(羊)=ラ・糸を張る・波打つ弦?
籯(貝)=エイ・竹かご・竹筒・箸箱=籝
↓↑
カンナ・ヅキ・・・旧暦10月の異称
新暦10月下旬~12月上旬ごろ
2023年11月13日~12月12日の30日間
関連性が
「あるんだ、と、よう~」
・・・神無月・・・
2016-07-15 11:25:21
古事記字源
↓↑
ーーーーー
じゃがたら オハル
・・・緒(吝・御)波(葉)留?
JAGATARA(じゃがたら)
邪臥太良(多良・多羅・楤・鱈)?
↓↑
じゃがたら「お春」
1625年ごろ~1697年
江戸時代初期に長崎に在住し
後に
バタヴィア(Batavia)
伯帯庇亜=巴達維亜=板淡
(ジャカルタ=加拉巴・雅加達)
「加拉巴=カラパというのは
ジャカルタ=雅加達・加拉巴
の海岸部にあった町
西部ジャワを支配した
パジャジャラン王国の要港の一
へと追放された
イタリア人と日本人の混血女性
イタリア人
ニコラス ・ マリン・・・
Nicholas Marine
(似凝らす・ 真理務)?
と
長崎の貿易商の子女
マリア
との間に産まれた
↓↑
寛永十六年(1639年)六月
に発布された
第五次鎖国令で
同年十月
長崎に在住していた紅毛人とその家族が
バタヴィアへ追放された際
14歳(15歳)の
「お春」は
母・マリア
姉・お万
と共に離日
オランダ側の記録では
お春は「ジェロニマ・ジェレニモ=Jeronimo」
字絵例似模?
お万は「マダレナ=Maddalena=真誰名」?
同じ便で日本を離れた者の中に
慶長五年(1600年)
に
「ウィリアム・アダムス(三浦按針)」
らと共に日本に漂着した
「メルキオール・ファン・サントフォールト」
もいた
追放後
1646年11月29日
「お春」
21歳のとき
オランダ人との混血男性で
オランダ東インド会社の事務員補
平戸生まれの
「シモン・シモンセン」・・・試問選・諮問撰?
と結婚
「シモン」は
東インド会社で要職を歴任した後、貿易業
「お春」は
「シモン」との間に三男四女(or四男三女)
を儲け
1697年4月
72歳で死去
↓↑
じゃがたら文
追放後に
ジャカルタから故郷の人々に宛てた文
↓↑
千はやふる、
・・・千早ぶる=荒ぶる
神代も
きかず 龍田川
からくれなゐに=紅葉で
水くくるとは=ミズを絞り染め
在原業平朝臣
(十七番・古今集)
↓↑
神無月とよ、
うらめしの嵐や、
まだ宵月の、
空も心もうちくもり、
時雨(しぐれ)と
ともにふる里を、
出でし
その日を
かぎりとなし、
又、
ふみも見じ、・・・・・・フミ、モミジ・・・?
あし原の、・・・・・・・蛙詞葉等之?
浦路はるかに、・・・・・有等字
へだゝれど、
かよふ心の
おくれねば、
おもひやる
やまとの道の
はるけきも
ゆめに
まちかく
こえぬ夜ぞなき
・・・略・・・
あら日本
恋しや、
ゆかしや、
見たや 。
じゃがたら
はるより
↓↑
「千はやふる、
・・・千早
(センソウ=撰想・撰叢・撰奏
千艘・千嫂・千層・船倉
戦争)
↓↑
センソウ フ ル
戦 争、 負(フ・附)る
戦(いくさ)
者(は・もの・シャ)
負(まけ・フ)る
戦争負(フ・附)留
戦者(は・もの・シャ)也、
風(フ)に留(ル)る
戦 頗(は・かたよる
よこしま・すこぶる)
家(いえ・ヤ)
(斁・邪・鰥)破流
「斁」=いやになる=厭(嫌)
エキ・セク・ト・ズ
「邪」=「耶」・・・ム=私
「鰥」=魚+眔(トウ)
眔=目から流す涙
死者の胸元に
眔(なみだ)する
妻のいない男
男やもめ
「鰥寡(カンカ)」
鰥=カン・ケン・コン
「矜寡(カンカ)」
「孤独鰥寡」
やもめ=鰥夫・寡婦
「矜持(キンジ)=あわれむ」
神無月・・・・神なんかは
無(イナイ)
月=つき=通飢・椄記(紀)
とよ とよ=臺與
・・・壹與?
登与
利世
豐代
・・・豊後・豊前・豊國の代
豊與
「~だとよ」
他からの伝聞
揶揄(やゆ)する意
~と、いうことだよ(な)
~だ、そうな
~で、あるらしいな
・・・
あら日本・・・荒(あら)、日の本
恋しや、・・・ 故意詞邪(耶・哉・埜・也)
ゆかしや、・・・有化史也(邪・耶・埜・焚)
見たや、
見たや」
↓↑
と結ばれた手紙文・・・?
ーーーーー
・・・「~と、いうことだよ(な)」・・・
↓↑
小泉八雲・・・いずむ・いずも・いずみ・・・イズム・・・
2016-07-17 18:57:36
古事記字源
・・・「トルコ(土耳古・Turkey)」でクーデタ(Coup d'etat)ですか・・・不用意で、不十分、中途半端な「政治的暴力」の行使・・・「一部の軍部の反乱により161人が死亡し、1440人が負傷したと発表した。拘束した2839人の軍人の中には一般兵士のほか、幹部も含まれるという。首謀者は拘束された・裁判官2745人を解任(ロイター通信)」・・・「民主主義選挙」で選ばれた権力者が「民主主義制度」を利用し、「人権と言論」を弾圧をしてきた・・・独裁者による「指導される民主主義」と、民主主義制度の「選挙」によって選ばれた大統領の「指導される独裁主義」・・・イズレも「危うい綱ワタリ」だが、「綱」は、その制度を「撚っている様々なヒトビト」である・・・そして、イズレはホグれて「キレル」・・・今のところ「カーボン繊維」と云うワケにはいかない・・・
「民主」と云うコトバに「主義」を接合する前に、「民主」と、その「民主」である定義と、その「ミンシュ」としての「手技、手法・やり方・方法」を考えるベキであるかな・・・
ウイッキペデアや、ブログ辞典を参照にすれば、
「主義(イズム・ism)」は・・・「主義・主張・学説」で、「多く固有名詞の下に付いて、特有な主義・流儀・傾向などの意」であるらしいが、「主義(イズム・ism)」は「正義(ジャステス・justice・ right・righteousness)」とは異なるらしい・・・ボクには「right」も「light」も同じように聴こえる、「lights(家畜の肺臓・犬、猫の餌、食べ物」・・・「right・left」って、両翼、両手、野球の守備位置?・・・
「イズミ」なら「出水・泉」か、「イズモ」なら「出雲」に聴こえるかも・・・「小泉八雲」に訊いてみたい・・・
で、北海道では「いづむ」は「歯がいずむ」、「いずむような痛さ」だが・・・「いづむ」とは大和方言で、「いじける・萎縮する」、「差し控かえる」、長野県では「ねたむ・ひがむ」らしい・・・イズム、ナニを妬むんだか・・・
「主義は人、団体や政府が主張や行動の指針にする原則や思想」、「主義は中国の史記に記録された言葉であり、信じている一定の主張を意味し、明治前期に英語のプリンシプル(principle=モノがよって立つ根本的な原理、原則、公理の・主な・主要な・第 一の・先頭に立つ)訳語で、その後、英語のイズム(-ism=主義・主張・思想・信条)として定着したらしい・・・
明治以前「君主・領主・国主・船主」と云う概念はあったカモだが、「民主」と云うコトバはなかっただろう・・・
「民」は「君主の領民で、私有物(生殺与奪)」だったから、この漢字を字面どうりの「主・義」と考えれば、「君主=王」の「主(支配者)の義」である。「僕(下僕・被支配者)の義」ではない・・・そして、「正義」とは「君主のモノだった」・・・当然、「主の義」である。「君臣忠義(忠儀)」の主従関係の「主の義」である。
これは、「民」への善政、悪政に関係なく「独裁者の主の義」で、「主の戯」でもあった・・・
そして、戦争、威喝服従を媒介に領土分轄の移譲、土地の支配権利、民の支配権の利権の相互依存関係の契約(封建関係)となっていった。君臣臣従とは貢納・軍事奉仕、命令服従等の義務契約である。そして、依然として君を頂点とする臣下の階級序列支配の中で「民」は彼らの「私有物(生殺与奪物)」であり、生産物を産みだす「家畜→価値躯?」だった・・・
今現代の「社会的な自由関係」とは「市場」での金銭を媒介にした「売買」である・・・この流通経済関係の枠内でのみ「選択の自由」がある・・・歪(ひずみ)が出れば、立法しようが、しまいが、「政治」が強制介入するか、妥協的介入をする・・・
この関係は身分制度を残しながらも「カネ」を媒介する「商品(雇用関係の労働も含む)の売買」として、個々人相互の「利害関係(私有財産維持)」の契約となっていったのである・・・当然、カネを蓄積しているモノには有利ではあるが・・・記録された数字上の約束は、確実にソレの「使用価値」を保障しない・・・
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「不安と恐怖」はダレのモノであるのか・・・「安心と安全」はダレのモノであるのか・・・失うモノで怖れを抱くのはダレか・・・無いモノを欲しいと願望するのはダレか・・・
痛みと、失ったモノがあるコトを経験したモノ、観て聴いて知っているモノに「不安と恐怖」がある・・・そして、「安心と安全」も・・・生きている、生きてきた人間の自覚と覚悟の問題である・・・「自覚」があっても「覚悟」がなければ「不安と恐怖」は払拭は出来ない・・・そして、それらのレベルは個々別々である・・・
ボケた人間には「不安と恐怖」はない。それらはボケを観て知っている人間に属する・・・
泣き叫ぶ赤ん坊は自己存在の危機を訴えるが、子供の「危険」を認識、自覚して感じているのは、それを分身した「母親の不安と恐怖」である・・・
いずれも、生きて、「自覚」している人間の領域である・・・「自覚」している人間とは「失うモノ」に「不安と恐怖」を感じるのだ・・・そして、それらをマモルには「リスク」が伴う・・・そして、それをマモルこと、マモルモノには個々人で異なる・・・
「天国」には「安全」と「危険」は無い・・・無いモノは無いのである・・・「地獄」はあるのか・・・在るモノは在るのである。「天のウエの獄」ではない、この「地のウエの獄」にである・・・
最近では「宇宙空間」にもあるかも・・・
だが、殆んどは・・・「エゴのレベル」は地上に「生きている社会的人間」にある・・・
・・・「なんでも云ってイイ」ケレどねッ・・・イエる時がハナである・・・
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(ユカリとオジさんの世迷い言・2)
古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
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「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
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追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
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古事記と虎関師錬
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鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・
オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポルカ」 (haa98940.wixsite.com)